世界の美しい大聖堂・教会 – 見どころ、ランキング、建築様式
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本記事では、世界中から訪問する価値のある大聖堂、教会だけを厳選し、それらの歴史や見どころ、建築様式などを詳しくご紹介致します。誰もが知る有名大聖堂から街の小さな教会まで、見るだけで行きたくなる様な大聖堂と教会の情報が満載です。
- 1 サン・ピエトロ大聖堂
- 2 ミラノ大聖堂(ミラノのドゥオーモ )
- 3 サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)
- 4 聖マリア教会
- 5 聖ヴィート大聖堂
- 6 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
- 7 ケルン大聖堂
- 8 キジ島の木造建築教会
- 9 アヤソフィア大聖堂(アヤソフィア イ ケビル ジャーミィ)
- 10 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェのドゥオーモ )
- 11 シャルトル大聖堂
- 12 サント・シャペル教会
- 13 サン・マルコ寺院
- 14 シュテファン大聖堂
- 15 聖イシュトバーン大聖堂
- 16 ピサの大聖堂
- 17 サクレ・クール寺院
- 18 ノートルダム大聖堂(パリ シテ島)
- 19 マーチャーシュ教会
- 20 サン・ロレンツォ教会
- 21 聖イジー教会
- 22 聖ワシリイ大聖堂
- 23 セント・ポール大聖堂
- 24 ヴィースの巡礼教会
- 25 建築様式について
- 26 大聖堂の面積と高さランキング
サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂は、バチカン市国の玄関口であるサンピエトロ広場に建つキリスト教最大の建造物です。この壮大な大聖堂は、世界に10億人以上の信者を持つ「カトリック」の総本山となっており、毎年世界中から数え切れないほどの信者が巡礼に訪れます。
「サン・ピエトロ大聖堂」の礎が築かれたのは324年、キリスト教を公認した「コンスタンティヌス帝」の命によって「聖ペトロ」の墓の上に建設された建物が元になっています。
ただし現在の建物は2代目にあたり、1506年から1626年まで120年の歳月をかけてバロック様式の大聖堂に建て替えられました。この大改修は、教皇ユリウス2世の号令によって開始され、ブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロなど、時代の寵児と言われる天才建築家や芸術家たちが10人以上も携わりました。少し話はそれますが、世界一有名な画家「レオナルド・ダ・ヴィンチ」はこの大聖堂の改修プロジェクトの選考に漏れ、大きく失望したと言われています。
この大聖堂の規模は桁違い(世界一)で、高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m、総面積は49,737㎡を誇ります。写真では伝わらないと思いますが、実際にサン・ピエトロ広場に立ってこの大聖堂を前にした時、その迫力と巨大さに誰もが圧倒されると思います。
そして何と言っても、この大聖堂の一番の魅力は、世界一豪華と言える内部の装飾や美術品の数々です。
大聖堂内部は、まるで一つの美術館と言えるほど美しい芸術作品の数々で溢れています。その中でも、ベルニーニ作の「大天蓋」と「聖ペトロの司教座」、ミケランジェロ作の「ピエタ像」は、人類美術史上においても指折りの傑作と言えます。
【大天蓋(パルダッキーノ)】
大聖堂の奥には、4本の螺旋状の柱に支えられたベルニーニ設計の大天蓋があります。この高さ29メートルの大天蓋は、ベルニーニのパトロンであったローマ教皇「ウルバヌス8世」の命によってベルニーニが手掛けたものです。素材には鍍金ブロンズやパンテオンから調達したブロンズが使用され、大天蓋の真下には「聖ペテロ」が埋葬されています。
【聖ペトロの司教座】
聖堂内奥の後塵には、ベルニーニが1666年に手掛けたブロンズ装飾の「聖ペトロの司教座」が圧倒的な存在感でそびえ立っています。この巨大な司教座の制作には120トンものブロンズが使用されました。司教座の中には聖ペテロが使用したと言われる木製の玉座が収められています。
【ピエタ像】
ミケランジェロが生涯で4点手掛けたと言われる「ピエタ像」のうちの一つです。4点のピエタシリーズの中で、この場所にあるのが唯一の完成品で、他の3作のピエタ像は未完成となっています。
サン・ピエトロ大聖堂への入場は無料ですが、付属のクーポラに登る場合は有料となります。クーポラの展望フロアからは、バチカン市国とローマ市内を一望する事ができ、この景観には一見の価値があります。サン・ピエトロ大聖堂訪問時は、必ずクーポラに登る事をお勧め致します。
ミラノ大聖堂(ミラノのドゥオーモ )
美しい白の外観が特徴的なミラノ大聖堂は、聖母マリアに捧げられた世界最大級のゴシック建築です。聖書の人物、聖人、預言者など、約3500体もの彫刻が建物全体を飾っています。建設は、1386年にミラノの領主と大司教の号令で着工しますが、完成したのは、ナポレオン最盛期の1813年の事でした。実に500年近くもの歳月が費やされています。
聖堂の総面積は1万1700㎡(全長157m、幅92m、高さ108m)もあり、ゴシック建築の大聖堂としては、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ大きさです。だいたい東京ドームの4分の1ぐらいの大きさといえば想像しやすいと思います。
ラテン十字型の大聖堂内部は、5つの身廊、翼廊、後陣で構成され、一度に最大4万人の収容が可能です。
窓を飾るステンドグラスは、15世紀〜19世紀までの数世紀に渡って製作されており、その時代の最先端技術を伺い知る事ができます。
聖堂内の礼拝堂や彫刻群の中でも、イタリア人彫刻家「マルコ・ダグラーテ」が1562年に手がけた「聖バルトロメオ像」は必見です。
ミラノ大聖堂は聖堂内見学以外にも、面積8000㎡を誇る屋上テラス(画像下)の見学や、地下聖堂、考古学エリアなど、見どころが満載です。
サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)
建築家「アントニ・ガウディ」の代表作である「サグラダ・ファミリア」は、その斬新なデザインから本来の役割を忘れ去られがちですが、あくまでも「キリスト教の大聖堂」です。
「サグラダファミリア」という言葉は、キリストと聖母マリア、更に養父ヨセフで構成される「聖家族」を意味しており、教会内外の至る所でキリストや聖家族関連の装飾を見る事ができます。サグラダファミリアの装飾は全体を通して「イエス・キリスト」の生涯がテーマになっています。
この大聖堂が極めて異質なのは、未だ建設中でありながら、ユネスコの世界遺産に登録されている点や、設計者のガウディが既に亡くなってしまっている点です。彼が生前に残した図面や模型は、スペイン内戦で大半が消失しており、残ったわずかな手がかりを元に「ガウディならこう造るだろう」と、極めて慎重な推論の元に建設が進行しています。
既に聖堂内部は完成しており、2010年にキリスト教の頂点「ローマ法皇」を招き、正式なキリスト教会としても認可されています。ガウディはゴシック様式をベースに、この大聖堂を設計しましたが、もはや「ガウディ様式」とも言える彼ならではの建築構造が随所に用いられています。
