作品一覧

まずは、ラファエロの代表的な作品を制作年代順に一覧でご覧ください。

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ラファエロ作品一覧
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作品名制作年サイズ種類所蔵
聖ミカエルと竜1500年~1505年31cm × 26cm板、油彩ルーブル美術館
聖ゲオルギウスと竜1503年~1505年31cm × 27cm板、油彩ルーブル美術館
聖ゲオルギウスと竜1506年28.5cm × 21.5cm板、油彩ワシントン・ナショナル・ギャラリー
聖母の戴冠1502年~1503年267cm × 163cm板、テンペラバチカン美術館
三美神1503年~1504年17cm × 17cm板、油彩コンデ美術館
騎士の夢1503年~1504年17.1cm × 17.1cmポプラ板、テンペラロンドン・ナショナル・ギャラリー
自画像1504年~1506年47.3cm × 34.8cm板、油彩ウフィツィ美術館
聖母の婚礼1504年174cm × 121cm板、油彩ブレラ美術館
コネスタビレの聖母1504年頃17.5cm × 18cm板、油彩エルミタージュ美術館
アーニョロ・ドーニの肖像1504年~1507年63.5cm × 45cmシナノキ、油彩ウフィツィ美術館
マッダレーナ・ドーニの肖像1504年~1507年63.5cm × 45cmシナノキ、油彩ウフィツィ美術館
一角獣を抱く婦人1505年~1506年67cm × 56cm板、油彩ボルゲーゼ美術館
ヒワの聖母1505年~1506年107cm × 77cm板、油彩ウフィツィ美術館
草原の聖母1505年~1506年113cm × 88cm板、油彩美術史美術館
カーネーションの聖母1506年~1507年頃27.9cm × 22.4cmイチイ板、油彩ロンドン・ナショナル・ギャラリー
大公の聖母1505年~1506年84.4cm × 55.9cm板、油彩パラティーナ美術館
キリストの遺骸の運搬1507年184cm × 176cm板、油彩ボルゲーゼ美術館
アレクサンドリアの聖カタリナ1507年頃72.2cm × 55.7cm板、油彩ロンドン・ナショナル・ギャラリー
アンシディの聖母1505年~1507年216.8cm × 147.6cmポプラ板、油彩ロンドン・ナショナル・ギャラリー
美しき女庭師1507年~1508年頃122cm × 80cm板、油彩ルーブル美術館
カニジャーニの聖家族1507年~1508年131cm × 107cm板、油彩アルテ・ピナコテーク
ロレートの聖母1508年~1509年頃120cm × 90cm板、油彩コンデ美術館
アダムとイヴ1508年120cm × 105cmフレスコ画バチカン美術館
聖体の論議1509年500cm × 770cmフレスコ画バチカン美術館
アテネの学堂1509年~1510年500cm × 700cmフレスコ画バチカン美術館
トンマーゾ・インギラーミの肖像1511年~1512年91cm × 61cm板、油彩パラティーナ美術館
ユリウス2世の肖像1511年~1512年108cm × 80.7cm板、油彩ロンドン・ナショナル・ギャラリー
宮殿から追放されるヘリオドロス1511年~1514年500cm × 750cmフレスコ画バチカン美術館
フォリーニョの聖母1512年320cm × 194cm板、油彩バチカン美術館
ガラテイアの勝利1512年295cm × 225cmフレスコ画ヴィラ・ファルネジーナ
婦人の肖像画(ラ・ヴェラータ)1512年~1513年82cm × 61cmカンヴァス、油彩パラティーナ美術館
青い冠の聖母1512年~1518年68cm × 48cm板、油彩ルーブル美術館
システィーナの聖母1513年265cm × 196cmカンヴァス、油彩アルテ・マイスター絵画館
小椅子の聖母1513年~1514年91cm × 72cm板、油彩パラティーナ美術館
シチリアの苦悶1514年~1516年318cm × 229cm板、油彩プラド美術館
バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像1516年71cm × 71cmカンヴァス、油彩ルーブル美術館
レオ10世と二人の枢機卿1518年154cm × 119cm板、油彩ウフィツィ美術館
友人のいる自画像1518年~1519年99cm × 83cmカンヴァス、油彩ルーブル美術館
キリストの変容1516年~1520年410cm × 279cm板、油彩・テンペラバチカン美術館

次項より、上記一覧の中から特に有名な25作品を厳選し、見どころや制作背景を詳しく解説していきます。

作品解説

本項ではラファエロの各作品を制作年の若い順から解説していきます。

聖ミカエルと竜

ラファエロ作 聖ミカエルと竜

制作年:1503〜1505年頃所蔵:ルーブル美術館

大天使「聖ミカエル」が剣を振り上げ、足元の悪魔を退治しようとする姿を描いたラファエロ初期の作品です。左手には十字架をあしらった盾を持ち、片足で悪魔を踏みつける躍動感のある構図が特徴です。

背景には炎や怪物が広がる地獄を思わせる景観が描かれており、ダンテの「神曲」からの影響も指摘されています。作品自体は高さ約31cmと小型ですが、ミカエルの大きな動きと幻想的な背景が凝縮された迫力ある一作です。

ルーブル美術館では通称「小聖ミカエル」とも呼ばれており、同時期に制作された「聖ゲオルギウスと竜」と対になる作品として知られています。

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聖ゲオルギウスと竜

ラファエロ作 聖ゲオルギウスと竜

制作年:1503〜1505年頃所蔵:ルーブル美術館

「聖ゲオルギウスと竜」は、キリスト教の聖人「聖ゲオルギウス」の竜退治の伝説を題材とした、ラファエロ初期の作品です。聖ゲオルギウスは竜を退治して王女を救ったという伝説で知られ、中世からルネサンスにかけて数多くの美術作品に描かれてきました。

作中では、黒い甲冑を身につけた聖ゲオルギウスが白馬にまたがり、剣を振り上げて竜にとどめを刺そうとする瞬間が描かれています。画面右奥には、救出された王女が祈るような姿で小さく描かれています。

作品自体は縦約29cm、横約26cmという非常に小さな板絵ですが、後ろ脚で立ち上がる白馬や剣を振り上げる聖ゲオルギウスによって、画面いっぱいに躍動感が生み出されています。若きラファエロが物語の劇的な瞬間を小さな画面に凝縮した一作です。

本作の初期の来歴には不明な点もありますが、ウルビーノ公「グイドバルド・ダ・モンテフェルトロ」が所有していた可能性が指摘されています。その後、17世紀にはフランスの宰相「ジュール・マザラン枢機卿」のコレクションに入り、1665年にルイ14世がマザランの相続人から取得したことでフランス王室のコレクションとなりました。

同じくルーブル美術館が所蔵するラファエロの「聖ミカエルと竜」もほぼ同時期の1503〜1505年頃に制作された小型の板絵で、両作品は若きラファエロの初期作品として並べて鑑賞したい一組です。

