ラファエロ 作品一覧と有名作品の解説
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フィレンツェ イタリア 画家・彫刻家・建築家本記事では、イタリアが誇る天才画家「ラファエロ・サンティ」の代表作品をご紹介致します。
ラファエロは37歳でこの世を去るまで、約120点ほどの作品を残したとされていますが、本記事では有名作品だけを厳選して紹介しております。
作品一覧
まずはラファエロ作品を一覧形式でご覧ください。
以下、画像をクリック(タップ)すると拡大し、タイトル文字が青色になっている作品のみ、文字をクリックすると同ページ内の解説部分に移動します。
作品名 | 制作年 | サイズ | 種類 | 所蔵 |
---|---|---|---|---|
聖ミカエルと竜 | 1500年~1505年 | 31cm × 26cm | 板、油彩 | ルーブル美術館 |
聖ゲオルギウスと竜 | 1507年~1505年 | 30.7cm × 26.8cm | 板、油彩 | ルーブル美術館 |
聖ゲオルギウスと竜 | 1506年 | 28.5cm x 21.5cm | 板、油彩 | ワシントン・ナショナル・ギャラリー |
聖母の戴冠 | 1502年~1503年 | 267cm × 163cm | 板、テンペラ | バチカン美術館 |
三美神 | 1503年~1504年 | 17cm x 17cm | 板、油彩 | コンデ美術館 |
騎士の夢 | 1503年~1504年 | 17.1cm × 17.1cm | ポプラ板、テンペラ | ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
自画像 | 1504年〜1506年 | 47.3cm × 34.8cm | 板、テンペラ | パラティーナ美術館 |
聖母の婚礼 | 1504年 | 174cm × 121cm | 板、油彩 | プレラ美術館 |
コネスタビレの聖母 | 1504年頃 | 17,5cm × 18cm | 板、油彩 | エルミタージュ美術館 |
アーニョロ・ドーニの肖像 | 1504年~1507年 | 63.5cm x 45 cm | シナノキ、油彩 | ウフィツィ美術館 |
マッダレーナ・ドーニの肖像 | 1504年~1507年 | 63.5cm x 45 cm | シナノキ、油彩 | ウフィツィ美術館 |
一角獣を抱く婦人 | 1505年~1506年 | 67cm × 56cm | 板、油彩 | ボルゲーゼ美術館 |
ヒワの聖母 | 1505年~1506年 | 107cm × 77cm | 板、油彩 | ウフィツィ美術館 |
草原の聖母 | 1505年~1506年 | 113 cm × 88 cm | 板、油彩 | 美術史美術館 |
カーネーションの聖母 | 1506年〜1507年頃 | 27.9cm × 22.4cm | イチイ板、油彩 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
大公の聖母 | 1505年〜1506年 | 84.4cm × 55.9cm | 板、油彩 | パラティーナ美術館 |
キリストの遺骸の運搬 | 1507年 | 184cm × 176cm | 板、油彩 | ボルゲーゼ美術館 |
アレクサンドリアの聖カタリナ | 1507年頃 | 72.2cm × 55.7cm | 板、油彩 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
アンシディの聖母 | 1505年〜1507年 | 216.8cm × 147.6cm | ポプラ板、油彩 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
美しき女庭師 | 1507年~1508年頃 | 122cm × 80cm | 板、油彩 | ルーブル美術館 |
カニジャーニの聖家族 | 1507年〜1508年 | 131cm × 107cm | 板、油彩 | アルテ・ピナコテーク |
ロレートの聖母 | 1508年~1509年頃 | 120cm × 90cm | 板、油彩 | コンデ美術館 |
アダムとイヴ | 1508年 | 120cm × 105cm | フレスコ画 | バチカン美術館 |
聖体の論議 | 1509年 | 500cm × 770cm | フレスコ画 | バチカン美術館 |
