ルーブル美術館 見るべきお勧めの作品とフロアマップ(0階〜1階)

(2019年4月22日 公開) (2019-06-28 最終更新) ルーブル美術館の作品

0階のフロアマップとおすすめ作品

ルーブル美術館 0階展示ホールの景観

日本の1階に相当するこの0階では、古代ローマやオリエントの美術品を中心に、古代イタリア、アフリカ、アジア、オセアニアなどの彫刻や美術品が展示されています。

ルーブル美術館 0階フロアマップと主要作品

① ミロのヴィーナス

ミロのヴィーナス 作者不明(紀元前2世紀末)

ミロのヴィーナスの呼び名で知られるヘレニズム時代の最高傑作であるこの像は、1820年にギリシャ人農夫によってミロス島で発掘されました。高さは202cm、素材には大理石が使用されており、ギリシア彫刻の黄金期にあたる紀元前5~4世紀頃に製作されました。左足と両腕は発見当初から破損しており、元々がどの様なポーズであったかは未だに様々な説が唱えられています。ちなみにミロのヴィーナスという呼び名は通称で、「アフロディーテ」が正式名称になります。像の発見後、様々な国がミロのヴィーナスの所有権を主張する中で、なんとかフランスが所有権を勝ちとり、ルイ18世によって1821年にルーブル美術館に寄贈されました。

② ハンムラビ法典

ハンムラビ法典 作者不明(紀元前1792~1750年)

目には目をで有名な石碑で、ハンムラビ王がメソポタミアを統一した後につくらせたと言われています。王が命じた判決のうち282の判例が残っており、当時の文化を知る貴重な手がかりとなっています。玄武岩で造られたこの石碑の大きさは高さ225cm、幅65cm、奥行き47cmもあり、石碑の正面上部の向かって左側には「ハンムラビ王」、右側にはメソポタミアの太陽神「シャマシュ」の姿が彫り込まれています。石碑の文字は「楔形文字」で記されています。

③ 翼の付いた雄牛

翼の付いた雄牛 作者不明(紀元前8世紀末)

この高さ4mもある巨大な像は、メソポタミア北部のアッシリア帝国の王「サルゴン2世」によって、現在のイラク(コルサバード)の近くに建設された宮殿で発掘されました。足は5本、頭部は人間、胴体は翼の生えた雄牛と、非常に特徴的な姿をしています。

1階のフロアマップとおすすめ作品

ルーブル美術館 1階展示ホールの景観

1階は、ルーブルの有名絵画や彫刻が最も集中しているフロアで、あの「モナリザ」や「サモトラのニケ」「ナポレオン一世の戴冠式」などもこのフロアで見学する事ができます。

主に1階の南側「ドゥノン翼」では、18世紀以降の「フランス絵画」や「イタリア絵画」、更に「スペイン絵画」や「イギリス・アメリカ絵画」など、絵画中心の展示が行われ、北側の「リシュリュー翼」では、ヨーロッパの装飾美術品などの展示が行われています。

ルーブル美術館 1階フロアマップと主要作品

① サモトラケのニケ

サモトラケのニケ (前200–前190年頃)

エーゲ海のサモトラケ島で、フランス人副領事によって発見されたヘレニズム彫刻の最高傑作と言われる作品。ニケは、ギリシャ神話に登場する勝利の女神の事で、軍船の先頭に立つ女神の姿を表現しています。この像はギリシャのロードス島の人々(ロドス人)がシリアとの海戦に勝利した際に、サモトラケ島の聖域に奉納したものだと言われています。左側の翼はオリジナルですが、右側の翼はオリジナルを反転して複製したものになります。また、この像の右手の一部は1950年に像とは別に発掘されています。

② モナリザ

モナリザダヴィンチ作(1503年〜1506年頃)

世界で最も有名な絵画。フランス語では「ラ・ショコンドゥ」と呼ばれ、その謎めいた微笑みの表情は様々なエピソードが語られています。モデルはフィレンツェの富豪フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻であると言われていますが、未だにこの絵が描かれた正確な年や場所などは分かっていません。また、モナリザが描かれた16世紀頃の肖像画は、単なる絵としてではなく、モデルの身分や家柄、特徴を示すという意味合いもありました。そのため、モデルとなる人間は自身の特徴を示す装飾品などを可能な限り身に着けるのが慣習でした。しかし何故かモナリザは黒いヴェールと喪服しか身につけていません。こういった部分も「モナリザ」という絵画を一層謎めいた存在にしている要因の一つです。ダビンチはこのモナリザを描きあげるために、光の効果を緻密に計算した上で、透明に限りなく近い絵の具を何層も重ねる作業を行いました。この緻密な作業こそ、モナリザの神秘的な微笑みを生み出している所以となっています。

③ ナポレオン一世の戴冠式

ナポレオン一世の戴冠式 ダヴィッド作(1805〜1807年)

この作品は、新古典派の巨匠「ジャック=ルイ・ダヴィッド」の代表作の一つで、ルーブル美術館の中では「カナの婚礼」に次ぐ大きさ(縦621cm × 横979cm)を誇ります。

1804年にパリのノートルダム大聖堂で行われたナポレオンの戴冠式の一場面を描いた作品で、真紅のマントと白の典礼服に身を包んだ当時35歳の「ナポレオン」が、妃ジョゼフィ―ヌに冠を授けようとする歴史的瞬間が描かれています。

作中には150人もの人物が登場し、ナポレオンの背後で台座に腰かけるのは、ローマから呼び寄せられた教皇ピウス7世、更に作者であるダヴィッド本人や、彼の師匠と弟子、妻と子供までも描かれています。とにかくナポレオンの権力や威厳を誇示するためのもので、ナポレオンの体系や身長、架空の参加者など、様々な脚色も加えられています。

