アカデミア美術館の見どころやおすすめ作品を徹底解説【フィレンツェ】
本記事ではダビデ像をはじめ、ミケランジェロ作の彫刻を多数展示している「アカデミア美術館(フィレンツェ)」の見どころや展示作品について詳しく解説致します。
他にも、館内地図や見学ルートなど、アカデミア美術館を見学する上で役立つ情報が満載です。
本記事で紹介するのは、アカデミア美術館入場後の情報がメインとなります。行き方、営業時間、入場料金、チケット予約・購入方法などについては、以下の記事を参考にしてください。
アカデミア美術館の館内マップと見学ルート
アカデミア美術館は0階と1階の2フロアのみで構成されています。そして見どころの9割以上は、地上階の0階に集中しています。
また、館内構造もシンプルでそこまで広くありません。お好きなルートで見学しても簡単に回れると思いますが、公式HP上で案内されている所要1時間30分の見学ルートを館内マップと共にご紹介致します。0階が日本の1階、2階が日本の1階に相当しますのでご注意ください。
【0階 館内マップと見学ルート】
- ↓① コロッソの大広間(Hall of the Colossus)
- ↓② 奴隷のギャラリー(Hall of the Prisoners)
- ↓③ ダビデのトリブーナ - ダビデ像(Tribune: Michelangelo’s David)
- ↓④ トリブーナの翼廊(Tribune Left Wing)
- ↓⑤ 1800年代の大広間(19th century hall)
- ↓⑥ 1300年代の間(Florentine Gothic)
- 1階へ
【1階 館内マップと見学ルート】
上記の見学ルートには含めておりませんが、時間に余裕のある方は、0階東側の「特別展示場」や「楽器博物館」なども見学ください。楽器美術館に関しては、本記事の後半で少しだけご紹介致します。
また、本記事で掲載しているフロアマップを印刷してご持参されたい方は「アカデミア美術館のフロアマップ 0階〜1階(PDF)」よりダウンロードの上でご利用ください。
コロッソの大広間
アカデミア美術館で一番最初に足を踏み入れる展示室がこの「コロッソの大広間」です。
広間名のコロッソ(巨像)は、19世紀にこの部屋に保存されていた「ディオスクロイ(ギリシア神話の双生の英雄)」の大石膏像に由来しています。
広間の中央には、ジャンボローニャ作の彫刻が堂々とそびえ、それを囲む様に「ペルジーノ」や「ボッティチェッリ」など、ルネッサンス期を代表する画家の絵画が並んでいます。
2013年12月には部屋の改装も行われました。
サビニの女たちの略奪
ジャンボローニャ作1582年
コロッソの大広間のシンボルとも言えるのが、ジャンボローニャ作の彫刻「サビニの女たちの略奪」です。ただし、こちらは大理石彫刻の石膏モデルで、オリジナルは、シニョーリア広場に隣接する回廊「ロッジア・ディ・ランツ」に展示されています。もちろん無料で見学できます。
聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネと二天使
{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA
ボッティチェッリ作1468年
ボッティチェッリのキャリアでも最初期の作品で、近年に修復も行われました。同画家の作品では、同じくフィレンツェにあるウフィツィ美術館展示の「ヴィーナスの誕生」と「春」が最も有名です。
海の聖母
{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA
ボッティチェッリ作1477年
作名である「海の聖母」は背景に広がる海から名づけられています。上で紹介した「聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネと二天使」と比べると、ボッティチェッリの絵画に見られる特徴が少なく、実は弟子の「フィリッピーノ・リッピ」の作品であるとも言われています。どちらにしても貴重な作品である事には変わりありません。
聖母被昇天
ピエトロ・ペルジーノ作1500年
トスカーナ地方の避暑地「ヴァッロンブローザ」にある「ベネディクト修道院」の主祭壇に置かれていた作品。
キリスト降架
フィリッピーノ・リッピ / ピエトロ・ペルジーノ作1503〜1507年
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会(フィレンツェ)の中央祭壇のために書かれた作品。
本作は、フィリッピーノ・リッピによって書き始められましたが、1504年に彼が他界したため、ペルジーノが後を引き継いで作品を仕上げました。一説では、ラファエロも本作に携わった可能性があるとも言われています。
奴隷(囚人)のギャラリー