アテネの学堂 | 1509年〜1510年 | 500cm × 700cm | フレスコ画 | バチカン美術館 |
ドンマーゾ・インギラーミの肖像 | 1511年~1512年 | 91cm × 61cm | 板、油彩 | パラティーナ美術館 |
ユリウス2世の肖像 | 1511年〜1512年 | 108cm × 80.7cm | 板、油彩 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー美術館 |
宮殿から追放されるヘリオドロス | 1511年〜1514年 | 500cm × 750cm | フレスコ画 | バチカン美術館 |
フォリーニョの聖母 | 1512年 | 320cm × 194cm | 板、油彩 | バチカン美術館 |
ガラテイアの勝利 | 1512年 | 295cm × 225cm | フレスコ | ヴィラ・ファルネジーナ |
婦人の肖像画(ラ・ヴェラータ) | 1512年~1513年 | 82cm × 61cm | カンヴァス、油彩 | パラティーナ美術館 |
青い冠の聖母 | 1512年~1518年 | 68cm x 48cm | 板、油彩 | ルーヴル美術館 |
システィーナの聖母 | 1513年 | 265cm × 196cm | カンヴァス、油彩 | アルテ・マイスター絵画館 |
小椅子の聖母 | 1513年~1514年 | 91cm × 72cm | カンヴァス、油彩 | パラティーナ美術館 |
シチリアの苦悶 | 1514年〜1516年 | 318cm × 229cm | 板、油彩 | プラド美術館 |
バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像 | 1516年 | 71cm × 71cm | 板、油彩 | ルーブル美術館 |
レオ10世と二人の枢機卿 | 1518年 | 154cm × 119cm | 板、油彩 | ウフィツィ美術館 |
友人のいる自画像 | 1518年〜1519年 | 99cm × 83cm | カンヴァス、油彩 | ルーブル美術館 |
キリストの変容 | 1516年~1520年 | 410cm × 279cm | 板、テンペラ | バチカン美術館 |
次項より、上記一覧の中から25作品を厳選して詳細に解説してまいります。
作品解説
本項ではラファエロの各作品を制作年の若い順から解説していきます。
聖ミカエルと竜
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大天使ミカエルが剣を持ち、ダイナミックな動作で竜と戦う姿が描かれています。ミカエルは左手に十字軍の盾を持ち、片足でバランスを取って竜の首を刎ねようとしています。
背景にはダンテの神曲から着想した思われる地獄の景観が広がり、横たわる悪魔は、キリスト教に敵対する異教徒を表しています。製作年に関しては有識者の間でも見解が分かれていますが、概ね1500年から1505年頃の作品であると言う結論で一致してます。
聖ゲオルギウスと竜
「聖ゲオルギウスと竜」は、キリスト教の聖人伝集「黄金伝説」に登場する「聖ゲオルギウス(聖ジェルジオ)」を題材とした作品です。聖ゲオルギウスは、竜退治の伝説を持つキリスト教の聖人として広く知られており、美術作品のモチーフとしても非常にポピュラーな存在です。
作中では、黒い甲冑を身につけた「聖ゲオルギウス」が、今まさに竜にとどめを刺そうとする瞬間が、躍動感あふれる姿で描かれています。ただし、ラファエロ初期の作品であるため、まだ稚拙な部分も多く見られ、どことなくチープな雰囲気も漂っています。画面右手側に描かれた王女の姿なども遠近感にやや不自然さを感じます。
本作は17世紀にジュール・マザラン枢機卿が所有した後、ルイ14世経由でフランス王室のコレクションとなり、最終的にはルーヴル美術館の所蔵となりました。
元々の作品の依頼主や経緯に関しては確かな事が分かっておらず、同じくルーブル所蔵のラファエロ作品「聖ミカエルと竜」と共に、ウルビーノ公「グイドバルド・ダ・モンテフェルトロ」の依頼で描かれたのでないかとされています。ただし、製作年などの矛盾からこの説に関しては否定的な意見も多く、諸説語られています。
また、参考までにワシントンのナショナル・ギャラリーに、ラファエロが本作と同時期に描いた別の「聖ゲオルギウスと竜」も存在しています。
