バチカン美術館 攻略編 – 見どころ、おすすめ作品、モデルコース、館内地図
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バチカン市国本記事では、バチカン美術館の見どころや主要作品を詳細に解説すると共に、記事の後半では館内地図やモデルコースなどもご紹介しております。バチカン美術館内を見学する上で役立つ情報が満載です。
バチカン美術館は20以上の美術館や広場、中庭などで構成された複合施設です。展示室は1,000以上、その展示室を結ぶ通路は7km以上もあり、館内構造も非常に複雑です。
また、館内の所蔵作品数も15万点以上と莫大な量に上るため、見るべき作品や見学コースを絞って観光しないと、現地で大きく時間をロスする事になります。是非、本記事を参考に効率よく主要作品を網羅してください。
バチカン美術館の必見作品と見どころ
先ずはバチカン美術館の中でも、特に必見の作品と広間を一覧形式でご紹介致します。この美術館では単体の作品だけでなく、広間や部屋自体も一つの芸術作品と言えます。
ピエタ
(ミケランジェロ作)
ステファネスキの祭壇画
(ジョット作)
フォリーニョの聖母
(ラファエロ作)
キリストの変容
(ラファエロ作)
聖ヒエロニムス
(ダヴィンチ作)
キリストの埋葬
(カラヴァッジオ作)
聖母の戴冠
(ラファエロ作)
リュートを奏でる天使
(メラッツォ・ダ・フォルリ作)
ピーニャの中庭
ラオコーン
(作者不詳)
ベルヴェデーレのトルソー
(作者不詳)
円形の間
タペストリーのギャラリー
地図のギャラリー
アテネの学堂
(ラファエロ作)
聖体の議論
(ラファエロ作)
天地創造
(ミケランジェロ作)
最期の審判
(ミケランジェロ作)
上記でご紹介した作品や広間はバチカン美術館のほんの一部です。次項以降では、上記でご紹介した必見作品をより詳細に解説していくと共に、それ以外の作品や広間についても、本記事お勧めの見学順路(以下)に沿ってご紹介していきます。
【見学順路】
① 絵画館 - ピナコテカ(Pinacoteca)

絵画館(ピナコテカ)は、フランスのナポレオンの侵略によって略奪されていた多くの作品が、ウィーン会議で返還が決定された事を機に、「ルカ・ベルトラミ」の設計で1932年に建てられました。
展示はラファエロなど、最盛期のルネサンスの巨匠たちの作品を中心に、11世紀~16世紀までの絵画とタピスリーが約500点も展示されています。展示は18部屋にも渡っており、ラファエロの「キリストの変容」「フォリーニョの聖母」、メロッツォ・ダ・フォルリのフレスコ画「リュートを奏でる天使」など、多くの貴重な作品を目にすることができます。バチカン美術館の中で3大スポットを選ぶなら、間違いなくその一つに入る見学スポットです。必見です。
ピエタ像
ミケランジェロ作(1499~1500年)
ピナコテカ(絵画館)に入ってすぐ目にするのが、ミケランジェロが25歳の時に手掛けた傑作と呼ばれるピエタ像のレプリカです。本物はサンピエトロ大聖堂に展示されており、ミケランジェロは晩年にもこのピエタをテーマに作品を何度も制作しています。像には永遠の若さを持つ母の腕の中で、死にゆく息子の姿が表現されています。
ステファネスキの祭壇画
ジョット作(1330年代)
ステファネスキの三段祭壇画とも呼ばれるこの作品は、ローマのサンピエトロ大聖堂の主祭壇に飾るために、枢機卿「カエターニ・ステファネスキ」の依頼で制作された板絵です。テンペラと呼ばれる乳化作用を持つ物質を固着材として利用した絵具と技法で描かれているのが特徴で、3枚の板版の表と裏にはキリストや聖人の姿が描かれています。更に、向かって右側のパネルには「聖パウロの斬首」、左側のパネルには「聖ペテロの磔刑」が描かれています。
フォリーニョの聖母
ラファエロ作(1512年)
ラファエロが1512年に、ローマで自身のキャリア絶頂期だった28歳の時に手掛けた作品で、天と地の対比を絶妙のバランスで描いています。フォリーニョは、イタリア中部のペルージャにある街で、作品内に描かれている赤いマントの枢機卿の古里です。
キリストの変容

ラファエロ作(1508年~1520年)
ピナコテカ最大の見どころの一つである「キリストの変容」はラファエロの遺作となった作品です。
作中では、キリストの起こした2つの奇跡が壮大な構図で表現されています。
上部はガリラヤのダボル山でキリストが突然光を放ち、3人の弟子に主の声を届け、自らが神の子である事を告げた奇跡、下部は悪霊に取り憑かれた若者を救う奇跡がそれぞれ描かれています。
この作品はフィレンツェ出身の「ジュリオ・デ・メディチ」が枢機卿に就任した際にラファエロに依頼した作品で、この作品がほぼ完成した1520年にラファエロはこの世を去りました。奇しくもその日はラファエロの37回目の誕生日だったと言われています。
絵画中央上部に描かれているのが「キリスト」で、聖書によれば顔は太陽の様に輝き、服は光の様に白くなったと記されています。
イエスの変容と共に突如現れた二人は、向かって左手が「予言者エリヤ」、右手が十戒で知られる「モーセ」で石版を手にしています。

真下で奇跡を目の当たりにしてひれ伏すのが、キリストの弟子3人です。向かって左から「聖ヤコブ」「聖ペテロ」「聖ヨハネ」になります。
荒野の聖ヒエロニムス

聖ヒエロニムスは、ダ・ヴィンチの1480年頃の作品で、木製パネルにモノクロの下書きのまま未完となっています。キリスト教の聖職者である「聖ヒエロニムス」は、4世紀に実在した人物で、聖書をラテン語に訳した事で知られています。
作中では、荒野の洞窟で苦行をするヒエロニムスと、彼が棘を抜いて助けたとされるライオンが描かれています。
伝説によれば、ヒエロニムスは性的な欲望に打ち勝つために、自ら胸を石で打ちつけたとされています。作中で右手に石を握っているのはそのためです。
本作は、現在の状態に復元されるまで五つに分断された状態でした。胴体が描かれた部分は、ローマの古道具屋の工房で家具の扉に貼り付けられていたと言うエピソードもあるほどです。
絵画は、19世紀初頭にナポレオンの叔父「ジョゼフ・フェッシュ枢機卿」のコレクションとなって復元された後、第255代ローマ教皇「ピウス9世」の時代に、現在の展示場所に運ばれました。
キリストの埋葬
カラヴァッジオ作(1602年~1604年)
完成当初から高く評価されたカラヴァッジオの作品で、新約聖書のヨハネによる福音書に登場するユダヤ人「ニコデモ」がキリストの足を抱えている姿が描かれています。胴体を抱える緑色の男の手がキリストの右脇の傷にめりこんでいて非常に生々しいです。この絵は元々、ローマの「サンタマリア・イン・ヴァリチェッラ教会」の礼拝堂に飾られていました。
聖母の戴冠
ラファエロ作(1502年~1504年)
ラファエロがわずか19才の頃に、有力者「オッディ家」のための祭壇画として描いた作品です。本作はかつてナポレオンによってパリに持ち去られ、ウィーン会議でイタリアに返却されたのちに、バチカンが購入したものです。
天と地が二分された構図が特徴的ですが、まだこの時点では、彼の師であるペルジーノの影響が作中に強く見られると言われています。この構図は後年に彼がラファエロの間に制作した名作中の名作「聖体の議論」でも用いられていますが、完成度は「聖体の議論」の方が素人目でも見ても素晴らしいです。
リュートを奏でる天使

