システィーナ礼拝堂を徹底解説 – 天井画、壁画、歴史年表
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バチカン市国本記事では「システィーナ礼拝堂」の天井画や壁画の見どころ、歴史年表、見学情報などについて詳しく解説いたします。システィーナ礼拝堂を詳しく知りたい方や観光をお考えの方に役立つ情報が満載です。
システィーナ礼拝堂とは
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システィーナ礼拝堂とは?
システィーナ礼拝堂は、バチカン市国内にある観光スポット「バチカン美術館」に隣接する礼拝堂です。
元々この礼拝堂は、教皇の宮殿に相応しい新たな礼拝堂として、防衛の役割を兼ねて造られました。
現在は、新しい教皇を選出する選挙「コンクラーべ」や教皇の戴冠式行う場として利用されているほか、一般観光客にも観光スポットとして開放されています。
また、システィーナ礼拝堂という名は、この礼拝堂の生みの親で、ルネサンス期のローマ教皇「シクストゥス4世」の名に因んで名付けられたものです。
いつどの様に建造されたのか?
15世紀後半のローマ教皇「シクストゥス4世」の命で、フィレンツェの建築家「ジョヴァンニーノ・デ・ドルチ」が、「バッジョ・ポンテッリ」の設計を元に、1477年から1480年(1475年〜1481年という説も)にかけて建造しました。
完成の際は「献堂式」が盛大に行われ、礼拝堂は「被昇天の聖母」に捧げられました。参考までに献堂式とは、新築の礼拝堂などを神にささげる儀式の事です。
システィーナ礼拝堂の大きさは?
ソロモンの神殿と同じ大きさに設計されたと言われる礼拝堂の大きさは、奥行40m、幅約13m、高さ20mあります。
システィーナ礼拝堂の見どころは?
システィーナ礼拝堂の最大の見どころは、世界美術史上でも屈指の名作とされるミケランジェロ作の天井画「天地創造」と壁画「最後の審判」の2作品です。更に左右の壁面には、イタリア ルネサンス期を代表する画家「ペルジーノ」「ボッティチェッリ」「ギルランダイオ」らが手がけた12枚の壁画(フレスコ画)も描かれています。
堂内で天井画や壁画はどの様に配置されていますか?
百聞は一見にしかずです。礼拝堂内の装飾位置を示した下画像をご覧ください。
「最後の審判」が描かれているのが、礼拝堂の最後部で西側になります。そして、天井一面に描かれているのが「天地創造」です。
天地創造の天井画
システィーナ礼拝堂見学の見どころの一つである「天地創造」は、若き33歳の彫刻家「ミケランジェロ」が、ローマ教皇「ユリウス2世」の命で描いた天井画です。それ以前の天井には、当時としては典型的な天井装飾である星空が描かれているだけでした。
彫刻家が本領のミケランジェロはこの作品制作に乗り気ではなかったものの、ローマ教皇の命令には逆らえず、1508年より天井画の制作に取りかかりました。
作業は、足場構築の問題で「ブラマンテ」と意見が対立したり、1年ほど中断するなど、決して順調とは言えませんでした。また、ミケランジェロは天井と平行に寝そべるのではなく、立ってやや後ろに反る様な体勢で本作を描きました。この作業を数年間行う訳ですから、かなりの重労働だったことは想像に難くありません。足場から落下して足を怪我した事もあったそうです。
そして、制作開始から4年半後の1512年11月、度重なる困難を乗り換えてミケランジェロは天井画を完成させました。当初雇った6人の助手は技量不足により解雇となっていたため、ミケランジェロは実質ほぼ一人で本作を完成させました。
実際の見学時と同じ下から見上げるアングルで、天井画を再度じっくりとご覧ください。
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創世記の9つの物語
総面積1000㎡近くあるこの天井画の中央には、旧約聖書を題材にした創世記の9つの物語が約300の登場人物と共に描かれています。
物語は大きく3つのグループに分類され、天地創造関連が3つ、アダム関連が3つ、ノア関連が3つとなっています。
