レオナルド・ダヴィンチの作品を徹底解説 – モナ・リザ、最後の晩餐など

(公開:2020年12月30日)

レオナルド・ダヴィンチの絵画

本記事では、イタリア生まれの芸術家「レオナルド・ダヴィンチ」の全作品について、豊富な写真素材を交えて可能な限り詳しく解説致します。記事の後半では、レオナルド作品展示がある各美術館も紹介致します。

ダヴィンチの生涯の作品数について

最後の晩餐の模写作品

ダヴィンチが生涯で手掛けた全作品数を表す時に「10数点」と言う表現が良く用いられます。なんともはっきりしない表現ですが、これはダヴィンチ作と思われる作品が世界に20点前後あり、鑑定家や専門家によってダヴィンチ作か否かの判断が分かれるためです。

また、ダヴィンチが弟子と共同で手掛けた作品に関しても、ダヴィンチ作とするか否かについては判断が分かれる所だと思います。

では実際に何点ぐらいが一般的にダヴィンチ作と言われているかと言いますと、多くの書籍や記事では13点〜16点としている場合がほとんどです。

本記事では、ダヴィンチ作品として16点、それ以外のダヴィンチ関連作品を3点、合計19点の作品をご紹介します。

「巌窟の聖母」と「糸車の聖母」に関しては、同じ題名と構図でそれぞれ2点(合計4点)の作品が存在しますが、同じ構図のものは2点で1点とカウントしています。

レオナルド・ダヴィンチ全16作品

本項では、レオナルド・ダヴィンチ作品とされている16作品について年代の古い方から順に解説していきます。ダヴィンチ作品として含むか否かの判断は、2019年〜2020年にかけてルーブルで開催されたダヴィンチ展の作品表記を参考に判断しました。

受胎告知

受胎告知 - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1472~1475年頃油彩、板98×217cm所蔵:ウフィツィ美術館

「受胎告知」は、「レオナルド・ダヴィンチ」がヴェロッキオ工房にいた頃の初期の作品です。元々はモンテオリヴェートのサン・バルトロメオ修道院に置かれていましたが、19世紀後半にウフィツィ美術館に移されました。

作中では「シモーネ」や「ボッティチェッリ」をはじめ多くの画家が題材としてあつかっている聖書の場面「受胎告知」が描かれています。受胎告知とは、大天使ガブリエルが降臨し、キリストをみごもった事を伝え、聖母マリアがそれを受け入れる場面の事です。

▼ 大天使ガブリエル

受胎告知 大天使ガブリエル

この時代の天使の羽は非現実的に描かれるのが常でしたが、本作ではまるで本物の鳥の羽の様に描かれています。この部分だけでも、ダヴィンチのリアリズムに対する飽くなき探究心が伺えます。また、天使の近くに描かれている百合は純潔の象徴としてマリアの処女性を表しています。

受胎告知 部分拡大 - 大天使ガブリエルと百合の花

▼ 聖母マリア

受胎告知 聖母マリア

マリアが手を置いている書見台は、ヴェッロキオが実際に手がけた石棺をモデルに描かれています。

本作は、実質的に彼のデビュー作と言えるため、後年のダヴィンチ作品と比較すると、聖母マリアの机に置かれた手や硬い表情に不自然さがあると言われています。

過去には、ダヴィンチ作ではなく、ギルランダイオ作とする意見も多くありましたが、現在は、X線写真の判定によって、ダヴィンチ作と言う結論で落ち着いています。

背景に目を向けてみると、詳細な背景が見事な遠近法で描がかれています。この様な遠近法は、ミラノの最後の晩餐をはじめ、ダヴィンチの作中に多く見られる特徴の一つです。

受胎告知 背景の風景

カーネーションの聖母

カーネーションの聖母 - レオナルド・ダヴィンチ作{{PD-US}} - image source by WIKIPEDIA

制作年:1475年頃油彩、板62×48cm所蔵:アルテ・ピナコテーク

聖母マリアが左手にもつカーネーションから「カーネーションの聖母」と呼ばれる本作は、ダヴィンチが受胎告知とほぼ同時期に描いた初期作品の一つです。

ただし本作に関しては、レオナルドの単独作品ではなく、ヴェロッキオ工房の同僚たちの手が部分的に加わっていると言うのが通説になっています。また、それ以前は、ダヴィンチの師である「ヴェロッキオ」の作品と考えられていた事もありました。

作中では聖母マリアが、膝に乗せた幼な子イエスを見つめながら座っています。ダヴィンチの後期に描かれたマリアと比べると、どこか柔らかみに欠け、機械的な印象を受けます。

聖母の髪、左手、飾り布、そして花などは、レオナルドの受胎告知と非常によく似ています。現在この「カーネーションの聖母」は、ミュンヘンにある「アルテ・ピナコテーク」に展示されています。

ジネヴラ・デ・ベンチの肖像

ジネヴラ・デ・ベンチの肖像 - レオナルド・ダヴィンチ作{{PD-US}} - image source by WIKIPEDIA

制作年:1478~1480年頃テンペラ、板38.1×37cm所蔵:ワシントン ナショナルギャラリー

作中のモデルは、大商人でメディチ家との関わりも深かったアメリゴ・デ・ベンチの娘「ジネヴラ」です。ジネヴラは、メディチ家主催のサロンにも頻繁に顔を出しており、美と教養を兼ね備えた女性として知られていました。

絵画の起源に関しては諸説ありますが、16歳のシネベラが、商人の「ルイジ・ディ・ベルナルド」に嫁ぐ際に描かれたという説が広く知られています。

本作は下部分が切り取られてしまっており、どことなくアンバランスに感じます。切り取られた部分には、きっと美しい手の描写が描かれていたに違いありません。実際にその部分を描いたと思われるダヴィンチの素描が残されています。