本ギャラリーは、ミケランジェロ作の「奴隷シリーズ」と言われる未完の彫刻4体が展示されている事から「奴隷(囚人)のギャラリー」と呼ばれています。
ミケランジェロ作の彫刻は奴隷シリーズに「聖マタイ像」と「パレストリーナのピエタ像」を加えた全6点が展示されています。また、それらの彫刻の間の壁面には、ミケランジェロに強い影響を受けた画家たち(フラ・バルトロメオなど)の絵画も展示されています。
このギャラリーに足を踏み入れた瞬間、奥にある「ダビデ像」とそこに群がる観光客が目に入るため、足早にこのギャラリーをスルーしたくなりますが、左右の彫刻や絵画にも是非注目してください。
奴隷(囚人)シリーズ
当時の教皇ユリウス2世は、自身の墓をサンピエトロ大聖堂(バチカン市国)に設置しようと考えており、その墓碑制作をミケランジェロに依頼しました。
ミケランジェロは制作のためローマに赴くと、墓碑の基台部分の装飾彫刻として「奴隷シリーズ」の制作を開始します。
ミケランジェロは、このプロジェクトに数十年間に渡り携わりますが、ユリウス2世の構想があまりに壮大であったため、紆余曲折の末、プロジェクトは中止を余儀なくされます。
最終的に墓碑は規模を縮小する事で完成しますが、「サンピエトロ大聖堂」ではなく「サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会」に置かれる事となります。
また、4点の奴隷シリーズの彫刻はユリウス2世の墓碑には使用されず、未完のまま残され、300年以上もボーボリ庭園の洞窟に置かれていました。
その後、奴隷シリーズがアカデミア美術館に運び込まれたのは1909年になってからの事です。参考までに、ルーブル美術館に展示されている「抵抗する奴隷」と「瀕死の奴隷」も、この墓碑制作プロジェクトの際に誕生した彫刻の一つです。
アトラス(Atlante)
ミケランジェロ作1530年頃
高さ277cmのこの彫刻は、まるで大塊をかついでいるかの様に見える事から「アトラス」と呼ばれています。アトラスは、神々に反抗した罰として生涯天空を背負うことになった巨人の名です。
髭の奴隷(Schiavo Barbuto)
ミケランジェロ作 1530年頃
4点の奴隷シリーズの中で、この高さ263cmの「髭の奴隷」が最も完成に近いと言われています。おそらく布を持たせる予定だった右手と右腕の一部だけが未完成で、顔は巻き毛のひげで覆われ、右太ももには布が巻かれています。
若い奴隷(Schiavo Giovane)
ミケランジェロ作1530年頃
奴隷のギャラリーに入ってすぐ右手側に配置されているのがこの高さ256cmの「若い奴隷」の像です。左手を上げて顔を覆い、右腕を脇から後方に伸ばしています。
目覚めた奴隷(Sciavo che si ridesta)
ミケランジェロ作 1530年頃
高さ267cmの「目覚めた奴隷」は、4作の中で最も輪郭がはっきりしておらず、まるで身もだえし、緊張しているように見えます。
パレストリーのピエタ
ミケランジェロ作1555年頃
ミケランジェロが生涯で4点制作したと言われる「ピエタ像」のうちの一点がこの「パレストリーのピエタ」です。他の3点も全てイタリア国内にあり「バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂(サン・ピエトロのピエタ)」「フィレンツェのドゥオーモ博物館(フィレンツェのピエタ)」「ミラノのスフォルツァ城博物館(ロンダニーニのピエタ)」にそれぞれ展示されています。
ただし4点のうち3点は未完で、唯一完成しているのが、サン・ピエトロのピエタのみとなります。
かつて、本作(パレストリーのピエタ)は、ローマ東側の都市パレストリーナにあるベルベリーニ礼拝堂で発見され、1939年にアカデミア美術館に運び込まれました。
本作に関する、情報や文書はほとんで残っておらず、数世紀も放置されていたなどの理由から、ミケランジェロの作品ではないという説が有力となっています。
聖マタイ
ミケランジェロ作1530〜1534年
聖マタイは、新約聖書の福音書に登場する聖人でイエス・キリストの十二使徒の1人です。元々本作は、フィレンツェ大聖堂の柱を飾る予定だった12使徒彫刻の最初1体として制作されました。
しかし、ミケランジェロが、ユリウス2世の墓碑制作プロジェクトのためにローマに呼ばれたため、計画は中止となりました。結局、12使徒で制作されたのは、この「聖マタイ」像のみでした。
ダビデのトリブーナ
アカデミア美術館内中央の北端に設けられている「ダビデのトリブーナ」は、ダビデ像を飾るために設けられた展示スペースです。ミケランジェロの傑作「ダビデ像」を一目見ようと、常に多くの観光客であふれています。
ダビデ像
ミケランジェロ作1501〜1504年
アカデミア美術館最大の見どころと言えるのが、この高さ517cm(土台を含めて)の大理石彫刻像「ダビデ」の鑑賞です。