※下画像は横にスワイプすると全体を表示できます。
「① 光と闇の分離」 「② 太陽と月の創造」 「③ 地と水の分離」 「④ アダムの創造」 「⑤ エヴァの創造」 「⑥ 原罪と楽園追放」 「⑦ ノアの燔祭(はんさい) 」 「⑧ 大洪水」 「⑨ ノアの泥水」
各天井画のシーンは「最後の審判」側に描かれている「① 光と闇の分離」から、反対側の「⑨ ノアの泥水 」の場面に向かって展開されていきます。
ただし、ミケランジェロは物語の時系列とは逆方向(入口から祭壇方向)に、ノア関連の場面から作品を仕上げていきました。そのため、まだ作業に慣れていなかった初期の「大洪水」や「ノアの泥水」などは、やや人物描写の完成度が低いと言われています。
以下、創世記の9つの物語の場面解説です。
① 光と闇の分離
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天地創造の最初のエピソードである「光と闇の分離」では、画面中央で桃色の衣服をまとった創造主が、白い光と黒い闇を分ける姿が描かれています。四隅には、異なるポーズをとる四人の裸体像も描かれています。近年の修復で、ミケランジェロはこの場面を一日で仕上げた事が分かりました。
② 太陽と月の創造
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本作は左右で異なる二場面が描かれています。右手側では創造主が太陽と青白い月を創出する姿が、左手側では後ろ向きの創造主が地上に植物を与える姿が表現されています。
③ 地と水の分離
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創造主が陸地と水を分離するために、左手を前方に突き出し、何かを払う様な動作をしています。3体の天使と弧を描く様に広がるマントが人物に躍動感を与えています。
④ アダムの創造
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天地創造の9つの物語の中で最も有名なのがこの「アダムの創造」です。向かって右側には神の姿が、左側にはアダムの姿が描かれ、左手を伸ばして横たわるアダムに神が生命を吹き込もうとする瞬間を絶妙な描写で表現しています。絵からは一瞬の緊張感が伝わってきます。
⑤ エヴァの創造
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画面右側の創造主が鋭い眼差しで右手に力を集中し、イヴが誕生する瞬間が描かれています。画面左側で眠るのは先に誕生した「アダム」です。また、左手側に見える切られた木は十字架を暗示しています。
⑥ 原罪と楽園追放
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本作は左右で2つのシーンを描いているのが特徴です。左側では、人間の形をした悪魔のヘビが木に巻き付きながらアダムとイブを誘惑する姿が、右側では、禁断の果実に手をだしたアダムとイブが楽園を追放される姿が描かれています。
⑦ ノアの燔祭(はんさい)
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大洪水の後、神への献身として、ノアと家族が祭壇に生贄を捧げる場面が表現されています。中央に立つ老人がノアで、生贄となる二匹の羊と馬、牛の姿も描かれています。
⑧ 大洪水
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大洪水の場面を描いた本作では60体もの人物が描かれています。画面右側には、洪水で生き残った人々が天幕に避難する姿が、中央ではノアに助けられて箱舟に乗り込む人々の姿が描かれています。
⑨ ノアの泥酔
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二分割された画面左側では、農夫となったノアが葡萄を植える姿が、右側では自ら酒造した葡萄酒で酔いつぶれる裸のノアが描かれています。側にいるノアの三人の息子「カナン」「セム」「ヤペテ」は、目を背けながら父に着物を着せようとしています。ただし、実際の聖書の記述では「カナン」だけが、ノアに敬意を払わなかったために呪われたとされています。