メラッツォ・ダ・フォルリ作(1480年頃)
この「リュートを奏でる天使」は、ローマの聖アポストリ教会の祭壇壁画に描かれていたフレスコ画の断片です。最も神に近い天使セラフィムとケルビムと共にキリストを囲む様に描かれていましたが、現在はこの断片ともう1枚が残るのみです。
② キアラモンティ美術館(Museo Chiaramonti)

ピーニャの中庭に面して建つ「キアラモンティ美術館」は、教皇グレゴリウス16世によって創設され、1989年に展示が開始されました。
キアラモンティ美術館の展示スペースである教皇宮殿とベルヴェデーレ宮を結ぶ長い廊下には、かつて教皇ピウス7世が収集した、1000点にも上る古代彫刻コレクションが展示されています。美術館名である「キアラモンティ」は、このキアラモンティ家出身の教皇「ピウス7世」に因んで名付けられました。
彫刻の大半は、神々や貴人、神話に登場する人物をモデルとしています。

彫刻の陳列は、裸体彫刻の第一人者でサン・ピエトロ大聖堂の彫刻も手掛けた「アントニオ・カノーヴァ」が行い、現在もその配列は維持されています。

回廊前半部分の右手側に飾られている「アテナ女神(写真下)」の頭部は、ハドリアヌス帝時代のもので、パルテノン神殿建設の総監督を務めた「ペイディアス」のオリジナルを、ローマ時代に模刻したものです。
また、バチカン美術館の公式マップや、ガイドブックなどでは、キアラモンティ美術館の回廊から新回廊に直接アクセスできる形で記されていますが、新回廊への入口は閉鎖されている事が多いです。参考までに、下のVR画像は新回廊内の景観です。一際大きく展示されている像は「ナイル川」を擬人化した作品で、その名もズバリ「ナイル川」です。
"La galería nacional de arte" by F. Bucher is licensed underCC BY 3.0
新回廊は開放されていれば儲けものという感覚でいた方が、がっかりしないと思います。
③ ピーニャの中庭(Cortile della Pigna)

ピーニャの中庭のシンボルの一つでもある「球体の中の球体」は、1926年生まれのイタリア彫刻家「アルナルド・ポモドーロ」の作品で、1990年にこの場所に置かれました。
ピーニャは「松ぼっくり」という意味で、この中庭のもう一つのシンボルである、球体後方の壁龕(へきがん)に置かれている青銅の「松ぼっくり」から来ています。
かつてこのオブジェクトは、コンスタンティヌス帝の旧大聖堂の玄関を飾っていました。
ピーニャの中庭にはベンチも置かれているので、涼しい時季は休憩に持ってこいの場所です。夏場は日陰がないので、ベンチに座る人はほとんどいません。
ピーニャの中庭の一角には、カフェも営業しています。半テラスなので、クーラーは効いてませんが、一休みするのにお勧めです。
④ ピオ・クレメンティーノ美術館(Museo Pio Clementino)