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聖母の戴冠
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ラファエロがまだ20歳に満たない頃に手掛けた祭壇画で、1502年に、シモーネ・デッリ・オッディの妻「アレッサンドラ・バリオーニ」の依頼で製作されました。その経緯から「オッディ家の祭壇画」と呼ばれる事もあります。
まだラファエロが、自身の作風を確立する前の作品のため、師匠のペルジーノの影響が随所に見られます。ペルジーノはダ・ヴィンチとは兄弟弟子にあたり、バチカンにあるシスティーナ礼拝堂の壁画製作で活躍した人物です。
本作は、ラファエロの傑作「キリストの変容」と同様に画面が2分割されており、上部ではキリストが聖母マリアを戴冠する姿が、下部では、その様子を見上げるトマス、ヨハネ、ペテロ、パウロら使徒と聖人の姿が描かれています。
元々はイタリア ペルージアのサン・フランチェスコの礼拝堂を飾っていましたが、1797年にパリに持ち去られました。その際に祭壇の板からキャンバスに移されました。その後はナポレオン失脚後の1815年にイタリアに返還され、現在はバチカン美術館に展示されています。
三美神
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現在、フランスのシャンティイ城コンデ美術館に所蔵されている本作は、ギリシア神話とローマ神話に登場する「三美神」を題材にしたものです。
三美神は「美」「愛」「貞操」を掌り、美の理想像を象徴する存在として、しばし彼女らの属性「リンゴ」「ギンバイカ」「バラ」などと共に描かれます。ラファエロもこの慣習に従っており、三美神はリンゴを手にしています。
長らく本作は、シエナ大聖堂内のピッコロミーニ図書館にある三美神の彫刻を元に描かれたと考えられていました。しかし、近年ではこの見解に異議が唱えられており、ルネサンス期にフェラーラ公国で活躍した画家集団「フェラーラ派」の影響を受けて描かれた作品であるとされています。
騎士の夢
上でご紹介した「三美神」と対を成す絵画として描かれた本作「騎士の夢」は、ロンドンのナショナルギャラリーの所蔵作品です。
作中では、戦いの最中に木陰で眠る古代の英雄「スキピオ」の夢の中に、美徳と快楽を擬人化した二人の女性が現れる場面が描かれています。画面左手側の美徳を表す女性は、学問と武勇の象徴である書物と剣を差し出し、反対側の悦楽を表す女性は、愛を表すキンバイカの花を差し出しています。
この絵画が何を意味するかについては、スキピオが美徳か悦楽かの選択を迫られていると言う解釈と、理想の騎士が持つべき特質を単に擬人化した女性で表現していると言う解釈があり、専門家によって意見が分かれています。
ラファエロは本作を、ウルビーノの貴族への贈り物として描いたと言われています。
自画像
ラファエロが20代前半のフィレンツェ時代に手がけた彼の最も有名な自画像。当時の肖像画は、モデルの身分や職業を表す衣装やモチーフと共に描かれる事が多く、本作は画家の作業着の典型である暗い帽子とローブを身につけています。
バチカン美術館の署名の間を飾る「アテナの学堂」内に描かれたラファエロの自画像との類似性から、本作が間違いなく彼の自画像である事が認められています。
また、現存する文書によれば、この作品は、1652年9月24日までトスカーナの大公妃「ヴィットーリアデッラロヴェーレ」の部屋にあった事が分かっています。その後、レオポルド・デイ・メディチ枢機卿のコレクションとなり、長らくウフィツィ美術館に展示されていましたが、現在はピッティ宮殿内のパラティーナ美術館に移されています。
聖母の婚礼
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本作は、イタリア ペルージャのチッタ・ディ・カステッロにあるサン・フランチェスコ教会のために制作された油彩絵画です。
作中では、杖の先に花の咲いたものが聖母マリアの新郎に選ばれると言う天使のお告げに従い、ヨゼフが結婚相手に選ばれた直後の場面が描かれています。
キリストの養父としても知られる「ヨゼフ」は司祭に促され、マリアに指輪をはめようとしています。そして、その周りでは、杖に花の咲かなかった独身男性達が、杖を折ったり悔しい表情を浮かべています。