7人の預言者と5人の巫女
中央の天地創造の9場面を囲む各三角形(ペンナッキオ)の間には、聖書に登場する預言者7人と異教の5人の巫女が描かれています。下画像の黄色で塗りつぶした12カ所の部分がそれに該当します。
※下画像は横にスワイプすると全体を表示できます。
「① デルフォイの巫女」 「② 預言者イザヤ」 「③ クマエの巫女」 「④ 預言者ダニエル」 「⑤ リビアの巫女」 「⑥ 預言者ヨナ」 「⑦ 預言者エレミア」 「⑧ ペルシアの巫女」 「⑨ 預言者エゼキエル」 「⑩ エレトリアの巫女」 「⑪ 預言者ヨエル」 「⑫ 預言者ザカリア」
以下、①〜⑫までの預言者と巫女の解説です。
① デルフォイの巫女
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このグループで最初に描かれた傑作「デルフォイの巫女」は、太陽神アポロンの声を聞き、人々に預言を伝えたとされる巫女です。作中では、書物を手にアポロンの突然の啓示に聞き入る巫女の姿が描かれています。
② 預言者イザヤ
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旧約聖書で最大の預言者の1人とされる「イザヤ」は、ユダヤ人の救世主となるキリストの誕生を最初に予言したとされています。作中では、落ち着きながら穏やかな表情でプットー(天使)と会話をする姿が表現されています。
③ クマエの巫女
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ローマ神話に登場するクマエの巫女は、1000年の命と予言の才をアポロンより与えられますが、若さを保てる様に願わなかったため、年老いていったとされています。本作も神話にならってクマエの顔はしわだらけの老婆として描かれていますが、体は彫刻家ミケランジェロらしく、筋肉隆々で表現されています。
④ 預言者ダニエル
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プットー(天使)が支え持つ書を右手で書き写す預言者ダニエル。ダニエルはヘブライ語で「神は私の裁判官である」という意味があります。
⑤ リビアの巫女
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デルフォイの巫女の2年後に描かれたリビアの巫女には、彫刻家ミケランジェロが得意とした複雑な筋肉の動きが見事に表現されています。書物を手にしながら、体をねじる様に振り返る巫女の動作が何を意味するのかは分かっていません。
⑥ 預言者ヨナ
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聖書のヨナ書によれば、海に放り込まれた「ヨナ」は巨大な魚にのまれ、3日3晩、腹の中で祈ったとされています。ヨナの左足付近で巨大な魚が口を開けているのはそのためです。
⑦ 預言者エレミア
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ミケランジェロ自身をモデルにしたと言われる預言者エレミアには、この天井画製作に乗り気でなかった彼の憂鬱さが表現されています。
⑧ ペルシアの巫女
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ペルシアの巫女は、マケドニアのアレクサンドロス大王の偉業を予言したと言われています。作中では、やや老齢の女性像で描かれていますが、この巫女に関する確かな記録はほとんど残っておらず、ヘブライ、バビロニア、エジプトの巫女などと同一視されます。
⑨ 預言者エゼキエル
