ルーブル美術館の歴史を徹底解説

(公開:2021年6月30日)

ルーブル美術館 パリ
フランス歴代国王の肖像画

本記事ではルーブル美術館の歴史を、歴代フランス国王の歩みと共に徹底解説致します。

ルーブル美術館の起源 - 城砦から王宮へ

フィリップ・オーギュスト(フィリップ2世){{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA

ルーブル美術館の起源は古く、12世紀頃まで遡ります。当時のフランス国王でルイ7世の子「フィリップ・オーギュスト(画像上中央)」が、敵国イギリスの侵略に備え、塔と住居を備える簡素な城砦をパリ セーヌ川右岸に造らせたのが起源です。

この城砦が建てられたのは、現在のルーブルの「クールカレ(方形宮)」と呼ばれる正方形エリアの南西側の一角になります。参考までに現在のルーブルの館内図に当てはめてみましたのでご確認ください。

ルーブル美術館の館内図

この一角がルーブルの全ての始まりです。

一説では、ルーブルと言う名は、当時、城砦が建てられた土地の名「ルバラ」に由来すると言われていますが、確かな事はわかっていません。

その後、国勢が落ち着くと、城砦の軍事的な役割は薄れていき、監獄、武器庫、宝物倉庫などに利用される様になっていきます。歴代国王も時折り足を運び、城砦の住居部分に宿泊する事はありましたが、定住する事はありませんでした。

次なるルーブルの転機は14世紀、シャルル5世が王位に就くと、パリの周囲に新しい城壁を建造し、城砦(後のルーブル)を国王の住居、つまり王宮とすべく大々的な改修工事が計画されます。

シャルル5世は宮廷建築家の「レイモン・デュ・タンプル」にこのプロジェクトを一任すると、簡素だった城砦は、国王が住むに相応しいゴシック様式の王宮(画像下)へと生まれ変わります。

城砦だった頃のルーブル美術館{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA

国王シャルル5世は、王宮内に貴重な書物や貴金属を収蔵する図書館を設けて館内整備を進めますが、ルーブルが王宮として機能したのは、ほんのわずかな間だけでした。狂気王と呼ばれた「シャルル6世」の治世以降は、市民戦争や100年戦争の勃発など、フランスは再び動乱の時代に突入し、ルーブル王宮は100年ほど完全に放置状態となります。

フランソワ1世による改修

ルーブルに再び大きな転機が訪れたのは16世紀初頭の国王「フランソワ1世(画像下)」の統治時代になってからの事です。

フランソワ1世の肖像画

莫大な美術品の収集家として知られる国王「フランソワ1世」は、芸術でフランスを発展させようと考えた人物です。「ダ・ヴィンチ」をイタリアからフランスに招いたのもこのフランソワ1世で、ルーブルの産みの親と言っても過言ではありません。

世界で最も有名な絵画「モナリザ」も、ダ・ヴィンチの死後に弟子からフランソワ1世が買い取ったものです。

モナ・リザ

建築邁進者であったフランソワ1世は、ルーブルの大改修に着手すると、 建築家の「ピエール・レスコー」にルネサンス様式の建物を設計させ、内部の装飾を彫刻家「ジャン・グージョン」に命じます。

残念ながら、フランソワ1世は、ルーブルの大改修が開始した翌年の1547年に亡くなってしまいますが、改修プロジェクトは、次の国王「アンリ2世(在位 1547〜1559年)」や、その次の国王「シャルル9世(在位 1560〜1574年)」へと引き継がれていきます。

現在のルーブルの建物としての沿革は、この三代国王の統治時代に築かれたと言っても過言ではありません。

そして、この改修後の建物に、ダ・ヴィンチやラファエロをはじめとする数々の名画を収蔵した事が、現在のルーブル・コレクションの始まりとされています。

ダ・ヴィンチとラファエロ

16世紀後半のアンリ4世の時代には、ルーブルと西側の「チュイルリー宮殿(1871年に焼失)」を結ぶ、全長450メートルの大回廊「グランドギャラリー(画像下)」も完成します。