レオナルド・ダヴィンチの素描

作中のモデル「ジネヴラ」の表情がどこか不機嫌にも見えますが、結婚を目前に不安を感じているジネヴラの気持ちを、ダヴィンチが投影したのでしょうか。

背景に目を向けると、ヒノキ科ビャクシン属の針葉樹「セイヨウネズ(西洋杜松)」が描かれています。セイヨウネズはイタリア語で「ginepro(ジネプロ)」を意味しており、モデル名「ジネヴラ」との語呂合わせで描かれています。当時はモデル名と語呂を合わせた何かを作中に描く事が良くありました。

また、絵画の裏面には月桂樹と棕櫚(ジェロ)で構成されたエンブレムと、”VIRTVTEM FORMA DECORAT”と言う文字が記されています。

ジネヴラ・デ・ベンチの肖像裏側{{PD-US}} - image source by WIKIPEDIA

この文字はラテン語で「美は徳を飾る」と言う意味で、ジネヴラが知性と徳を兼ね備えた人物であることを表現しています。

現在、本作はワシントンのナショナルギャラリーに展示されています。

ブノワの聖母

ブノワの聖母 - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1478~80年頃油彩、カンヴァス49.5×31cm所蔵:エルミタージュ美術館

別名「花と聖母子」とも言われるこの作品は、ダヴィンチがヴェロッキオ工房から独立して最初に手がけた作品と言われています。「ブノアの聖母」という作名は、20世紀前半にロシアの建築家「レオン・ブノア」が本作を所蔵していた事に由来しています。

本作は1914年よりロシアのサンクトペテルブルク エルミタージュ美術館の所蔵品となっていますが、下絵となった習作2点は大英博物館に展示されています。習作とは、練習用のスケッチの様なものです。

作中では、聖母マリアが赤子のイエスとたわむれる姿が描かれています。

ブノワの聖母 - レオナルド・ダヴィンチ作

聖母マリアは15世紀の典型的なフィレンツェ ファッションに身を包み、椅子に座るイエスの視線を花へと導いています。

ダヴィンチはこの時期に、同じく聖母をテーマとした「カーネーションを持つ聖母」という作品も残しており、そちらはドイツ ミュンヘンの「アルテ・ピナコテーク」に展示されています。

本作は後年の画家達に多大な影響を与えており、ラファエロも同じ構図で『カーネーションの聖母』という作品を残しています。

聖ヒエロニムス

聖ヒエロニムス - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1480~82年頃油彩、板102.8×73.5cm所蔵:バチカン美術館

聖ヒエロニムスは、ダヴィンチの1480年頃の作品で、木製パネルにモノクロの下書きのまま未完となっています。キリスト教の聖職者である「聖ヒエロニムス」は、4世紀に実在した人物で、聖書をラテン語に訳した事で知られています。

作中では、荒野の洞窟で苦行をするヒエロニムスと、彼が棘を抜いて助けたとされるライオンが描かれています。

聖ヒエロニムス - レオナルド・ダヴィンチ作

伝説によれば、ヒエロニムスは性的な欲望に打ち勝つために、自ら胸を石で打ちつけたとされています。作中で右手に石を握っているのはそのためです。

聖ヒエロニムスの部分拡大

絵画の右手側の岩の開口部には、かすかにスケッチされた教会も確認できます。

聖ヒエロニムスの部分拡大

本作は、ダヴィンチがシスティーナ礼拝堂の壁画制作の選考にもれた際の作品で、その時の感情が絵画に投影されていると言われています。ダヴィンチの死後、詳しい日付や期間は分かりませんが、現在の状態に復元されるまで、絵画は五つに分断された状態でした。胴体が描かれた部分は、ローマの古物商で棚に貼り付けられていたと言うエピソードもあるほどです。

絵画は、19世紀初頭にナポレオンの叔父「ジョゼフ・フェッシュ枢機卿」のコレクションとなって復元された後、第255代ローマ教皇「ピウス9世」の時代に、現在の展示場所に運ばれました。

現在、本作はバチカン美術館のピナコテカ(絵画館)で鑑賞する事ができます。2019年の夏には、ニューヨークのメトロポリタン美術館に、2019年末から2020年の初めにかけてはパリのルーブル美術館に貸し出しも行われました。

東方三博士の礼拝

東方三博士の礼拝 - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1481~82年油彩、板243×246cm所蔵:ウフィツィ美術館

本作は、フィレンツェ郊外の聖アゴスティーノ修道院が、レオナルドの父親づてに制作を依頼をした絵画です。

しかし、制作報酬が土地であったり、画材などの必要経費も全てレオナルド持ちであるなど、契約内容はお世辞にも条件が良いと言えるものではありませんでした。

案の定、制作段階で経費的な問題が発生し、作業を継続する事は難しくなりました。

更に一説では、レオナルドのセオリーを無視した斬新な構図の「東方三博士の礼拝」に修道院側が及び腰になったとも言われています。

結局、本作は未完のまま、レオナルドは拠点をミラノに移してしまいます。書きかけの「東方三博士の礼拝」は、友人の「ジョヴァンニ・デ・ベンチ」に預けられました。この人物は、レオナルドが手掛けた肖像画のモデル「ジネヴラ」の兄弟にあたる人物です。

本作の主題である新約聖書の物語「東方三博士の礼拝」は、東方よりベツレヘムの星に導かれてやってきた三博士(ガスパール、メルキオール、バルタザール)が、聖母が抱く幼子イエスに礼拝する場面を描いた作品です。レオナルドの絵画に多く見られる「ぼかし画法」によって、人や物、空間が見事に融合しています。未完のため完成形が見れないのが非常に残念です。

作中で真っ先に目に入る中央の女性が聖母マリアで、幼子イエスを抱いて座っています。

東方三博士の礼拝 聖母マリア、イエス、ヨハネ

マリアの背後で壺の蓋を持っているのがイエスの養父「ヨセフ」、木に隠れる様に指を天に向けているのが「洗礼者ヨハネ」です。

更にヨハネの右手側をよく見ると、複数の馬の頭が下絵で描かれているのが分かります。これは、ダヴィンチがバランスの良い配置を試行錯誤していた痕跡で、この部分からも彼のこだわりの強さが伺えます。

