ダビデ像(ミケランジェロ)の特徴を徹底解説 – 大きさ、重さ、展示場所

フィレンツェ イタリア 画家・彫刻家・建築家
ダビデ像(ミケランジェロ作)

本記事では、ミケランジェロの傑作『ダビデ像』を徹底解説致します。彫刻の特徴や作品紹介はもちろん、モデルのダビデに関する情報、彫刻にまつわるエピソード、作品と政治の関わり、見学情報まで幅広くご紹介致します。

ダビデ像とは

ダビデ像

英雄「ダビデ」とは?

「ダビデ」は、旧約聖書の「サムエル記」に登場する英雄で、紀元前1100年頃に12の部族をまとめ、後にイスラエル王になった人物です。参考までに、旧約聖書とは、天地創造やノアの方舟などの物語が記されたキリスト教の書物です。

「ダビデ」は芸術作品としては非常にポピュラーな存在で、ヨーロッパには「ダビデ」を主題とした絵画や彫刻が数多く存在しています。

ただし、一般的に『ダビデ像』と言えば、ほぼ間違いなくミケランジェロの作品を指します。

世界一有名な彫刻『ダビデ像』とは?

フィレンツェ出身の彫刻家ミケランジェロが、まだ26歳の頃、1501年から1504年にかけて製作した巨大彫刻です。モナ・リザと並び、美術史上屈指の傑作とされており、本作を完成させた事で、ミケランジェロの名声は確たるものとなりました。

彫刻の大きさと重さはどのくらいか?

ミケランジェロの『ダビデ像』の台座を含めた高さは517cm、足裏より下の台座部分を抜いた高さは410cmです。重さは5,660 kg(約6トン)で、成人男性80人分の重量に相当します。

彫刻の素材は?

当時の彫刻には、主に大理石かブロンズ(青銅)が素材として用いられていました。『ダビデ像』はそのうちの大理石彫刻です。イタリア トスカーナ地方のカッラーラ採石場で、15世紀に採掘された白大理石が使用されています。この白大理石は、シエナ大聖堂やローマのパンテオンなどにも用いられており、美しさと丈夫さを兼ね備えているのが特徴です。

誰の依頼で制作したのか?

製作を依頼したのは、フィレンツェ大聖堂造営局と毛織物組合です。金貨144ドゥカート(後に400まで増額)の報酬にて、1501年8月16日にミケランジェロと契約を取り交わした記録が残っています。

更に記録によれば、1501年の9月から2年以内に象を完成させる事と、既に用意されていた高さ9プラッチャの大理石を使用する事が契約条件として記されています。

何のために制作されたのか?

イタリア半島の小国であった「フィレンツェ」は、強大な敵を打ち破った英雄「ダビデ」を、自国と重ねて英雄視してきました。

そして、フィレンツェが専制(独裁)政治から民主政治へと移行する変革期において、自由や解放のシンボルとして『ダヴィデ像』の製作が計画されました。

完成当初の『ダビデ像』は、民主主義の中枢である「ヴェッキオ宮殿(政庁)」の入口に置かれました。これには、自由(民主制)を独裁(メディチ家)から守るという、フィレンツェ国民の強いメッセージが込められていました。

現在はどこに展示されているのか?

現在は、イタリア フィレンツェにある「アカデミア美術館」に展示されています。完成から4世紀近くは、当初の設置場所である「ヴェッキオ宮殿」入口前に置かれていましたが、ミケランジェロの生誕400周年にあたる1873年に、レールの様な機材を使用してアカデミア美術館に運び込まれました。

1873年当時 移設前のダビデ像

1873年当時 オリジナルのダビデ像
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移設後 現在のダビデ像

アカデミア美術館 オリジナルのダビデ像

オリジナルのダビデ像があった場所(ヴェッキオ宮殿入口)には、レプリカのダビデ像が現在は置かれています。また、同じくフィレンツェのミケランジェロ広場にも、もう一体別のレプリカ(ブロンズ製)が存在しています。

ヴェッキオ宮殿とミケランジェロ広場のダビデ象レプリカ

ダビデ像(ミケランジェロ作 )の基本情報

ミケランジェロの『ダビデ像』の基本情報をまとめると以下のとおりです。

製作者ミケランジェロ・ブオナローティ
制作年1501~1504年
所在地イタリア フィレンツェ
展示場所アカデミア美術館の1階
作品形態大理石彫刻
素材カッラーラ産の白大理石
大きさ縦517 cm × 横199 cm (17 ft × 6.5 ft)
重さ5,660 kg(約6トン)
依頼主大聖堂造営局と毛織物組合
公式HP(英語)https://www.accademia.org