「ピオ・クレメンティーノ美術館」は、バチカンに集められた古代以降のコレクションを展示するために建造された美術館です。ピオ・クレメンティーノという名は、最終的な美術館の作品監修に携わった「ピウス6世」と「クレメンス14世」の名前を合わせたものです。
本美術館は、ベルヴェデーレ宮殿の中庭である「八角形の中庭」を中心に12の展示室(主な展示は5部屋)で構成されています。敷地内には、あのミケランジェロも絶賛したと言われる「ベルヴェデーレのトルソ」や「ラオコーン」など、古代ギリシャ及びローマ時代の貴重な彫刻が展示されています。
ピーニャの中庭の北側から「Museio Pio Clementino(ピオ・クレメンティーの美術館)」の案内板(写真下)にそって「ピオ・クレメンティーの美術館」入場すると、最初の見どころである「八角形の中庭」に出ます。
ピオ・クレメンティーノ美術館の見学箇所は大きく5部屋あります。以下地図の赤矢印のルートで見学して行くのが順路です。
当サイトの見学ルートでは立ち寄りませんが、時間のある方は「グレゴリアーノ・エジプト美術館」にもお立ち寄りください。
【ピオ・クレメンティーの美術館内の見学ルート】
八角形の中庭
八角形の中庭に出ると、八角の壁面に沿って彫刻が配置されています。もともとは八角形ではなく四角形の空間でしたが、1774年にミケランジェロやシモネッティが柱廊を設置し、現在の様な八角形となりました。
何気に素通りしてしまいそうな中庭ですが、飾られている彫刻は歴史的に有名な作品ばかりなので、壁面に沿って一週しながら彫刻もしっかりと鑑賞してください。
ラオコーン
八角の中庭で最も有名な彫刻がこの「ラオコーン」で、1505年にローマの7つの丘の一つである「エスクィリーヌスの丘」で発見されました。像には、神話に登場するアポロ神殿の神官「ラオコーン」が、敵国の神の怒りをかったために、2人の息子と共に二匹の大蛇に絞め殺された姿が表現されています。像の高さは184cmほどで、ロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家によって、紀元前2世紀頃に造られました。
ベルヴェデーレのアポロン
高さ222メートルの「ベルヴェデーレのアポロン」は、教皇ユリウス2世の最初の収集美術品で、バチカン美術館の礎となった作品です。元々は右手に矢を、左手に弓を持っていたと言われています。こちらは紀元前に造られたオリジナルを大理石で模刻したものになりますが、それでも2世紀に造られた貴重な作品です。像の名前はユリウス2世がベルヴェデーレ宮の中庭に飾った事に由来しています。イタリアの彫刻家「アントニオ・カノーヴァ」による作品です。
ペルセウス
本作も「ベルヴェデーレのアポロン」同様にアントニオ・カノーヴァが手がけた彫刻です。1797年にナポレオンが略奪した「アポロ像」の代替として、ピウス7世が1802年に入手しました。ペルセウスは神話に登場するゼウスの血を引く半神で、神々から授かった武器でメドゥーサ退治しました。
チグリス河
八角の中庭の南側にあるこの「チグリス河」は、ハドリアヌス帝時代に製作された作品の模刻で、近年に八角の中庭に置かれました。発見された時には頭部や腕が破損しており、ミケランジェロなどによって復元されました。像の土台の棺は、ギリシャ神話の物語「アマゾンの戦い」を表現しています。
動物の間
動物の間には、豹や獅子、豚、馬など様々な種類の動物彫刻が飾られ、床には紀元前2世紀のモザイク画がはめこまれています。部屋の一番奥で一際目を引く像は「メレアグロス」と呼ばれる作品です。この像はパロス島出身の古代ギリシア彫刻家「スコパス」が、紀元前4世紀ごろに制作したオリジナルの模刻であると考えられています。
ミューズの間(ベルベデーレのトルソ)
八角の中庭から動物の間を抜けた先にあるのが、1784年に一般公開された「ミューズの間」です。ミューズの中央には「ベルヴェデーレのトルソー」が堂々と置かれ、その周囲を9人のミューズのうち7人が像で飾られています。ミューズとは、ギリシア神話に出てくる 最高神ゼウスの娘である9人の女神のことです。これらの像は紀元前のものをローマ時代に模刻したものです。
視線を頭上に向けると、天井には美しいトンマーゾ・コンカ作のフレスコ画が描かれています。
ベルヴェデーレのトルソー
このミューズの間の最大の見どころである「ベルヴェデーレのトルソー」は、紀元前1世紀のヘレニズム美術の傑作で、像には「アテネのアポロニウス作」と刻まれています。この像はローマのナヴォーナ広場の南に位置する「カンポ ディ フィオーリ広場」で発見されたもので、筋肉美のリアルな表現にはあのミケランジェロやラファエロをも魅了したと言われています。頭部と手足を破損している像の高さは159cmほどで、おそらくヘラクレスを象ったものであると言われています。
参考までにミケランジェロの「ダビデ像」と「ベルヴェデーレのトルソー」の腹筋を比べてみました。腹筋のリアルさという点では向かって左の「ベルヴェデーレのトルソー」の方が優れている様に感じます。
円形の間
「円形の間」は、ローマのパンテオンにインスピレーションを受けたシモネッティとミケランジェロによって18世紀に造られた広間です。広間の中央には、4メートルを越える一枚岩の斑岩(火成岩)で造られた大水盤(写真下)が置かれています。
この大水盤は、ネロ帝の黄金宮殿から出土したものを18世紀末運び込んだものです。
大水盤を囲む中央の床は、イタリアのオトリーコリで出土された古代モザイクで飾られています。
頭上に視線を向けると、高さ22m、直径21.6mの円屋根から自然光が降り注いでいます。まるでパンテオンの屋根そのものです。
中央の大水盤を囲む様に広間の外周の壁龕(へきがん)部分には、彫像と胸像が飾られています。
ヘラクレス
円形の広間で最も貴重な像が、2世紀末に造られた「ヘラクレス」です。この像は1864年にカンポ・デイ・フィオーリ付近にあるポンペイウス劇場で発見され、ピウス9世に献上されました。こんぼうとライオンの皮を持っている事から「ヘラクレス」の像であると結論づけられました。素材には鍍金(めっき)が使用されています。
アンティノオス
円形の間の中でも一際美形の彫像があります。これはハドリアヌス帝の男娼にあたる「アンティノオス」の彫像です。アンティノオスは、ハドリアヌス帝のお気に入りでしたが、西暦130年にナイル川の水域で溺死しました。彫像は、1792-1793年の発掘調査で、ハドリアヌスの別荘とされる場所で発見されました。頭部の松ぼっくり型の冠が特徴的です。
ウェヌス・フェリックス
ウェヌス・フェリックスは、円形の間に飾られている、高さ214メートルのヴィーナスとその子供の像です。像のモデルは、第17代ローマ皇帝「コンモドゥス帝」の妻であるとされていますが、諸説あるため、確かな事は分かっていません。
ギリシャ十字の間
この広間は、等しい長さの2本線で構成される「ギリシャ十字」の形をしている事から「ギリシャ十字の間」と呼ばれています。18世紀後半のピウス6世時代に、ミケランジェロとシモネッティによって造られました。
ギリシャ十字の間には、斑岩で造られた2基の石棺が圧倒的な存在感で置かれています。また、女神アテネが描かれた床のモザイク画も必見です。
聖コンスタンツァの石棺と聖ヘレナの石棺
向かって左側がコンスタンティヌス皇帝の娘のために造られた「聖コンスタンツァの石棺」です。ローマのサンタ・コスタンツァ教会から運びこんだもので、棺の表面には、子供たちの収穫姿が彫られています。一方、右側は、コンスタンティヌス皇帝の母「ヘレナ」のために4世紀に造られた「聖ヘレナの石棺」です。ローマ南にあったヘレナの墓から運んできたもので、表面には、騎士と蛮族の戦闘の場面が彫られています。
床のモザイク画
ギリシャ十字の間の床に目を向けると、知の女神アテナを描いたモザイク画が描かれています。このモザイク画は、ローマ時代の廃墟の街「トゥスクルム」の遺跡で発見されたもので、3世紀ごろの作品です。
ギリシャ十字の間(ピオ・クレメンティーノ美術館)の先にある階段は2階の「燭台のギャラリー」へと続いています。
地図でもルートをご確認ください。水色矢印の方向に進んで階段を上ります。
⑤ 燭台のギャラリー、⑥タペストリーのギャラリー
ギリシャ十字の間(ピオ・クレメンティーノ美術館)から2階に上がると「燭台のギャラリー」「タペストリーのギャラリー」「地図のギャラリー」と3つのギャラリーが続きます。ここは、ラファエロの間やシスティーナ礼拝堂に行くために必ず通過する順路なので、システィーナ礼拝堂の看板に従って進んで行けばたどり着けます。
下の赤矢印のルートで「⑤ 燭台のギャラリー」から「⑥ タペストリーのギャラリー」の順で、「⑨ ラファエロの間」方面を目指して歩いて行きます。
当サイトの見学ルートでは立ち寄りませんが、時間のある方は「グレゴリアーノ・エトルリア博物館(Museo Gregoriano Etrusco)」にもお立ち寄りください。
燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)
もともとこの場所は壁のない単なる柱廊でしたが、18世紀後半のピウス6世の時代にシモネッティによって壁が増築されました。部屋名はアーチの下に大理石の巨大な燭台が置かれている事に因んで名付けられています。
この燭台は、かつてコンスタンツァ教会とサンタニェーゼ教会にあったものです。
ギャラリーの左右に並ぶ石棺や彫像の大半は、ギリシャ時代に造られたオリジナルをローマ時代に模刻したものです。模刻品とは言え、ローマ時代のものなので貴重である事に変わりはありません。
こちらは、ハドリアヌス帝の別荘で発見されたと言われる豊穣の女神「アルテミスの像」の模刻です。
19世紀のローマ教皇である「レオ13世」時代に描かれた天井画も必見です。
大理石の床にはそのレオ13世の紋章が描かれています。
壁面上部に飾られている絵画の一つに、あまり有名ではありませんが「レオ13世に寄贈するポーランドの使節団」という作品があります。
本作では、ポーランド使節団がヤン・マテイコの大作絵画「ソビエスキ、ウィーンを解放する」を、レオ13世に寄贈する場面が描かれています。作中で寄贈されている作品「ソビエスキ、ウィーンを解放する」は、バチカン美術館内の「ソビエスキの間」の壁面一面に飾られています。
タペストリーのギャラリー(Galleria degli Arazzi)
現在、このギャラリーに並ぶ約20点ほどのタペストリーは、16世紀~17世紀前半ごろまでシスティーナ礼拝堂に飾られていたもので、1838年以前はここに絵画が飾られていました。
タペストリーのうちの10点は、16世紀にラファエロの弟子達が下絵を描き、ブリュッセルで織り上げた名品で、「キリストの生涯」がテーマとなっています。下はそのうちの一つ「復活」です。
見事なタピストリーの数々が並んでいます。
⑦ 地図のギャラリー(Galleria delle Carte Geografiche)