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イスラエルの民に神の言葉を伝える召命を授かった「預言者エゼキエル」が、驚き戸惑う様な姿で表現されています。頭部には、シリア風のターバンを身につけ、左手には預言の巻物を手にしています。
⑩ エレトリアの巫女
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エレトリアの巫女の名は、エーゲ海に面するイオニアの都市エリトリアで、アポロンの神託を伝えていた事からその様に名付けられています。巫女の後ろでは、プットー(天使)がランプに火を灯そうとしています。⑪ 預言者ヨエル
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羊革紙文章を読む預言者ヨエルは、サンピエロ大聖堂の設計を手がけたブラマンテがモデルと言われています。ミケランジェロと対立関係にあったブラマンテを敢えてモデルとして描いている理由は定かではありませんが、大変興味深い部分です。
⑫ 預言者ザカリア
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考え深げに本をめくる預言者ザカリア。ルカ伝の福音書によれば、キリストに洗礼を施したヨハネの父がザカリアであるとされています。
最後の審判の壁画
ミケランジェロ作(1536年~1541年)
バチカン美術館で最大の見どころが、システィーナ礼拝堂の祭壇側の壁に描かれた「最後の審判」です。
「最後の審判」は、既に同礼拝堂の天井画「天地創造」を完成させ、その名声をとどろかせていた「ミケランジェロ」が16世紀に手がけた作品です。
ミケランジェロが天井画の製作依頼を受けたのは、1533年の教皇クレメンス7世の時代でしたが、実際に制作を開始したのは、1536年の教皇パウルス3世の時代でした。
当時61歳のミケランジェロは、5年の歳月をかけ、この大作をほぼ一人で完成させました。完成後、裸体の表現が時代の道徳観にそぐわないなど、一時は取り外しも検討されましたが、他の画家達が部分的に布を書き足す事でその問題はクリアされました。
最後の審判の大きさは、縦1370cm、横1220cm、その内容は「新約聖書」やダンテの「神曲」に基づいて表現されています。簡単に言うと、人間は生前の行いの善悪によって、この世の終わりに再臨したキリストの裁きを受け、天国か地獄に送られるというものです。
作中に登場する人物は約400名ほど、中央上部で光を背負うのが「イエス・キリスト」です。
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本作でのキリストは髭もなく、たくましい肉体を備えた若々しい姿で描かれており、これまでの典型的なキリストのイメージを覆す挑戦的なものでした。キリストの左側の女性は「聖母マリア」で、他にも聖人、預言者、使徒、殉教者などが審判側で描かれています。
イエスの右手側で金と銀のカギを持つのが「聖ペテロ」、聖母マリアの下でハシゴを持つのが「聖ラウレンティウス」、その下で剥がされた自分の皮を持つのが「聖バルトロメオ」です。聖バルトロメオは生前に皮剥ぎの刑で殉教したとされる聖人です。剥いだ皮の顔は「ミケランジェロ」自身だと言われていますが結論は出ていません。
続いて、絵画中段のやや下あたりを見てみると、小さな本を持つ「大天使ミカエル」が描かれています。
ミカエルが持つ小さな本には、救われて天国に行く者たちが記され、右手の天使が持っている大きな本には地獄に堕ちる者たちがリストアップされているそうです。地獄行きリストの方が圧倒的に分厚いですね。
絵画の下方では、神曲の中で三途の川の渡し守として登場する「カロン」が、船から人々を地獄に押し出しています。
絵画の一番右端に描かれているのは、地獄の審判人「ミノス」です。ミノスのモデルはミケランジェロの絵を愚弄した教皇の儀典長「ビアージョ・ダ・チェゼーナ」だと言われています。ミケランジェロは、復讐を兼ねてチェゼーナを地獄の審判人として描いたそうです。まさに後世に残る復讐法と言えます。
モーゼとキリストの12枚の壁画