グランド・ギャラリー

ただし、この時点では、王室のプライベートな美術コレクションを王宮に所蔵しているに過ぎず、正式にこの場所が美術館と言う体裁を成すのは、200年以上後のナポレオン統治時代になってからの事です。

ルーブルの荒廃期

ルイ14世の肖像画ルイ14世の肖像画

ルーブルの改修は、ルイ13世とルイ14世の統治時代にも継続され、建物は更に拡張されていきます。

1618年からの三十年戦争に勝利し、正に絶頂期にあったフランス王室の美術コレクションは、1500点ほどに達していました。

しかし、徐々にルイ14世の関心はルーブルから薄れていき、王宮をフランス郊外のヴェルサイユ宮殿へと移してしまいます。ルイ14世は莫大な国家予算をつぎ込んでヴェルサイユ宮殿の大改修プロジェクトを始動します。

その後、王室から完全に忘れさられる存在となったルーブルは荒廃していき、手付かずのまま屋根がない部分がある様な状態でした。

この時代のルーブルには、芸術家をはじめ、あらゆる階層の人達が住み着く様になります。また、優れた画家や彫刻家のアトリエなどに使用したり、王立絵画・彫刻アカデミーの拠点、展覧会場などにも利用されていました。

一方で、フランス王家が拠点をヴェルサイユ宮殿に移した後も、王室の美術コレクションは飛躍的に増加していきます。

18世紀のルイ16世の頃になると、ヴェルサイユ宮殿の改修はほぼ落ち着き、王室のコレクションをかつての王宮「ルーブル」で一般公開する事が検討されます。しかし、フランス革命によって王政が廃止されると、この話も立ち消えとなります。

現在のヴェルサイユ宮殿 - 鏡の間

ヴェルサイユ宮殿 鏡の間

ナポレオンの台頭と共和国美術館の誕生

ナポレオンの肖像画ナポレオンの肖像画

革命直後のフランスは、ヨーロッパ諸国との戦争が絶えず、混乱の時代へと突入していきます。しかし、「ナポレオン・ボナパルト」という軍事の天才の登場により状況は一変します。

ナポレオンはヨーロッパの強国相手に連戦連勝、戦争に勝利する度に戦利品を新たな美術コレクションに加えていきました。

特にイタリアに勝利した際には、実に500をも超える美術品をフランス国内に持ち帰ったと言われています。

この時に追加されたコレクションの中には、現在もルーブル最大の絵画となっているヴェロネーゼ作「カナの婚礼」もありました。

カナの婚宴 - ヴェロネーゼ作(1562〜1563年)

カナの婚礼

ナポレオンの活躍でフランスの独立が守られ、美術品が莫大に増加していくと、ルイ14〜16世時代に荒廃していた「ルーブル」は劇的な変貌を遂げていきます。

1793年には、革命後に王室に変わり行政の役割を担っていた「国民公会」によって「共和国美術館」という名で美術品の一般公開が開始されます。

この時には「ルーブル美術館」という呼び名はまだありませんが、実質的にこれがルーブル美術館の誕生と言える瞬間でした。

1800年には、ナポレオンがエジプト・イタリア遠征やギリシャの古代遺跡発掘で得た美術品などを展示する「ギリシャ・ローマ部門」も開設されます。

パリのノートルダム大聖堂で1804年に行われた戴冠式で、ナポレオンが皇帝の座につくと、ルーブルの所蔵品は尚も飛躍的に増加していきます。

この時代のナポレオンの権力は絶大で、19世紀初めに「共和国美術館(現在のルーブル)」を「ナポレオン美術館」と呼んでいた事もありました。現在のドゥノン翼とリシュリュー翼を結ぶ「シュリー翼」もこの時代に増設されたものです。

ルーブル美術館 館内構図

ナポレオンの戴冠式の様子を描かせた作品「ナポレオン一世の戴冠式」は、現在もルーブル美術館の赤の間を飾る代表作となっています。

ナポレオン一世の戴冠式 - ダヴィッド作(1805〜1807年)