中でも代表的なのが「樹木の様な柱(画像下)」と「カテナリーアーチ」と呼ばれる建築構造です。
ガウディはこれらの画期的なフレーム構造によって、ゴシック建築では強度面で必須とされる補強柱を必要としない新たな建築構造を生み出しました。
そのため、サグラダファミリアには、従来のゴシック建築の外観(画像下)に見られる梁(フライングバットレス)や控え壁が存在していません。サグラダ・ファミリアはこの点だけを見ても従来のゴシック建築とは大きく異なっています。
ガウディが森をイメージしたと言われる聖堂内部は、ステンドグラスから降り注ぐ陽光によって神秘的な空間が演出されています。
窓を飾るステンドグラスはコンピュータグラフィックを利用した近代的なデザインが採用されています。
別料金で塔に登ると、彫刻や装飾を間近で見学できるほか、バルセロナ市内を高台から一望できます。
聖マリア教会
聖マリア教会は、スロヴェニアの都市「ブレッド」にあるバロック様式の教会です。建物の規模も小さく、装飾などにも大きな特徴はありませんが、美しいエメラルドグリーンの湖上に浮かぶ神秘的な教会の景観は、知る人ぞ知る絶景スポットとなっています。
マリア教会に関しては11世紀以前の記録はほとんど残っておらず、現在教会が建つ島には、9世紀から11世紀頃に初期ロマネスク様式の礼拝堂があった事と、何故か124体の骸骨が発掘されたという事だけが分かっています。
その後はキリスト教の普及と共に、1142年にこの土地で最初のレンガ造りの教会(ロマネスク様式)が建造され、15世紀にはリュブリャナ(スロベニアの首都)で最初の司教によって、ゴシック様式の教会に改修されました。
ただし、現在我々が見ることができる教会の姿は、16世紀と17世紀の2度の震災を経て、バロック様式の教会として建て直されたものです。
時代と共に、ロマネスク様式からゴシック様式へ、ゴシック様式からバロック様式の建物へと変貌を遂げてきたのがこの聖マリア教会です。
教会と共に17世紀に建て直された付属の鐘楼は高さ54m、リュブリャナの鐘職人によって作られた3つの鐘を有しています。
湖の離島であるマリア教会へのアクセスは「手漕ぎボート」でのみ可能です。レンタルの手漕ぎボートもあるので、自力でアクセスする事もできますが、無難に「プレトナボート」と呼ばれる漕ぎ手付きの乗り合いボートに乗ってアクセスするのが一番です。ちなみに「プレトナボート」は女王陛下に許可を得た漕ぎ手の子孫20人のみが、漕ぎ手を担うことが許されています。
ブレッド湖は外周に沿って全長約6kmの歩道があり、ぐるりと一周ながら湖やマリア教会の景観を楽しむことができます。歩いても、1時間30分から2時間ぐらいで一周できますが、レンタサイクルを利用して周遊するのがお勧めです。湖を望む高台には、もう一つの人気スポットである「ブレッド城」も聳え立っています。
城のテラスから望む、聖マリア教会の景観は絶景です。
聖ヴィート大聖堂
プラハ観光最大の目玉である「聖ヴィート大聖堂」は、プラハ城の敷地内に圧巻の迫力で聳え立っています。チェコ王国(ボヘミア王国)の歴代王を祀るこの大聖堂は、929年に聖ヴァーツラフがカトリックの総本山として建てたロマネスク様式の簡素な教会が起源です。
その後、1344年にカレル1世の命により大改修が始まり、約600年の歳月をかけて現在の姿に変貌を遂げました。聖ヴィート大聖堂は、完成までに数世紀の時を費やした事で、ゴシック、ルネッサンス、バロックなど、異なる時代の建築様式が混在しています。
大聖堂の大きさは、奥行き124m、幅60m、高さは96.6mを誇り、城内の一箇所から外観を眺めるだけでは、とても建物の全容を把握する事はできません。見る角度によって全く別の建物に見えます。
【建物南側】
【建物西側】
【建物東側】
大聖堂内部の装飾や礼拝堂を飾るステンドグラスの数々も素晴らしく、中でもアルファンス・ムハ(ミュシャ)の作品「聖キリルと聖メトディウス(画像下)」は必見です。
聖ヴィート大聖堂のステンドグラスの美しさは、私の知る限り世界の大聖堂の中でも3本の指に入ります。
聖堂内には、他にも、この聖堂の生みの親である「聖ヴァーツラフの礼拝堂」や、約2トンもの純銀が使用された「聖ヤン・ネポムツキ―の墓碑」など、見どころが満載です。
聖ヴァーツラフ礼拝堂
聖ヤン・ネポムツキ―の墓碑
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、イタリア ミラノにあるルネサンス様式の教会です。一見規模の小さい古びただけの教会に見えますが、この教会が隣接する食堂の西側の壁には、あのレオナルド・ダ・ヴィンチ作の壁画「最後の晩餐」が描かれています。
また、サン・ピエトロ大聖堂の設計監督を務めた「ブラマンテ」が、後年に本教会の増改築を手がけた事などもあり、美術史上的にも建築史上的にも非常に貴重な教会となっています。
この教会は、スフォルツァ家の軍の指揮官であった「ガスパーレ・ヴィメルカーテ」が、1463年に軍隊の司令部として利用していた土地をドミニコ修道会に寄贈した事が起源です。
修道会は早速この土地に修道院と教会を建てる事を計画し、ミラノの建築家「ギニフォルテ・ソラーリ」に設計を依頼します。工事は翌年の1464年より着工され、26年後の1490年にゴシック様式の教会として完成を迎えます。
しかし、そのわずか2年後の1492年ごろ、ミラノ公「ルドヴィーコ・スフォルツァ」は、この場所を自身にふさわしい豪華な霊廟とするべく、新たに建築家の「ブラマンテ」に改修を命じます。
ブラマンテは、既存のゴシック様式から、当時フィレンツェなどで流行っていた「ルネサンス様式」への改修を行い、教会の東側(内陣部分)に巨大な円蓋を追加しました。
現在見る事ができる教会の姿は、ブラマンテの改修完了後の1497年までにほぼ形作られたものです。ダ・ヴィンチの最後の晩餐も、ミラノ公の命によってほぼ同時期に描かれました。
教会内部は中央の身廊と左右の側廊から成り、壁際には複数の礼拝堂が並んでいます。
後年にブラマンテが手がけた円蓋や内陣などは「ルネサンス様式」で造られていますが、建物全体のフレーム構造はゴシック様式で造られています。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の内部は無料で見学できます。ただし、食堂の壁画「最後の晩餐」は、少人数制の完全予約となっています。見学には日時指定の入場予約が必要です。
ケルン大聖堂
ドイツ四番目の都市である「ケルン」に一際高くそびえるのが世界遺産「ケルン大聖堂」です。ゴシック建築の最高傑作と称されるこの大聖堂は、1248年から1880年にかけて建設されました。完成まで実に600年以上の歳月が費やされていますが、600年のうち約250年間ほどは、全く手付かず状態で放置されていました。
第二次世界大戦中には深刻なダメージを受けますが、20世紀半ばから開始された修復によって、その大部分が当時の姿を取り戻しました。ただし、21世紀現在も修復作業は継続されており、応急処置的として当時使用されたレンガなどは、戦争の悲劇を繰り返さない戒めとして現在も残されています。
ドイツ国内の聖堂建築としては、ウルム大聖堂に次ぐ高さ157mを誇り、世界でも3番目に高い大聖堂となります。ただし、バルセロナのサグラダファミリアが完成すると、一つ順位が落ちて世界で4番目に高い大聖堂となります。
聖堂の入り口をはじめ、建物全体には、ケルンの彫刻家「ペーター・フックス」が700点以上も手掛けたという彫刻群で飾られています。
大聖堂内部は、如何にも典型的なゴシック教会という感じですが、その迫力と荘厳な雰囲気には圧倒されます。