旧約聖書の『ダビデ』を解説

冒頭でも触れましたが、「ダビデ」とは旧約聖書のサムエル記に登場する英雄の名前です。

聖書のダビデ
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サムエル記には「ダビデ」の生涯の様々なエピソードが記されていますが、絵画や彫刻化されていて最も有名な場面が、少年「ダビデ」が敵将「ゴリアテ」を倒すシーンです。

そして、その物語は紀元前11世紀頃、サウル王が治める「イスラエル軍」と「ペリシテ軍」の戦いの中で展開されていきます。

戦場で両軍がにらみ合う中、敵の将軍「ゴリアテ」は、両軍から代表者を出して勝敗を決する事を提案します。

しかし、3m近い巨人に怖じ気づくイスラエル兵は、誰一人として決闘に名乗り出ません。ゴリアテは朝夕の1日2回、40日間に渡りイスラエル兵を挑発し続けました。

この状況を見かねたイスラエル王「サウル」は、ゴリアテを倒した者に王女をめとらせ、税を免除する事を約束します。

この言葉を耳にして、「私がやります!」と唯一名乗り出たのが、たまたま戦場に居合わせた羊飼いの少年「ダビデ」でした。ダビデは、パンとチーズを兄や将軍に届けるよう父から言付かり、偶然この場を訪れていました。

ところが、この勇気ある行動に対する周囲の反応は冷ややかでした。

ダビデの兄「エリアブ」も《なぜお前がここにいる!羊の世話はどうしたんだ!》と、露骨に嫌悪感を露わにします。

サウル王も、子供には無理だと言って退けますが、ダビデは《大きいものが勝つとは限らない》と退く気はありません。

根負けした王は、剣と鎧と盾をダビデに与え、決闘を許可します。

ダビデは《こんな重い物をつけては戦えない》と装備品の着用を拒否すると、投石用の革ひもと、川で拾った五つの石だけでゴリアテに挑んでいきます。

ダビデとゴリアテの決闘場面
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鎧に身を固めた巨漢「ゴリアテ」は、自信満々にダビデを威嚇し、不用意に近づいてきます。

ダビデは全く焦る様子もなく、冷静に革ひもから石を飛ばし、ゴリアテの額に命中させます。そして、意識を失って倒れたゴリアテから剣を奪いとり、首を切り落とします。

これにより、ペリシテ軍は一斉に退却、イスラエル軍は戦いに勝利し、ダビデは一躍英雄となりました。

以後も国を救う活躍を続けたダビデは、最終的にイスラエル王となり、数十年に渡り国を統治しました。

参考までに、ダビデの子孫にはナダレの「ヨゼフ」がおり、その家系はキリスト教の主である「イエス・キリスト」へと繋がっていきます。

ミケランジェロのダビデ像の特徴

ミケランジェロの『ダビデ像』の表情やポーズは、敵国ペリシテ軍の巨人「ゴリアテ」に闘いを挑む直前の姿が表現されています。

ダビデ像の上部分

右手をよく見ると、石を力強く握っているのが分かります。血管の動きまで見事に表現されています。

ダビデ像の力強く石を握る右手

ダビデの血管は、解剖学的に見ても、かなり正確に表現されているそうです。

他方で、本作の頭部と右手はやや大きく、バランスの悪さがしばし指摘されます。

ダビデ像の上半身

これは当初、大聖堂の高さ80mの位置に『ダビデ像』を設置する予定だった事が大きな理由です。

ミケランジェロは、遥か下から像が見上げられる事を想定し、彫刻の重要パーツを敢えて強調して大きめに製作したと言われています。

ただし、これには諸説あり、『ダビデ像』の「集中力」や「知恵」を強調するために頭部を、「行動力」を象徴するために右手を大きく製作したと言う説もあります。

また、ダビデ像を真横から見ると、正面の圧倒的な存在感に比べ、やや迫力にかける印象を受けます。

真横から見たダビデ像

これは使用した大理石の塊が、当初から厚みに欠けており、ダビデの製作表現に制限があった為です。

更に『ダビデ像』のもう一つ大きな特徴が、左足を遊ばせる様にリラックスさせ、体重の大部分を右足に乗せてバランスを保っている点です。

ダビデ像のコントラポスト

この様な表現方法は、「コントラポスト」と呼ばれ、人物に躍動感と美しさを与え、ボディラインを強調するポーズとして、紀元前のギリシャ彫刻の頃から用いられてきました。「コントラポスト」では、両肩を結んだ直線と腰の両側を結んだ直線が相反するのが特徴で、胴体全体でわずかなS字カーブを描きます。