「東方三博士の礼拝」の部分拡大

絵画の右下で黒い甲冑を着ているのは、若き日のレオナルドダヴィンチ自身を描いたと言われています。

「東方三博士の礼拝」の部分拡大

ダヴィンチの左手側でひざまずいて乳香をイエスに手渡しているのは三博士の一人「バルタザール(画像上)」です。残りの2人の博士は絵画の左下側に描かれています。

「東方三博士の礼拝」の部分拡大

手前で見上げるポーズをしているのが「メルキオール」、その少し奥でひれ伏しているのが「バルタザール」です。新約聖書では、バルタザールが神性の象徴である「乳香」を、ガスパールが死の象徴である「没薬」を、メルキオールが王権の象徴である「黄金」を手渡したとされています。

また、「メルキオール」の左手側で立っている人物は、老いたダヴィンチ自身を描いたのではないかと言われています。

「東方三博士の礼拝」は、メディチ家が所有していた後に、1670年よりウフィツィ美術館の所蔵となりました。2011年~17年にかけては、後世に加筆された部分の除去や大々的な修復が行われ、2017年3月より再びウフィツィ美術館に展示されています。

岩窟の聖母(ルーブル版)

岩窟の聖母(ルーブル版) - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1483~86年頃油彩、板199×122cm所蔵:ルーブル美術館

巌窟の聖母は、ダヴィンチが30代の時に描いた傑作と言われる多翼祭壇画の一部です。1483年にミラノ信心会が、サン・フランチェスコ・グランデ教会の礼拝堂に飾るため、ダヴィンチに制作を依頼しました。

作中では、まだ幼児のイエス・キリスト(右手側)が右手を上げ、洗礼者ヨハネ(左手側)に祝福を与える瞬間が描かれています。イエスとヨハネの見分けがつきにくいため、逆に紹介している書籍なども結構あります。

岩窟の聖母

中央で左腕を伸ばしているのがイエスの母「聖母マリア」、右側の女性は「大天使ウリエル」か「大天使ガブリエル」のいずれかであるとされています。

通常、洗礼や祝福を表現する宗教画は、光に包まれた明るい風景の中で描かれるのがほとんどです。しかし本作は、洞窟という暗がりの中に描かれており、わずかに洞窟の入口から薄明かりが差し込んでいます。

岩窟の聖母の部分拡大 - 洞窟の入口

ダヴィンチは、女性の子宮を象徴するとされる洞窟を描く事で、マリアが処女のままイエスを身籠った事を暗示しているそうです。

後年にダヴィンチは、この「岩窟の聖母」と全く同じ構図と作名で別バージョン(ロンドン ナショナルギャラリー所蔵)を作成しています。

何故ただでさえ作品を完成させない事で知られるダヴィンチが、岩窟の聖母を2作も描いたかについては諸説語られていますが、依頼者の「ミラノ信心会」が最初に描いた岩窟の聖母(ルーブル版)を気に入らなかったためだと言われています。

気に入らなかった理由として「イエスとマリアという聖なる存在を暗がりに描いた」「神的人物の頭上に光輪(金色の輪)が描かれていない」「イエスとヨハネの区別が明確でない」「イエスとヨハネを同格に描いている」などがあげられます。

そのため、新たに製作された「岩窟の聖母(ロンドン版)」では、上記の全ての部分が修正されています。この辺りを意識して見比べてみると非常に面白いと思います。

■岩窟の聖母(ロンドン版)
岩窟の聖母(ロンドン版) - レオナルド・ダヴィンチ作{{PD-US}} - image source by WIKIPEDIA

既に制作意欲を失っていたダヴィンチは、別バージョンの「岩窟の聖母(ロンドン版)」の方は共同制作者の「デ・プレディス兄弟」にほぼ任せたと言われています。

また「岩窟の聖母(ルーブル版)」に関しても、ダヴィンチ主導の元で、デ・プレディス兄弟と共同で手がけたというのが近年の有力な見解の様です。しかし、ルーブル美術館の展示では「ダヴィンチ作」と記されているのみでしたので、本記事もそれに準じてダヴィンチ作としております。

白貂を抱く貴婦人

白貂を抱く貴婦人  - レオナルド・ダヴィンチ作{{PD-US}} - image source by WIKIPEDIA

制作年:1490年頃油彩、板54.8×40.3cm所蔵:チャルトリスキ美術館

「白貂を抱く貴婦人」は、ダヴィンチがミラノ公「イル・モーロ(ルドヴィーコ・スフォルツァ)」に仕えていた1489〜91年頃に描かれた作品です。本作のモデルについては諸説ありますが、ミラノ公「イル・モーロ」の愛人だった「チェチリア・ガッレラーニ」である言う説でほぼ間違いないとされています。

作中でモデルが抱えている動物は「白貂(しろてん)」で、ギリシャ語では「ガレー」と呼ばれます。これは、モデルの苗字「ガッレラーニ」に掛けて描かれています。また、貂は「純潔と節制」のシンボルとされているほか、イル・モーロの紋章のモチーフの一つでもあります。

ダヴィンチは本作を含めて、女性の肖像画を4枚描いており、他には「モナリサ」「ラ・ベル・フェロニエール」「ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像」の3枚があります。このうちの2枚、本作と「ラ・ベル・フェロニエール」は、同じ木からとれたクルミの板に描かれている可能性が高いと、21世紀の美術史家「フランク・ツェルナー(ドイツ)」は述べています。

絵画の消息に関しては、モデルである「チェチリア」自身が所有した後、彼女の死後数世紀は正確な記録が残っていません。ある程度正確な記録が確認できるのは、18世紀後半以降で、1798年にポーランドのチャルトリスキ公爵家の子息「アダム・イェジ・チャリトリスキ」によって本作は購入されています。