また、ラファエロはこの数年後にも同じ主題を描いており、ワシントンのナショナル・ギャラリーには1506年頃に制作された別の「聖ゲオルギウスと竜」が所蔵されています。こちらでは聖ゲオルギウスが剣ではなく槍で竜と戦うなど、ルーブル版とは構図や表現が大きく異なります。

ラファエロ作 聖ゲオルギウスと竜 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA

ルーブル版と見比べると、同じ「聖ゲオルギウスと竜」というテーマを、ラファエロが短期間のうちにどのように異なる構図で表現したのかを比較できます。

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聖母の戴冠

ラファエロ作 聖母戴冠(オッディ家の祭壇画)

制作年:1502〜1504年頃所蔵:バチカン美術館

ラファエロが20歳前後の若き日に手掛けた祭壇画で、ペルージャのサン・フランチェスコ・アル・プラート教会にあったオッディ家礼拝堂の祭壇のために制作されました。そのため「オッディ家の祭壇画(パラ・オッディ)」とも呼ばれています。

ラファエロ初期の代表作の一つで、この頃に師事していた「ペルジーノ」の影響を強く残しているのが特徴です。バチカン美術館も、本作をラファエロ作品の中でも特にペルジーノの様式に近い作品と位置付けています。

画面は上下で大きく二つの場面に分かれています。上部では、音楽を奏でる天使たちに囲まれたキリストが聖母マリアに冠を授ける「聖母戴冠」が描かれています。

一方、下部では使徒たちが聖母の墓を取り囲み、その中には聖母の身体に代わって花が咲いています。使徒の一人「聖トマス」が手にしているのは、天に昇った聖母から授けられたとされる「帯」です。天上の聖母戴冠と地上に残された使徒たちを、一つの画面で表現しています。

また、本作には祭壇画本体だけでなく、その下部を飾る「プレデッラ(裾絵)」もあり、「受胎告知」「東方三博士の礼拝」「神殿奉献」という3つの場面が描かれています。これらにもペルジーノの影響が見られる一方、後に盛期ルネサンスを代表する画家となるラファエロの新しい表現もすでに現れています。

作品は1797年、フランス軍によって接収されてパリへ運ばれました。ナポレオン失脚後の1815年以降に返還されましたが、元の教会には戻らず、教皇ピウス7世の意向によってバチカン絵画館のコレクションに加えられました。現在はバチカン絵画館の第8室(ラファエロの間)で展示されています。

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三美神

ラファエロ作 三美神{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA

制作年:1504〜1505年頃所蔵:コンデ美術館(シャンティイ城)

フランスのシャンティイ城にある「コンデ美術館」が所蔵する本作は、ギリシャ・ローマ神話に登場する「三美神」を題材にしたラファエロ初期の作品です。三美神は、美や優雅、喜びなどを象徴する三人の女神として、古代からルネサンス期の美術作品に繰り返し登場しました。

画面には3人の裸婦が寄り添うように並び、中央の女性だけが背中を向けています。それぞれが手にしている黄金の球体も本作を特徴づけるモチーフの一つです。わずか17cm四方ほどの小さな作品ながら、3人の身体がバランスよく配置され、若きラファエロらしい端正な構図を見ることができます。

本作は、同じくラファエロが描いた「騎士の夢」とほぼ同じ大きさであることから、もともと一対の作品として制作された可能性が指摘されています。「騎士の夢」では若い騎士が「徳」と「快楽」を象徴する二人の女性の間に横たわっており、両作品を組み合わせて若者の人生や徳をテーマにした作品として解釈する説もあります。

三美神のポーズについては、シエナ大聖堂の「ピッコロミーニ図書館」でラファエロが目にしたとされる古代彫刻との関連が古くから指摘されてきました。一方で、その成立過程については複数の説があり、古代彫刻だけでなくフェラーラ派など同時代の絵画からの影響も研究されています。

後に「アテネの学堂」などで完成された人体表現を見せるラファエロが、20歳前後の時期に古代美術の人体表現をどのように自身の絵画へ取り入れていったのかを感じられる初期の重要作品です。

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騎士の夢

ラファエロ作 騎士の夢

制作年:1504年頃所蔵:ロンドン・ナショナル・ギャラリー

「騎士の夢」は、ラファエロが20歳前後の頃に描いた小型の板絵で、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。上でご紹介した「三美神」とほぼ同じ大きさであることから、もともと一対の作品として制作された可能性が指摘されています。

画面中央では、若い騎士が月桂樹の木陰で眠り、その左右に2人の女性が現れています。左側の女性は「美徳」を表し、学問を象徴する書物と武勇を象徴する剣を手にしています。一方、右側の女性は「快楽」を表し、花を差し出しています。

この場面は、古代ローマの英雄「スキピオ」が夢の中で「美徳」と「快楽」に出会う物語と結び付けて解釈されてきました。以前はスキピオが二者択一を迫られている場面と考えられることもありましたが、現在のナショナル・ギャラリーでは、理想の騎士に必要な学問・武勇・愛という複数の徳を組み合わせて表現した作品と解釈しています。

画面中央の月桂樹も重要なモチーフで、その常緑の葉は、優れた騎士が得る「永続する名誉」を象徴すると考えられています。わずか17cmほどの小さな作品ながら、若きラファエロが寓意的な物語を緻密な構図にまとめた初期の秀作です。

本作の具体的な依頼主は確定していませんが、ウルビーノ宮廷との関係が指摘されており、1504年頃に宮廷関係者のために制作された可能性があります。

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自画像

ラファエロ作 自画像

制作年:1506年所蔵:ウフィツィ美術館

ラファエロが20代前半に描いた、最も有名な自画像の一つです。暗い帽子とローブという簡素な服装で描かれており、ウフィツィ美術館では、こうした装いを当時の画家が身につけた仕事着として説明しています。

本作がラファエロ自身を描いた自画像であることは、バチカン宮殿「署名の間」の壁画「アテネの学堂」に登場するラファエロの姿との比較からも確認されています。髪型や顔立ち、こちらを静かに見つめる表情などに高い共通性が見られます。

また、1983年に行われた科学調査では、下絵や絵具の重ね方が詳しく確認され、ラファエロ本人による作品であることを裏付ける重要な手がかりとなりました。白い下地の上に透明感のある絵具を薄く重ねて仕上げる技法には、当時ウルビーノ宮廷でも知られていたフランドル絵画からの影響も指摘されています。

作品はラファエロの故郷「ウルビーノ」に由来し、1652年9月24日までは、ウルビーノ公家の血を引く「ヴィットーリア・デッラ・ローヴェレ」の部屋に置かれていたことが記録から分かっています。その後、メディチ家のレオポルド枢機卿が収集した画家たちの自画像コレクションに加わり、現在はウフィツィ美術館に所蔵されています。