ナポレオン一世の戴冠式

戴冠式の翌年には、現在のルーブルの西側、ガラスのピラミッドと対面する様に立つ「カルーゼル凱旋門」も建設されました。

カルーゼル凱旋門

ナポレオンはこの美術館を世界一にする野望のため、世界中から5000点もの作品を集めました。

しかし、1812年のロシア遠征で24万もの兵を失ったナポレオンは勢いを失い1814年に失脚、他国から略奪した美術品の多くは返還を余儀なくされます。

結局、美術品数はナポレオン最盛期の五分の一ほどとなりますが、それ以降もルーブルの改修・増築は継続されていきます。

そして、1821年には現在のルーブルの至宝の一つである彫刻「ミロのヴィーナス」がコレクションに加わります。

ミロのヴィーナス - 作者不明(紀元前2世紀末)

ミロのヴィーナス

更に1826年には新たに「エジプト部門」が、1881年には「オリエント部門」が誕生するなど、展示の柱となるセクションが次々と加わっていきます。

大ルーブル計画と20世紀後半の近代化

1981年になると、ミッテラン大統領の下で「大ルーブル計画(グラン・ルーブル計画)」が実行され、ルーブルの近代化が進みます。

現在ルーブルのシンボルとなっているガラスのピラミッドとナポレオンホールもこの近代化計画の下で、1989年に完成したものです。ガラスのピラミッドの設計は中国系アメリカ人建築家の「イオ・ミン・ペイ」が手掛けました。参考までに、滋賀県にある「神慈秀明会カリヨン塔 」も彼の作品です。

【ガラスのピラミッド】

ガラスのピラミッド

【ナポレオンホール】

ナポレオンホールの景観

1993年に、リシュリュー翼が展示スペースとして公開されると、1998年には、ドゥノン翼とシュリー翼がリニューアルオープンされます。

21世紀のルーブル美術館

21世紀に入ると、日本テレビ協力のもと 、2001年〜2005年まで4年間をかけて、新たな「モナ・リザ」の鑑賞スペース「モナ・リザの間」を完成させます。

モナ・リザの間の完成を祝い、フランス政財界、美術関係者やマスコミ関係者など、総勢約1500名を招待して、ルーヴル主催の内覧会が開催されました。現在も、モナリザの間はルーブル美術館随一の人気見学スポットとなっています。

【モナリザの間】

モナ・リザの間

そして、2019年10月24日~2020年2月24日にかけては、ルーブル美術館史上でも最大級のイベント「ダ・ヴィンチ展」が開催されました。

ダ・ヴィンチ展 入口付近の景観

この企画展は、レオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年を記念して行われたもので、ルーブルが既に所有しているダ・ヴィンチ作品はもちろん、ロンドンのナショナルギャラリー、ロシアのエルミタージュ美術館、バチカン美術館など、世界中の美術館からダ・ヴィンチ作品が集められました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ展の見学エリア

このイベント期間中の来場者数は110万人にも上り、ルーブルのこれまでの企画展の最高記録を倍以上更新する結果となりました。

ダ・ヴィンチ展の大成功で勢いにのるルーブルでしたが、2020年に入るとコロナウイルスの影響を受けて、休館を余儀無くされます。

その後、人数を限定しての開館と休館を繰り返しますが、2021年からは、自宅でルーブル美術館を実際に訪問する様に見学できる「Virtual tour」の導入や、公式HPの「コレクションページ」を一新するなど、オンラインの機能強化に力を入れていきます。現在はコレクションページを訪問すれば、誰でもいつでも48万点以上のルーブル所蔵作品の鑑賞が可能となっています。

また、2021年の初めには、日本を代表する企業「ユニクロ」と4年間のパートナーシップ契約を結び、第1段として2021年2月より、両者のコラボレーションアイテム(T-シャツやトレーナーなど)が日本国内で販売されました。

800年以上の歴史を持つ「ルーブル美術館」は現状に甘んじること無く現在も進化をし続けています。