無料で入場できる聖堂内部には、ステンドグラスや礼拝堂など多くの見所が存在しています。その中でも、19世紀前半にバイエルン王「ルードヴィッヒ1世」より寄付された「ステンドグラス」と、ローマの大司教が12世紀にミラノから持ち帰ったとされる「東方の三博士の聖遺物」は必見です。
【ルードヴィッヒ1世より寄贈されたステンドグラス】
【東方の三博士の聖遺物】
ケルン大聖堂は無料の聖堂内見学以外にも、別料金で「宝物館」の見学や、付属する「南塔」に登って景観を楽しむことができます。
ケルンという場所には、この大聖堂以外にこれと行った観光スポットはありませんが、フランクフルト中央駅から列車で1時間20分〜2時間ほどの距離です。場所的にもケルン中央駅の目の前なので、興味のある方は是非足を運んでみてください。
キジ島の木造建築教会
"Kizhi wooden miracle" by MatthiasKabel is licensed underCC BY 3.0
ロシア国内の北西側、やや北欧よりの場所に位置するオネガ湖には、全長約7km、幅500mほどの「キジ島」と呼ばれる島があります。
この島には、貴重な木造建築群がいくつも存在しており、これらはキジ島の木造建築群として1990年にユネスコの世界遺産に登録されています。
キジ島の木造建築群の中で最も有名なのが、22の玉ねぎ型のドームを持つ「顕栄聖堂(プレオブラジェンスカヤ教会)」と、9つのドームを持つ「生神女庇護聖堂(ポクロフスカヤ教会)」です。
"The Church of Clearing (left), Bell tower (center), church Maria Protection and intercession (right)" by MatthiasKabel is licensed underCC BY 3.0
建物は左から「顕栄聖堂」「鐘楼」「生神女庇護聖堂」です。顕栄聖堂は、ドームの最上部で37mほどの高さがあります。教会が2つもある理由は、夏用の教会である「顕栄聖堂」には暖房設備がないため、ベチカ(ロシアの暖炉兼オーブン)を備えた冬用の祈りの場として「生神女庇護聖堂」が後年に建造されたためです。
「顕栄聖堂」と「生神女庇護聖堂」に関する記録は、16世紀頃からしか言及がなく、1693年に落雷を受けて一度は全焼した事がわかっています。
現在の「顕栄聖堂(高い方)」の建物は1714年に、反対側の「生神女庇護聖堂(低い方)」は1764年に再建されたものです。中央の鐘楼に関しては後年の1874年に増築されました。
この木造建築群には一切の釘が使用されておらず、当時のロシアの建築技術が如何に優れていたかを物語っています。伝承によれば、斧だけを使用してこの教会を造り上げたとされています。
2つの木造教会は建造から300年ほど経過しているため、21世紀に至るまで何度も修復が行われてきました。
19世紀には、教会の壁は白塗りした保護用の板で覆われ、ドーム部分も金属板で覆われていました。その後、1949~59年にかけて行われた修復作業により、教会は建造当初の姿を取り戻しました。1980年から83年にかけては、崩落を防ぐためにイコノスタシス(祭壇エリアと信者席を隔てる壁)が取り除かれ、代わりに鉄骨が追加されました。
強度面におけるこの様な補強は行われているものの、構造全体としては、17世紀当時の要素と材料がかなりの部分で残っており、安全面の理由から内部見学不可となっています。
日本からのアクセスはかなり大変で、モスクワ経由の乗り継ぎで「プルコヴォ空港(サンクトペテルブルク)」まで行き、そこから更に列車とフェリーを乗り継ぐ必要があります。日本から訪問される方は、パッケージツアーなどを利用している方が多いと思います。
アヤソフィア大聖堂(アヤソフィア イ ケビル ジャーミィ)
トルコ イスタンブールにある「アヤソフィア」は、聖なる叡智の教会、または神の叡智の教会とも呼ばれるビザンティン様式の建造物です。1985年にはユネスコの世界遺産にも登録されています。
現在の建物は2度の焼失を経て再建された三代目で、ビザンティン帝国の皇帝「ユスティニアヌス1世」の指導の下、6世紀(532–537)にキリスト教の教会として建てられました。
しかし、1453年にオスマン帝国の侵略により、アヤソフィアはイスラム教のモスクに改修されてしまいます。
この改修時に、キリスト教を象徴する内部のイコン(聖画像)も漆喰で塗りつぶされ、イスラム教で礼拝時刻を知らせる「ミナレット(尖塔)」や、聖地メッカの方角を示す壁龕「ミフラープ(画像下)」なども追加されました。
以後、アヤソフィアは400年以上にも渡りモスクとして機能しますが、1932年にトルコ共和国最初の大統領「ケマル・アタチュルク」が、モスクを有料博物館とする事を決定します。
この決定により、長らく「博物館」として利用されてきたアヤソフィアですが、2020年8月頃より再び「モスク」に回帰する事が決定します。これに伴い、施設名も「アヤソフィア イ ケビル ジャーミィ (Ayasofya-i Kebir Camii)」と変更になりました。
アヤソフィアは、東西77m、南北71mのやや長方形のバジリカ式の聖堂と、高さ53mの中央ドームがで構成されています。ドームの四方には4本のミナレット(尖塔)が聳えたっています。
内部は、当時トルコ各地から採れた数種類の大理石が使用され、四方約70mほどの広大な空間が広がっています。
内部で必見なのが、9世紀後期〜13世紀後期に製作された貴重なモザイク画の数々です。
キリストと女帝ゾエ夫妻
ディーシス
これらのフレスコ画はオスマン帝国の統治時代には塗りつぶされていましたが、1931年にアメリカの調査団によって発見されました。
現在、非商業施設のモスクとなった「アヤソフィア」ですが、礼拝のない時間帯であれば、一般観光客も無料で内部見学が可能となっています。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェのドゥオーモ )
「ドゥオーモ」の名で知られるこの大聖堂の正式名称は、花の聖母(マリア)を意味する「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」と言います。教会名が示すとおり、この大聖堂は聖母マリアに捧げられています。
大聖堂の建設は「アルノフォ・ディ・カンピオ」の設計によって1296年にスタートしますが、設計変更や工事中断を幾度も繰り返し、完成したのは600年近く後の1887年の事でした。
ラテン十字型のドゥオーモ大聖堂は、長さ(奥行き)153m、幅90m、高さ114.5m、総面積8,300㎡を誇ります。
多くの方が最初に目にする建物の西側には、美しい彫刻が施されたファサードがそびえ立っています。
このファサードは数世紀に渡り何度もデザイン変更が行われており、現在、見る事ができるファサードの装飾は、彫刻家「エミリオ・デ・ファブリス」が1871年から1887年にかけて手がけたものです。赤、緑、白の大理石を使用した幾何学模様の装飾が非常に美しいです。
大聖堂の周りをぐるりと一周すると、この大聖堂のシンボルでもある「クーポラ(大聖堂の丸天井部分)」を色んな角度から望む事ができます。
ドゥオーモのクーポラ(大聖堂の丸天井部分)は展望フロアにもなっており、入場の上で463段の階段を登りきると、フィレンツェ市内の絶景ビューを堪能する事ができます。
大聖堂内部は、尖頭アーチやリブ・ヴォールトの天井など典型的なゴシック様式の構造で、中央の身廊と2つの側廊からなる三廊式で構成されています。必見なのが、八角形の天井に描かれた「最後の審判」のフレスコ画です。