華美な背景や装飾品を排し、若きラファエロの顔と視線だけに意識を集中させたシンプルな構図も本作の特徴です。後に「アテネの学堂」や「システィーナの聖母」などを生み出すラファエロの、若き日の姿を伝える貴重な一作です。

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聖母の婚礼

ラファエロ作 聖母の婚礼

制作年:1504年所蔵:ブレラ美術館

「聖母の婚礼」は、ラファエロが21歳頃に手がけた初期の代表作です。イタリア中部の都市「チッタ・ディ・カステッロ」にあるサン・フランチェスコ教会の礼拝堂のために制作されました。

作中では、聖母マリアとヨセフの結婚の場面が描かれています。伝承によれば、マリアの結婚相手を選ぶ際、求婚者たちに杖を持たせたところ、ヨセフの杖だけに奇跡的に花が咲き、マリアの夫に選ばれたとされています。

画面中央では司祭が2人の手を取り、ヨセフがマリアの指に結婚指輪をはめようとしています。ヨセフの背後には選ばれなかった求婚者たちが並び、右端の男性は花が咲かなかった自分の杖を膝で折ろうとしています。

本作で特に注目したいのが、背景中央に描かれた八角形のルネサンス様式の神殿です。人物が並ぶ前景から神殿へ向かって石畳の線が収束するように描かれ、遠近法によって非常に奥行きのある空間が作り出されています。

神殿中央の入口上部には、ラファエロの名前を示す「RAPHAEL URBINAS」と、制作年を表す「MDIIII(1504)」が記されています。若きラファエロが自らの名前と制作年を作品の中心に明記した点からも、本作に対する強い自信を感じ取ることができます。

構図には、師である「ペルジーノ」が同じ主題で描いた「聖母の婚礼」からの強い影響が見られます。しかしラファエロは、人物をより自然な半円状に配置し、背景の神殿を中心に空間全体を整理することで、師の様式を受け継ぎながらも、より調和の取れた独自の構図へと発展させています。

ラファエロがフィレンツェへ移る直前に完成させた作品であり、修業時代から脱して独自の画風を確立していく転換点となった重要作品の一つです。

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ドーニー夫妻の肖像

ドーニー夫妻の肖像
制作年:1504年~1507年頃所蔵:ウフィツィ美術館

この2点の肖像画は、フィレンツェの裕福な織物商人「アーニョロ・ドーニ」と、名門ストロッツィ家から嫁いだ妻「マッダレーナ・ドーニ(マッダレーナ・ストロッツィ)」を描いた作品です。2人は1504年に結婚しており、アーニョロ本人がラファエロに夫妻の肖像画を依頼したと伝えられています。

【アーニョロ・ドーニの肖像】
ラファエロ・サンティ作 アニョロ・ドーニ

本作を手がけたフィレンツェ時代のラファエロは、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を熱心に研究し、その肖像画の構図や人物表現から大きな影響を受けていました。夫妻を半身像で描き、その背後に広大な風景を配置する構成にも、ダ・ヴィンチからの影響を見ることができます。

【マッダレーナ・ドーニの肖像】
ラファエロ・サンティ作 マッダレーナ・ドーニの肖像

特にマッダレーナの肖像は、胸の前で両手を重ねたポーズや身体の向きなどが「モナ・リザ」とよく似ています。一方で、輪郭を柔らかくぼかすダ・ヴィンチの「スフマート」とは異なり、ラファエロは人物の輪郭や衣服、宝飾品などをより明瞭に描いています。

また、マッダレーナが胸元につけた豪華なペンダントにも注目です。ルビー、サファイア、エメラルド、真珠などが組み合わされており、それぞれの宝石には富や純潔、生命などに関連する象徴的な意味が込められていると考えられています。

さらに、この2点はもともと蝶番でつながれた一対の肖像画として制作され、その裏側にも絵が描かれています。アーニョロの肖像の裏には「神々の洪水」、マッダレーナの裏には「デウカリオンとピュラ」が描かれており、いずれも古代ローマの詩人オウィディウスの「変身物語」に由来する場面です。

ラファエロ・サンティ作 ドーニー夫妻の肖像画像の裏側

裏面を手がけたのはラファエロ本人ではなく、現在「セルミドの親方」と呼ばれている作者不詳の画家と考えられています。「デウカリオンとピュラ」は、大洪水を生き延びた2人が石を投げ、その石から新たな人類が誕生する神話です。この主題から、夫妻の結婚と子孫繁栄を願う意味が込められていたと考えられています。

アーニョロ・ドーニは同じ時期に、ミケランジェロにも「聖家族(ドーニ・トンド)」を依頼しています。つまりドーニ夫妻は、ラファエロとミケランジェロというルネサンスを代表する2人の巨匠に作品を依頼した重要なパトロンでもありました。

夫妻の肖像画は長くドーニ家に受け継がれた後、1826年にトスカーナ大公「レオポルド2世」に売却され、ピッティ宮殿のパラティーナ美術館のコレクションに加わりました。

その後、2018年にウフィツィ美術館へ移され、現在はミケランジェロの「ドーニ・トンド」と同じ展示室で鑑賞することができます。

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一角獣を抱く婦人

ボルゲーゼ美術館の展示作品「一角獣を抱く貴婦人(ラファエロ作)」

制作年:1505年~1506年頃所蔵:ボルゲーゼ美術館

「一角獣を抱く貴婦人」は、ラファエロがフィレンツェで活動していた20代前半に描いた肖像画です。若い女性を半身像で描き、両手を身体の前で重ねるポーズや、人物の背後に風景を配置する構図などには、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」からの強い影響が見られます。

ラファエロはフィレンツェ滞在中にダ・ヴィンチの作品を熱心に研究しており、この時期に描かれた「マッダレーナ・ドーニの肖像」などにも同様の構図が見られます。一方で、本作では明るい色彩や人物の明瞭な輪郭など、ラファエロらしい表現もすでに現れています。

両手に抱かれた「一角獣」は、ルネサンス期の美術において純潔を象徴するモチーフです。このことから、本作は若い女性の結婚に関連して制作された肖像画だった可能性が指摘されています。ただし、描かれている女性が誰なのかは現在も特定されていません。

かつては、一つ前でご紹介した「アーニョロ・ドーニの肖像」の妻「マッダレーナ・ストロッツィ(マッダレーナ・ドーニ)」を描いたという説をはじめ、複数の人物がモデルとして候補に挙げられてきましたが、いずれも確定には至っていません。

さらに興味深いのが、本作が後世に大きく描き変えられていた点です。長い間、女性の肩にはマントが加えられ、一角獣の代わりに車輪を持つ「アレクサンドリアの聖カタリナ」の姿として知られていました。20世紀に行われた修復によって後世の加筆が取り除かれ、現在見られる一角獣を抱いた若い女性の姿が再び現れました。