その後、1939年にナチスドイツに略奪されてしまいますが、終戦後に連合軍によって取り戻され、現在はクラクフのチャルトリスキ美術館に展示されています。チャルトリスキ美術館は、18世紀に「白貂を抱く貴婦人」を購入した一族の末裔「アダム・カロル・チャルトリスキ公爵」がオーナーを務める私立美術館です。

ラ・ベル・フェロニエール

ラ・ベル・フェロニエール - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1490〜1497年油彩、板63×45cm所蔵:ルーブル美術館

モナ・リザより前に制作された正にモナ・リザの原型とも言える作品。研究者の間では、ダヴィンチ作品ではないと言う意見も根強かったため、一時期ルーブルもその可能性を認めていました。しかし、現在はダヴィンチの真筆でという結論で概ね一致しています。

絵のモデルに関しては、ミラノ公イル・モーロの寵愛を受けた愛人「ルクレツィア・クリヴェッリ」であるという説が最も有力です。しかし製作年と年齢が合わないなどの指摘もあり、確定には至っていません。他にも、ミラノ公の愛妾だった「チェチーリア・ガッレラーニ」であると言う説や、ミラノ公の正妻「ベアトリーチェ・デステ」であると言う説など、諸説語られています。

作名の一部である「フェロニエール」とは、モデルが身につけている細い金の頭飾りの事で、フランス王「フランソワ一世」の愛人フェロン夫人の名からとられています。

ラ・ベル・フェロニエール

本作の所蔵は、フランソワ一世、ルイ14世など、一度もフランス王室のコレクションから出る事なく、ルーブル美術館の所蔵作品となりました。

2015年には修復作業も行われ、2017年にUAEにあるルーヴルの姉妹館「ルーブル・アブダビ」に貸し出しも行われました。現在はパリ ルーブルでの常設展示作品として鑑賞する事ができます。

若い音楽家の肖像

音楽家の肖像 - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1483〜90年頃テンペラ、油彩、板44.7×32cm所蔵:アンブロジアーナ図書館

ダヴィンチ唯一の男性肖像画であるこの絵画は、イタリア ミラノにあるアンブロジアーナ図書館の所蔵作品です。

絵画は1905年に行われた修復によって、右下部分から、それまで隠れていた右手と楽譜が現れ、作中のモデルが音楽家である事が判明しました。

音楽家の肖像部分拡大

鑑定家で最後の晩餐の修復責任者も務めた「ピエトロ・マラーニ」によれば、作中のモデルは、レオナルドに同行してミラノにやってきた音楽家「アタランテ・ミリオロテッイ(フィレンツェ出身)」であるとされています。

しかし、肖像画のモデルに関しては、ミラノ公「イル・モーロ」であると言う説や、ミラノ大聖堂の聖歌隊長「フランキーノ・ガッフリーオ」であると言う説など、諸説語られています。

また、本作は未完であるため、顔と髪は詳細に描かれていますが、首から下の部分は立体感のないまま描きかけとなっています。

音楽家の肖像

本作は、レオナルドと工房の共作、もしくは彼の作品ではないと言う説も未だに根強く残っています。書籍などでもレオナルド作品ではないと書かれているものがかなり多く、個人的にはレオナルドと彼の工房の共作かなと、根拠もなく勝手に推測しております

しかし、ルーブル美術館に期間限定で展示された際に「ダヴィンチ作」として紹介されていたので、そちらに合わせてレオナルド・ダヴィンチの単独作品としてご紹介しております。

最後の晩餐

オリジナルの「最後の晩餐」の壁画

制作年:1497〜1498年テンペラ、漆喰450×910cm所蔵:サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

おおよそ縦4.5m × 横9m ほどの大きさを誇る「最後の晩餐」は、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(ミラノ)の食堂に描かれた巨大壁画です。

レオナルド・ダヴィンチが43才の時に、1497年から1498年にかけて制作しました。

作中では、「この中に裏切り者がいる」というイエス・キリストの発言に対して、12使徒たちが混乱、動揺、反応する様が描かれています。

この作品は極端な遠近法法で描かれており、部屋から壁の奥に向かって実際に広がっている様に見えます。ダヴィンチはこの遠近法の構図を描くため、イエスのこめかみ付近に釘を打って中心点とし、そこを中心に直線をひきました。下写真の様なイメージです。

最後の晩餐の中心点と放射線

遠近法の中心点の釘後は、修復の際に発見されました。

絵の中央は言うまでもありませんが「イエス・キリスト」です。その向かって左側の人物は、イエスに最も信頼されていたと言われる「ヨハネ」です。ヨハネは、映画「ダヴィンチコード」の解釈では「マグダラのマリア」であるとされています。

オリジナルの「最後の晩餐」の壁画 イエスとマグダラのマリア

「ヨハネ」の横で身を引くような体勢で、右手に袋を握っている男が裏切り者の「ユダ」です。その横で身を乗り出し右手にナイフを持つのが、サン・ピエトロ大聖堂入口の巨大像でも有名な「ペトロ」です。

オリジナルの「最後の晩餐」の壁画 ユダ

自らの胸に手を当てて「私が裏切り者でしょうか」とでも言っているかの様な身振りをしているのは「フィリポ」です。その向かって左手で緑色の服を着ているのがヨハネの兄「大ヤコブ」です。

「最後の晩餐」の壁画の一部分

ダヴィンチは、最後の晩餐の12使徒の位置や動きを描くにあたって、書物などから彼らの心情を徹底的に研究しました。更に、作画技法に従来のフレスコ技法を用いず、テンペラ技法を選択しました。