幅6m、長さ120mの大きさを誇るこの「地図のギャラリー」は、教皇グレゴリウス13世が天文学者「イニャーツィオ・ダンティ」の下絵を元に、1580年から3年かけて造らせた大ギャラリーです。ギャラリーの両側の壁面には、その名の由来でもあるイタリアや教皇領の地図がフレスコ画で40枚も描かれています。
地図は当時の最新テクノロジーと科学を用いて制作されており、教皇グレゴリウス13世の在位期間中(1578年~80年)の、イタリアの歴史的な状況や当時の勢力を伺い知る事ができます。
そして、このギャラリーの印象を決定づけているのが、丸天井の端から端まで煌びやかに輝く黄金のスタッコ装飾です。これは、ローマの「サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会」の装飾なども手掛けた芸術家「ジローラモ・ムツィアーノ」と「チャーザレ・ネッビア」によって制作されました。このギャラリーの美しさは写真の一場面ではとても表現する事ができません。
天井の装飾の合間には、教会の歴史を描いた絵画も飾られています。
下画像は地図のギャラリーの出口扉上部で見られるバチカンの紋章とレリーフです。絢爛豪華以外の言葉が見つからないほど美しいです。
地図のギャラリーの見学を終えたら「⑧ 無原罪のお宿の間」「⑨ ラファエロの間」の順で見学して行きます。地図の赤矢印のルートで進んでください。
お急ぎの方は、地図のギャラリーを直進すれば「ラファエロの間」などを通らずに「システィーナ礼拝堂」にアクセスする事ができます。ただし、ラファエロの間は必見スポットなので、このルートはあまりお勧めしません。
地図のギャラリーを抜けて「⑧ 無原罪のお宿の間」に行く途中に2つの展示室「ピウス5世の居室(Appartamento di Pio V)」と「ソビエスキ王の間(Sala Sobieski)」を通過します。
ピウス5世の居室(Appartamento di Pio V)
ピウス5世によって建設されたこの居室には、様々な時代のタペストリーが展示されています。
下画像は、ラファエロ派の下絵に基づいて、16世紀のブリュッセルで制作された「マリアの戴冠」のタペストリーです。
また、クローズしている事も多いですが、居室の奥には小さな礼拝堂もおかれています。この礼拝堂の丸天井に描かれた、ジョルジョ・ヴァザーリとフェデリコ・ツッカリのフレスコ画は必見です。
ソビエスキ王の間(Sala Sobieski)
広間の名前はこの部屋に飾られているポーランド画家「ヤン・マテイコ」の大作「ソビエスキ、ウィーンを解放する(458×894cm)」に因んで名付けられています。マテイコは、この作品をウィーンでの勝利200年を記念して、無報酬でレオ13世に寄贈しました。
広間内には他にも19世紀の絵画が多数展示されています。
ソビエスキ王の間の見学後、順路に沿って進んで行くと「無原罪のお宿の間」に出ます。
⑧ 無原罪のお宿りの間(Sala dell’Immacolata)

1854年12月8日に教皇ピオ9世は無原罪のお宿りの教義を制定しました。無原罪のお宿りとは、聖母マリアが神の特別なはからいによって、原罪なしに生まれてきたとする教義です。教義制定から4年後の1858年、教皇ピオ9世は、当時最も有名なイタリア画家の一人、フランチェスコ・ポデスティに「無原罪のお宿り」を記念するフレスコ画制作を依頼しました。広間の名前はこの絵画に因んでいます。
部屋内のガラスの展示ケースは、フランスの銀製品の老舗メーカー「クリストフル」製のものです。
展示ケースには、ピオ9世の無原罪のお宿り制定を讃えて、王侯や司教などから贈られた書物などが展示されています。ただし、これらの大半は写本で、現物はバチカン図書館に保存されています。
頭上を見上げると、見事な天井画も描かれています。
無原罪のお宿りの間の見学を終えたら「Stanze di Raffaello(ラファエロの間)」の案内標識に従って移動します。
⑨ ラファエロの間(Stanze di Raffaello)

ラファエロの間は、教皇ユリウス二世からグレゴリウス13世までが居住エリアとして利用していた場所です。教皇ユリウス二世時代の1508年に、若干25歳の「ラファエロ」が装飾の全てを託されました。
この広間は、第1室「コンスタンティヌウスの間(1517~24年)」、第2室「ヘリオドロスの間(1512年~14年))」、第3室「署名の間(1508年~12年)」、第4室「火災の間(1514年~17年)」の4室からなり、1508年~1524年まで16年の歳月をかけて、ラファエロとその弟子達で制作されました。
ラファエロは制作が開始された12年後に、37歳の若さで他界してしまったため、その弟子達が制作を引き継ぎ、4年後の1524年に完成しました。生前のラファエロが最初に手掛けた、第3室「署名の間」では、「アテネの学堂」や「聖体の議論」など、ラファエロの作品の中でも特に評価の高い名作を鑑賞する事ができます。
見学順路は、地図の赤矢印の順序で、第1室の「コンスタンティヌウスの間」から見学して行くのがお勧めです。
第1室 コンスタンティヌウスの間
この広間は、4室の中で一番最後に完成した事もあり、ラファエロの死後に主に弟子達が手掛けた部屋です。広間を飾る作品はコンスタンティヌウス帝の生涯がテーマになっており、壁の4面には「コンスタンティヌウス帝の洗礼」や「ミルウィウス橋の戦い」「十字架の出現」「コンスタンティヌスの寄進状」などの作品が並んでいます。この広間はレセプションや公的儀式を行うために造られています。
一説では、この広間の作品は下絵でさえも弟子達が手掛け、ほぼラファエロ自身は関わっていないとされています。
コンスタンティヌウス帝の洗礼
ローマに現存するカトリック教会「サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂」で、「コンスタンティヌウス帝」がキリスト教に改宗するための洗礼を受ける姿が描かれています。本作はラファエロの弟子「ジュリオ・ロマーノ」が手がけた事がはっきりと分かっています。ジュリオ・ロマーノはラファエロの工房の弟子の中でも特に優秀な人物でした。
ミルウィウス橋の戦い
作中では2人のローマ皇帝「コンスタンティヌス1世」と「マクセンティウス」の間で起こった「ミルウィウス橋の戦い」が描かれています。戦いは、コンスタンティヌス1世が勝利し、マクセンティウスは部下数千人と共に川に飛び込み自害しました。
十字架の出現
「十字架の出現」では、マクセンティウスの反乱討伐で進軍する「コンスタンティヌス帝」の頭上に十字架が突如出現し、「この十字架を掲げれば勝利できる」という声を聞いたという場面が描かれています。