なお、さらに詳しい調査によって、一角獣の下にはもともと小型犬が描かれていたことも判明しています。犬は夫婦の忠誠を象徴するモチーフとして用いられることが多く、この発見も本作が結婚に関連する肖像画だった可能性を考える上で重要な手がかりとなっています。

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ヒワの聖母

ヒワの聖母

制作年:1505年~1506年所蔵:ウフィツィ美術館

「ヒワの聖母」は、ラファエロがフィレンツェで活動していた時期の代表的な聖母子画です。ジョルジョ・ヴァザーリの記録によれば、フィレンツェの裕福な商人「ロレンツォ・ナージ」が、1506年2月に行われた「サンドラ・ディ・マッテオ・カニジャーニ」との結婚に際してラファエロに依頼した作品とされています。

作中では「聖母マリア」「幼子イエス」「幼い洗礼者ヨハネ」の3人が、美しいピラミッド型の構図の中に配置されています。3人の視線や仕草も巧みに結びつけられ、ラファエロらしい調和の取れた聖母子像に仕上げられています。

画面に向かって左側の「洗礼者ヨハネ」が手にしている小鳥が、作品名の由来となった「ヒワ(ゴシキヒワ)」です。ヒワはキリストの受難と結びつけられてきた鳥で、その赤い羽毛は、後にキリストが流す血を暗示するものとされています。幼いヨハネがヒワをイエスに差し出し、イエスが優しく触れようとする姿によって、穏やかな幼少期の場面の中に、将来のキリストの受難が暗示されています。

ヒワの聖母

3人の人物を三角形の中に収めた安定感のある構図や、遠景へ溶け込むような柔らかな表現には、ラファエロがフィレンツェで研究したレオナルド・ダ・ヴィンチの強い影響が見られます。ウフィツィ美術館では、ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」の構想に加えて、ミケランジェロの「ブルッヘの聖母」からの影響も指摘しています。

ヒワの聖母の構図

また、聖母マリアが手にしている小さな聖書も見逃せません。これはマリアの信仰を示すと同時に、ヒワと同様に、将来訪れるキリストの犠牲を暗示するモチーフとされています。

本作には、作品そのものの美しさだけでなく、一度バラバラになった絵画が再生したという興味深い歴史もあります。1547年、所有者「ロレンツォ・ナージ」の邸宅が地滑りによって倒壊した際、本作も巻き込まれて17の断片に割れてしまいました。その後、破片をつなぎ合わせる大規模な修復が行われています。

長年にわたって画面には損傷や過去の修復跡が残っていましたが、ウフィツィ美術館とフィレンツェの修復機関による長期的な修復を経て、現在ではラファエロ本来の色彩や人物表現をより鮮明な状態で鑑賞できるようになっています。

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草原の聖母

草原の聖母

制作年:1505年~1506年所蔵:美術史美術館

「草原の聖母」は、ラファエロがフィレンツェで活動していた20代前半に手がけた代表的な聖母子画です。かつてウィーンのベルヴェデーレ宮殿に収蔵されていたことから、「ベルヴェデーレの聖母」とも呼ばれています。

作中では、草原を背景に「聖母マリア」「幼子イエス」「幼い洗礼者ヨハネ」の3人が描かれています。片膝をついたヨハネが小さな十字架を手にし、イエスがそれに手を伸ばす姿は、後に訪れるキリストの受難を暗示しています。その様子を見つめるマリアの穏やかな表情にも注目です。

3人の人物は、聖母マリアの頭部を頂点とする安定したピラミッド型の構図に収められています。柔らかな光や遠くまで広がる風景、人物を一つのまとまりとして配置する構成には、ラファエロがフィレンツェ滞在中に研究したレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を見ることができます。

前でご紹介した「ヒワの聖母」と構図や登場人物がよく似ているため、2作品を比較して見るとラファエロの聖母子画の特徴がよく分かります。本作ではマリアが両手を使って幼子イエスを優しく支え、イエスはヨハネの持つ十字架へと身を乗り出しています。穏やかな母子の情景と、将来の受難を予告する十字架が一つの画面に自然に組み込まれている点が見どころです。

本作は、フィレンツェの商人で芸術愛好家だった「タッデオ・タッデイ」のために描かれたとされています。ラファエロとタッデイは親しい関係にあり、ジョルジョ・ヴァザーリも、ラファエロがタッデイのために2点の聖母子画を制作したことを伝えています。

その後、17世紀にハプスブルク家のコレクションに入り、オーストリアへと渡りました。現在はウィーンの美術史美術館に所蔵されており、同館を代表するラファエロ作品の一つとなっています。

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大公の聖母

大公の聖母

制作年:1506年〜1507年頃所蔵:パラティーナ美術館

「大公の聖母」は、ラファエロがフィレンツェに滞在していた1506年〜1507年頃に手がけた聖母子画です。当時のラファエロは、師ペルジーノから学んだ表現に加え、レオナルド・ダ・ヴィンチらフィレンツェで活躍する芸術家の作品を研究しながら、自身の画風を大きく発展させていました。

作中では、暗い背景の中に立つ聖母マリアが、幼子イエスを両腕で優しく抱えています。マリアは視線を静かに下へ落とし、幼子イエスを鑑賞者の方へ差し出すような姿で描かれています。

穏やかな母子像でありながら、マリアのどこか物悲しい表情には、やがて訪れるキリストの受難と犠牲を予感させるような雰囲気が漂っています。聖母子の深い愛情と、その先に待つ悲劇を同時に感じさせる点が本作の大きな見どころです。

また、人物を柔らかな明暗によって立体的に浮かび上がらせる表現には、ラファエロがフィレンツェ時代に研究したレオナルド・ダ・ヴィンチの影響も見て取れます。

現在では黒い背景が印象的な作品ですが、この背景はラファエロが最初に描いた状態とは異なります。X線による調査では、黒い背景の下から、アーチを支える柱と右手に広がる風景が確認されています。

つまり本来は、現在のように聖母子だけが暗闇から浮かび上がる構図ではなく、建築と風景を背景にした、より日常的な雰囲気を持つ聖母子画だったと考えられています。背景が変更された正確な時期や人物は分かっていませんが、後世の美的嗜好に合わせて黒く塗り替えられた可能性が指摘されています。

なお、本作の依頼主や初期の来歴については明らかになっていません。「大公の聖母」という名称は、1799年秋から1800年冬にかけて本作の購入を認めたトスカーナ大公フェルディナンド3世に由来しています。

フェルディナンド3世とその家族はこの作品を非常に気に入り、ピッティ宮殿の私室に飾っていました。大公はフィレンツェを離れている時に限って一般への公開を許していたと伝えられています。1882年からは、現在と同じピッティ宮殿・パラティーナ美術館の「サトゥルヌスの間」に展示されています。