このフレスコ画は、ミケランジェロの弟子で「ヴァザーリの回廊」も手掛けた「ジョルジョ・ヴァザーリ」が中心となり、1572年から1579年にかけて制作されました。
ドゥオーモには「大聖堂」以外にも、「ジョットの鐘楼」「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」「ドゥオーモ付属美術館」などの付属施設が存在しています、これらは全て大聖堂と同じドゥオーモ広場内に位置していますので、是非、大聖堂と共に見学ください。
シャルトル大聖堂
パリから南西に約90kmほど離れた喉かな穀倉地帯「シャルトル」。この街の高台に一際高くそびえ建つ大聖堂が、フランスの世界遺産「シャルトル大聖堂」です。この「シャルトル大聖堂」という呼び方は、あくまでも「シャルトル」という街にある「大聖堂」という意味で、正式名称は「ノートルダム大聖堂」になります。
「ノートルダム」とは、聖母マリアに捧げるという事を意味しており、同名の教会がパリのシテ塔やベルギーなど、複数の場所に存在しています。そのため、パリでノートルダム大聖堂と言えば、キマイラの回廊で有名なシテ塔の「ノートルダム大聖堂」を指し、こちらの大聖堂は「シャルトル大聖堂」と呼ばれる場合が多いです。
シャルトル大聖堂は、神学者で哲学者であった「フュルベール司教」によって現在の建物の礎が築かれました。元々はロマネスク様式で建造されましたが、幾度かの火災にも見舞われ、13世紀に入りゴシック建築の建造物として再建されました。
上の写真を見て頂くと分かりますが、シャルトル大聖堂の左右の尖塔は長さが異なっています。向かって右側の尖塔は12世紀頃にロマネスク様式で建設され、わずかに高くて装飾の彫りも深い左側の尖塔は16世紀にゴシック様式で建造されました。
シャルトル大聖堂の内部は、ステンドグラスから差し込む光と、わずかなロウソクの光で照らされ、神秘的な雰囲気です。内部には総面積2000㎡を占める150枚以上のステンドグラスがはめ込まれています。
向かって左側の作品が、シャルトル大聖堂で最も美しいと言われているステンドグラス「ブルーのマリア」です。
このステンドグラスは12世紀当時のもので、1194年の大火災の後に、その破片を集めて再構築されたものです。
シャルトル大聖堂は、パリから手軽に日帰り観光できる世界遺産です。2度目のパリ訪問時や、パリの都会的な雰囲気に飽きた方には、おすすめのスポットです。
サント・シャペル教会
パリのシテ島にあるサント・シャペルは、パリ最古の美しい「ステンドグラス」が見学できるゴシック様式の教会です。フランス国王ルイ9世が、パリの権威を高めるために買い取った「キリストの聖遺物」などを所蔵するため、1242年から1248年にかけて建設させました。
ルイ9世は「キリストの聖遺物」を建設費用の3倍の額で手に入れたと言われています。現在この聖遺物は、同じくシテ島にある「ノートルダム大聖堂」に保管されています。
サント・シャペル教会の大きさは、高さ42.5m、奥行き36m、幅17m、上層(2階)と下層(1階)の2層の礼拝堂で構成されています。
この教会のメインは、上層礼拝堂の壁一面を飾る煌びやかなステンドグラスの数々です。
15の窓を飾るステンドグラスは高さ約15m、フロア全体の約600m2を占有しており、そのうち3分の2が、12世紀当時の最高技術を駆使して制作されたオリジナルです。
全てのステンドグラスには、新約・旧約聖書に登場する人類誕生からキリスト復活までの1,134ものシーンが描かれています。
当時の王や身分の高い貴族などは、下層礼拝堂(1階)を通らずに、外側テラスの階段から上層礼拝堂(2階)に直接入場していました。下層礼拝堂(画像下)は、主に使用人など身分の低い人達の祈りの場として使用されていたそうです。
下層礼拝堂には、日本語のパンフレットを配布するインフォメーションや、お土産を販売するギフトショップなどが営業しています。
サント・シャペルは決して大きい教会ではありませんが、壁一面に張り巡らされたステンドグラスの数々には一見の価値があります。
サン・マルコ寺院
ベネチアのシンボルとも言える「サン・マルコ寺院」は、福音史家の「聖マルコ」に捧げられた大聖堂です。ベネチアの商人達(船員と言う説も)がエジプトのアレクサンドリアにある寺院から持ち帰った「聖マルコの遺骸」を祀(まつ)るために9世紀に建設されました。
ただし現在の建物の基礎は、火事による焼失や建て直しを経て、11世紀ごろに形作られたものです。その後も17世紀の大改修など、数世紀に渡る建て増しなど経て現在の「ビザンティン様式」の大聖堂となりました。部分的にロマネスク、ルネサンスなど複数の建築様式が混合しているのは、そのためです。
広場に面するファサード上部や扉のルネット(半円部分)には、キリストの生涯をテーマにした13世紀〜17世紀製の美しいモザイク画が描かれています。
サン・マルコ大聖堂は縦と横の長さが等しいギリシャ十字型で、内部の床、柱、壁には大理石が惜しみなく使用されています。壁の上部から天井にかけては、ガラスと金で作られたモザイク画が約4000㎡にも渡り描かれており、やや薄暗い堂内で一際輝きを放っています。残念ながら、内部は一切の撮影が禁止されています。
「サン・マルコ寺院」の入場自体は無料となっており、料金を払わなくても「Basilica(バジリカ)」と呼ばれる1階の大部分を見学する事ができます。ただし、寺院内には「サン・マルコ博物館(St. Mark’s Museum)」「パラ・ドーロ(Pala d’oro)」「宝物庫(Treasury)」と呼ばれる3箇所の有料ゾーンがあります。これら3箇所の有料ゾーンを見学するには、各有料ゾーンの入り口付近でそれぞれの入場料金を支払う必要があります。
このうち「サン・マルコ博物館」に入場すると、2階のテラスから「サン・マルコ広場」の景観を楽しむ事ができます。
また、本聖堂の西側にある付属施設の鐘楼(画像下)に有料で登ると、サン・マルコ寺院やベネチア市内を一望できます。鐘楼からの景観には一見の価値があります。
鐘楼からの景観
シュテファン大聖堂
ウィーン旧市街のランドマーク的存在である「聖シュテファン大聖堂」は、オーストリアで最大のゴシック教会です。旧市街一の目抜き通りであるケルントナー通りに堂々と聳え立っています。
元々は12世紀半ばに、ロマネスク様式の教会として建てられましたが、ルドルフ4世(ハプスブルク家)の命令で、14世紀〜15世紀にかけてゴシック様式の教会に大改修されました。
「シュテッフル」の名で親しまれる高さ137mの南塔(下画像右手側)も、ルドルフ4世時代の改修時に建築がスタートし、74年間かけてようやく完成しました。
建物全体の規模も中々のもので、奥行きは107m、幅は最大部分で70mほどあります。
緑と黄色が特徴的な大聖堂の屋根には、約25万枚ものタイルが使用されています。
北側の屋根には、オーストリアの国章(左)とウィーンの紋章(右)がデザインされています。参考までに、反対の南側の屋根には、ハンガリー帝国の国章でハプスブルク家の紋章でもある「双頭の鷲」がデザインされています。
聖堂内部には、ゴシックとバロック様式が融合した大空間が広がっています。
かつてモーツァルトの結婚式と葬儀もこの場所で行われました。北側と南側の塔に有料で登ると、ウィーン市内を一望できます。教会への入場自体は無料ですが、聖堂内奥の内陣部分などは有料エリアとなっています。
聖イシュトバーン大聖堂
新古典主義様式を代表する建造物「聖イシュトバーン大聖堂」は、ブダペストで最大の教会で、高さ96m、幅55m、奥行87.4mを誇ります。