{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA
コンスタンティヌスの寄進状
コンスタンティヌスの寄進状は、コンスタンティヌス帝がローマ教会に帝国の西半分の領土を譲渡する内容が記された中世最大の偽書です。ローマ教皇の皇帝に対する優位性を示す根拠として悪用されました。作中では、皇帝コンスタンティヌス1世が、教皇シルウェステル1世に寄進する場面が描かれています。本作はラファエロの弟子「ジャンフランチェスコ・ペンニ」と「ジュリオ・ロマーノ」が手掛けました。
天井画(コンスタンティヌウスの間)
コンスタンティヌウスの間の天井画には創世記の物語「イサクの犠牲」「燃える柴」「ヤコブのはしご」「ノアの前に現れたヤハウェ」が描かれています。
下は天井画の場面をズーム撮影したものです。迫力があります。
第2室 ヘリオドロスの間
教皇のプライベートスペースであるこの部屋は、1512年から1514年のラファエロ生存期間中に制作されました。そのため、第3室「署名の間」に次いでラファエロ色の強い部屋です。部屋内の壁を4つの大作「宮殿から追放されるヘリオドロス」「大教皇レオとアッティラの会談」「ボルセーナの奇跡」「聖ペトロの解放」が飾っています。
部屋名である「ヘリオドロスの間」は、この部屋に入ってすぐの壁に描かれている「宮殿から追放されるヘリオドロス」の画に因んでいます。
宮殿から追放されるヘリオドロス
ヘレニズム時代のユダヤの歴史を描く歴史書「マカバイ記」の中の一場面を描いた作品です。作中では、シリア王のフィロパトルに、エルサレム神殿の財宝を奪うように命じられた「ヘリオドロス」が、神の使わした騎士と戦う姿が描かれています。
大教皇レオとアッティラの会談
ラファエロの死後に弟子たちによって描かれた作品。作中では、北アジアの遊牧騎馬民族「フン族」の王「アッティラ」のローマ侵攻を、教皇レオ1世が停戦交渉によって食い止めた場面が描かれています。フン族の王「アッティラ」は、現在のロシア・東欧・ドイツを結ぶ一帯に大帝国を築き上げた人物で、キリスト教信者に畏怖される存在でした。
作品の題材となった場面は、イタリアの都市マントヴァですが、作中ではコロッセオや水道橋など、何故かローマの建造物が背景に描かれています。
ボルセーナの奇跡
ヘリオドロスの間内の窓上部の半円型のスペースには、聖書の一場面「ボルセーナの奇跡」が描かれています。
作中では「聖変化」を信じていなかったボヘミア司教が、ローマに巡礼に向かう途中に「聖変化」を目の当たりにしたという1263年の「ボルセーナの奇跡」が描かれています。「聖変化」とは、パンとぶどう酒がイエス・キリストの体(聖体・聖体血)に変化する現象の事で、聖変化を行うための儀式を「聖体拝領」と言います。
聖ペトロの解放
聖ペトロの解放はラファエロが自らが手がけた作品です。作中では、ヘロデ王によって投獄された「聖ペトロ」が、神々しい光と共に現れた神の御使によって、鎖を解き放たれる場面が描かれています。