なぜなら、フレスコ技法で描いた部分は書き直しができないため、書き直しを前提に作品を仕上げたかったダヴィンチに「フレスコ技法」は不向きだったからです。

しかし、壁画を手掛ける最中で、テンペラ技法で作画した事が失敗であったとダヴィンチは気がつきました。絵が描かれた食堂は厨房に近いため湿気も多く、湿気に弱いテンペラ技法の顔料は劣化も非常に早かったためです。筆の遅い「ダヴィンチ」にとってこの事は致命的で、制作の段階で何度も絵にヒビが入っている事に気がつき落胆しました。しかし、絵の絵画手法を変更するには既に遅く、苦労を重ねながらも、なんとか「最後の晩餐」は完成に至りました。完成後、ダヴィンチは1度だけ塗り直し作業を行いましたが、以降はダヴィンチが最後の晩餐に手を加える事はありませんでした。

ちなみに、絵と見学エリアを区切る柵に、人物の位置と名前を記したボードがありますので、絵を見ながら人物名を確認できます。

最後の晩餐 人物の説明ボード

一応、人物名を左から記しますと「バルトロマイ」「小ヤコブ」「アンドレア

最後の晩餐の12使途「バルトロマイ」「小ヤコブ」「アンドレア」

ペトロ」「ユダ」「ヨハネ

最後の晩餐の12使途「ペトロ」「ユダ」「ヨハネ」

イエスキリスト」「トマス」「大ヤコブ」「フィリポ

最後の晩餐の12使途「イエスキリスト」「トマス」「大ヤコブ」「フィリポ」

マタイ」「タダイ」「シモン」の順で描かれています。

最後の晩餐の12使途「マタイ」「タダイ」「シモン」

また、壁画上部のルネット部分(半円部分)には、3つの紋章が植物(クワ)の中に描かれています。

最後の晩餐上部の3つのルネット

これはダヴィンチが、ミラノ公「ルドヴィコ・スフォルツァ」への敬意のあかしとして描いたものです。「ルドヴィコ・スフォルツァ」は、ダヴィンチに最後の晩餐の制作を依頼した人物で、中央のルネットに描かれた紋章は「スフォルツァ家」のものです。また、向かって右側は「マッシミリアーノ・スフォルツァ」に、左側は「フランチェスコ2世」にそれぞれ敬意を表して描かれています。ルネットの下に見える最後の晩餐の上部だけを見ると、奥に空間が広がっている様にみえますが実際は平面です。

最後の晩餐に向かって左手側の壁に描かれている書きかけのルネットもダヴィンチが手掛けたと考えられていますが、結論は出ていません。

最後の晩餐 西壁面のルネット

ほつれ髪の女

ほつれ髪の女 - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1500〜1510年油彩、板25×21cm所蔵:パルマ国立美術館

「ほつれ髪の女」は、イタリア パルマ国立美術館に所蔵されているダヴィンチの未完の作品です。

1826年にイタリア画家「ガエターノ・カラニ」のコレクションが、パルマ国立美術館に売却された際に、本作が存在した記録が残っています。

絵画は、ポプラの木のパネルに「油」「鉛白(白い鉛の顔料)」「アンバー(土に由来する褐色の無機顔料)」などで描かれています。

一般的には、女性の髪のイメージから「ほつれ髪の女」と呼ばれる本作ですが、正式名称はなく、世界中で様々な呼び名で呼ばれています。

ほつれ髪の女 - レオナルド・ダヴィンチ作

本作に関しては制作の経緯はもちろん、描きかけの作品なのか、下絵なのかさえ、何一つ確定的な事が分かっていません。一枚の作品としてカウントしてよいかも微妙な所です。

また、ダヴィンチ作ではなく彼の生徒の作品と言う説や、ダヴィンチの幻の作品「レダと白鳥」の研究用に描かれたと言う説、前所有者の「ガエターノ・カラニ」が偽造した説など諸説語られています。

参考までに、ルーブル美術館展示の際はレオナルド・ダヴィンチの単独作として紹介されていました。彼の単独作品ではない場合のルーブルの絵画タグ表記は「レオナルド・ダヴィンチ工房」や「レオナルド・ダヴィンチと工房」という風に紹介されます。実際、この表記の違いにそこまで深い意味はないかもしれませんが、本記事ではこれに倣ってレオナルド作品としてカウントしております。

2012年には日本に貸し出しも行われ、東京渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムに期間限定で展示されました。

モナ・リザ(ラ・ジョコンダ)

モナ・リザ - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1503年〜1516年頃油彩、板77×53cm所蔵:ルーブル美術館

世界で最も有名な絵画「モナ・リザ」は英語の呼び名で、フランス語では「ラ・ジョコンダ」、和訳すると「リザ夫人」と言う意味になります。このリザ夫人こと「リザ・デル・ジョコンダ」は、フィレンツェの富豪「フランチェスコ・デル・ジョコンダ」の妻で、長年本作のモデルと目されている人物です。

ただし、本作のモデルに関しては未だに諸説語られており、ダヴィンチの母であると言う説や、ダヴィンチ自身を描いたと言う説まで様々です。恐らく今後も永遠に謎のままだと思います。

製作開始年に関しては現存する資料から1503年でほぼ間違いないとされており、作品の注文者は「ジュリアーノ・デ・メディチ」であると言うのが多くの書籍などで語られている説です。ただし、なぜメディチ家のジュリアーノが人妻である「モナ・リザ(リザ夫人)」の肖像画をダヴィンチに依頼したかについては謎が残ります。

レオナルドはこのモナ・リザを描きあげるために、光の効果を緻密に計算した上で、絵の具を何層も重ねて印影を表すぼかし技法「スフマート」を多用し、一切の輪郭線を廃しました。レオナルドの作品を最新技術で分析すると最大で15層も塗り重ねられた部分があったそうです。

こういった地道で気の遠くなる様な作業こそが、永遠の微笑と呼ばれるモナ・リザの神秘的な微笑みを生み出した所以です。

また、モナ・リザの謎めいた微笑みについては様々なエピソードで語られており、有名なのが、モナ・リザの顔半分左側と右側が非対称、もしくは片側だけが笑っていると言う内容です。

