受胎告知(レオナルド・ダ・ヴィンチ作)の絵画を徹底解説
本記事ではレオナルド・ダ・ヴィンチの油彩画『受胎告知』を徹底解説致します。作品紹介や特徴はもちろん、構図や風景の考察、来歴、見学情報まで幅広くご紹介致します。
受胎告知とは
レオナルド・ダ・ヴィンチ作「受胎告知」とは何かをQ&A形式でご紹介致します。
受胎告知とは?
「受胎告知」は、新約聖書に記されたエピソードの1つです。
新約聖書とは、キリスト教の教義となる書物(聖典)で、イエス・キリストの生涯にまつわるエピソードが記されています。また、本作品の様に、聖書にまつわる場面を描いた絵画を「宗教画」と言います。
14世紀〜16世紀頃のヨーロッパでは、多くの画家が、『受胎告知』をテーマに作品を残しています。同テーマの作品は欧州だけでも、裕に百点以上は存在しています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知とは?
レオナルド・ダ・ヴィンチ作の『受胎告知』は、彼がまだ20歳前後の頃に手掛けた作品です。恐らく、世界で最も有名な『受胎告知』の油彩画と言っても過言ではありません。
本作は、実質的に彼のプロデビュー作品であったため、技術的に未熟な点もいくつか見受けられます。しかし、詳細な風景描写や衣服の質感など、非凡な才能も随所に発揮されています。
本作を手掛けた頃のレオナルドは、師匠の「デル・ヴェロッキオ」の下で修行中の身でしたが、既に絵画の実力では師匠を越えていたと言われています。
具体的な絵画の特徴などに関しては、本記事内で順を追って解説していきます。
絵画の大きさはどのくらい?
縦90cm、横222cmとかなり横長の絵画になります。壁画を除けば、レオナルドが生涯で描いた中では、最も大きな絵画です。
いつ誰の依頼で描かれたのか?
本作に関する詳細な記録は残っていませんが、1472年ごろに「レオナルド」が制作し、フィレンツェ近郊のモンテオリヴェートにある「サン・バルトロマイ修道院」に、15世紀頃から1867年まで飾れていた事だけは確かです。
現在はどこに展示されているのか?
イタリアが誇る芸術の街「フィレンツェ」の「ウフィツィ美術館」に常設作品として展示されています。令和現在も入場チケットさえ購入すれば、誰でも鑑賞が可能となっています。
ただし、ウフィツィ美術館はフィレンツェの人気スポットであるため、事前のオンラインチケット予約は必須と言えます。
受胎告知(レオナルド・ダ・ヴィンチ作 )の基本情報
製作者 | レオナルド・ダ・ヴィンチ |
---|---|
制作年 | 1472~1475年頃 |
所在地 | イタリア フィレンツェ |
展示場所 | ウフィツィ美術館の3階(展示室35) |
作品形態 | 油彩、板 |
大きさ | 縦98cm × 横217cm |
依頼主 | 不明(恐らくサン・バルトロマイ修道院) |
公式HP(英語) | https://www.uffizi.it/en/artworks/annunciation |
受胎告知の場面解説
新約聖書の「ルカによる福音書(1章・26-38節)」に記された物語『受胎告知』は、エルサレムの北、貧しいガレリヤ地方の「ナザレ」と言う村が舞台です。
3月25日(フィレンツェ暦の正月)のある時、「聖母マリア」が庭の一角で聖書を読んでいると、突如、立派な翼を携えた「大天使ガブリエル」が舞い降りてきます。
大天使は膝まずくと、マリアが神の子を身籠った事、その子が男の子である事、更に名を「イエス」と名づけよと告げます。もちろん、この男の子は「イエス・キリスト」の事です。
男性との交わりがなかったマリアは、突然の受胎(妊娠)に一瞬戸惑いますが、徐々に全てを理解し受け入れます。神の恵みにより精霊が下り、わが身に子を宿した(受肉した)のだと。
この『受胎告知』と呼ばれるシーンは、絵画テーマーとしては非常にポピュラーで、多くの画家が、様々な姿でマリアと大天使の姿を描いています。
描かれる場所も「庭園」「教会」「マリアの部屋」など、画家によって様々です。
レオナルドの『受胎告知』の特徴
それでは、レオナルドの『受胎告知』を見ていきます。
若干20歳だったレオナルドは、場面展開の時刻を夜明け頃に設定。向かって左手側に「マリア」を、右手側に「大天使ガブリエル」を配する伝統的構図に従っています。
受胎(妊娠)を告げる「大天使ガブリエル」は、フィレンツェの紋章でもあり、けがれのない処女を象徴する「白ゆり」を左手に持っています。
大天使は右手の指を2本立てていますが、これは祝福を表すポーズです。足元には、春(3月頃)の植物であるチューリップ、ヒナギク、ヒエンソウなどが詳細に描かれています。
一方、お告げを受け入れる「聖母マリア」の右手は、書見台上にある「イザヤ書(旧約聖書)」の上に置かれ、左手は、突然の告知に対する驚きを表現しています。
マリアの後方には、キリストを象徴する石積みの建物が立ち、奥の空間には、赤い布のかかったベッドの様な家具が見えます。