背景に描かれているルネサンス様式の神殿の中央アーチ上部には、作者ラファエロの名前と出身地のウルビーノ、更に製作年を示す「MDIIII」が記されています。
本作の構図は師匠のペルジーノの作品を模したものですが、明らかにラファエロの方がクオリティが高く、彼の非凡さが最初に垣間見えた作品と言えます。
ドーニー夫妻の肖像
この2対の絵画は、織物商人として財を成した「アーニョロ・ドーニ」と、フィレンツェの名門ストロッツィ家から嫁いだ妻「マッダレーナ・ドーニ(マッダレーナ・ストロッツィ)」を描いたものです。制作は夫のアーニョロからラファエロに直接依頼されました。
【アーニョロ・ドーニの肖像】
本作を手がけた時期のラファエロは、ダ・ヴィンチの絵画を念密に研究して多いに参考にしていました。妻のマッダレーナが「モナ・リザ」と同じ様なポーズをしているのはそのためです。
【マッダレーナ・ドーニの肖像】
肖像画の裏側には、通称セルミドの親方の手による「ノアの洪水」と「洪水後の人類の再生」のスケッチが描かれています。これは本作が子宝に恵まれる事を願って描かれた事を示しています。
夫妻は本作をミケランジェロに依頼した「聖家族(ミケランジェロ作)」と共に寝室に飾っていたそうです。その後本作は、子孫に引き継がれ1826年にロレーナ家の大公「レオポルド2世」に売却されました。
近年は、長らくピッティ宮殿内のパラティーナ美術館に展示されていましたが、2018年よりウフィツィ美術館内に移されました。
一角獣を抱く婦人
ラファエロは、師のペルジーノと共にレオナルド・ダ・ヴィンチのアトリエを訪問し、描きかけの「モナリザ」を実際に目にしたと言われています。以後、その影響は明らかで、本作のモデルをはじめ、彼の肖像画では、しばしモナリザと同じポーズが用いられます。
両手に一角獣を乗せる本作のモデルが誰であるかは分かっていませんが、一説では、一つ前で紹介したと同じくアニョーロ・ドーニの妻「マッダレーナ・ストロッツィ(マッダレーナ・ドーニ)」であるとされています。
作中のモデルに関しては諸説ありますが、一角獣は純潔や貞節のシンボルとして描かれるモチーフであるため、モデルの結婚を記念して描かれた作品である事は間違いありません。
ヒワの聖母
ヒワの聖母は、フィレンツェの豪商「ロレンツォ・ナージ」が自身の結婚祝いにラファエロに依頼した作品だと考えられています。ヒワの聖母の登場人物「聖母マリア」「キリスト」「洗礼者ヨハネ」の姿が、ピラミッド型の美しい構図で描かれています。
画面に向かって左手側の「洗礼者ヨハネ」が手にしている小鳥「ヒワ」は、いばらの棘を食べる事から、棘の冠を被らされて磔刑となったキリストの受難を象徴しています。作名のヒワの聖母もこの部分に由来しています。
三角形の構図の中に人物を収めて、全体に安定感を与える手法や、柔らかな光の使用法などは、レオナルド・ダ・ヴィンチの強い影響があると言われています。また、聖母の膝の中で体をひねったポーズを取る幼子イエスの表現は、ミケランジェロの作品にインスピレーションを受けたものです。
本作は、所有者「ロレンツォ・ナージ」の家か嵐の崖崩れで倒壊した際に、一度はバラバラになり、長らくは破片の17ピースをつなぎ合わせる形で展示されていました。そのため、絵の中央に大きなヒビが入っていましたが、2008年に完了した修復によって現在そのヒビはなくなっています。
草原の聖母
「草原の聖母」は、ラファエロが23歳の頃に手がけた作品で、かつてはウィーンのベルヴェデーレ宮殿にあった事から「ベルヴェデーレの聖母」とも呼ばれます。
作中では、片膝をついた「洗礼者ヨハネ」から十字架を受け取る「キリスト」の姿と、それを慈愛に満ちた表情で見つめる聖母マリアの姿が描かれています。柔らかな光の表現や、聖母マリアの頭部を頂点とするピラミッド構図は、前でご紹介した「ヒワの聖母」と同様です。
2作を比較すると、本作の聖母マリアの方は、両手で幼子イエスを支えており、ヒワの聖母よりも、より深い愛情を注いでる様に見えます。また、イエスの体も柔らかな丸みを帯びて、より愛らしく描かれています。
ラファエロは本作を、フィレンツェの貴族で芸術愛好家の「タッデオ・タッデイ」へ自ら寄進しました。その後、1662年にタッディの後継者から本作を購入したフェルディナンド・カール大公の息子によってオーストリアに持ち込まれ、現在はウィーンの美術史美術館の所蔵となっています。
大公の聖母