続いて、ダビデ像の頭上に視線を向けてみると、巨大な円窓から神秘的な光が降り注いでいます。

頭上の円窓と自然光に照らされるダビデ像

この天窓は、『ダヴィデ』が美しく見える様に、綿密に採光を計算した上で設計されています。ドゥオーモ大聖堂の西側ファサードをデザインした建築家「エミリオ・デ・ファブリス」が19世紀に手がけました。

像の回りは、ぐるりと一周歩ける様になっています。是非色んな角度からダビデ像を鑑賞してみてください。

ダビデ像の背面と下半身部分

背後に回ると、背中に投石用の紐が垂下がっているのを確認する事ができます。ダビデはこの投石道具を使って、ゴリアテの額に石を命中させ、倒れた所を狙って首を切り落としました。

ダビデ像の背中に垂れ下がる投石用の紐

かつて、この背中の紐と、右足元の切り株部分には金メッキが施されていました。しかし、長年野外に置かれていた影響で、現在は剥がれてしまっています。

ダビデ像 足元の切り株と背中の透析用紐

また、かつて頭部には、金箔を施した冠が付けられていましたが、現在は痕跡すら残っていません。

ダビデ像の頭部

ミケランジェロの革新性

ミケランジェロの肖像画
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ミケランジェロ以前の彫刻家や画家の「ダビデ像」では、巨人「ゴリアテ」を打ち倒した直後の場面を、少年の姿で表現するのが一般的でした。

中でも有名なのが、現在もフィレンツェのパルジェロ美術館に展示されている「ドナテッロ」と「ヴェッロキオ」のダビデ像です。

ドナテッロ作「ダビデ像」

ドナテッロ作「ダビデ像」
David, Donatello, ca. 1440, Bronze, Museo del Bargello, Florenz by Rufus46 is licensed underCC BY 3.0

ヴェロッキオ作「ダビデ像」

ヴェロッキオ作「ダビデ像」
David, Andrea del Verrocchio by Rufus46 is licensed underCC BY 3.0

両作品とも聖書の記述を忠実に、少年ダビデが「ゴリアテ」を打ち倒した後の姿が表現され、足元には切り落としたゴリアテの頭部が象られています。

しかし、ミケランジェロはこの固定観念を覆し、正にこれから闘いに挑む直前の「ダビデ」を青年の姿で表現しました。

ミケランジェロ作 ダビデ像

本作が傑作と評価される一番のポイントは、本来は目に見えない【ダビデの内面の力強さ】を、見事に表現できている点です。彫刻のポーズは、大袈裟で説明じみておらず、表情や血管、身につけている最低限のモチーフだけで英雄「ダビデ」を見事に表現しています。

ミケランジェロが、ダビデをこの様に表現したのは、若き彫刻家の野心的な試みも当然ありましたが、素材に使用した大理石の形状が厚みに欠け、足下にゴリアテの頭部を彫る事が難しかった事が大きな要因だとも言われています。

理由はどうあれ、これまでにない革新的な『ダビデ像』を作りあげたミケランジェロの天才的な発想と技術は国内外で高く評価されました。既にバチカンの『ピエタ像』を完成させ、十分に名声を轟かせていたミケランジェロでしたが、本作の完成により、それは不動のものとなりました。

ダビデ像と政治の関わり

ヴェッキオ宮殿

『ダビデ像』と言う彫刻の存在は、芸術作品の枠に収まらず、フィレンツェ政治やメディチ家と密接な関わりがありました。本項ではその部分に触れていきます。

1501年頃のフィレンツェは、メディチ家の専制政治(独裁制)から、国民が主役の民主政治(共和制)への転換期を迎えていました。

そして、フィレンツェが公に民主政治となった約二週間後、「自由」や「解放」のシンボルとして、新たな『ダビデ像』の製作がミケランジェロに依頼されます。

この依頼を待ってましたとばかりに、引き受けたミケランジェロでしたが、実はかなり複雑な立場にありました。

民主主義を支持してダビデ像を製作する事は、彼を彫刻家として一人前に育ててくれた「メディチ家」との決別を意味したからです。フィレンツェにおけるメディチ家は独裁政治の象徴的存在でした。

この時すでに、メディチ家はフィレンツェを追放されていましたが、他国に亡命し、虎視眈々と復権を狙っていました。

結果的にミケランジェロは、民主政治を支持する立場を明確にします。これは、本来の彼が民主主義支持者であった事と、友人の「ソデリーニ」が、フィレンツェ共和国政府の要職に就いていた事が大きな要因です。