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第3室 署名の間(アテナの学堂・聖体の議論)
ラファエロの間で最初に完成したのがこの「署名の間」です。20代のラファエロは1509年から1511年にかけて、この部屋の多くを一人で手掛けました。部屋名の「署名の間」は、もともと図書館兼書斎であったこの場所で、教皇が公式文章に署名する作業を行っていた事に因んでいます。
この広間は、人間精神の最上とされるカテゴリー「真」「善」「美」を主題としており、それらは4つの絵画「アテネの学堂(自然的な真理)」「聖体の議論(超自然的な真理)」「枢要徳(善)」「パルナッソス(美)」で表現されています。中でも「アテナの学堂」と「聖体の議論」は、ラファエロの生涯の中でも傑作に数えられる作品です。
アテナの学堂
アテネの学堂は、古代ギリシャ・ローマ時代の偉大な哲学者や科学者たちが、一堂に会する場面を描いた作品です。背景の建物はサン・ピエトロ大聖堂であるという説が有力です。
作品上部中央アーチの下に描かれているのは、向かって左側が「プラトン」、右側が「アリストテレス」です。
プラトンは知識の源としての最高点である天を指さし、アリストテレスは物理の確実性を示す様に地に手をかざしています。ちなみに、プラトンはレオナルド・ダ・ヴィンチが顔のモデルになっています。
更に絵画の右下側には、作者のラファエロ自身が、作中の人物の中で唯一こちら側に目線を向ける形で描かれています。彼の遊び心でしょうか。ラファエロの右側で白いベレー帽を被っている人物はマニエリスム期のイタリア画家「ソドマ」です。
また、茶色の帽子をかぶって天球を手にしているのが預言者「ゾロアスター」、後ろ向きで地球儀をもっているのは地理学者の「プトレマイオス」であるとされています。
他にも、頬杖をつく「哲学者ヘラクレイトス」演じる「ミケランジェロ」や、コンパス片手に問題を解く「ユークリッド」演じるブラマンテなど、ラファエロの先輩画家たちがモデルとして何人も登場しています。
このミケランジェロの顔をモデルとした「ヘラクレイトス」は後に書き足されたもので、ラファエロはヘラクレイトスを書くためだけに全体の構図を変えたとも言われています。
ユークリッドは、古代エジプトのギリシャ系数学者兼天文学者です。顔のモデルとなっている「ブラマンテ」は、サンピエトロ大聖堂を設計し、教皇ユリウス2世に「ラファエロ」を推薦した人物です。
聖体の議論
署名の間でラファエロが最初に手がけたのがこの「聖体の議論」です。本作は、上下に異なる2つの場面が描かれているのが特徴で、作名である「聖体」が天と地を結びつける役割を果たしています。
上部の天上界では、中央のキリストを取り囲む様に聖人や預言者達が描かれ、キリストの頭上には父なる神が、左右には聖母マリアと養父ヨハネが描かれています。
また、キリストの真下のハトは聖霊を象徴し、聖霊の左右には4つの福音書が描かれています。
絵画の下部では、聖体顕示台が置かれた祭壇を挟み、両側の聖職者たちが「聖体の意義」について議論しています。下段の右手側には教皇の衣装をまとった聖グレゴリウス(モデルはユリウス2世)とシクトゥス4世が描かれています。
枢要徳
ラファエロが自身が手がけた真善美のうち、善のカテゴリーを表現した作品です。
題名である「枢要徳」とは、あらゆる徳を基礎づける4つの徳「剛毅」「賢明」「節制」「正義」の事を意味しています。本作ではこの徳を絵画の中で表現しており、左手側で樫の枝を持つのが「剛毅」、鏡をのぞくのが「賢明」、手綱を握るのが「節制」となっています。理由は分かりませんが「正義(画像下)」だけが、同部屋内の天井画の一つとして描かれています。
パルナッソス
真善美のうち、愛のカテゴリーを表現した作品。作中の中央では、ミューズ(9人の女神)に囲まれたアポロンがリラを奏でています。向かって左側で天を仰ぎ見るのは吟遊詩人「ホメロス」、その左の横向きの人物が神曲で知られる「ダンテ」です。このバルナッソスは、聖体の議論やアテネの学堂よりも後に手がけられたものです。
天井画と壁画(署名の間)
署名の間はラファエロの間で最も美しいと言われるだけあって、壁画や天井画まで名作の宝庫です。
【教令集の公布】
この壁画はラフェロ作ではなく、フィレンツェ ドゥオーモのステンドグラスを手がけた「ギョーム・ド・マルシア」の作品です。マルシアもブラマンテの招きでラファエロの間の装飾に携わりました。
中央の人物はグレゴリウス9世で、顔のモデルは教皇ユリウス2世です。
【署名の間の天井画】
署名の間の天井画はラフェロの弟子達が手がけたものです。
下は天井画の一部「アダムとエヴァの誘惑」部分を拡大したものです。
第4室 火災の間
火災の間ははかつて教皇の食堂として利用されていた場所です。ユリウス2世の後を継いだメディチ家出身のローマ教皇「レオ10世」の依頼で1514年~1517年にかけて制作されました。部屋内には、レオと名の付く歴代教皇の時代に起こった出来事が描かれたフレスコ画「ボルゴの火災」「レオ3世の弁明」「オスティアの戦い」「カール大帝の戴冠」が飾られています。
ボルゴの火災
このボルゴの火災は、部屋名の由来になっている作品で、847年のレオ4世の時代にバチカン周辺で起こった火災の場面が描かれています。
奥に見える塔の様な建物は、ラファエロがこの作品を手がけた時には現存していた旧サン・ピエトロ大聖堂です。大聖堂の祝福のロッジャに立って十字を切る教皇が火災を消し止め、市民に讃えられています。
このボルゴの火災は唯一、この広間でラファエロが構図から全て手がけた作品で、それ以外はラファエロの指示のもと、弟子たちが手掛けました。
カール大帝の弁明
「カール大帝の弁明」は、ハドリアヌス1世の甥たちの中傷に対し、サン・ピエトロ大聖堂で弁明を立てるレオ三世の姿を描いた作品です。この時、「キリストの代弁者である教皇を裁けるのは神だけである」と天から声がしたと言われています。
オスティアの戦い
オスティアの戦いは、レオ4世の軍隊がサラセン人(イスラム教徒)の襲来に勝利した場面が描かれています。
レオ4世の顔はレオ10世がモデルになっており、レオ10世のトルコ人に対する十字軍遠征を暗示しているとも言われています。本作は構図と多数のデッサンをラファエロが描き、それを元に弟子たちが完成させました。
カール大帝の戴冠
シャルル・マーニュの戴冠とも呼ばれる本作は、レオ三世がカール大帝を皇帝として戴冠させる場面が描かれています。「シャルル・マーニュ」とは、カール大帝のフランス語での呼び名です。
作中では、カール大帝を「フランソワ1世」、レオ三世を「レオ10世」が顔のモデルとして描かれています。
カール大帝の戴冠は、ラファエロの一番弟子ともいえる「ジュリオ・ロマーノ」と「フランチェスコ・ペンニ」が協力して完成させました。
天井画(火災の間)
火災の間の天井画は、ルネサンス期のイタリア画家で、ラファエロの師でもあった「ペルジーノ」が1507年から1年かけて制作しました。
ラファエロの間の見学後は「Cappella Sistina」の表示に従って行きます。

階段を下ると真下の「ボルジア家の間」に出ます。
⑩ ボルジア家の間(Appartamento Borgia)

2階のラファエロの間のほぼ真下に位置するのがこの「ボルジア家の間」です。この広間は、ボルジア家出身で、チェーザレ・ボルジアの父としても知られる「アレクサンデル6世」によって造られました。装飾はイタリア画家「ピントゥリッキオ」が手がけ、1492年から2年がかりでこの広間に装飾を施しました。
広間は8室で構成され、それぞれの部屋には「巫女の間」や「諸聖人の間」など、展示作品に因んだ名前がつけられています。
展示作品は、第6室「奥義の間」のキリストの生涯をテーマにしたフレスコ画「受胎告知」「キリスト降誕」「東方三博士」「キリスト復活」などをはじめ、イタリア内外の現代美術家達によって寄贈された現代宗教美術コレクション(画像下)なども一部展示されています。
下は第4室「自由七学芸の間」の天井装飾です。金地の漆喰やグロテスク模様など、中々の豪華さです。
この広間の創設者であるアレクサンデル6世は、強欲で黒い噂の絶えない教皇と知られ、15世紀後半に汚職で退位させられました。そのため、この広間自体も長きに渡り手つかずの状態となりましたが、18世紀末になってようやく展示品が公開される様になりました。
ボルジア家の間の展示ボリュームは中々のものですが、そこまで有名な美術品はありません。ボルジア家やチェーザレに興味がなければ10分~20分ぐらいでさっと見学するぐらいがお勧めです。
ボルジア家の間の見学後、再び「Cappella Sistina」の案内に従って、階段を下っていきます。
ボルジアの間からシスティーナ礼拝堂に行く途中に「現代宗教美術コレクション(contemporanea)」の展示エリアも通過します。
現代宗教美術コレクションを通過後も、とにかく「Cappella Sistina」の案内に従って階段を上がり下がりして行けば「システィーナ礼拝堂の入口(写真下)」にたどり着くことができます。
地図で見ると、水色で塗りつぶしたルートを移動する形になります。
⑪ システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina)
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バチカン美術館のハイライトがこの「システィーナ礼拝堂」の見学です。教皇専用の聖なる祈り場であるこの礼拝堂は、新しい教皇を選出する選挙「コンクラーべ」や教皇の戴冠式などが行われる場所としても知られています。
システィーナ礼拝堂という名は、この礼拝堂の生みの親で、ルネサンス期のローマ教皇「シクストゥス4世」の名に因んだものです。シクストゥス4世は、フィレンツェの建築家に命じて、1477年から1480年(1475年〜1481年という説も)にかけてこの礼拝堂を完成させました。
礼拝堂の大きさは、奥行40m、幅約13m、高さ20mを誇り、堂内の天井や壁面は美しい芸術作品の数々で埋め尽くされています。
中でもミケランジェロが描いた祭壇の壁画「最後の審判」と、天井画「天地創造」は美術史上に残る屈指の名作です。この作品を見るだけでもバチカン美術館を訪れる価値があります。