本作は、フィレンツェのとある家族が祈祷用に依頼したもので、ラファエロが師のペルジーノの元での修行を終えた1505年〜1506年頃に手掛けました。
作名である「大公の聖母」は、1799年頃に本作を入手したトスカーナ大公フェルナンド3世が、この絵を非常に気に入り、寝室に飾っていた事からそう名付けられています。フェルナンド3世は、本作を自身がフィレンツェを留守にした時にのみ公開を許可していたそうです。
立ち姿で描かれた聖母マリアの表情は、我が子に将来降りかかる受難を案ずるかの様にどこか不安気です。
ラファエロは、聖母子の背景として、のどかな草原などを描く事が多いですが、本作では大胆なキアロスクーロ(明暗のコントラスト)が用いられています。ただし、この背景は、後年の17世紀にラファエロ以外の別の画家によって手が加えられた事がわかっています。
これは、当時の流行に合わせた画風にする事で、より絵画を高く売ると言う商業的な意図があった様です。近年のX線を用いた分析では、黒背景の下に、アーチを支える柱と風景の存在が明らかになっています。
キリストの遺骸の運搬(ボルゲーゼの十字架降下)
本作はペルージャの有力者「アタランタ・バリオーニ」が、政庁との戦いで命を落とした息子「グリフォネット」の思い出として、ラファエロに依頼した祭壇画の中央パネル(油絵)です。1507年にペルージャのサン・フランチェスコ教会に置かれ、以後は1世紀ほど同じ場所に飾られていました。
作中の中央、磔刑により命を落としたキリストの力無い姿は、サンピエトロ大聖堂内を飾るミケランジェロの彫刻「ピエタ」に、インスピレーションを受けて描かれています。更に画面右手側で聖母を支える女性のポーズも、ウフィツィ美術館にあるミケランジェロの円形画「聖家族」の影響が明らかです。
色彩は、強い赤、青、黄、緑で絶妙のバランスを取り、キリストの手とそれを握るマグダラのマリアの手の色調で絶妙のコントラストを作り出しています。
作品内には「ラファエロ ウルビーノ 1507年」と記されており、本作が間違いなくラファエロ作品である事を示しています。
本作は、1797年にフランス軍に略奪され、一時期はパリのナポレオン美術館(現在のルーブル美術館)に置かれましたが、ナポレオン失脚後に返還され、バチカン美術館に運ばれました。
その後、プレデッラ(祭壇飾りの最下部にあたる部分)が取り除かれ、1815年に中央パネルだげが現在の展示場所であるローマのボルゲーゼ美術館に運ばれました。
美しき女庭師
本作は「ラファエロ」が24歳の時に、シエナの貴族「フィリッポ・セルガンティ」の依頼によって描いた作品で、フランス語で「美しき女庭師」を意味する「ラ・ベル・ジャルディニエール」という呼び名でも親しまれています。
ラファエロは、聖母(マドンナ)の画家と言われるほど、「聖母子」をテーマに多くの作品を残していますが、その中でも最高傑作と言われる本作は最も高い知名度を誇っています。頭の後部から背中にかかる透明のヴェールや柔らかな肌の表現が秀逸です。
この「美しき女庭師」も、本記事内で紹介している「草原の聖母」と「ヒワの聖母」と同様に、聖母子と聖ヨハネが安定したピラミッド構図で描かれていますが、聖母とキリストが視線を合わす形で描かれているのは、彼の聖母子画ではかなり珍しいパターンです。
ラファエロは本作を手掛けている最中に、教皇ユリウス2世に招かれてローマに渡ったため、マントの部分だけが未完でしたが、別の画家ギルランダイオによって仕上げられました。その後、経緯は不明ですが、フランス国王フランソワ1世によって買い取られため、現在はパリのルーブル美術館の所蔵作品となっています。
聖体の論議
バチカン美術館内にある署名の間と呼ばれる部屋で「アテネの学堂」と並ぶフレスコ画の傑作がこの「聖体の議論」です。本作は上下で異なる場面が描かれていますが、中央の「聖体」が天と地の二場面を結びつける役割を果たしています。
画面上部の天上界では、中央のキリストを取り囲む様に聖人や預言者達が描かれ、キリストの頭上には父なる神が、左右には聖母マリアと養父ヨハネが描かれています。
画面下部では、聖体顕示台が置かれた祭壇を挟み、両側の聖職者たちが「聖体の意義」について議論しています。
アテネの学堂
ラファエロの作品の中でも、一二を争う傑作「アテネの学堂」は、バチカン美術館内の署名の間のルネット部分(半円部分)を飾るフレスコ画です。本作は、ラファエロが教皇ユリウス2世の宮廷画家としてキャリア最盛期であった26歳頃に手掛けたものです。