1504年に『ダビデ像』が完成すると、フィレンツェの政庁である「ヴェッキオ宮殿」の入口に設置されました。

これは、行政の中心である政庁(ヴェッキオ宮殿)こそが、民主政治の心臓と言える存在だったからです。この時代に『ダビデ像』を政庁に置く事は、独裁を廃して民主政治を守護すると言う、フィレンツェ国民の強いメッセージが込められていました。

ダビデ像にまつわるエピソード

本項では、ミケランジェロの『ダビデ像』にまつわるエピソードをいくつかご紹介致します。

25年以上も野ざらしになっていた大理石

カッラーラ採石場の大理石

『ダビデ像』に使用された一塊の白大理石は高さ5メートル以上、ドゥオーモ大聖堂を製作していた職人が、カッラーラ採石場(画像上)から掘り出したものです。

当初この貴重な大理石は、フィレンツェ大聖堂を飾る彫刻の材料となるはずでしたが、やや厚みに欠けていたため、一流彫刻家をしても扱いに困る素材でした。

ミケランジェロが生まれる少し前の1462年から1463年には彫刻家「アゴスティーノ・ドゥッチオ」が、1476年には「ロッセリーノ」が、この大理石を扱う仕事を請け負うも、素材を中途半端に荒削りした状態で、投げ出してしまっていました。これにより、現在の『ダビデ像』の足と足の間あたりに穴があいてしまっていたそうです。

以後も、この大理石素材を扱い切れる職人がいなかったため、25年近くドゥオーモ大聖堂の中庭で、雨ざらしになっていました。

フィレンツェの大聖堂造営管理局も、この大理石をどうやったら生かせるか長年苦心していました。

彫りかけの大理石は形状にこそ難はありましたが、入手に大金をかけた上、間違いなく素材としては一級品だったからです。

しかし、この問題は、ミケランジェロと言う天才芸術家が解決します。彫りかけの巨大大理石は、1501年9月13日からわずか数年で、『ダビデ』と呼ばれる美術史上屈指の名作に生まれ変わりました。

レオナルド・ダ・ヴィンチも製作者候補に!?

レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像

ダビデ像の製作者候補には、ミラノから故郷フィレンツェに戻ったばかりの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」や、実績のあった彫刻家「アンドレア・コントゥッチ」の名も挙がっていたと言われています。

「レオナルド」は、ダビデ像製作が国をあげてのプロジェクトである事から、この時期に低迷していた自身の名声を復活させる絶好のチャンスであると考えていました。いつもは彫刻を絵画より下にみていた「レオナルド」も、『ダビデ像』の製作にはかなり乗り気だったと言われています。

しかし、最終的には、巨大彫刻の制作実績が豊富だった彫刻家の「ミケランジェロ」が選ばれました。

少し話はそれますが、レオナルドとミケランジェロの因縁は深く、ダビデ像完成後の1504年に「ヴェッキオ宮殿」の「500人広間(画像下)」を飾る壁画製作で直接対決する事となります。

ヴェッキオ宮殿の五百人広間

完全非公開で製作

現存する古文書によれば、ミケランジェロが『ダビデ像』を製作するにあたり、完成直前の1504年1月(完成は同年4月)までは、完全非公開にしていたそうです。

ミケランジェロは製作開始段階で、5m以上ある大理石の前に足場を組み、作業場全体が完全に隠れる様に塀で囲いました。以降は完成直前まで、作業場には誰も立ち入れなかったとも、弟子だけは立ち入る事ができたとも言われています。

また、ミケランジェロは、野外であるドゥオーモ大聖堂の中庭を作業場としていたので、雨が降るとびしょ濡れになったり、作業に没頭するあまり、何日も同じ服を着て食事を摂らない日もあったそうです。

ダビデ像の設置場所問題

当初、ミケランジェロの『ダビデ像』は、ドゥオーモ大聖堂を飾る彫刻12体のうちの1体として製作されました。

しかし、像の存在自体が政治と密接に関連していた事や、大聖堂の上に飾るには『ダビデ像』があまりに巨大過ぎた事などから、設置場所が再検討され始めます。

そして、ダビデ像完成後の1504年1月25日、設置場所を決定すべく、約30人が委員会メンバーとして招集されます。

メンバーの中には、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「サンドロ・ボッティチェッリ」「ペルジーノ」「フィリッピーノ・リッピ」「ジュリアーノ・ダ・サンガッロ」など、蒼々たる顔ぶれの芸術家たちがいました。