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キリストの遺骸の運搬(ボルゲーゼの十字架降下)

ボルゲーゼ美術館の展示作品「キリストの遺骸の運搬(バリオーニ祭壇画) - ラファエロ作」

制作年:1507年所蔵:ボルゲーゼ美術館

「キリストの遺骸の運搬」は、ペルージャの名門バリオーニ家の女性「アタランタ・バリオーニ」の依頼によってラファエロが制作した祭壇画の中央パネルです。「バリオーニ祭壇画」などとも呼ばれています。

アタランタの息子「グリフォネット・バリオーニ」は、1500年に起きたバリオーニ家内部の血なまぐさい抗争に関与した後、命を落としました。本作は亡くなった息子を追悼する意味を込めて依頼されたと考えられており、1507年にペルージャのサン・フランチェスコ・アル・プラート教会に設置されました。

作中では、十字架から降ろされたキリストの遺骸を複数の人物が墓へ運ぶ場面が描かれています。画面中央で力なく垂れ下がるキリストの身体を中心に、周囲の人物たちがそれぞれ異なる方向へ身体を動かしており、ラファエロ初期の作品の中でも特に動きと緊張感に富んだ構図となっています。

この時期のラファエロはフィレンツェでレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの作品を研究しており、本作にもその成果が現れています。特に、力を失って反り返るキリストの身体には、サン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの「ピエタ」との関連が指摘されています。

さらに画面右側では、息子の死を前にして気を失った聖母マリアを女性たちが支えています。中でも、身体をひねりながら聖母を支える女性の複雑なポーズには、ミケランジェロがウフィツィ美術館のために描いた円形画「聖家族(トンド・ドーニ)」の影響を見ることができます。

また、画面左側でキリストの手を取るマグダラのマリアにも注目です。青白く力を失ったキリストの手と、生きているマグダラのマリアの手が重ねられ、「死」と「生」の違いが色彩によって印象的に表現されています。

作品には「RAPHAEL URBINAS MDVII(ウルビーノのラファエロ、1507年)」と署名・制作年が記されており、ラファエロが20代半ばに差しかかる時期の重要作品であることが分かります。

本作は完成後、約100年間にわたってペルージャのサン・フランチェスコ・アル・プラート教会を飾っていましたが、1608年、教皇パウルス5世の甥で熱心な美術収集家だったシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿のために教会からローマへ移されました。

その後はボルゲーゼ家のコレクションとなり、現在もローマのボルゲーゼ美術館に展示されています。祭壇画を構成していたプレデッラなどの他の部分は現在別の場所に所蔵されており、当初の祭壇画は分散しています。

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美しき女庭師

美しき女庭師

制作年:1507年所蔵:ルーブル美術館

「美しき女庭師」は、ラファエロが24歳頃、フィレンツェ時代の終盤に手がけた代表的な聖母子画です。正式な主題は「聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ」で、フランス語の通称「ラ・ベル・ジャルディニエール(La Belle Jardinière)」でも広く知られています。

作中では、草原に腰を下ろした聖母マリアを中心に、幼子イエスと幼い洗礼者ヨハネが描かれています。聖母マリアの頭部を頂点として3人を結ぶ安定したピラミッド型の構図は、本記事でご紹介している「草原の聖母」や「ヒワの聖母」にも共通する、ラファエロのフィレンツェ時代を代表する構成です。

特に印象的なのが、聖母マリアと幼子イエスが互いに視線を交わす親密な表現です。イエスは母の膝に手を置きながら顔を見上げ、マリアも穏やかな表情で我が子を見つめています。その横では、洗礼者ヨハネが跪き、イエスを見上げています。

また、聖母マリアの頭部から肩にかかる透明なヴェールや、柔らかな肌、衣服の質感なども見どころです。人物を一つのまとまりとして配置しながら、背景には遠くまで続く穏やかな風景が広がり、人物と自然が調和した非常に完成度の高い画面となっています。

ラファエロはフィレンツェ滞在中、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの作品を熱心に研究しました。本作にも、人物を三角形にまとめる構図や柔らかな明暗表現など、レオナルドから学んだ要素を見ることができます。一方で、人物の穏やかな表情や明るく澄んだ色彩には、ラファエロ独自の優美な作風がはっきりと現れています。

「草原の聖母」「ヒワの聖母」と見比べると、ラファエロがフィレンツェ時代に繰り返し追究した聖母子画の構図が、本作でさらに洗練されていることが分かります。ルーブル美術館も、本作をフィレンツェ時代における「聖母子と幼い洗礼者ヨハネ」を描いた一連の探究を締めくくる作品として位置づけています。

なお、本作の依頼主や初期の来歴については確かなことが分かっていません。ルーブル美術館の記録では、フィレンツェの芸術愛好家「タッデオ・タッデイ」が所有していた可能性や、その後フランス国王フランソワ1世のコレクションに入った可能性が示されていますが、いずれも確定していません。

現在はルーブル美術館・ドゥノン翼1階のグランド・ギャラリーに展示されており、「モナ・リザ」などと合わせて鑑賞できるラファエロの代表作の一つです。

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聖体の論議

聖体の議論

制作年:1508年〜1511年所蔵:バチカン美術館

バチカン美術館の「ラファエロの間」の一つ「署名の間」で、「アテネの学堂」と向かい合う壁面を飾るフレスコ画の傑作が、この「聖体の議論」です。

「聖体の議論」という名称で広く知られていますが、バチカン美術館によれば、本来は「宗教の勝利」と呼ぶ方が作品の主題を正確に表しています。向かい側の「アテネの学堂」が哲学による「理性的な真理」を表すのに対し、本作はキリスト教の信仰による「超自然的な真理」=神学を表現した作品です。

画面は大きく天上界と地上界に分かれていますが、その中央を貫く縦のラインに「父なる神」「キリスト」「聖霊」、そして祭壇上の「聖体」が配置され、天と地を一つにつないでいます。

画面上部の天上界では、中央のキリストを挟んで聖母マリアと洗礼者聖ヨハネが座り、そのさらに上には父なる神、下には聖霊が描かれています。その周囲には、聖ペテロ、アダム、福音書記者ヨハネ、ダビデ、モーセ、アブラハム、聖パウロなど、旧約・新約聖書に登場する人物たちが半円を描くように並んでいます。

聖体の議論 三位一体と神

一方、画面下部の地上界では、聖体顕示台が置かれた祭壇を中心に、教会の聖人や神学者たちが集まっています。天上界の秩序だった静かな構成とは対照的に、地上では人物たちが本を開いたり、互いに身振りを交えたりする姿が描かれています。