システィーナ礼拝堂の左右中段の壁面には「新約聖書」と「旧約聖書」を題材にした「12枚の壁画(フレスコ画)」が描かれています。
礼拝堂内でも最初期の芸術作品にあたるこれらのフレスコ画は、システィーナ礼拝堂が完成した翌年の1481年から1483年にかけて製作されたものです。
フレスコ画の製作には、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ギルランダイオなど、15世紀のイタリアを代表する芸術家たちが数多く携わっています。同時期の偉大な画家「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は、この壁画製作プロジェクト選考に漏れ、大きく落胆したと言われています。
ボッティチェッリとペルジーノはレオナルドと同じヴェッロキオ工房出身の兄弟弟子であったため、落選のショックはかなりのものであったに違いありません。
旧約聖書 - モーゼの生涯
まずは、最後の審判に向かって左側、旧約聖書のモーゼの生涯を描いた6枚のフレスコ画からご紹介します。
新約聖書 - イエスの生涯
最後の審判に向かって右側の壁面は、新約聖書のイエスの生涯を描いた6枚のフレスコ画で飾られています。
壁画は上でご紹介した12枚の他に、旧約聖書と新約聖書の開始エピソードにあたる「拾われるモーゼ」と「キリストの生誕」も描かれていましたが、現在の最後の審判がある壁面側(西側)に描かれていたため、ミケランジェロによって塗りつぶされてしまいました。
また、現在その対面側(東側)には、旧約聖書と新約聖書の最終エピソードにあたる「モーゼの遺体を巡る論争」と「キリストの復活」も描かれていますが、この2作は後年の1571〜1572年頃に新たに描き直されたものです。これは16世紀に建物に亀裂が入った際に、元々そこに描かれていた壁画が取り返しのつかないダメージを受けたためです。
システィーナ礼拝堂の歴史年表
- 1357年頃:
ウルバヌス5世時代にシスティーナ礼拝堂の建物が完成 - 1477年:
シクトゥス4世の命によりシスティーナ礼拝堂の改築工事が開始 - 1480年頃:
礼拝堂の改修工事が終了。ペルジーノが最初の壁画製作を開始。 - 1481年:
ペルジーノにポッティチェッリやギルランダイオらが加わり、残り10点の壁画製作を開始。 - 1483年:
壁画が完成。同年8月9日にシクトゥス4世がシスティーナ礼拝堂で教皇即位の周年祭を挙行。 - 1504年5月:
礼拝堂の建物が傾斜し天井に亀裂が入る - 1504年夏:
レンガで亀裂を修復 - 1506年5月:
教皇ユリウス2世が、新たな天井画製作をミケランジェロに依頼する意向を表明 - 1508年5月:
天井画製作用の足場構築が完了 - 1508年夏:
ミケランジェロが天井画「天地創造」の製作を開始 - 1512年10月12日:
天井画「天地創造」が完成 - 1533年:
クレメンス7世がミケランジェロに壁画「最後の審判」を依頼 - 1536年:
ミケランジェロが「最後の審判」の製作を開始 - 1541年10月:
壁画「最後の審判」が完成 - 1564年2月18日:
ミケランジェロ死去 - 1980年:
ミケランジェロの天井画「天地創造」の洗浄・修復作業が開始 - 1989年:
「天地創造」の洗浄・修復作業が完了 - 1990年:
ミケランジェロの壁画「最後の審判」の洗浄・修復作業が開始 - 1994年:
「最後の審判」の洗浄・修復作業が完了
システィーナ礼拝堂の見学について
システィーナ礼拝堂の見学は誰でも可能ですか?
はい、国籍を問わず誰でも見学可能です。
どうすれば、システィーナ礼拝堂を見学できますか?
システィーナ礼拝堂の入場は、バチカン美術館の入場チケットの見学範囲に含まれています。バチカン美術館入場後に順路に沿って見学して行くと、見学の後半に「システィーナ礼拝堂」に入場できる様になっています。つまり、チケットを購入してバチカン美術館に入場すれば、システィーナ礼拝堂も見学できるという事です。逆に、バチカン美術館に入場せずに、システィーナ礼拝堂だけを見学する事はできません。
チケットの事前予約は必要ですか?