この赤色は、イエス・キリストが将来の磔刑(十字架刑)によって流すであろう、贖罪の血の色を暗示しているそうです。
以下より、本作を更に深掘りしていきます。
説明じみた大袈裟なポーズを排除
レオナルドは自身の絵画論で『受胎告知』の「説明じみた大袈裟なポーズ」に対して、かなり否定な言葉を残しています。では「説明じみた大袈裟なポーズ」とは、どの様な表現かを、レオナルド以外の『受胎告知』でご覧ください。
受胎告知(ロレンツォ・ロット作- 1525年頃)
受胎告知(パオロ・ヴェロネーゼ作- 1555年頃)
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受胎告知(サンドロ・ボッティチェッリ作 - 1489-1490年)
続いてこちらはレオナルドの『受胎告知』です。
如何でしょうか。レオナルドのそれと比べると、最初にご紹介した3点の『受胎告知』の登場人物は、ポーズがどこか大げさで演劇じみてないでしょうか。
レオナルドは、自身の絵画論 35章の中で『受胎告知』の荒々しく大袈裟なポーズを酷評しています。
14〜16世紀頃の全ての『受胎告知』で、大げさなポーズが採用されている訳ではありませんが、この様なわざとらしさを嫌ったレオナルドは、聖母マリアを厳粛で堂々とした雰囲気で描きました。
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レオナルド版では、マリアの感情の驚きが、左手のポーズだけでシンプルに表現されています。
目に見えるものだけをリアルに描く
14世紀〜16世紀の多くの『受胎告知』では、「聖なる光」「聖なる鳩」「神なる存在」「言語の可視化」など、実際は目に見えないものが、作中に定番的に描かれています。以下にその典型的な例をいくつかご紹介致します。
受胎告知(ジョバンニ・デル・ビオンド作 - 1380〜1385年)
受胎告知(アレッシオ・バルドヴィネッティ作 - 1447年頃)
受胎告知(作者不詳 - 14世紀ごろ)
受胎告知(クラウディオ・コエーリョ作 - 1668年)
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続いて、レオナルドの『受胎告知』をご覧ください。実際に目に見えない「聖なる光」や「聖なる鳩」などは、一切描かれていません。
これは、例え神物であっても、実際に目に見えないものは描かないと言う、レオナルドのリアリズム精神に基づいて表現されています。唯一、頭上の「光輪」だけは描かれていますが、彼のキャリア中期以降では、この「光輪」さえも描かなくなっていきます。当時、聖なるものを描く際に「光輪」を描くのは、暗黙の約束事の様なものでした。
突き詰めて考えると、「神」や「天使」自体が目に見ない存在ではありますが、「神」や「天使」も、現実に見える存在として、レオナルドは究極まで写実性を追求して描きました。
本作で描かれている大天使ガブリエルの「翼」なども、写実性追求の分かり易い例の一つです。
上がレオナルドが描いた「大天使ガブリエルの翼」で、下は他の画家が描いた「大天使ガブリエルの翼」です。違いは一目瞭然かと思います。
レオナルドは、実際に天使が飛べる様にするには、鳥の翼が必要と考えました。恐らく鷹を参考にこの翼を描いています。
本作は、レオナルドの実質的デビュー作であるため、天使の体に対する「翼」のアンバランスさがしばし指摘されます。
しかし、仮に航空学と解剖学を学んだ円熟期のレオナルドが翼を描いていれば、とてつもなくリアルな描写になっていたに違いありません。
残念ながら、これ以降の現存するレオナルド作品では、神や聖人に翼は描かれていません。
誰も真似できない詳細な描写
『受胎告知』だけでなく、彼の作品全てに言える事ですが、通常はそこまで書き込まないであろう箇所も、レオナルドは細部まで詳細に描いています。
例えば、本作の「白ゆり」「衣服のひだ」「書見台の浮き彫り彫刻」などはその最たる例です。
白ゆり
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花の水分や養分を運ぶ「花脈(かみゃく)」まで、丁寧に描かれています。レオナルドが描く全ての植物には、彼が幼少期に培った自然に対する観察眼が存分に発揮されています。
下は、本作用に描いたと思われるレオナルドの習作で、現在は「ロンドン ウインザー城王室図書館」に所蔵されています。
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レオナルドは、絵画作品一点を描くにあたり、全体、部分を問わず、入念にデッサンを繰り返していました。こういったレオナルドの素描は、現存するだけで、約600枚も残されています。
衣服のひだ