ユリウス2世はラファエロに「神学」「芸術」「哲学」「道徳」を主題にした作品を描かく様に命じ、この「アテネの学堂」はそのうちの「哲学」を表しています。
作中では、古代ギリシャ・ローマ時代の偉大な哲学者や科学者たちが、一堂に会する場面が描かれています。
背景の建物は、当時まだ建設初期であったサン・ピエトロ大聖堂の完成後の姿を創造で描いたと言われています。青空と建物のアーチ部分が見事な遠近法で表現されています。
作品上部中央アーチの下に描かれているのは、向かって左側が「プラトン」、右側が「アリストテレス」です。プラトンは知識の源としての最高点である天を指さし、アリストテレスは物理の確実性を示す様に地に手をかざしています。ちなみに、プラトンはレオナルド・ダ・ヴィンチが顔のモデルになっています。
更に絵画の右下側には、作者のラファエロ自身が、作中の人物の中で唯一こちら側に目線を向ける形で描かれています。彼の遊び心でしょうか。ラファエロの右側で白いベレー帽を被っている人物はマニエリスム期のイタリア画家「ソドマ」です。
ドンマーゾ・インギラーミの肖像
本作のモデル「ドンマーゾ」は、メディチ家に仕えた文学者で、1510年に教皇によってバチカン図書館長に任命された人物です。目はありのままの斜視で描かれています、
本作は「フェドラの肖像」と呼ばれる事もありますが、これは、ギリシャ神話を題材にした演劇「ヒッポリュトス」でドンマーゾが演じた役名に因んだものです。ドンマーゾはラファエロとも親交が深く、図書館長と言う要職に就いた記念として、この肖像画を依頼したと考えられています。
後年の17世紀に枢機卿ボルド・デ・メディチに本作は購入され、メディチ家のコレクションとなりました。かつてメディチ家の宮殿だったピッティ宮殿内のパラティーナ美術館に、本作が所蔵されているのもその流れです。
ユリウス2世の肖像
本作はバチカン美術館のフレスコ画をはじめ、数多くの作品をラファエロに描かせたパトロン「教皇 ユリウス2世」の肖像画です。参考までに、ラファエロと並ぶ天才「ミケランジェロ」にシスティーナ礼拝堂の天井画を描かせたのもこの「ユリウス2世」です。
これ以前の教皇の肖像画は、正面や真横から描く場合がほとんどでしたが、本作のモデルは斜め向きに描かれています。
この構図は、後年の画家にも多大な影響を与え、以降2世紀ほどは、教皇の肖像画を描く際に定番的に用いられました。
本作はロンドンのナショナルギャラリーの展示作品ですが、コピーとされる瓜二つの作品も存在し、そちらはフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。
フォリーニョの聖母
本作は、ラファエロがローマに拠点を構えてから4年目の1512年、彼が28歳の時に手掛けたサンタ・マリア・イン・アラコエリ教会(ローマ)の大型祭壇画です。作中では、画面上下で天と地の対比が絶妙のバランスで描かれ、レオナルド・ダ・ヴィンチに影響を受け、自身の技術として昇華した「ぼかし技法」も随所に用いられています。
作名のフォリーニョは、イタリア中部のペルージャにある街で、作品内に描かれている赤いマントの枢機卿「シジズモンド・デイ・コンティ」の古里です。シジズモンドは本作の依頼者でもあり、その横で彼を聖母子に紹介する様に描かれているのが、シジズモンドの守護聖人である「聖ジローラモ(聖ヒエロニムス)」です。
画面に向かって左手側には、毛皮をまといキリストを指差す「洗礼者ヨハネ」と、膝をつく聖フランチェスコの姿も描かれています。
婦人の肖像画(ラ・ヴェラータ)
既に円熟期にあったラファエロが34歳の時に描いた作品で、彼の肖像画の中では最高傑作と言われています。背景の黒は、わずかに左手側が明るく、右側に向かって暗くなっていきます。そして、その明暗の度合いにより、ヴェールの輪郭部分も秀逸に書き分けられています。
かつて本作のモデルは、ラファエロの愛人でパン屋の娘であった「ラ・フォルナリーナ」であるとされていましたが、頭に既婚を示すヴェールを身につけている矛盾などから、現在は否定されています。
本作は、1620年にトスカーナ大公「コジモ・デ・メディチ2世」に買い取られ、現在の展示場所であるピッティ宮殿内のパラティーナ美術館に移されました。
システィーナの聖母
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本作は、北イタリアの都市ピアチェンツァにあるサン・シスト聖堂に飾るために、教皇ユリウス2世がラファエロに依頼した祭壇画です。