当時のブダペストでは、高さ96メートル(315フィート)を超える建物を建設することは禁止されていたため、同地区内にある国会議事堂も同じ96mの高さがあります。
聖堂名の「イシュトヴァーン」とは、ハンガリーの初代国王の名で、国の発展のためにキリスト教を国内に根付かせた英雄です。
本聖堂は、当時ハンガリーで最も有名な建築家「イーブル・ミクローシュ」の設計によって、1851年に建設が開始されます。しかし、建設段階で嵐など多くの自然災害に見舞われ、ドームが崩壊するなど、工事は何度も中断を余儀なくされました。
設計者の「イーブル」も完成を待たずして1891年にこの世を去ってしまいますが、最終的には、工事着工から約50年後の1905年に建築家「ヨゼフ・カウザー」によって完成を迎えました。
聖イシュトバーン大聖堂の外観は比較的シンプルですが、聖堂に入場すると気品溢れる大理石や金を贅沢に使用した装飾に目を奪われます。
聖堂内で必見なのが、主祭壇に収められたイシュトヴァーンの聖遺物「右手のミイラ」です。訪問時は忘れずにご見学ください。
"A Szent Jobb a budapesti Szent István-bazilikában." by Dennis Jarvis is licensed underCC BY 2.0
別料金で登る事ができる展望塔からは、美しいペスト地区の景観を望む事もできます。
ピサの大聖堂
フィレンツェの西側約80kmに位置する都市ピサの「ミラコリ広場(ドゥオーモ広場 )」。この広場に堂々とそびえるのが「ピサ大聖堂」です。
ピサ・ロマネスク様式の傑作と称されるこの大聖堂は、1061年から1118年にかけて、建築家ブスケートの設計によって建造されました。ただし現在の姿になったのは、13世紀初期に行われた増改築を経ての事です。また、16世紀後期に火災に見舞われた後に、メディチ家の支援によって内部はかなりの改装が行われ、東側の扉も木製からブロンズ製に変更されました。
ピサ大聖堂の大きさは、高さ約49m(ドーム最頂部)、奥行き約100m、幅約35m(ファサード部分)ほどで、ファサード上部の小円柱が並ぶアーケードが非常に特徴的です。建材にはピサ山地で採れる堅牢な大理石などが使用されています。
大聖堂のやや後方東側には、世界で最も有名な欠陥建築「ピサの斜塔(1173年〜14世紀半ばに完成)」があります。
メインの建物は「ピサ大聖堂」なのにも関わらず、この斜塔だけを目当てに、世界中から多くの観光客か訪れます。大聖堂よりも付属の鐘楼の方が人気なのは、このピサをおいて他にはないと思います。
ピサの大聖堂と斜塔が建つミラコリ広場(ドゥオーモ広場 )は、1987年に世界遺産にも登録され、ロマネスク様式の「洗礼堂(画像下)」や、回廊付きの中庭を持つ「墓所(カンポサント)」など、多数の見どころが存在しています。
聖堂内部には、ギリシャ・ローマ式の68本の円柱が並び、後陣にはチマブーエが14世紀初期に手がけたモザイク画「玉座のキリスト」も描かれています。
また、ガリレオが振り子の原理を発見する切っ掛けになった「巨大ランプ(画像上中央)」や、ジョヴァンニ・ピサーノが14世紀初期に手がけた「説教壇」なども必見です。
サクレ・クール寺院
パリ モンマルトル地区の丘に一際高く聳える「サクレ・クール寺院」は、ビザンチン様式とロマネスク様式が入り混じった教会です。パリのノートルダム大聖堂の様なゴシック建築とは対照的に、トルコのアヤソフィアや、ヴェネツィアのサンマルコ寺院などにインスピレーションを受けてデザインされています。
教会名のサクレ・クールは「聖なる心(心臓)」を意味し、普仏戦争やその翌年に起きた内乱による戦死者や被害者を追悼するため、1875年から1914年にかけて建設されました。
設計は、ノートルダム大聖堂の修復も手がけた建築家「ポール・アバディ」が、約80人ほどのコンペを勝ち抜いて担当し、建設費には国民からの寄付金4000万フランが充てられました。1884年にアバディがこの世を去った後は、他の6人の建築家が後を継いで建物を完成させました。
白亜が特徴的な教会の建材には、フランス中北部の「スープシュルロワン採石場」で採掘した真っ白なトラバーチン石が使用されています。この建材は、非常に硬く粒子が細いのが特徴で、雨水(酸性の水)に触れると炭酸カルシウムが溶けて白くなります。
教会の裏側にある高さ約85mの鐘楼にある鐘は、1895年にサヴォワ地方で鋳造(ちゅうぞう)されたもので、生産地名に因んで「サヴォワ」と名付けられています。この鐘は重さ18トンもあり、現存する鐘としては世界最大級の大きさを誇ります。
無料で入場可能なサクレ・クール寺院の内部は、高さ83m、幅50m、奥行き100mの大きさを誇り、内部はステンドグラスやモザイク画によって飾られています。
教会内部の一番の見どころは、中央ドームの475m2の丸天井部に描かれた「キリストのモザイク画(写真下)」です。
このモザイク画は、パリの有名画家「リュック・オリビエ・メルソン」の作品で、キリストを中央にそれを囲む様に聖人たちが描かれています。
また、有料となりますが、教会のドーム部分は絶景のビュースポットとなっています。この教会は海抜130mの小高い丘に建っているため、本来の建物以上の高さからパリ市内の景観を望むことができます。
ただし、エレベーターはありませんので、展望フロアまで300段の螺旋階段を上る必要があります。
ノートルダム大聖堂(パリ シテ島)
パリで最も有名な大聖堂と言っても過言ではないのが、このノートルダム大聖堂です。あのナポレオン1世が戴冠式を行なった場所としても知られています。建設は、1163年からパリ司教「モーリス・ド・シュリー」と「ウード・デ・サリー」によって着工され、完成したのは百年以上後の1345年頃の事でした。
18世紀のフランス革命によって大きなダメージを受けますが、19世紀になり建築家の「ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク」の指揮の元で修復工事が行われ、荘厳な姿を取り戻しました。
しかし、2019年4月15日に起きた火災被害によって建物は部分的に消失し、現在も修復工事が続いているため、以下でご紹介するのは消失前の情報となります。
消失前の大聖堂の大きさは、奥行き128m、幅48m、高さ69m(尖塔は90m)を誇り、最大で9,000人を収容する事が可能でした。
ノートルダムで最も印象的な西側のファサードには、左右に高さ69mの2つの塔が聳え、最下段には向かって左から「聖母マリアの門」「最後の審判の門」「聖アンナの門」と呼ばれる3つの扉があります。
中央のバラ窓を飾るのは、この聖堂の守護聖人である聖母マリア像です。
中世ヨーロッパの森をイメージして造られたと言われる聖堂内は、奥行き128m、天井までの高さ33mの空間が広がり、美しいステンドグラスの光が神秘的な空間を演出しています。
北側のバラ窓を飾る13世紀当時のステンドグラスが、ノートルダム大聖堂で最も美しく貴重なものです。
直径13mの円形中央には幼子イエスを抱く聖母マリアが描かれ、周囲を旧約聖書の預言者や王達が囲っています。
対面の南側のバラ窓には、キリストを中心に新約聖書の使徒や聖人が描かれたステンドグラスが飾られていますが、北側のそれと比べると明らかに見劣りします。
ノートルダム大聖堂見学のもう一つの魅力が、完全予約制で上る事ができる塔の見学です。塔からはパリ市内の景観を望めるほか、聖堂を見守る様に配置されている獣の彫像を間近で見学する事できます。
マーチャーシュ教会
「マーチャーシュ教会」は、ブダペストの王宮の丘に建つネオゴシック様式の教会です。