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レオナルドが描く「衣服のひだ」からは、生身の肉体の存在感だけでなく、体温まで伝わってくる様です。
下は、本作用にレオナルドが描いたと思われる習作です。もはや写真と見間違うほどのクオリティで、同時代にこれほどのデッサン力を持ったが画家は存在しません。
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現在、この習作は「ルーブル美術館」の所蔵となっています。
書見台の浮き彫り彫刻
マリアの前方にある書見台の表面には、美しい浮き彫りの植物模様が、詳細に描かれています。
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この模様のデザインは、師匠の「ヴェロッキオ」が、メディチ家の依頼で1472年頃に製作したサン・ロレンツォ大聖堂(フィレンツェ)の「墓碑の石棺(画像下)」がモデルだとされています。
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主に、石棺の足とその上部の植物模様が作品に反映されています。
また、絵画内で書見台の右下あたりから敷かれているテラコッタタイルの表面を注視すると、焼いた時にできる空気の穴までも詳細に描かれています。
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ここまでの仕事をする画家は、後にも先にも「レオナルド・ダ・ヴィンチ 」だけです。
テンペラではなく油彩で描いた
レオナルドは当時まだ主流であった絵の具の顔料「テンペラ」を使用せず、オランダで発明され、ヴェロッキオ工房に導入されたばかりの「油彩」で本作を描いています。
「油彩」は「テンペラ」よりも透明感があり、写実的な表現に適しています。目で見たものを、画中にリアルに表現したいレオナルドにとって、これ以上にない画材でした。
ただし、「テンペラ」から「油彩画」に変更するには、それなりに身につけなければならない技術や知識もあったため、レオナルドの師匠である「ヴェロッキオ」などは「油彩画」の使用に消極的でした。
一方、弟子のレオナルドはデビュー作である『受胎告知』から、積極的に「油彩」を使用し、それ以降も、壁画の『最後の晩餐』を除いて、全て油彩で作品を描いています。
作品構図と風景(背景)
レオナルドの『受胎告知』は大きく、前景、中景、後景の3つレイヤーに分かれて描かれています。
まず、メインの場面が展開されている【前景】では「閉じた庭園」が描かれています。処女の象徴である「閉じた庭園」は、「受胎告知」の絵画では、定番的に描かれる風景です。
次に、前景と石塀によって隔てられた【中景】には「糸杉」が横並びで描かれています。
本来「糸杉」は、キリストの磔刑に用いられた木である事から「受難」や「死」を象徴しますが、本作においては、場面分割の役割を担っています。
横軸は、糸杉によって、ほぼ等しく5分割され、大天使ガブリエルと聖母マリアは、左右でそれぞれ2分割のエリアに収められています。
更に2人の人物が形成するピラミッド構図により、バランスの良い安定した印象を鑑賞者に与えてくれます。
最後に本作の最奥部、糸杉の奥には、山、海、港町が【後景】として描かれています。
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この部分は、レオナルドが幼少期より培った自然に対する鋭い観察眼に基づき、遠くに行くほど霞む様にぼやけて描かれています。後にこの表現方法は「空気遠近法」と名づけられ、レオナルド唯一無二の技法として確立されていきます。
一説では、レオナルドはこの後景によって、もう一つの「受胎告知」を象徴的に表現しているとも言われています。
それは、大地をマリアの子宮に例え、水で満たされた大地(子宮)=海(受胎)とし、自然で象徴的に「受胎」を表現していると言う考え方です。
一見すると突拍子もない発想ですが、この考え方は、最初に本作を所持していた「聖バルトロメオ修道院」が信仰する聖人「クレルヴォーのベルナルドゥス」の「受胎告知」に関する記述に基づいています。
ベルナルドゥスの肖像画
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更に「ベルナルドゥス」は、海の中の一際高い山の存在を、世界における「キリスト」として位置づけていました。
何より、レオナルドが「水」を生命体の養分と考えていた事は、残された資料からも明らかで、「モナ・リザ」や「糸車の聖母」などにも、生命を象徴する存在として「水」が描かれています。
以上から、レオナルドが後景の山に何らかの象徴的メッセージを込めていた事は、ほぼ間違いありません。
レオナルド以前の画家にとっての背景は、部分的に絵画を埋める装飾の意味合いしかありませんでした。