礼拝堂の左右の壁に描かれている「新約聖書」と「旧約聖書」の物語を題材にした「12枚の壁画(フレスコ画)」も、15世紀を代表する一流芸術家たちが手掛けた名作です。
残念ながら内部は一切の撮影が禁止なので、目に焼き付けて楽しんでください。当サイトで掲載している写真はピーニャの中庭にあったパネルを撮影したものです。
最後の審判(ミケランジェロ)
ミケランジェロ作(1536年~1541年)
「最後の審判」は、既に同礼拝堂の天井画「天地創造」を完成させ、その名声をとどろかせていた「ミケランジェロ」が16世紀に手がけた作品です。
最後の審判の大きさは、縦1370cm、横1220cm、その内容は「新約聖書」やダンテの「神曲」に基づいて表現されています。簡単に言うと、人間は生前の行いの善悪によって、この世の終わりに再臨したキリストの裁きを受け、天国か地獄に送られるというものです。
作中に登場する人物は約400名ほど、中央上部で光を背負うのが「イエス・キリスト」です。
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キリストの左側の女性は「聖母マリア」で、他にも聖人、預言者、使徒、殉教者などが審判側で描かれています。
天地創造(ミケランジェロ)
1508年、ローマ教皇「ユリウス2世」は、33歳の若き日の「ミケランジェロ」に、システィーナ礼拝堂の天井装飾を命じました。
ミケランジェロは天井と平行に寝そべるのではなく、立ってやや後ろに反る様な体勢で本作を描きました。この作業を数年間行う訳ですから、かなりの重労働だったことは想像に難くありません。
そして、1508年の制作開始から4年半後の1512年11月、度重なる困難を乗り換えてミケランジェロは天井画を完成させました。
総面積1000㎡近くもあるこの天井画の中央には、旧約聖書を題材にした創世記の9つの物語が、約300の登場人物と共に描かれています。
各物語は「最後の審判」の壁画側から礼拝堂の入口側に向かって「光と闇の分離」「太陽と月の創造」「地と水の分離」「アダムの創造」「イヴの創造」「原罪と楽園追放」「ノアの燔祭」「大洪水」「ノアの泥水」の順で展開されていきます。
以下は9つの物語の中でも特に有名な「アダムの創造」と「原罪と楽園追放」になります。
【アダムの創造】

【原罪と楽園追放】
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12枚の壁画
システィーナ礼拝堂の左右中段の壁面には「新約聖書」と「旧約聖書」の場面が、12枚のフレスコ画で描かれています。これらは全てに15世紀後半に、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ギルランダイオなど、イタリアを代表する画家達によって手掛けられたものです。
【旧約聖書 - モーゼの生涯】

【新約聖書 - イエスの生涯】

システィーナ礼拝堂、天井画、壁画については、以下の記事にて更に詳しく解説しております。
⑫ バチカン図書館

バチカン美術館は1475年に、ニコラス5世とシクストゥス4世によってヨーロッパで最初の図書館として創設されました。そのコレクションは膨大で、文献資料が約7万5千点、活字印刷物が約8千5百点、総合計で約110万点の蔵書を誇ります。
このバチカン図書館は、ガイドブックなどでも曖昧にしか情報が掲載されていないため、どこからどこまでがバチカン図書館か分からないまま見学を終えてしまう方がほとんどです。
バチカン図書館は、複数の広間、礼拝堂、ギャラリー、美術館で構成されており、300メートルにも及ぶ長い回廊に沿って、教会の資料や古文書、絵画、装飾品などが展示されています。システィーナ礼拝堂から、サンピエトロ大聖堂に続く通路を通らずに、順路に沿ってバチカン美術館内を歩いて来れば必ず通過する事ができます。
ただし残念ながら、100万を超える蔵書コレクションがあるメインの美しい図書室には入場する事ができません。入場には推薦状や予約が必要との事です。
我々がアクセス可能なバチカン図書館の展示エリアでは、下画像の様な美しい装飾の中で豊富なグッズや土産品なども販売されています。
下写真は、最初に通るバチカン図書館内の見学エリア「キリスト教美術館」です。キリスト教美術館の展示は数部屋に渡って続きます。
十字架やコイン、装飾の一部など、キリスト教に関わりのある品々が回廊に沿って展示されています。
下画像がキリスト教美術館(バチカン図書館内)の最後の展示エリアです。
キリスト教美術館を抜けても、バチカン図書館の回廊はまだまだ続きます。
バチカン図書館の回廊は「シクストゥスの間」や「パウロの間」など、複数の部屋で構成されていますが、バチカン美術館の公式マップやガイドブックなどでもざっくりと「バチカン図書館の回廊」でまとめられてしまっています。
こちら(下画像)は、バチカン図書館の回廊内の一部「パウロの間」に飾られている「王座の聖母」です。1922年にピウス11世に贈られた作品です。
パウロの間の先も図書館の回廊は続きます。
この階段の降り口が見えた時点で「バチカン図書館の回廊」は終了です。
これでバチカン美術館の見どころは一通り網羅した形になります。時間がある方は、見学開始地点に戻って再度「ピナコテカ」や「エジプト美術館」などを見学する事も可能です。
バチカン美術館内のその他の美術館
バチカン美術館内には、大小20以上もの美術館や博物館があります。以下に本記事のモデルコースでは紹介しきれなかった美術館をいくつかご紹介します。
グレゴリウス・エジプト美術館(Museo Gregoriano Egizio)

エジプト美術館は、ピオ・クレメンティーノ美術館の南側に位置する中規模な美術館です。1839年2月にグレゴリウス16世によって創設されました。展示作品は、18世紀末の歴代教皇が収集したエジプトの美術品、帝政ローマ時代の彫刻、ハドリアヌス帝の別荘にあった品々、ミイラの棺や副葬品まで多岐に渡ります。
このグレゴリウス・エジプト美術館に展示されているものは貴重な品々ばかりですが、一般的に有名な展示品はありませんので、時間のない方や興味のない方はスルーしても良いと思います。
グレゴリウス世俗美術館(Gregoriano Profano Museum)

ピナコテカ(絵画館)に隣接する「グレゴリウス世俗美術館」は、ヨハネ23世がラテラーノ宮殿から運び込んだグレゴリウス16世のコレクションが展示されています。展示品は教皇庁によって発掘されたローマ時代の彫刻や石棺、レリーフなどが中心となっています。館内は展示品間のスペースも広く、やや殺風景な雰囲気です。
頭部のないアテナ像は、古代ギリシアの彫刻家ミュロンの像を復元するため石膏模型として使用されたものです。右側のマルシュアスの像は、同じくミュロンによって134年に制作されたオリジナルの複製品です。
こちらは「若き競技者の墓碑」という紀元前5世紀の作品です。
帝政ローマ期の作品を復刻した「ソフォクレス像」
ピオ・クリスティアーノ美術館(Museo pio cristiano)