当時この象は、フィレンツェ大聖堂に置くために、フィレンツェ共和国政府がミケランジェロ(当時26歳)に制作を依頼し、1501年から1504年にかけて制作されました。
計画ではダビデ像は、地上から高さ80mの位置にあるトリビューンの壁龕(へきがん)を飾る予定でした。
しかし完成後、設置場所を巡って意見が分かれ、最終的にはヴェッキオ宮殿の正面玄関に置かれる事になりました。現在その場所には、ダビデ像のレプリカが置かれています。ダビデ像のレプリカはもう一作あり、そちらは絶好の夕焼けスポット「ミケランジェロ広場」に置かれています。
ダビデ像は4世紀近くヴェッキオ宮殿前に置かれましたが、ミケランジェロの生誕400周年にあたる1873年に、レールの様な機材を使用してアカデミア美術館に運び込まれました。現在アカデミア美術館に展示されている「ダビデ像」こそ、ミケランジェロが制作した正真正銘のオリジナル品になります。
本作はその名の通り、12の部族をまとめ、後にイスラエル王となった旧約聖書の登場人物「ダビデ」をモデルにした彫刻です。
ダビデの表情やポーズは、敵国ペリシテ軍の巨人「ゴリアテ」に闘いを挑む直前の姿が表現されています。さらに右手をよく見ると、石を力強く握っているのが分かります。血管の動きまで見事に表現されています。
元々、ダビデ像の素材に使用されている大理石の塊は、別の彫刻家たちが、制作を試みて使用したものでした。
しかし、途中で制作を断念したため、大理石の塊は25年以上も、フィレンツェ大聖堂の中庭に放置されていました。
その後、ミケランジェロがその大理石の塊と巨大彫刻制作プロジェクトを引き継いで「ダビデ像」をつくり上げました。
ダビデ像に関しては、以下の記事にて詳細に解説しております。
続いてはダビデ像の左右に広がる翼廊スペースをご紹介しますが、この辺で一度「0階フロアマップ」で現在地を確認ください。同画面内で地図が開きます。現在ご紹介しているのが「❸ ダビデのトリブーナ」のダビデ像で、次は「❹ トリブーナの翼廊」をご紹介します。
トリブーナの翼廊
ダビデ像を正面にして、左右に広がる展示スペースは「トリブーナの翼廊」と呼ばれています。ここは元々、ミケランジェロの作品の複製品やタペストリーを展示するスペースとして利用されていました。
しかし、1800年代初頭より、ミケランジェロと同世代の画家たちや、彼に多大な影響を受けた16世紀のイタリア画家「ブロンズィーノ」「アレッサンドロ・アッローリ」「フランチェスコ・サルヴィアーティ」などの作品が展示される様になりました。
これによりミケランジェロの作品が、如何に後年の芸術家達に大きな影響を与えていたかを強調しているそうです。
キリスト降架
アニョロ・ブロンズィーノ作1560年〜1561年
本作はメディチ家の大公「コジモ1世」が、イタリア西側の島「ポルトフェライオ」にある教会のために制作を依頼した絵画です。赤い衣服の女性の左手側で指をさすポーズをとるひげの老人は、作者の「ブロンズィーノ」自身だと言われています。
受胎告知
アレッサンドロ・アッローリ作1578年〜1579年
本作は、修道女「ラウラ・ディ・パッツィ」がモンテドミニ修道院のために制作を依頼したものです。しかし、修道女が所属する宗教団体が廃止されたため、作品は国家に徴収され、現在はアカデミア美術館に展示されています。2003年には修復作業も行われました。
【見学ルート確認】
トリブーナの翼廊見学後、ダビデ像を右手にして館内を真っ直ぐ進み、次の展示エリア「1800年代の大広間」に移動します。黄色矢印のルートです。
1800年代の大広間
「1800年代の大広間」は、1784年にトスカーナ公「レオポルト2世」が、サン・マッテオ病院を改築して造った展示スペースです。
レオポルド2世は、美術学校(アカデミー)の学生達が、過去の美術作品を参考にして芸術研究ができる様、この広間を提供しました。そういった経緯から、この広間には大理石彫刻を制作する上で元の型となる「石膏模型」が部屋いっぱいに置かれています。
これらの「石膏模型」のほとんどは、イタリアの彫刻家でアカデミーの教授だった「ロレンツォ・バルトリーニ」が制作したものです。彼の死後、遺族よって寄贈されました。
この広間を見学すると、当時どの様にして精巧な大理石彫刻を作ったのか、その一旦をかい間見る事ができます。
例えば、石膏模型には無数の黒点が残っていますが、これは石膏模型をベースにして正確に大理石を掘るための基準点として打ち込んだ針金の跡です。
本展示エリアには石膏模型以外にも、絵画が数点展示されていますが、これらは若き日にここで芸術を学んだ画家たちの作品です。まさにこの広間はアカデミー美術館の原点と言える場所です。
デミドフのモニュメント(石膏模型)
ロレンツォ・バルトリーニ作1828年以降
1800年代の大広間で一際目立つのが「デミドフのモニュメント(石膏模型)」です。バルトリーニが制作したこの石膏模型は、ニッコロ・デミドフ伯爵を讃えるモニュメントの型として使用されました。しかし、最終的にモニュメントを完成させたのは、弟子の「ロマネッリ」でした。