祭壇に近い位置には、ラテン教会を代表する4人の教父「聖グレゴリウス1世」「聖ヒエロニムス」「聖アンブロシウス」「聖アウグスティヌス」が配置されています。中でも聖グレゴリウス1世は、本作を含む「署名の間」の装飾をラファエロに任せた教皇ユリウス2世の容貌で描かれています。

聖体の議論 聖グレゴリウス(モデルはユリウス2世)とシクトゥス4世

さらに地上界には実在した歴史上の人物も紛れ込んでいます。画面右側には教皇シクストゥス4世と、その背後に月桂冠をかぶった詩人ダンテ・アリギエーリ、左端には画家としても有名なフラ・アンジェリコの姿を確認できます。

鑑賞する際は、中央の「父なる神 → キリスト → 聖霊 → 聖体」という一直線の構図に注目してみてください。天上の神と地上の人間を「聖体」によって結びつけるという、本作全体のテーマが視覚的に表現されています。

なお「署名の間」は、もともと教皇ユリウス2世の図書室兼私的な書斎として使用された部屋です。「聖体の議論=神学」「アテネの学堂=哲学」「パルナッソス=詩」「枢要徳と対神徳、法=正義」という壁画群によって、ルネサンス期における人間の知と精神世界が部屋全体で表現されています。

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アテネの学堂

アテネの学堂

制作年:1509年〜1510年頃所蔵:バチカン美術館

ラファエロの作品の中でも最高傑作の一つに数えられる「アテネの学堂」は、バチカン美術館の「ラファエロの間」の一つ、「署名の間」を飾る巨大なフレスコ画です。ラファエロが教皇ユリウス2世に招かれてローマへ移った後、20代後半に手がけた作品です。

署名の間は、もともと教皇ユリウス2世の図書室兼私的な書斎として使用された部屋で、壁画と天井画によって「神学」「哲学」「詩」「正義」という人間の知と精神世界が表現されています。その中で「アテネの学堂」は「哲学」、つまり理性によって追究する真理を象徴する作品です。

向かい側の壁には、信仰による超自然的な真理を表した「聖体の議論」が描かれており、「哲学」と「神学」、「理性」と「信仰」が向かい合うように配置されています。

作中では、古代ギリシャ・ローマを代表する哲学者や数学者、科学者たちが、時代を超えて壮大な建築空間に一堂に会する場面が描かれています。

アテネの学堂 「プラトン」と「アリストテレス」

作品中央を歩く2人は、向かって左側が「プラトン」、右側が「アリストテレス」です。プラトンは著書「ティマイオス」を手にしながら指を天へ向け、アリストテレスは「ニコマコス倫理学」を持ちながら手のひらを地上へ向けています。

この対照的な仕草は、目に見える世界を超えた理念を重視したプラトンと、現実世界の観察や経験を重視したアリストテレスという、2人の哲学の違いを視覚的に表したものと見ることができます。なお、プラトンの顔にはレオナルド・ダ・ヴィンチの面影があるとする説が広く知られています。

背景に広がる壮大な建築空間にも注目です。バチカン美術館によれば、この建築は、建築家「ドナト・ブラマンテ」による旧サン・ピエトロ大聖堂の再建計画から着想を得たものです。巨大なアーチが幾重にも重なる空間と、中央へ向かって収束する遠近法によって、自然とプラトンとアリストテレスへ視線が導かれる構成になっています。

中央の2人以外にも、作中には古代を代表する人物が数多く登場します。画面左下で本に書き込みながら弟子たちに説明しているのが「ピタゴラス」、中央の階段に一人で横たわっている人物が「ディオゲネス」です。

また、画面中央下で大理石の台に寄りかかり、一人で紙に文字を書いている人物は「ヘラクレイトス」です。この人物には、当時すぐ近くのシスティーナ礼拝堂で天井画を制作していたミケランジェロの顔が用いられています。

画面右側には、弟子たちに身をかがめながら幾何学を教える「ユークリッド」、天球を持つ「ゾロアスター」、地球儀を持つ「プトレマイオス」なども描かれています。

そして画面右端、黒いベレー帽をかぶってこちらを見つめている若い人物が作者ラファエロ自身です。古代を代表する哲学者や学者たちの中に、自らの姿をさりげなく登場させています。

アテネの学堂内に描かれているラファエロ

実際に鑑賞する際は、中央のプラトンとアリストテレスだけでなく、ミケランジェロの姿を借りたヘラクレイトスや、右端に描かれたラファエロ本人も探してみてください。人物の正体を知ってから見ると、50人を超える人物が描かれた巨大なフレスコ画をより楽しむことができます。

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ドンマーゾ・インギラーミの肖像

トンマーゾ・インギラーミの肖像

制作年:1510年~1511年頃所蔵:パラティーナ美術館

本作のモデル「トンマーゾ・インギラーミ」は、1470年にヴォルテッラで生まれ、ロレンツォ・デ・メディチの庇護を受けた人文学者・文学者です。ローマでは人文学者「ポンポニオ・レート」のもとで学び、教皇から数々の要職を与えられ、1510年にはバチカン図書館長に任命されました。

ラファエロは、机に向かって執筆する途中のインギラーミを描いています。開かれた本を参照しながら右手にはペンを持ち、何かを考えるように視線を上へ向けています。単なる正面向きの肖像画ではなく、文学者として思索しながら仕事をする瞬間を切り取っているのが本作の大きな特徴です。

また、ラファエロはインギラーミの特徴であった斜視を隠すことなく描いています。顔の細かな皺や髭、あごの肉付き、紙の上に置かれた手なども写実的に表現されており、人物を過度に理想化しないラファエロの優れた肖像表現を見ることができます。

本作は「フェドラの肖像」とも呼ばれています。この呼び名は、インギラーミがセネカの悲劇「パイドラ(フェドラ)」で主役を演じたことから付けられた愛称に由来します。

現在はフィレンツェのピッティ宮殿内「パラティーナ美術館」に所蔵されています。なお、本作にはラファエロ自身によるものとされる別バージョンが存在し、アメリカ・ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館に所蔵されています。

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ユリウス2世の肖像

ユリウス2世の肖像

制作年:1511年所蔵:ロンドン ナショナルギャラリー

本作は、バチカン宮殿の「ラファエロの間」の装飾を依頼するなど、ラファエロの重要なパトロンだった教皇ユリウス2世を描いた肖像画です。ユリウス2世はルネサンス期を代表する芸術の庇護者で、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画を依頼し、ブラマンテにはサン・ピエトロ大聖堂の再建を命じた人物としても知られています。

ラファエロは、教皇を正面や真横から威厳たっぷりに描くのではなく、椅子に腰掛けた姿を斜めから捉え、物思いに沈むような表情で描いています。権力者としての姿だけでなく、年老いた一人の人間としての内面まで感じさせる点が、本作の大きな見どころです。