モナ・リザ顔部分拡大

確かに若干非対称で片側だけ笑っている様に見えますが、単にレオナルドがリアリズムを追求した結果だと思います。

つづいて、モナ・リザの衣装に目を向けて見ると、黒いヴェールと喪服しか身につけていません。

モナ・リザ

本作が描かれた16世紀頃の肖像画は、単なる絵としてではなく、モデルの身分や家柄、特徴を示すという意味合いもありました。そのため、モデルとなる人間は自身の特徴を示す装飾品などを可能な限り身に着けるのが慣習でした。しかし何故かモナ・リザは黒いヴェールと喪服しか身につけていません。理由は分かりませんが、こういった部分も「モナ・リザ」という絵画を一層謎めいた存在にしている要因の一つです。

レオナルドはモナ・リザを生涯手元から離さず手を入れ続けました。まさにレオナルド・ダヴィンチの人生そのものと言える作品です。レオナルドの死後、遺言によって本作は弟子の「メルツィ」が相続しますが、フランス王「フランソワ一世」によって買い上げられます。

その後、17〜18世紀後期のルイ13世〜15世時代までは、ヴェルサイユ宮殿に飾られ、ナポレオン時代にはチュイルリー宮殿の寝室に飾られていました。現在の展示場所であるルーブル美術館の所蔵となったのは、19世紀初期の事です。

1974年4月20日〜6月10日にかけては日本の東京国立博物館でモナ・リザ展が開催され、入場者数150万人以上を記録しました。

聖アンナと聖母子

聖アンナと聖母子 - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1502~1516年油彩、板168×130cm所蔵:ルーブル美術館

この「聖アンナと聖母子」は、ダヴィンチが「モナ・リザ」「洗礼者ヨハネ」と共に手元に残し、生涯手を入れ続けたとされる未完の大作です。

もともと本作は、フィレンツェのサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会の祭壇画として依頼されたものでした。しかし未完のままダヴィンチの手元に残ったとされています。

作中では、キリストの家族の3世代、聖アンナ(マリアの母)、聖母マリア(イエスの母)、イエスの姿が描かれています。聖アンナの膝に座わる聖母マリアは、子羊からイエスを優しく引き戻そうとしています。

聖アンナと聖母子の部分拡大画像

子羊はキリストの受難の象徴とされており、子供を守る母マリアの直感的な行動が読み取れます。

優しい表情で娘と孫を見つめる「聖アンナ」の顔と、マリアの右足は描きかけのままとなっています。

本作「聖アンナと聖母子」は、1498年頃にダヴィンチが描いたカルトンと呼ばれる下絵(画像下)が元になっています。現在この下絵はロンドンのナショナルギャラリーに展示されています。

聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ - レオナルド・ダヴィンチ作

ドローイングという線画で描く絵画手法によって、木炭と白黒のチョークで描かれています。

洗礼者ヨハネ

洗礼者ヨハネ - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1513~1516年頃油彩、板69×57cm所蔵:ルーブル美術館

洗礼者ヨハネは、ダヴィンチがフランス国王「フランソワ一世」の招きにより、アンボワーズで晩年を過ごしていた時の作品です。

ダヴィンチは1519年にこの世を去ったため本作は未完となりました。実質的に遺作となった本作には、ダヴィンチが生涯で築き上げた技術の忰がつぎこまれています。

毛皮に身を包むヨハネの指は天を差し、救世主イエスの誕生を告げています。右手は暗がりで見えにくいですが「杖状の細長い十字架」を胸に抱え込む様に持っています。

洗礼者ヨハネの部分拡大

まるでモナ・リザの様に微笑む洗礼者ヨハネのモデルは、ダヴィンチの弟子「サライ」だと言われています。

本作はダヴィンチの死後、イングランド王「チャールズ1世」や、フランス国王「ルイ14世」など、名だたる人物が所有しましたが、フランス革命以後にルーブル美術館の所蔵となりました。

サルバトール・ムンディ(救世主)

サルバトール・ムンディ(救世主)-レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1499〜1507年所蔵:ルーブル・アブダビ美術館(公開予定)

救世主はローブをまとったイエス・キリストの姿を描いた作品で、サルバトール・ムンディはラテン語で「救世主」を意味しています。

交差する右手の指はキリスト教における十字架を表し、左手には地球を表す水晶を持っています。

サルバトール・ムンディ(救世主)の拡大画像

本作は2005年頃までは、オリジナルの複製と認識されていたため、数百万円ほどの価値でした。しかし、21世紀に入り真作であるとの見方が強くなり、価値が一気に上昇しました。

2017年11月には、ニューヨークで開催されたクリスティーズのオークションにも出品され、芸術作品としては史上最高額の510億で落札されました。

当時、落札者が公表されなかったことから、個人資産家の落札と考えられていましたが、2017年にアブダビ文化観光局が獲得したと公式に発表されました。

当記事で掲載している「救世主」の絵画写真は、ルーブル美術館で行われていた「レオナルド・ダヴィンチ展」で撮影したものです。

サルバトール・ムンディ(救世主)

残念ながらこちらはレオナルド指導の下で弟子たちが製作した別バージョンになります。19世紀のフランス貴族で芸術家でもあった「マークイス・デ・ガネー・エティエンヌ」が所有していた事から「ガネー版(The Ganay version)」と呼ばれています。

本物は、2017年からルーブル・アブダビに展示される予定でしたが、展示は無期限で延期となっています。

レオナルド・ダヴィンチ関連作品

本項では、レオナルドが絵画の一部だけを手がけた作品や、あくまでも他者や工房との共作として紹介されている作品を中心にご紹介します。

キリストの洗礼

キリストの洗礼 - アンドレア・デル・ヴェロッキオとレオナルド・ダヴィンチ作(1470-1475年)