13世紀中頃に、ハンガリー王「ベーラ4世」によってゴシック様式の教会として建造されたのが起源で、正式名称は「聖母マリア聖堂」になります。歴代の多くの王がここで戴冠式を行なったため「戴冠教会」と呼ばれる事もあります。
マーチャーシュ教会と言う呼び名は、15世紀のハンガリー王「マーチャーシュ1世」が教会の大改修を起こったため、そう呼ばれる様になりました。現在はこの呼び名が最も一般的です。
16世紀には、スレイマン1世率いるトルコ軍に占領されため、イスラム教のモスクに改変されていた時期がありました。しかし、1686年にトルコ軍が撤退すると、再びカトリックのキリスト教会として復元されました。
ハンガリー建国1000年の記念日にあたる1896年には、建築家「シュレク・フリジェシュ」の設計によって、現在のネオゴシック様式の教会へと改修されました。
教会のシンボルである高さ88mの塔は15世紀のマーチャーシュ1世の統治時代に増築されたものです。石造りの表面には精巧な彫刻が施されています。
屋根のモザイク模様のカラフルなタイルは19世紀の改修時に加えられたものです。
教会内部は、黄金の様に輝く壁面と、美しい装飾の数々で彩られています。
教会最奥部の中央祭壇には聖母マリアがまつられています。
かつてこの教会内で、カール4世やハンガリー人にも愛されたエリザベート王妃(シシィ)の戴冠式も行われました。
現在のマーチャーシュ教会は聖堂内や塔に有料で入場できるほか、優れた音響効果を活かして、定期的にクラシックコンサートなども開催されています。
サン・ロレンツォ教会
フィレンツェ最古の教会の一つである「サン・ロレンツォ教会」は、キリスト教の聖人「ラウレンティウス」に捧げられた教会です。393年にミラノ司教「アンブロジウス」によって奉献され、8世紀までフィレンツェ最初のロマネスク様式の大聖堂(司教座聖堂)として利用されました。
15世紀前半には、「メディチ家」が教会の一部にメディチ家専用の礼拝堂を造る事を条件に、老朽化した教会改修の資金援助を引き受けました。この教会再建の設計を任されたのが「ドゥオーモのクーポラ」を手掛けた「ブルネッレスキ」でした。しかし、教会が完成したのは「ブルネッレスキ」の死後である15世紀後半の事でした。
外観の大きな特徴となっている剥き出しのファサードは、16世紀にメディチ家に改修を依頼されたミケランジェロが、建材を巡る意見対立により、未完のまま放置したためです。
教会の内部は典型的な3廊式構造で、ブルネッレスキが手がけた円柱が並んでいます。聖堂内全体の建築には、イタリア産砂岩の一種「ピエトラセレーナ」という白い石材が多用されており、全体的に白みを帯びているのが特徴です。
教会の建物西側には後年に増設された「メディチ家礼拝堂(画像下)」があり、メディチ家一族や歴代トスカーナ公が埋葬されています。
礼拝堂はの入口は教会とは別になっており、入場にはサン・ロレンツォ教会とは別の有料チケットが必要となります。
聖イジー教会
「聖イジー教会」は、ボヘミア王「ヴラジスラフ1世」が「聖ルドミラ」の遺骸を納めるために920年に建てた木造教会が起源です。聖ルミドラとは、ヴラチスラフ1世の母でありボヘミアの守護聖人として崇拝される人物です。
973年には老朽化した建物の修復と拡張が行われ、その際にベネディクト会修道院の建物も増設されました。
しかし、1142年にモラヴィア王国の侵攻でプラハは包囲され、その時の被害で建物は全焼してしまいます。現在の教会の姿は、火災による焼失直後に石造りの教会として建て直されたされたものです。以来、聖イジー教会はチェコで最も美しいロマネスク建築の一つに数えられています。
聖イジー教会は、プラハ城内の聖ヴィート大聖堂の正面に位置しています。入口がある西側のファサードは、17世紀後半にバロック様式で改修されたものです。
教会全体としてはロマネスク様式の造りですが、部分的にバロックやゴシック様式が混在しています。これは欧州の多くの大聖堂や教会にも見られる特徴です。
教会内は分厚い壁で覆われ、その間の窓から入る自然光で照らされています。
教会奥の後塵には18世紀に描かれた「ヴェンツル・ロレンツ・ライナー」作のフレスコ画が描かれています。
他にも教会内には、教会の創設者である「ヴラジスラフ1世」の肖像画が描かれた棺や、地下の礼拝堂など多くの見学ポイントが存在しています。
ヴラジスラフ1世の棺
地下の礼拝堂
教会内では定期的にクラシックコンサートも開催されており、ロマネスク様式の特別な雰囲気の中で美しい音楽を楽しむ事もできます。
聖ワシリイ大聖堂
モスクワの赤の広場に面して建つ「聖ワシリイ大聖堂」は、1551年から1560年にかけて、雷帝の異称を持つモスクワ大公「イヴァン4世」が、カザン・ハン国の征服を記念して建造させました。
設計を手掛けたのは建築家「ポストニク・ヤコブレフ」と「バルマ」と言う2人の人物であるとされています。ただし、この2人は同一人物である言う説もあり、「バルマ」に関しては確定的な事は分かっていません。また、イヴァン4世は聖堂完成後、これ以後に優れた聖堂を建てさせない様、建築家の「ヤコブレフ」を盲目にしたと言う都市伝説の様な逸話もあります。
この聖ワシリイ大聖堂の正式名称は「堀の生神女庇護大聖堂」と言います。一般的に親しまれている「聖ワシリイ大聖堂」と言う呼び名は通称で、佯狂者「ワシリイ・ブラジェンヌィ」に因んで名付けられています。
建物の外観は、玉ねぎ型のドームを持つ複数の塔が特徴で、各塔の高さ・大きさ・装飾も全て異なっています。中央の塔には主聖堂があり、それを囲む様に8つの小聖堂が置かれています。
建材は、モスクワの伝統な工法に倣って、土台には白レンガを、それ以外は主に赤レンガが使用されています。高い強度が必要な部分には、漆喰を塗った石の上に、騙し絵の様なレンガ模様を描いています。
誰もが外観の規模やカラフルさから、広大な空間を想像しがちですが、聖堂内部は9つの礼拝堂に区切られており、まるで迷路のようです。
"Moskau 2015 - Basilius Kathedrale" by Uwe Brodrecht is licensed underCC BY 2.0
各礼拝堂にはそれぞれに異なる装飾が施され、異なる聖人たちに捧げられています。
現在の聖ワシリイ大聖堂は、教会ではなく博物館となっています。1990年にはユネスコの世界遺産にも登録され、ロシア国内でも最も人気のある観光名称の一つに数えられています。
セント・ポール大聖堂
ロンドンのセント・ポール大聖堂は、イギリスを代表するバロック様式の大聖堂です。
その歴史は古く、607年に建造された木造の大聖堂が起源となっています。ただし、現在の建物は、その後に何度かの焼失や荒廃期間を経て、17世紀に再建された5代目です。17世紀の再建は、国王チャールズ2世の命で、イギリスの建築家クリストファー・レンが設計を手掛け、1675年から35年の歳月をかけて行われました。
外観は、重さ約65,000トンの巨大な円形ドームと2本の塔を持つのが特徴で、高さ111m、長さ157m、幅74mの規模を誇ります。ドームはバチカンのサンピエトロ大聖堂に次いで世界で2番目の大きさがあります。
2つの塔には、平和、繁栄、歓待の象徴であるパイナップルの彫刻が飾られ、頂上近くには1893年に設置された直径5mの時計があります。更に時計の上には、グレート・トムとグレート・ポールと呼ばれる巨大な鐘が置かれています。
西側ファサード(画像上)の巨大な三角形のペディメント(破風)には、守護聖人のレリーフが施され、その上には聖パウロの彫像が置かれています。これらは17世紀のイギリスを代表する彫刻家「フランシス・バード」が手掛けたものです。