長い議論の中で、『ダビデ像』の設置場所には9箇所もの候補が挙がり、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」などは、シニョーリア広場の「ロッジア(テラスの様な開廊)」に置く事を主張しました。

シニョーリア広場の「ロッジア」

しかし、製作者の「ミケランジェロ」は、これに猛反発し、より多くの人目に『ダビデ像』が触れる様に、ヴェッキオ宮殿の入口に設置する事を主張します。そして、最終的にはその意見が採用されました。

現在のヴェッキオ宮殿

ヴェッキオ宮殿

像の運搬に4日間

1504年5月14日の夜、作業場から設置場所への運搬に40人が動員され、約800m〜1kmの距離を4日ほどかけて移送しました。

設置場所のヴェッキオ宮殿がある広場に像が到着したのは、1504年5月18日の事でした。移送の際に、親メディチ派が石を投げて像の破壊を試みたと言う記録も残されています。

『ダビデ像』が到着すると、ヴェッキオ宮殿の入口にそれまで置かれていたドナテッロ作の「ユディトとホロフェルネス」のブロンズ像が、別の場所に移されました。そして、1504年9月8日に『ダビデ像』が代わって設置されました。

最終的に除幕され、『ダビデ像』が完全に一般公開されたのもこのタイミングでした。

ヴェッキオ宮殿とダビデ像のレプリカ

当初の設置場所である「ヴェッキオ宮殿」の入口には、現在はレプリカのダビデ像が置かれています。

咄嗟の機転でクレームを回避

『ダビデ像』が1504年に完成して一般公開された時、多くの人々が、その出来栄えを賞賛しました。しかし、国家元首で友人の「ソデリーニ」だけは、ダビデの鼻の幅が広すぎるとクレームをつけました。

完成した像に手を加えたくなかったミケランジェロは、大理石の削りかすを手に足場に登ります。そして、ダビデ像の鼻を削るフリをして、手から粉を落としました。

すると、ソデリーニは像の鼻が修正されたと思い込み満足したそうです。

折られたダビデ像の腕

1527年のイタリア戦争中にフィレンツェ市内で暴動が発生し、メディチ家支持の人々が、ヴェッキオ宮殿を占拠し、上階の窓から下にいた反対勢力に長椅子を投げつけました。

この時に椅子が『ダビデ像』に命中し、左腕が3つの破片に分かれてしまいます。

ただし、親メディチ派が、反メディチの象徴である『ダビデ像』を意図的に破壊したのか、たまたま椅子が腕に命中したかは定かではありません。

記録では、美術史家で芸術家の「ジョルジョ・ヴァザーリ」と友人が、腕の破片を拾い集めたとされています。腕の破片は、後年に銅の釘で取り付けられたそうです。

ダビデ像の見学情報

ミケランジェロの彫刻『ダビデ』は、イタリア フィレンツェの中心地にある「アカデミア美術館」に展示されています。以下はアカデミア美術館の見学情報になります。

営業時間
  • 09:00~18:45
※ 最終入場は閉館時間の30分前まで
休館日毎週月曜日、1月1日、5月1日、12月25日
料金(現地購入)【一般】
  • ・8 €
  • ・12 €(特別展開催時)
【18歳未満】
  • ・入場無料
※18歳未満の方は国籍を問わず入場無料ですが、パスポートなどID提示が必須となります。
※12歳未満の入場には大人の同伴が必要となります。
料金(WEB購入)【一般】
  • ・12 €
  • ・16 €(特別展開催時)
【18歳未満】
  • ・4 €
※WEB予約時のチケット料金は通常料金に4€の予約手数料を加えた総額で記載しております。
※18歳未満の方の入場は無料ですが、事前にWEBで時間指定の入場予約をする場合は、人数分の予約券「Gratuito/Free(4€ / 1人)」が必要となります。
予約方法オンライン、現地予約
公式予約HPhttps://webshop.b-ticket.com/webshop/webticket/eventlist?production=4(英語)
住所Via Ricasoli 58-60 – near Piazza San Marco. イタリア

アカデミア美術館のチケットを日本語で予約したい方は、「アカデミア美術館」公認のチケット販売サイトに認定されている「GET YOUR GIDE」での優先入場チケット購入がお勧めです。若干だけ手数料は発生しますが、公式サイトで購入するのと全く同じ優先入場チケットが日本語で予約できます。

GET YOUR GIDE「アカデミア美術館」の優先入場チケット購入ページ