制作年:1470-1475年油彩、板177×152cm所蔵:ウフィツィ美術館

本作は、パレスチナのヨルダン川で、ヨハネがキリストに洗礼をほどこすと言う聖書の有名な一場面を描いた作品です。

1472年から75年にかけてフィレンツェのサン・サルヴィ修道院の依頼で「ヴェロッキオ」などによって制作され、1919年からウフィツィ美術館に所属されています。

ヴェロッキオは15世紀後半に、フィレンツェで大規模な工房を運営していた彫刻家、金細工職人、画家だった人物です。彼の工房からは多くの優秀な画家を輩出しています。

当時ヴェロッキオ工房に所属していた若き日のダヴィンチも、助手として左側の天使一人と背景の一部を手掛けました(描いた箇所には諸説あります)。

キリストの洗礼でダヴィンチが手掛けた箇所

本作には様々なエピソードがあります。最も有名なのが、ダヴィンチが描く天使のクオリティの高さに衝撃を受けた師匠のヴェロッキオは絵画制作をやめ、以後の制作は彫刻などが中心になったというものです。また、作中の右側天使と洗礼者ヨハネに関してはボッティチェリが手がけたという説もあります。

糸車の聖母(ランズダウンの聖母)

糸車の聖母 - レオナルド・ダヴィンチ作

制作年:1501〜1507年頃油彩、板50.2×34.6cm所蔵:個人

「糸車の聖母」は、アメリカの個人が所蔵する作品で、19世紀にランズダウン侯爵家が所有していたことから「ランズダウンの聖母」とも呼ばれます。

本作には、同じ構図で後年に描かれた「バクルーの聖母」と言う作品もあり、こちらはスコットランド国立美術館に展示されています。

ランズダウンの聖母とバクルーの聖母

「ランズダウンの聖母」と「バクルーの聖母」も、ダヴィンチと弟子の共作であるという説が根強く、ダヴィンチ単独作品とするのは少数派の意見となっています。また、ルーブル美術館にこの2作が展示された際も共にダヴィンチと工房の共作という形で紹介されていました。

絵画の製作年や依頼主に関しては、現存する16世紀の報告書から、ルイ12世の秘書だったフロリモン・ロベルテが1501年にダヴィンチに製作依頼をしたと言うのがほぼ確定路線です。

作中の聖母マリアは、やや体をひねる様な体勢で岩場に腰掛け、左手でイエスを抱いています。

聖アンナと聖母子

イエスが熱心に見つめる糸巻き棒は、彼が将来、磔刑に処せられる十字架の形をしています。十字架の中心をさす赤子の指は、まるで何かを予兆している様です。

聖アンナと聖母子の部分拡大画像

糸巻き棒は「家事労働」の象徴として聖母マリアと共によく描かれるモチーフです。これによりマリアの「よき家庭婦人」としての一面を表現しているそうです。

我が子を見つめるマリアの表情も、未来の息子の受難を案じているかの様でどこか不安気に見えます。

レダと白鳥

レダと白鳥

この「レダと白鳥」はレオナルドの幻の絵画とも言える作品で、現存する彩色画が残っているわけでも、確実に本作をレオナルドが描いたと立証する根拠がある訳でもありません。あくまでも過去の手紙や文献、残されたダヴィンチの下絵などから、恐らく存在したであろうと推測されている作品です。

事実、ダヴィンチの弟子やダヴィンチ派と言われる画家たちが、ほぼ同じ構図で「レダと白鳥」をテーマした作品を数点残しています。つまり、似たような構図の絵画が数点存在するからには、一枚のオリジナルが必ずあるはずと言う訳です。

残された資料からも、ダヴィンチが「レダと白鳥」と言うテーマに興味を持っていたと言う事はほぼ確実視されています。

参考までに、ルーブルのダヴィンチ展で配布されていた解説書には、レオナルドが描いたオリジナルの「レダと白鳥」は17世紀に失われたと記載されています。

本記事で掲載している「レダと白鳥」の写真は、ダヴィンチ工房のレオナルド以外の誰かが手がけたものです。こちらはフィレンツェのウフィツィ美術館に常設展示されています。

レダと白鳥

ダヴィンチ作品を所蔵する美術館と教会

ルーブル美術館

ルーブル美術館

フランス パリの中心部に位置する「ルーブル美術館」は、16世紀中頃に国王フランソワ1世が、ダヴィンチやラファエロなど、数々の名画を収集したのが起源となっています。

ルーブルは、レオナルドの作品を最も多く所蔵する美術館で「モナリザ」「巌窟の聖母(ルーブル版)」「聖アンナと聖母子」「ラ・ベル・フェロニエール」「洗礼者ヨハネ」の5点を鑑賞する事ができます。他でレオナルド作品を3点以上展示している美術館はなく、一カ所で5点ものダヴィンチ作品を鑑賞できるのはこのルーブルだけです。

ウフィツィ美術館

ウフィツィ美術館

ウフィツィ美術館は、イタリア フィレンツェの中心部に位置する美術館です。フィレンツェ中心部のホテルにさえ宿泊していれば、ほぼ徒歩10分圏内で本美術館にアクセス可能です。

ウフィツィ美術館は、16世紀後半にトスカーナ大公「フランチェスコ1世」が、自身や歴代メディチ家当主の膨大な美術品を一般に公開するため、現在の建物をギャラリーとして改築したのが一つの起源となっています。

ウフィツィ美術館では、ダヴィンチ作品2点「受胎告知」「東方三博士の礼拝」と、ヴェッロキオとダヴィンチの共作「キリストの洗礼」を鑑賞する事ができます。他にも、ミケランジェロやラファエロなど、イタリア ルネサンス最盛期に活躍した画家の名画が数多く展示されています。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

モナ・リザと双璧を成すダヴィンチの大作「最後の晩餐」は、美術館ではなく、ミラノにある「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」で見学する事ができます。ただし、最後の晩餐の見学は少人数グループの完全予約制となっており、一般公開されているレオナルド作品としては、最も鑑賞難易度が高い作品と言えます。