ユリウス2世が長い髭をたくわえているのも注目したいポイントです。教皇は1510年、フランス軍にボローニャを奪われた時期に髭を伸ばし始め、情勢が好転した1512年に剃ったとされています。この特徴などから、ロンドン・ナショナルギャラリーでは本作の制作年を1511年としています。

また、椅子の背もたれには金色のドングリが描かれています。これはユリウス2世の本名「ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ」の「ローヴェレ」がイタリア語で「オーク(樫)」を意味することに由来し、彼の家系を示すモチーフです。

この斜め向きの構図と、座った人物を近い距離から捉える表現は、その後の教皇肖像画に大きな影響を与えました。ティツィアーノやベラスケスをはじめとする後世の画家たちにも受け継がれ、約200年にわたって聖職者の肖像画における一つの模範となりました。

現在、ラファエロによるオリジナル作品と認められているのがロンドンのナショナルギャラリー所蔵版です。一方、フィレンツェのウフィツィ美術館にも非常によく似た作品がありますが、現在はラファエロの原作をもとに制作された16世紀の複製とされています。

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フォリーニョの聖母

ラファエロ作 フォリーニョの聖母

制作年:1511年〜1512年頃所蔵:バチカン美術館

本作は、ラファエロがローマで活躍していた1511年〜1512年頃に手掛けた大型祭壇画です。教皇ユリウス2世の秘書を務めた「シジズモンド・デイ・コンティ」の依頼により、ローマのサンタ・マリア・イン・アラコエリ聖堂のために制作されました。

画面上部では、黄金色の光と雲に包まれた聖母マリアと幼子イエスが天上に浮かび、下部には聖人と依頼者が配置されています。天上の聖母子と地上の人物たちを一つの画面の中で結びつけた、ラファエロの円熟期を代表する祭壇画の一つです。

画面右側で赤い衣服をまとって跪いている人物が、作品の依頼者「シジズモンド・デイ・コンティ」です。その背後に立ち、彼を聖母子へ紹介するように手を差し伸べているのが、シジズモンドの守護聖人「聖ヒエロニムス」です。

反対の左側には、毛皮をまとい聖母子を指差す「洗礼者ヨハネ」と、跪いてこちら側へ視線を向ける「聖フランチェスコ」が描かれています。さらに画面中央では、一人の天使が文字の書かれていない板を手にしています。

実際に鑑賞する際に注目したいのが、人物たちの間から見える背景の町と、その上空から落下するように描かれた謎めいた光です。隕石や火球など様々に解釈されてきた部分で、依頼者シジズモンドが何らかの危機から救われたことへの感謝を表しているとも考えられています。

「フォリーニョの聖母」という名称は、作品が後にシジズモンドの故郷であるフォリーニョのサンタンナ修道院へ移されたことに由来します。その後、ナポレオン時代にはフランスへ運ばれ、パリで板からキャンバスへ移し替えられました。ナポレオン失脚後の1816年にイタリアへ返還され、現在はバチカン美術館の絵画館に展示されています。

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婦人の肖像画(ラ・ヴェラータ)

婦人の肖像画(ラ・ヴェラータ)

制作年:1512年~1515年頃所蔵:パラティーナ美術館

「ラ・ヴェラータ」は、ラファエロがローマで活躍していた円熟期に描いた女性肖像画で、彼の肖像画における到達点の一つと評価される作品です。作名の「ヴェラータ」は、女性が頭に身につけているヴェールに由来しています。

実際に鑑賞する際にまず注目したいのが、画面手前に大きく描かれた白いシルクの袖です。複雑に折り重なる布のひだや、そこに当たる光まで驚くほど繊細に描き分けられており、豪華な衣装そのものが作品の主役と思えるほどの存在感を放っています。

一方、女性の顔は袖よりもわずかに奥に置かれ、暗い背景の中から柔らかな肌と深い色の瞳が浮かび上がっています。女性を斜め向きに配置し、片方の肩を後方へ引くことで奥行きを生み出す構図には、レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像表現からの影響も見ることができます。

本作のモデルが誰なのかは、現在も明確には分かっていません。16世紀の芸術家・伝記作家「ジョルジョ・ヴァザーリ」は、ラファエロが愛した女性を描いた肖像画であると伝えており、後に「ラ・フォルナリーナ」と呼ばれるマルゲリータ・ルーティと同一人物ではないかという説も唱えられてきました。

ただし、女性が頭にかぶるヴェールは当時の既婚女性を示すもので、豪華な衣装や宝飾品も身分の高い女性を思わせます。そのため現在では、ラファエロの恋人を描いた作品という説だけでなく、依頼を受けて描いた若い貴婦人の肖像画だった可能性も指摘されています。

右手を胸元に添える仕草は愛情や献身を表しているとも解釈され、表情、衣装、手の動きまでを組み合わせて女性の内面を感じさせる点も本作の大きな魅力です。

作品は17世紀にはフィレンツェの商人「マッテオ・ボッティ」の所有となっていたことが知られ、その後メディチ家のコレクションに入りました。現在はピッティ宮殿内の「パラティーナ美術館」に展示されています。

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システィーナの聖母

システィーナの聖母{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA

制作年:1512年〜1513年頃所蔵:アルテ・マイスター絵画館

本作は、北イタリアの都市ピアチェンツァにある「サン・シスト聖堂」のために、教皇ユリウス2世がラファエロに依頼した大型祭壇画です。ラファエロがローマで活躍した円熟期を代表する聖母子画の一つとして知られています。

絵画中央では、聖母マリアが幼子イエスを抱き、雲の上からこちら側へ歩み出してくるような姿で描かれています。左右には緑色のカーテンが大きく開き、まるで舞台の幕が開いて、その奥から聖母子が鑑賞者の前に現れたような劇的な構成になっています。

聖母子の左側で跪き、こちら側を指し示しているのが聖シクストゥス2世です。その足元には教皇を象徴する三重冠が置かれています。反対側で跪き、静かに視線を落としている女性は聖バルバラです。

さらに聖母の背後にも注目してみてください。一見すると淡い雲のように見えますが、よく見ると無数の天使の顔が浮かび上がっています。遠くから作品全体を見た後、近づいて細部を確認したいポイントの一つです。

そして、本作で聖母子と並ぶほど有名なのが、画面最下部で頬杖をつく2体の天使です。

現在ではこの2体だけが切り取られ、ポスターや絵葉書、雑貨などのモチーフとして世界中で使用されているため、ラファエロの作品とは知らずに目にしたことがある方も多いかもしれません。実際には、この巨大な祭壇画の最下部で聖母子を見上げる存在として描かれています。

天使が肘をついている下端部分は、作品の中の神聖な世界と、私たち鑑賞者がいる現実世界との境界のようにも見えます。カーテン、雲の上の聖母子、そして画面下端の2体の天使によって、鑑賞者自身が聖母の出現を目撃しているように感じられるのが、本作の大きな魅力です。

