ケルン大聖堂の歴史を徹底解説

ドイツ
ケルン大聖堂

本記事では、ドイツの世界遺産「ケルン大聖堂」の歴史について詳しく解説致します。

ケルン大聖堂の起源

初代にあたるケルン大聖堂の建物が建設されたのは9世紀後半の事でした。

1164年には、ローマの大司教「ライナルト・フォン・ダッセル」が当時の支配国であったミラノから「東方の三博士の聖遺物」を持ち帰り、街の教会に安置しました。以後この木造建築の教会には多くの巡礼者が訪れる様になります。

その後、ケルンで2代目にあたるこの教会は、火災により1248年4月に消失してしまいますが、わずか4ヶ月後の8月15日には、3代目となる現在のケルン大聖堂の工事が早々にスタートします。

聖母被昇天記念日であるこの日(8月15日)に合わせ礎石が置かれ、実に完成まで600年以上の歳月を費やす事になる「ケルン大聖堂」の大工事がここに幕を開けました。

工事は石工職人の頭領である「アルゲルハルト・フォン・ライル」の指揮の下行われました。そして1265年頃までには、教会後部の屋根組みと聖堂内陣の建設を中心に工事は格段に進みました。

資金不足による工事の中断

16世紀初頭に入ると、長引けど一向に完成しない大聖堂の建設に対して市民の関心も薄れていきます。さらに建築を継続するための費用が不足した事で、ケルン大聖堂の建設は中断を余儀なくされます。

その後、再び大聖堂の建築工事が再開される1812年まで、ケルン大聖堂の建築工事は実に250年もの間も中断されました。

工事の再開と完成

ケルン大聖堂の工事は数百年に渡り中断し、建物はほぼ廃墟の様な状態でした。しかし、1814年にケルン大聖堂の西正面を描いた11世紀当時の図面が発見された事を機に、大聖堂の工事は再び再開にむけて動き出します。

そしてようやく1842年に入り、左右の翼廊が建つ場所に礎石が置かれ、盛大な式典と共に建設工事が再開されました。

1854年には、プロイセン国王「ヴィルヘルム4世」を迎えて「大聖堂建築祭」が行われると、1863年には「ヴィルヘルム4世」とケルン市民の支援によって教会の内装が出来上がり、それから17年後の1880年、ケルン大聖堂はついに完成を迎えました。ケルン大聖堂の工事は実に632年にも及びました。

第二次大戦による被害

ケルン大聖堂は第二次世界大戦中に戦争の被害によって深刻なダメージを受けます。その後、19世紀に入り修復作業が開始され、聖堂内部の東端部は1945年から1948年にかけて修復され、東端部も1956年には修復が完了しました。

聖堂の外観の修復は1952年からスタートし、21世紀の現在もなお続いています。また、戦火を浴びて、応急処置的として使用されたレンガ部分は、二度と戦争の悲劇を繰り返さない戒めとして現在も当時のまま残されています。