完成したモニュメントは現在もフィレンツェにある「ニコラ・デミドフ広場」に置かれています。
1300年代の間
順路に沿って見学すると、この「1300年代の間」が地上階で最後の展示室となります。
このエリアでは、フィレンツェのゴシック絵画が、3つのセクション「13世紀〜14世紀初頭の間」「グロテスクの間」「オルカーニャの間」にまたがって展示されています。
参考までに、グロテスクの間には「キリストの磔刑」などをテーマーにしたやや残酷な描写の作品が、オルカーニャの間には、14世紀のイタリア画家オルカーニャとその兄弟の作品が、それぞれ展示されています。
生命の木
パチーノ・ディ・ブオナグイダ作1310年〜1315年頃
本作は、13世紀イタリアの神学者「ボナヴェントゥラ」の著書「生命の木」が元になっており、絵画を通してキリストの教義を示しています。
キリストが磔刑に処せられた十字架を一本の木で描き、その木が根付いている岩は、キリストが殉教したゴルゴタの丘を象徴しています。
キリストの磔刑
ベルナルド・ダッディ作1340〜1345年頃
フィレンツェのサン・ドナード教会の祭壇上部に飾られていた作品。
後期ゴシック様式(1階)
1階(日本の2階)の展示エリアは、地上階の3分1ほどの広さしかありません。下のフロアマップを見て頂くと分かりますが、見学方向も一方向だけのシンプルな構造です。
1階では主に1370年〜1430年までの「後期ゴシック様式」の絵画が展示されています。2013年に行われた改装工事によって、絵画を鑑賞するのに最適な明るさが保たれています。
公式サイトにも記載されていますが、このフロアの混雑具合は、一つ下の0階と比べると格段に緩やかです。これぞ有名作品という美術品こそありませんが、ゆっくりと穏やかな雰囲気の中で絵画を見学できます。
聖母戴冠
ロッセッロ・ディ・ヤコポ・フランキ作1420年
聖母が戴冠する姿を中心に、それを祝福する聖人達と天子の姿を描いた多翼祭壇画。
玉座の聖母と聖人たち
ロレンツォ・モナコ作1410年
フィレンツェ近郊のモンテオリヴェートの歴史ある「サントロメオ教会」にあった多翼祭壇画。
ピエタのキリストと受難のシンボル
ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ作1405年頃
オルカーニャ派の画家「ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニ」の代表作。元々は、アカデミア美術館から徒歩10分程の場所にあるサンタ・マリア・ノッヴェラ教会に置かれていました。
受胎告知
ジョバンニ・デル・ビオンド作1380〜1385年
一つ上で紹介した作品「ピエタのキリストと受難のシンボル」と同様に、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会内の礼拝堂に飾られていた祭壇画。
聖母子と天使と受難の道具
アンドレア・リッツォス・ダ・カンディア作15世紀
フィレンツェ北側の都市フィエゾレのサン・ジロモ修道院が出所のイコン画(キリストや聖人を描いた聖画像)
楽器博物館
"Musical instruments on display in Florence's Musical Instrument Museum" by Sailko is licensed underCC BY 3.0
2001年に地上階に開館された「楽器博物館」には、メディチ家とロレーヌ家が収集した17世紀〜19世紀の希少な楽器類が約50点ほど展示されています。
中でも必見の2点が、ストラディバリウスの制作者として知られる「アントニオ・ ストラディバリ」作の「テノール・ヴィオラ」と、楽器製作家バルトロメオ・クリストファリがメディチ家のために制作した「スピネット(小型のチェンバロ) 」です。他にも打楽器、ピアノ、18世紀のトランペットまで様々な楽器が展示されています。
楽器博物館は、アカデミア美術館の中にあるので入場無料です。時間に余裕のある方は是非足を運んでください。
アカデミア美術館に関する関連・参考サイト
アカデミア美術館公式サイト(英語)アカデミア美術館の概要や展示作品、更に営業時間などの観光情報も全て掲載されています。公式サイトが最も信頼できる最新の情報を掲載しておりますので、英語に抵抗のない方は随時こちらで情報を入手してください。
B-ticket(英語)アカデミア美術館やウフィツィ美術館など、フィレンツェにある美術館と博物館のチケットはほとんどこのサイトで予約する事ができます。公式サイトで案内されているページなので、安心して利用可能です。
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