作品は1754年にザクセン選帝侯・ポーランド王アウグスト3世によって購入され、イタリアからドレスデンへ移されました。現在はドイツ・ドレスデンの「アルテ・マイスター絵画館」を代表する作品の一つとして展示されています。

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小椅子の聖母

小椅子の聖母

制作年:1513年~1514年頃所蔵:パラティーナ美術館

「小椅子の聖母」は、ラファエロがローマで活躍した円熟期に描いたトンド(円形画)形式の代表的な聖母子画です。イタリア語では「Madonna della Seggiola」と呼ばれ、作品名は聖母マリアが座っている特徴的な「小椅子(seggiola)」に由来しています。

作中では、聖母マリアが体をひねりながら、幼子イエスを両腕でしっかりと抱き寄せています。その右側には、幼い洗礼者ヨハネが祈るように両手を合わせています。

本作で特に注目したいのが、3人の人物を円形の画面いっぱいに収めた構図です。聖母の頭から肩、腕、幼子イエスの身体へと続くラインが円形の縁に沿うように配置され、限られた画面の中に3人が隙間なく収められています。

また、「ヒワの聖母」や「草原の聖母」のように広い風景の中へ聖母子を配置した作品とは異なり、本作では背景をほとんど描かず、聖母子を間近から捉えています。宗教画でありながら、母親が我が子を抱きしめる日常の一瞬を目にしているような親密さが感じられるのが大きな魅力です。

実際に鑑賞する際は、聖母マリアの衣装にも注目してみてください。頭を覆う縞模様のショールや色鮮やかな衣服、刺繍などが細かく描き込まれ、幼子イエスの柔らかな肌との対比も見どころです。

本作の依頼主や当初の設置場所については明らかになっていませんが、16世紀にはすでにフィレンツェのメディチ家のコレクションにあったことが確認されています。現在はフィレンツェのピッティ宮殿内「パラティーナ美術館」に展示されています。

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バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像

バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA

制作年:1514年〜1515年所蔵:ルーブル美術館

本作のモデル「バルダッサーレ・カスティリオーネ」は、ウルビーノ宮廷で活躍した外交官・作家・人文学者で、ラファエロとも親しい友人関係にあった人物です。後に出版された代表作「宮廷人(イル・コルテジャーノ)」では、教養や礼節、芸術への理解など、理想的な宮廷人に求められる資質を対話形式で描いています。

ラファエロはカスティリオーネを、豪華な装飾品や権力を示すモチーフとともに描くのではなく、灰色、黒、白を中心とした非常に落ち着いた色彩の中に表現しています。毛皮の柔らかな質感や衣服の細かな違いまで丁寧に描き分けられていますが、全体としては非常に控えめで上品な印象です。

特に印象的なのが、少し身体を斜めに向けながら、こちらを静かに見つめるカスティリオーネの表情です。威厳を誇示するというよりも、知性や穏やかな人柄、洗練された教養を感じさせる肖像画となっています。

両手を身体の前で自然に重ねる構図や人物の柔らかな立体表現には、ラファエロがフィレンツェ時代に研究したレオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画からの影響も見ることができます。一方で、より明瞭な輪郭と調和の取れた色彩には、ラファエロ独自の肖像表現が確立されています。

また、モデルと画家が親しい友人同士だったことも、本作を見る上で興味深いポイントです。単に社会的地位を示すための肖像ではなく、ラファエロがよく知る友人の人柄まで描き出そうとした作品として見ることができます。

本作は後世の画家にも高く評価され、肖像画の一つの模範となりました。現在はルーブル美術館のドゥノン翼1階に展示されており、ラファエロ円熟期を代表する肖像画として鑑賞できます。

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友人のいる自画像

友人のいる自画像{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA

制作年:1518年〜1520年頃所蔵:ルーブル美術館

本作は、ラファエロ晩年に描かれた肖像画で、画面に向かって左奥に描かれているのがラファエロ自身です。手前には黒い衣服をまとった男性が大きく描かれていますが、この人物が誰であるかは現在も特定されていません。

手前の男性については、ラファエロの弟子として活躍した「ジュリオ・ロマーノ」をはじめ、ラファエロと親交のあった人物など複数の説がありますが、いずれも決定的な証拠はありません。

鑑賞時に注目したいのが、2人の人物の視線と手の動きです。手前の男性はこちら側を振り返り、ラファエロはその肩に親しげに手を置いています。さらに手前の男性はラファエロの方を指し示しており、2人の間に親密な関係があったことを感じさせます。

また、黒を基調とした衣服と暗い背景によって人物の顔や手が際立ち、派手な装飾に頼らず、2人の関係性そのものを印象的に見せているのも本作の大きな魅力です。

本作はフランス王室のコレクションに加わり、現在はルーブル美術館に所蔵されています。かつては別の画家の作品と考えられた時期もありましたが、現在はラファエロの作品として扱われています。

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キリストの変容

キリストの変容

制作年:1516年~1520年所蔵:バチカン美術館

「キリストの変容」は、ラファエロが生涯の最後に手掛けた作品で、バチカン美術館の絵画館「ピナコテカ」を代表する傑作です。作品は上下で大きく二つの場面に分けられ、新約聖書「マタイによる福音書」に記された連続する二つのエピソードが描かれています。

画面上部では、山上でキリストの姿が光り輝き、その左右に旧約聖書の預言者「モーセ」と「エリヤ」が現れる「キリストの変容」の場面が描かれています。その下では、突然の出来事を目の当たりにした使徒たちが驚き、地面に身を伏せています。

一方、画面下部に描かれているのは、悪霊に取り憑かれた少年と、その少年をキリストの弟子たちのもとへ連れてきた人々です。弟子たちだけでは少年を救うことができず、この後、山から戻ってきたキリストによって少年は癒されます。

鑑賞する際は、静かで神聖な上部と、激しい身振りや表情が交錯する下部の対比に注目してみてください。光に包まれて浮かび上がるキリストと、暗闇の中で救いを求める人々を一枚の画面に配置することで、天上と地上、神聖と混乱が劇的に表現されています。

本作は、後に教皇クレメンス7世となる枢機卿「ジュリオ・デ・メディチ」が、自身が司教を務めていた南フランス・ナルボンヌのサン・ジュスト大聖堂のためにラファエロへ依頼した祭壇画です。同時にセバスティアーノ・デル・ピオンボにも「ラザロの復活」が依頼され、両作品は競い合うように制作されました。

しかし、作品が完成に近づいた1520年4月6日、ラファエロは37歳でこの世を去ります。結果として「キリストの変容」はラファエロ最後の作品となり、完成後もナルボンヌへ送られることなくローマに残されました。

その後、1797年にフランスへ運ばれてパリで展示されましたが、ナポレオン失脚後の1816年にローマへ返還されました。現在はバチカン美術館のピナコテカに展示されています。

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