聖堂内は、ウィリアム・ホルマン・ハント作の絵画「世界の光」や、ヘンリー・ムーアの彫刻「母と子」など、美しい美術品で飾られています。中でも、直径34mのドームに描かれたイギリス画家ジェイムズ・ソーンヒル作の天井画は必見です。
528段の階段を登ってドームの展望フロアに出ると、ロンドン市内の景観を一望する事もできます。また、階段を257段登った所には、ささやくと反対側の壁から声が聞こえる「ささやきの回廊」と呼ばれる人気スポットもあります。
ヴィースの巡礼教会
ドイツのロマンチック街道で「ノイシュヴァンシュタイン城」と並ぶ人気の観光スポットがこの世界遺産「ヴィースの巡礼教会」です。教会の規模としては決して大きくはありませんが、内部の美しいロココ様式の装飾とフレスコ画を一目見ようと、世界中から年間100万人以上もの観光客が訪れます。
伝説によれば、シュタインガルテンに住む農夫が持つ木のキリスト像が涙を流し、その像を一目見ようと大勢の巡礼者がこの地を訪れる様になったと言われています。ヴィース教会は、その奇跡のキリスト像を納め、多くの巡礼者を迎入れるために、地元の修道院長によって建設された場所です。
建設は、1745年から1754年にかけて行われ、左官職人で建築家の「ドミニクス・ツィンマーマン」が設計を担当し、天井のフレスコ画に関しては、弟で画家の「ヨハン・バプテスト・ツィンマーマン」が手掛けました。
教会内に入ると、外観からは想像できないほど煌びやかな世界が広がっています。天井一面は色鮮やかな天井画で覆われ、白い壁や柱は黄金の彫刻で飾られています。
内部で一際目を引く天井画は「天界」をイメージしており、虹の上には復活したイエスの姿が、その周りには天使や使徒の姿が描かれています。
この天井画は漆喰を塗った上から水彩画で描かれています。
教会の最奥部には、涙を流したとされる「鞭打たれるキリスト像」が祀られている主祭壇があります。
ヴィース教会は、ミサや特別な行事、コンサートなどと被らない時間帯であれば無料で見学可能です。
建築様式について
教会や大聖堂には建造された時代や地域によって特有の「建築様式」があります。建築様式とは、建物の構造や装飾などに見られる一定の特徴で「ロマネスク」「ゴシック」「ルネサンス」「バロック」「ビザンティン」など、いくつかの種類があります。本項ではその中でも代表的なものを概要だけ簡単にご紹介致します。
ロマネスク様式とは
ロマネスク様式(建築)は、聖堂建築が、木造から石造りへと変わった10世紀頃〜12世紀に主流だった建築様式です。スペインや南フランスで発達し、イタリアや西欧中に広がっていきました。
ロマネスク建築は、地域ごとにややスタイルが異なってきますが、多くに見られる特徴として「半円アーチ」「分厚い壁」「小さな窓」などがあげられます。
この様式は高い建物を造るのには適しておらず、この時代に高さ100mを超える聖堂を建てる事など夢の様な話でした。強度的にも、壁にステンドグラスや大きな窓は設置できないため、内部を絵画やフレスコ画で飾る事で、暗く圧迫感のある雰囲気とならない様に工夫がされていました。
また、古い建築様式であるため、ロマネスク様式と呼ばれる教会や大聖堂でも、部分的にはゴシック様式やバロック様式などが混在している事も多いです。ただし、これはロマネスク様式に限らず、純粋に単一様式でない教会や大聖堂は数多く存在しています。例えば、フィレンツェのドゥオーモはルネサンス様式とゴシック様式が混在していますし、バチカンのサンピエトロ大聖堂もルネサンス様式とバロック様式が混在しています。
ロマネスク様式を代表する建築物では「ピサの大聖堂と斜塔」が非常に有名です。
ゴシック様式とは
ゴシックは、12世紀中頃より、パリを中心にその半径100kmほどの「イール・ド・フランス」と呼ばれる地域で発達した建築様式で、一切の重量感を廃した軽やかで繊細な見た目や、色鮮やかなステンドグラスが大窓一面を飾っているのが大きな特徴です。
ゴシック様式は、誕生してからわずか1世紀ほどで、北ドイツやイングランド、そして西欧中に広まっていきました。
ロマネスク様式では、建物を分厚い壁中心に支えるのが基本でしたが、ゴシック様式では、柱、リブ、ヴォールト、飛梁、アーチなど、各パーツが重量の流れをコントロールする事で、建物を支える事が可能になりました。
その中でも、「リブ・ヴォールト」「尖頭アーチ(尖ったアーチ)」「フライングバットレス(飛梁)」と呼ばれる3つの技術は革新的でした。
【リブ・ヴォールト】
リブ・ヴォールトでは、天井の「ヴォールト構造」と細い助骨の様な「リブ(補強)」で、上からかかる重量を効率良く分散して支えています。アーチを平行に押し出した様な天井構造がヴォールトです。
【尖頭アーチ】
ロマネスクに用いられる様な丸いアーチだと重さが真ん中に集中しますが、尖塔アーチは重さを左右に分散する事ができるので、構造的に安定しています。
【フライングバットレス】
リブ・ヴォールトや尖頭アーチによって壁の側面に流れてきた重量を支え、重さを更に外側の控え壁へと流す役目を果たします。
ゴシック建築は、これらの技術(補強)により「薄い壁」「大窓」「ステンドグラス」「高い建物」などの建築・装飾表現が可能となりました。
ゴシック様式の誕生により、12世紀中頃から最盛期にあったフランスは、これまでのロマネスク様式の大聖堂を取り壊し、より大きく豪華なゴシック様式に建て替えようとする動きが活発になりました。
フランスのノートルダム大聖堂やシャルトル大聖堂、ドイツのウルム大聖堂やケルン大聖堂などは、このゴシック最盛期に建設された代表的な建築物です。
ルネサンス様式とは
ルネサンス建築は、それまで隆盛だったゴシック建築に代わって、15世紀〜16世紀にかけて、イタリアのフィレンツェで発展した建築様式です。
ルネサンスがフランス語で「復活」を意味するとおり、この様式は、古代ローマの建築様式を見直して復興させたものです。ただし、単なる模倣復興ではなく、ローマ時代の建築美や優れた部分を残しつつ、新たな技術や表現を加えてアレンジされています。
例えば、ローマ時代を代表する建造物「パンテオン」には、円形の「ドーム」がありますが、これを参考にルネサンス様式として造られたのがドゥオーモの「ドーム(クーポラ)」部分です。
当時のローマには、これほど高い位置にこれほど巨大なクーポラを造り上げる技術はありませんでした。これはルネサンス様式で生み出された革新的な技術によって初めて実現されています。
ドーム以外に「ルネサンス様式」が持つ特徴は、ローマ神殿の様な「円柱」や、パンテオンの様な「ドーム」がある点、さらに「左右対称(シンメトリー)」「規則性」「等間隔」「幾何模様」などが挙げられます。
また、必ずではありませんが、内部よりも外観の見栄えに力を注いでるのも「ルネサンス様式」の特徴の一つです。例えばフィレンツェのドゥオーモなどは、外観は素晴らしいですが、内部は意外と簡素でがっかりされる方も多いです。
「ルネサンス様式」は、結構分かりにくい様式だと思いますので、以下にいくつか例をご紹介いたします。
【規則的な円柱】
上写真はフィレンツェ「サン・ロレンツェ教会」の内部です。ローマ神殿にある様なコリント式の円柱が左右で規則的に並び、その上の半円アーチを支えています。これはルネサンス様式初期に見られる特徴です。ロマネスクやゴシック様式には、円柱ではなくピアと呼ばれる柱が用いられ、アーチ部分には半円ではなく先の尖ったアーチ(尖頭アーチ)が用いられます。
【ピアと円柱】
【半円アーチと尖頭アーチ】
【正円形の窓】
ルネサンス様式では「規則性」が特徴の一つと述べた様に、教会ファサードの窓が正円形になってる事が多いです。