④ カナの婚宴

カナの宴

ヴェロネーゼ作(1562〜1563年)
ルーブル美術館で最も大きな絵画で、その大きさは縦662×横990cmもあります。元々はヴェネチアのサンジョルジョ・マッジョレー修道院の食堂に飾られていましたが、時の権力者「ナポレオン」によってフランスに持ち込まれました。

全体的に色彩が豊かなこの絵画は、ヴェネチア派の画家「ヴェロネーゼ」らしい大胆な作風で、当時絶大な権力を誇ったヴェネチア帝国の栄華を今に伝えています。

作中では、カナという村の婚礼で起こった出来事を題材にしており、キリストによって瓶の中の水が葡萄酒に変わる奇跡のいち場面が描かれています。

実に総勢100人ほどの人物が絵の中に登場しており、テーブル席には、フランス国王フランソワ1世、神聖ローマ皇帝カール5世が、中央前列には白い服を着て楽器を奏でる作者のヴェロネーゼなども描かれています。

⑤ 民衆を導く自由の女神

民衆を導く自由の女神 ウージェーヌ・ドラクロワ作(1830年)

シャルル10世が失権し、ルイ・フィリップが政権を奪った1830年7月28日に起きた「7月革命」を大胆な構図で描いた作品。中央の「自由の女神」がフランス国旗を掲げ、民衆を導く事で革命を表現しています。

作者のロマン派を代表する「ドラクロワ」は、革命には参加できなかったが、祖国への強い想いを、この絵に込めて描いたと言われています。この絵は現代においてもフランスを代表する作品の一つで、260cm(縦)×325cm(横)もある超大作です。

⑥ メデューズ号の筏

メデューズ号の筏

ジュリコー作(1818年~1819年)
1816年に400人を乗せたフランス海軍のフリゲート艦戦メデューズ号が難破した際の海難事故をテーマーにした作品。絵の大きさは縦491×横716cmもあり、絵の前の人たちと比べて頂くと分かりますが、実物大で描かれています。

作中では、救命ボートに乗りきれなかった船員が筏で漂流する姿が描かれています。非常に写実的に描かれているのが特徴で、作品発表当時こそ賛否両論ありましたが、現在ではロマン派の画家「ジュリコー」の代表作の一つとなっています。

当時28歳のジュリコーはこの絵画を描くため、事件に関する資料を念入りに調べ上げ、準備に多くの時間を費やしました。

⑦ エビ足の少年

⑦ エビ足の少年

ホセ・デ・リベーラ(1642年)
スペイン出身ながら、主にナポリで活躍した「ホセ・デ・リベーラ」の代表作。左手には、ラテン語で「神の愛のために私に施しを」と書かれた物乞いの許可証を手にしていますが、少年の笑顔から明るい作風にも見えます。

しかし、作品名でもある「エビ足」は、足の奇形を表現しており、足のかかとを地面につける事ができない少年が描かれています。右手もよく見てみると、かなり不自然な方向を向いている事が分かります。

ルーヴル美術館に寄贈される際は作品名が「小人」であったことからモデルの少年は低身長症であったとも言われています。

⑧ 聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ

聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ ラファエロ・サンティ(1507~1508年頃)

聖母(マドンナ)の画家でルネサンス三大巨匠の1人と称される「ラファエロ」が24歳の時に、シエナの貴族「フィリッポ・セルガンティ」の依頼によって描いた作品。フランス語で「美しき女庭師」を意味する「ラ・ベル・ジャルディニエール」という呼び名でも親しまれています。

この作品はラファエロがフィレンツェ滞在の後期に描いた作品で、彼の作品の中では最も有名なものです。経緯は不明ですが、後にフランス国王フランソワ1世によって買い取られました。

ダ・ヴィンチに倣う様な美しく正確なピラミッド構図が特徴的で、ウィーン美術史美術館に展示されている同じくラファエロ作の「草原の聖母」にも同じ構図と作風が用いられています。ラファエロは本作を描いた翌年に、教皇ユリウス2世に招かれローマに渡り、ヴァチカン宮殿の壁画や肖像画を手がけていきました。

⑨ 岩窟の聖母

岩窟の聖母 ダヴィンチ作(1483~1486年頃)

まだ幼児のイエス・キリストに聖母マリアが右腕を伸ばす姿が描かれています。作品名でもある岩窟という背景が特徴的で、わずかに薄明かりが差し込んでいます。向かって左手側の幼児は岩窟に逃げ込んだ聖ヨハネ、右側の女性は庇護者大天使ウリエルと言われています。

詳しい事は分かっていませんが、ダヴィンチはこの「岩窟の聖母」の別バージョンも作成しています。そのため「岩窟の聖母」はルーブルだけでなく、ロンドンのナショナルギャラリーにも、別バージョンとして存在しています。何故ヴィンチが別バージョンを描いたかは「制作を依頼したミラノ信心会が最初に描いた”岩窟の聖母”を未完成と判断したため」という説や、「初期に描いた”岩窟の聖母”をダヴィンチが密かに売却してしまったため」など諸説語られています。

⑪ 書記坐像

初期座像

作者不明(紀元前2600~2350年頃)
古代エジプトの王都メンフィスの西に広がる大地「サッカラ」の墳墓で発掘された高さ約54cmほどのあぐらを書いた像。膝の上にはパピルスの巻物を広げ、文字を書く姿を表現しています。古代エジプトでは文字の読み書きを覚え、書記となる事が出世の道でした。この像も文字を書いている事から身分の高い人物であった事が伺えます。

制作時は右手に筆を握りしめていたと言われていますが、現在は失われています。鷲鼻や目の素材に水晶が使われているのが非常に特徴的ですが、象のモデルが誰であるのかは不明です。