しかも「最後の晩餐」は教会に隣接する食堂の壁に描かれた壁画のため、他の作品の様に日本に持ち込まれたり、有名美術館で期間限定で展示される事も恐らくはないと思います。本物を見るためには、予約の上でこの教会に足を運ぶ以外に方法はありません。以下の参考記事にて予約方法や見学の様子などを詳しく紹介しております。

バチカン美術館

バチカン美術館

世界最小国家のバチカン市国にある「バチカン美術館」には、1点のダヴィンチ作品「聖ヒエロニムス」が展示されています。

バチカン美術館は総面積5万㎡、見学可能部屋数1,000以上を誇り、迷路の様に入り組む美術館内には、歴代ローマ教皇が収集したコレクションを中心に、数々の名作が一堂に会しています。

中でも、ミケランジェロの「最後の審判」と、ラファエロが人生の大半を捧げた「ラファエロの間」は必見です。ダヴィンチの「聖ヒエロニムス」は、バチカン美術館内の絵画館(ピナコテカ)にて鑑賞可能です。

アクセスも、イタリアのローマ駅から、地下鉄と徒歩で15分~20分ほどです。

エルミタージュ美術館

エルミタージュ美術館

エルミタージュ美術館は、ロシアのサンクトペテルブルクにある国立美術館で、1990年には世界遺産にも登録されています。1764年にエカチェリーナ2世がドイツの画商ゴツコフスキーの美術コレクションを買い取ったのが本美術館の起源です。

この場所では、ダヴィンチ作品の1点「ブノワの聖母」を鑑賞する事ができます。他にも、ラファエロの「コネスタビレの聖母」をはじめ、カラバッジョやティツィアーノ、ゴヤ、エル・グレコ、ゴッホ、モネ、ゴーギャンなど、国立美術館ならではの豊富なラインナップを誇ります。

立地的にも地下鉄で手軽にアクセス可能で「Admiral Chase Kaya駅」から徒歩3分、「ネフスキー・プロスペクト駅」からは徒歩10分ほどです。

ワシントン ナショナルギャラリー

ワシントン ナショナルギャラリー"La galería nacional de arte" by Bohao Zhao is licensed underCC BY 3.0

ワシントン ナショナルギャラリーこと「ナショナル・ギャラリー・オブ・アート」は、アメリカ ワシントン州にある国立美術館です。

1937年に銀行家アンドリュー・メロンの基金と彼の美術コレクションが政府に寄贈された事が、本美術館の起源となっています。この場所ではダヴィンチ作品の一点「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」を鑑賞する事ができます。

他にもラファエロの「アルバの聖母」や、フィリッポ・リッピの「東方三博士の礼拝」をはじめ、フェルメール、ゴッホ、マネ、モネ、ゴーギャンなど、有名美術家たちの名作揃いです。

この規模の美術館としては異例の入場無料で、立地的にも、複数のメトロレール駅に隣接するため手軽にアクセスできます。最寄り駅の「Archives–Navy Memorial–Penn Quarter駅」から美術館までは徒歩6分ほどです。

ルーブル・アブダビ美術館

アラブ首長国連邦が国の柱である石油輸出業に代わる観光業の核として、2017年に創設したのが、この「ルーブル・アブダビ美術館」です。

更に鑑賞の目玉として、アブダビ文化観光局が総力を挙げて購入したのが、ダヴィンチ作の「サルバトール・ムンディ(救世主)」です。

ただし、本作の公開は現在延期となっており、具体的な公開年はアナウンスされていません。公開されれば、この場所で一点のダヴィンチ作品「サルバトール・ムンディ(救世主)」の見学が可能となります。更に本美術館は、パリ ルーブルの姉妹館になっており、定期的にルーブル(パリ)コレクションの一部を借り受けできる様になっているそうです。

アルテ・ピナコテーク

アルテ・ピナコテークは、ドイツのミュンヘン駅から地下鉄と徒歩で約10分ほどの場所にある美術館です。

館内には16世紀にヴィッテルスバッハ家が収集した絵画が一堂に並んでいます。本美術館では、1点のダヴィンチ作品「カーネーションの聖母」を鑑賞する事ができます。

他にもラファエロの「カニジアーニの聖家族」や、デューラーの「4人の使徒」など名作が並びます。

パルマ国立美術館

パルマ国立美術館は、北イタリア パルマのピロッタ宮殿内にある美術館です。立地も良好で、最寄りのパルマ駅から徒歩10分ほどでアクセスできます。

本美術館ではダヴィンチ作品のうちの1点「ほつれ髪の女性 」を鑑賞する事ができます。他にも館内には、アントニオ・コッレッジオやフランチェスコ・パルミジャニーノの作品をはじめ、16世紀や17世紀の名画が数多く並んでいます。

チャルトリスキ美術館

チャルトリスキ美術館は、ポーランドの京都と呼ばれる古都「クラクフ」にある美術館です。1801年にイザベラ・チャルトリスカ公爵夫人によって設立されました。

本美術館では、ダヴィンチ作品の1点「白貂を抱く貴婦人」を鑑賞できます。

他にもレンブラントをはじめとする14~18世紀のヨーロッパ絵画を数多く展示しています。

立地も観光のメインである旧市街の中心部に位置しており、クラクフ訪問時は必見の観光スポットです。

アンブロジアーナ図書館

アンブロジアーナ図書館は、17世紀初頭にミラノの大司教「フェデリーコ・ボッロメオ」によって設立された図書館です。

この場所では、ダヴィンチ作品の1点「若い音楽家の肖像」を鑑賞する事ができます。

また、アトランティコ手稿と呼ばれるダヴィンチのデッサンと注釈から成る手稿集もこの場所に展示されています。その内容は、数学、天文学、軍事技術など多岐に渡ります。もちろん、ボッティチェッリやカラバッジョなど他の有名画家の作品も複数展示されています。

アクセスはミラノの中心にあるドゥオーモから徒歩圏内です。