絵画中央では、雲に乗る聖母マリアが幼子イエスを抱いています。向かって左手側では教皇の姿をした聖シクスティウスが描かれ、その足元付近には教皇の三重冠が見えます。最下部に描かれた二体の天使は、物思いにふけるかの様な愛らしい表情で、鑑賞者の視線を聖母に誘導しています。
天使が肘をつくテーブルの様な境目は、絵画世界とこちら側(鑑賞者側)を隔てており、まるで幕が開いて聖母が舞台に登場した様なアングルで描かれています。
小椅子の聖母
ラファエロのトンド(円形画)形式の作品では最も有名な本作は、メディチ家出身の教皇レオ10世の依頼で製作されたものだと言われています。「小椅子の聖母」と言う作名は、聖母が教皇庁の宮廷のみで使用を許可された椅子に座っている事からその様に名付けられています。
作中では、庶民的な衣服を纏った聖母マリアがこちらに視線を向け、まるまるとした幼子イエスを抱き、向かって右手側には、円形画の縁に沿う様に洗礼者ヨハネの姿が祈りのポーズで描かれています。
本作はラファエロがローマ移住後に描かれた作品ですが、現在はフィレンツェにあるピッティ宮殿内のパラティーナ美術館に展示されています。
バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像
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ラファエロの肖像画では最高傑作の呼び声高い本作のモデルは、作家でウルビーノの外交官でもあった「バルダッサーレ・カスティリオーネ」と言う人物です。
カスティリオーネは、ルネサンスのヒット作品で貴族の本来あるべき姿を描いた「延臣論(宮廷人)」の著者として国際的にも名の通った教養人です。ラファエロよりも五歳年上で友人でもありました。
ラファエロはこの肖像画を通して、当時の貴族の理想的姿を表現しており、モデル自身も貴族に相応しいと自らが提唱する衣装を身につけています。本作は後年の画家「ルーベンス」や「マネ」などにも多大な影響を与えました。
友人のいる自画像
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本作は、ラファエロのキャリアで最後となった肖像画兼自画像で、画面に向かって左手側に描かれているのが彼自身です。一方、ラファエロがこちら側に紹介する様に左手を肩にかけている人物が誰であるかは未だにわかっていません。
この人物に関しては、ラファエロの弟子のひとり「ジュリオ・ロマーノ」であると言う説や、手にサーベルの柄を掴んでいる事からフェンシングを教わっていた友人の貴族であると言う説など、諸説語られています。
本作はフランス国王「フランソワ1世」のコレクションから、そのままルーブル美術館の所蔵となりました。一時期は、16世紀に活躍した画家セバスティアーノ・デル・ピオンボの作品であるとされていましたが、近年ではラファエロの真作と言う見解で一致しています。
キリストの変容
バチカン美術館内にある絵画館「ピナコテカ」で、レオナルド・ダ・ヴィンチの「聖ヒエロニムス」と並ぶ最高傑作が本作です。作中では、新約聖書のマタイ福音書に記された2つの奇跡が描かれています。
画面上部では、イスラエルにあるダボル山で、キリストが突然光を放ちながら主の声を届け、自らが神の子である事を弟子達に示した奇跡の瞬間「キリストの変容」が描かれています。
一方、画面下部では、悪霊に取り憑かれた若者をキリストが救う奇跡の場面「悪霊に憑かれた少年の癒し」が描かれています。上半身裸で青いパンツを履いているのがキリストに救われた少年です。
この作品は、フィレンツェ出身の「ジュリオ・デ・メディチ」が枢機卿に就任した際に、自身が赴任する南フランスのナルボンヌ大聖堂を飾るためにラファエロに依頼した作品です。
結果的に本作はラファエロの遺作となり、作品がほぼ完成した1520年にラファエロはこの世を去りました。奇しくもその日はラファエロの37回目の誕生日だったと言われています。最終的な仕上げは弟子たちによって行われ完成を迎えました。
完成後の作品はローマに残され、ナポレオンが台頭した19世紀にフランスに持ち去られますが、ナポレオン失脚後の1815年にローマに返却されました。
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