最後の晩餐で有名な「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(画像上)」はルネサンス様式の第一人者「ブラマンテ」が改修を手がけ、ドームなどを追加しました。
【幾何学模様とオーダー】
上写真はフィレンツェ「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」です。正面ファサードは色大理石を使用した幾何学模様で飾られ、円柱や付柱(ピラスター)が規則性を持って並んでいます。
この正面ファサードで見られる様な、柱と梁(はり)の組み合わせを「オーダー(Order)」と言います。オーダーとは、秩序、順序、配列を意味する言葉で、古代ローマにおける建築の大原則となっています。ルネサンス建築は、ローマ建築をお手本として発展した様式なので、同じくこの「オーダー」が大原則となっています。ただし、ルネサンス様式の場合は、オーダーを独自にアレンジしており、厳密にはオーダーと呼べないものが多くあります。
バロック様式とは
17世紀頃、腐敗と世俗化により信頼を失っていたローマ・カトリックは、その権威回復のため、教会を劇的で感動的な空間にする事で、信者の心を引きつけ様と考えました。この劇的で感動的な空間として造られたのが「バロック建築」です。
そのため、バロック建築では「過剰な装飾」「陰影の強調」「うねり」「光と影の演出」「中心軸の強調」といった特徴があり、視覚的に人々の心を動かす演出(仕掛け)がなされています。ロマネスク様式やゴシック様式などが構造やフレームに大きな特色を持つのに対して、バロックは構造だけでなく、建物、装飾品、美術品などが一体となって生み出す「空間」が独自の特色となっています。参考までに、バロックとは「歪んだ真珠」や「いびつな真珠」を意味するバロッコと言うポルトガル語が語源だとされています。
以下にバロック建築の代表的な特徴を写真でご紹介致します。
【過剰な装飾】
バロックの装飾はとにかく過剰なぐらい豪華です。後年になればなるほど、豪華さを競う様に装飾が激しくなっていきました。
また、ルネサンス建築では、左右均等などの規則性が重視されましたが、バロックではむしろ不規則で変化に富んだ躍動感ある見た目が表現されています。
【陰影の強調】
バロック建築はルネサンス建築と比べると明らかに凸凹していて陰影が強調されています。
上下のルネサンス建築とバロック建築の比較は結構極端な例ですが、とにかくバロックの装飾は主張が強く存在感があります。また部分的に曲線が多様されている点や、正円よりも楕円形を好む点も大きな特徴の一つです。
【中心軸の強調】
バロック建築では建物の中心を強調して、そこに目が行くように設計されています。これが中心軸の強調です。
例えば、上画像はバチカンのサンピエトロ大聖堂ですが、正面ファサードの円柱が中央に行くほど全面に出ている(段差がある)のが分かります。これは中央部分を強調するためにこの様になっています。これもバロック様式の大きな特徴です。
大聖堂の面積と高さランキング
本項では世界の大聖堂や寺院の面積と高さをランキング形式でご紹介します。名称が太字になっているものは、当記事内に掲載がある大聖堂です。
順位 | 名称 | 面積 | 国 |
---|---|---|---|
1位 | サン・ピエトロ大聖堂 | 15,160㎡ | バチカン市国 |
2位 | アパレシーダの聖母大聖堂 | 12,000㎡ | ブラジル |
3位 | ミラノ大聖堂 | 11,700㎡ | イタリア |
4位 | セビリア大聖堂 | 11,520㎡ | スペイン |
5位 | セント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂 | 11,200㎡ | アメリカ |
6位 | 聖母大聖堂(リヘン・スタリ) | 10,090㎡ | ポーランド |
7位 | リヴァプール大聖堂 | 9,687㎡ | イギリス |
8位 | ホーリートリニティ教会(ファティマ) | 8,700㎡ | ポルトガル |
9位 | サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 | 8,515㎡ | イタリア |
10位 | ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂 | 8,318㎡ | スペイン |
11位 | ドゥオーモ大聖堂(フィレンツェ) | 8,300㎡ | イタリア |
12位 | ウルム大聖堂 | 8,260㎡ | ドイツ |
13位 | グアダルーペ寺院 | 8,167㎡ | メキシコ |
14位 | アントウェルペンの大聖堂 | 8,000㎡ | ベルギー |
14位 | リオデジャネイロ大聖堂 | 8,000㎡ | ブラジル |
14位 | ブリュッセルの聖心大聖堂 | 8,000㎡ | ベルギー |
17位 | 平和の聖母大聖堂(ヤムスクロ) | 7,989㎡ | コートジボワール |
18位 | アヤフォフィア大聖堂 | 7,960㎡ | トルコ |
19位 | サン・ペトローニオ聖堂 | 7,920㎡ | イタリア |
20位 | ケルン大聖堂 | 7,914㎡ | ドイツ |
順位 | 名称 | 高さ | 国 |
---|---|---|---|
1位 | サグラダ・ファミリア大聖堂 | 172.5 m ※完成後 | スペイン |
2位 | ウルム大聖堂 | 161.5 m | ドイツ |
3位 | 平和の聖母大聖堂(ヤムスクロ) | 158.0 m | コートジボワール |
4位 | ケルン大聖堂 | 157.4 m | ドイツ |
5位 | ルーアン大聖堂 | 151.0 m | フランス |
6位 | 聖ニコライ教会 | 147.3 m | ドイツ |
7位 | ストラスブール大聖堂 | 142.0 m | フランス |
8位 | 聖母大聖堂(リヘン・スタリ) | 141.5 m | ポーランド |
9位 | サン・ピエトロ大聖堂 | 136.6 m | バチカン市国 |
10位 | シュテファン大聖堂 | 136.4 m | オーストリア |
11位 | リンツ新聖堂 | 134.8 m | オーストリア |
12位 | 聖ペトリ中央教会 | 132.2 m | ドイツ |
13位 | 聖ミヒャエル教会 | 132.1 m | ドイツ |
14位 | 聖マルティン教会(ランツフート) | 130.6 m | ドイツ |
15位 | 聖ジョゼフ礼拝堂 | 129 m | カナダ |
16位 | サン・ガウデンツィオ聖堂 | 126.0 m | イタリア |
17位 | セントジェームズ教会(ハンブルク) | 125.4 m | ドイツ |
18位 | 聖マリア教会(リューベック) | 125.0 m | ドイツ |
19位 | アントウェルペンの大聖堂 | 124.9 m | ベルギー |
20位 | マリンガの大聖堂 | 124.0 m | ブラジル |
世界一の面積を誇る「サン・ピエトロ大聖堂」は高さでも9位に入っており、如何にこの大聖堂が桁違いであるか分かって頂けるかと思います。また、ドイツには高さ100mを超える大聖堂や教会が非常に多く存在しており、現在世界一の高さを誇る「ウルム大聖堂」もドイツにあります。ただし、バルセロナの「サグラダ・ファミリア」が完成すると、その座を明け渡す事となります。参考までに、サグラダファミリアの内部面積は「5,400㎡」ほどと、サン・ピエトロ大聖堂の半分以下です。
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