しかし、レオナルドが描く背景には、象徴的な意味が込められていると共に、前景、中景、後景が、違和感なく繋がりを持って描かれています。この点だけ取っても、レオナルドの『受胎告知』は革新的でした。
遠近法と消失点
本作における遠近法の消失点は【後景】の「山」の一部に定められており、鑑賞者の視点は否応無しに、そこにいく様に意図されています。
遠近法を簡単に説明すると、我々のいる立体的な空間(3次元)を、絵画の平面的な空間(2次元)で表現する技法です。ヨーロッパでは、13世紀の中頃から広く用いられる様になりました。また、消失点とは、遠近法や透視図法における、平行直線が交わる部分の事です。
遠近法では、最初に消失点を定め、平行直線がその点に集まる様に作品を構成していきます。これにより、平面(2次元世界)の世界に、奥行きや広がりが生まれます。
アナモルフォーズ(歪曲技法)の可能性
本作はレオナルドの実質的デビュー作であったため、技術的な未熟さもしばし指摘されています。
良く言われるのが、壁の石組みや糸杉の遠近法の不正確さ、聖母マリアの機械的で無表情な顔や、解剖学的に正しくない右腕などです。
ただし、聖母マリアの右腕に関しては、上に飾られる事を想定して、敢えてこの様に描いたとも言われています。
この様な描き方は、アナモルフォーズ(歪像画)と呼ばれ、レオナルド研究の第一人者である「カルロ・ペドレッティ」が最初にその可能性を示唆しました。また、ウフィツィ美術館のディレクターを2006年〜2015年まで務めた「アントニオ・ナタリ」も、その考えを支持しています。
本節によれば、正面からだと、聖母マリアの右腕が長く不自然に見えますが、右斜め下方向から見ると、自然な長さに見えるそうです。同様に、やや前のめりだった大天使ガブリエルも、バランスの取れた自然な姿勢に見えるそうです。
試しに擬似的ではありますが、実際に右斜め下から見たアングルに画像を加工してみました。
確かに若干だけ、マリアの右腕の長さと、天使の傾きが自然になった気はしますが、この説にはやや無理がある様にも思えます。
作品の来歴
長らく本作は、フィレンツェ近郊のモンテ・オリヴェートにある「サン・バルトロメオ修道院」の信徒用食堂や聖具室に飾れていました。
現在の展示場所である「ウフィツィ美術館」の所蔵となったのは、1867年からになります。
当初、本作は「レオナルド」ではなく「ドメニコ・ギルランダイオ」の作品と考えられていました。ギルランダイオは、レオナルドと同じヴェロッキオ工房出身の画家で、短期間ながらミケランジェロの師でもあった人物です。
その後、1869年に、エストニア出身の美術史家「カール・エドゥアルド・フォン・リップハルト(Karl Eduard von Liphart)」により、本作がレオナルド作品である可能性が指摘されます。
そして、この指摘をきっかけに、ウフィツィ美術館が本作を「レオナルド・ダ・ヴィンチ」作とすると、他の有識者もそれに同調する見解を示し始めます。
現在では、この『受胎告知』が、レオナルドのデビュー作品である事は、ほぼ疑いない事実となっています。
他方で、聖母マリアの無感情で硬い表情や不自然に長い右手、遠近法のバースが不正確である点など、レオナルドらしからぬ描写は、常に議論の的でした。
しかし、それらを差し引いても有り余る天才の輝きが随所に見られ、これだけの描写ができる画家は、この時代では「レオナルド」以外にはいないと言うのが多くの研究者の結論です。
実際に、本作がレオナルド作品である事を示す本人のデッサンも残されており、最も有名なのが、オックスフォード大学の所蔵する天使の右手のデッサンです。また、ルーブル美術館にも、聖母の右腕と思われるレオナルドのデッサンが現存しています。
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完全に一致する訳ではありませんが、本作を「レオナルド・ダ・ヴィンチ」作品であると決定づける、大きな要因の一つとなっています。
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受胎告知(レオナルド・ダ・ヴィンチ作 )の見学情報
レオナルドの『受胎告知』は、イタリア フィレンツェの中心地にある「ウフィツィ美術館」に展示されています。以下はウフィツィ美術館の見学情報になります。
営業時間 |
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休館日 | 毎週月曜日、1月1日、5月1日、12月25日 |
チケット料金 | 【一般】
|
予約方法 | オンライン、現地予約 |
公式予約HP | https://www.uffizi.it/en/tickets(英語) |
住所 | Piazzale degli Uffizi, 6, 50122 Firenze FI, イタリア |
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