チケットは当日にバチカン美術館で購入できるので予約は必須ではありません。ただし、バチカン美術館はローマやバチカン市国の中でも屈指の人気観光スポットです。ピークシーズンなどは2時間待ちという事も普通にあり得ますので、日時指定の上で、チケットを事前にオンライン予約しておくのが基本です。
システィーナ礼拝堂の観光情報
システィーナ礼拝堂とバチカン美術館の見学はセットになっているので、営業時間や休館日なども全て同じになります。
営業時間 |
毎年初夏の時期などは営業時間が延長になる期間があります。 |
---|---|
休館日 | 毎週日曜(毎月最終日曜は除く)、その他特別日など |
チケット料金 |
料金にはバチカン美術館とシスティーナ礼拝堂の入場が含まれています。 |
見学方法 | 自由見学・ツアー見学(共に可能) |
バチカン美術館からシスティーナ礼拝堂へのアクセス
システィーナ礼拝堂は、厳密にはバチカン美術館とは別施設ですが、バチカン美術館内の一部と考えてしまった方が混乱しないと思います。
システィーナ礼拝堂の見学は、バチカン美術館に入場後、美術館内の見学セクションを何箇所か通過した後半になります。まずは以下のバチカン美術館の地図にて、おおよそのイメージをつかんでください。
「システィーナ礼拝堂」への王道ルートは「ラファエロの間」を見学後に階段を降りてアクセスする方法です。もしくは「地図のギャラリー」を見学後にルートを短縮してアクセスする方法です。
ほとんどの方が、上記のいずれかの方法で「システィーナ礼拝堂」にアクセスする形となります。注意点として、バチカン美術館の展示室は大小含めると1,000以上あり、それらの展示室を結ぶ通路は7km以上にも及びます。バチカン美術館に入場してから「システィーナ礼拝堂」にたどり着くまでは、どんなに急いでも最低30分はかかると思います。
観光客用のシスティーナ礼拝堂の入口は「最後の審判」が描かれている壁画側になります。
つまり、観光客の方は「最後の審判」を背にして礼拝堂に入場してくる形になります。また参考までに、教皇などが礼拝堂に入場する際は、真逆側にある正規の入口(上写真手前側)から入場する形となります。
バチカン美術館へのアクセス方法や回り方について詳しく知りたい方は、以下の記事などを参考にしてください。
お勧めのチケット予約方法
システィーナ礼拝堂を見学するのに必要な「入場チケット」は「バチカン美術館の公式チケット販売サイト(英語)」経由での予約(購入)が基本となりますが、オプショナルツアー会社が提供しているページを利用すると、日本語ページからチケット予約をする事も可能です。
以下、GET YOUR GIDE という会社が提供しているチケット予約ページをご紹介いたします。
正規料金にプラスで9€の手数料がかかりますが、日本語のページから、公式サイトよりも簡単な手順でバチカン美術館の予約を完了できます。予約完了後はメールに添付されてくるPDFファイルをそのまま入場チケットとして利用できます。PDFファイルのチケットは印刷して持参しても、スマートフォンやタブレットにダウンロードして画面上で提示してもOKです。
サン・ピエトロ大聖堂への秘密の近道について
「システィーナ礼拝堂」には、「サン・ピエトロ大聖堂」の行列をスキップして直接大聖堂内にアクセスできる「秘密の近道」があります。
ただし、この「秘密の近道」と呼ばれるルートは「団体客専用」となるため、一般の個人旅行者は利用不可です。
他方で、当サイトでも初めて個人旅行でバチカン市国を訪れた際に、知らず知らずにこのルートを通って「サン・ピエトロ大聖堂」を見学した経験がございます。また、多くの個人ブログでも、この「秘密の近道」を通って「サン・ピエトロ大聖堂」にアクセスできたという内容を目にします。
何故「団体客専用のルート」にも関わらず、多くの個人旅行客が「秘密の近道」を利用できて、情報が錯綜しているかと言いますと、単純に【係員のチェックが適当だから】です。係員も一人一人が団体客か個人客であるかを詳細にチェックしている訳ではありません。
加えて、システィーナ礼拝堂の人混みは半端ではありませんので、どこかの団体客の中に紛れてしまえば、結構あっさりと「秘密の近道」を利用して、システィーナ礼拝堂から「サン・ピエトロ大聖堂」までアクセスできてしまいます。
本情報の確証を得るため、敢えて2022年と2023年に団体客に紛れずに「秘密のルート」を利用しようとしましたが、思いっきり静止されました。正式なルール上では、個人の「秘密の近道」の利用は不可となります。
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