ピオ・クリスティアーノ美術館は、1854年にピウス9世によって開館されました。収蔵コレクションは、ローマの地下共同墓地(カタコンベ)で出土された遺物が中心で、発掘時に現場に置き切れなかったものがこの美術館に収蔵されています。展示のラインナップは、公共建造物や宗教建築に関する碑文、彫刻、モザイク、建築の断片などで構成されています。

本美術館は、上でご紹介したグレゴリウス世俗美術館と境目が分からないぐらい密接に隣あっており、ぱっと見の展示内容も似ています。また、共にバチカン美術館の出口階段近くに位置しているので、館内を一通り観光した帰り際にちょこっと立ち寄る程度の見学がお勧めです。
ジュゼッペ・モーモの螺旋階段から出口へ
バチカン美術館の見学を終える方は、館内の至る所にある「Uscita(Exit)」の案内沿って行けば、1932年に「ジュゼッペ・モーモ」の設計によって造られた「螺旋階段」を通って出口まで移動する事ができます。
螺旋階段から頭上に目を向けると、八角形のガラス窓から光が差し込んでいます。
螺旋階段を降りきった先に、出口があります。当然ですが一度外に出ると、中に戻ってくる事はできません。館内に入場してすぐに荷物を預けた方は、この右手側にある窓口で受け取る事ができます。
バチカン美術館は入口と出口が別になっています。出口は入口を正面にして、右手側の壁面沿いになるので、ほぼ入口と同じ位置に出る事ができます。
バチカン美術館 館内地図とモデルコース

下の地図は公式サイトで配布されているバチカン美術館の地図を元に、当サイト独自で作成した館内地図になります。
上の地図とは別で、フロア別に分かりやすく記されたタイプの地図(画像下)もバチカン美術館の公式サイトで配布されています。
こちらの地図はバチカン美術館公式サイトの「Mappa Musei Vaticani(PDF)」ページよりダウンロード頂けます。
当日ご利用される地図は、お持ちのガイドブックのものも含めて、ご自身のご利用しやすい地図を活用ください。バチカン美術館は位置関係を把握するのが本当に難しいです。
以下にて、バチカン美術館の必須ポイントを押さえながら、効率よく館内を見学できるモデルコースもご紹介します。
所要時間別のモデルコース
バチカン美術館は所要3〜4時間ぐらいかけてじっくりと見学するのがお勧めです。これぐらいの時間があれば、館内の大きな見所は一通り網羅する事ができます。以下にお勧めの「所要3時間~4時間コース」と、時間がない方のための「所要1時間~2時間」コースの2パターンをご紹介致します。各スポットの文字をクリックすると、イメージ画像が開きます。
所要3〜4時間コース
主要スポットを逃さずに網羅する見学コースです。
- ↓① ピナコテカ(絵画館)
- ↓② キアラモンティ美術館
- ↓③ ピーニャの中庭
- ↓④ ピオ・クレメンティーノ美術館
- 階段で2階へ
- ↓⑤ 燭台のギャラリー
- ↓⑥ タペストリーのギャラリー
- ↓⑦ 地図のギャラリー
- ↓⑧ 無原罪のお宿りの間
- ↓⑨ ラファエロの間
- 階段で1階へ
- ↓⑩ ボルジア家の間
- ↓⑪ システィーナ礼拝堂
- ↓⑫ バチカン図書館
特にお勧めの見学箇所は赤字で表記していますので、時間をかけてじっくりと見学してください。逆に「⑧ 無原罪のお宿りの間」や「⑩ ボルジア家の間」などは、地図のギャラリーからラファエロの間やシスティーナ礼拝堂に行く途中に必ず通る都合上、見学コースに含めておりますが、そこまでお勧めではありません。さっと通り過ぎるぐらいで十分です。
所要1.5〜2時間コース
あまりお勧めはしませんが、どうしても時間が取れない方のために、所要1.5~2時間コースもご紹介します。やや駆け足になるとは思いますが「ラファエロの間」以外のメインスポットは一通り網羅できます。
- ↓① ピナコテカ(絵画館)
- ↓② ピオ・クレメンティーノ美術館
- 階段で2階へ
- ↓③ 燭台のギャラリー
- ↓④ タペストリーのギャラリー
- ↓⑤ 地図のギャラリー
- 階段で1階へ
- ↓⑥ システィーナ礼拝堂
- ↓⑦ バチカン図書館
ラファエロの間も見学コースに含めたいですが、時間の都合で外しました。あくまでもモデルコースなので、ご自身の嗜好でピナコテカの代わりにラファエロの間を見学するなど、随時調整ください。ただし絶対に「システィーナ礼拝堂」だけは見学する事をお勧めします。
また、注意点としまして、夏場のピークシーズンなどは混雑のため、先を急ぎたくても行列がひどくて進めなくなります。特に「燭台のギャラリー」から「地図のギャラリー」にかけては非常に混雑し、かなりの時間をロスします。その点を踏まえると、バチカン美術館観光には、最低でも2時間ぐらいの観光時間は確保しておいた方が間違いありません。
バチカン美術館の予約は必須
上記モデルコースの所要時間などは、バチカン美術館のチケットを予約の上で並ばずに入場する事が前提となっております。バチカン美術館は、年間40万人以上も観光客が訪れる人気スポットであるため、当日券購入で入場する場合は、入場まで1時間〜2時間待ちという事も普通にありえます。バチカン美術館の予約方法に関しては以下の記事で詳しく解説しておりますので参考にしてください。
見学エリアの開始地点について

バチカン美術館の見学エリアは、チケットの改札機を抜けた後にある「スローブ(写真上)」を登りきった所が出発地点(写真下)になります。ガイドブックなどでは、このフロアを1階とし、その一つ上の階を2階という様な感じで解説している場合が多いです。
上写真の階段を登りきった地点から、右に行くと「絵画館(ピナコテカ)」、左に行くと「キラモンティ美術館」や「ピオ・クレメンティーノ美術館」があります。左右どちらから見学しても、再びこの場所に戻ってくる事は可能ですが、先に右側の「絵画館(ピナコテカ)」を見学した方が、位置関係が把握しやすいと思います。下の地図の言うと、水色で塗りつぶしたルートで移動する感じです。
「絵画館(ピナコテカ)」を見学したら、再び「開始地点」に戻って、「キアラモンティ美術館」「ピーニャの中庭」「ピオ・クレメンティーノ美術館」の順で観光し、その流れで2階に上がって行く形です。
下は最初に見学する「絵画館(ピナコテカ)」の入口の写真です。
バチカン美術館見学のヒント
バチカン美術館を見学する上で、知っておくと役立つちょっとしたヒントをご紹介します。
困った時の「システィーナ礼拝堂」
バチカン美術館は、地図や事前にルートをある程度把握していても、思い通りに移動できない方が多いと思います。また、夏場などは混雑で思うように移動できず、地図で現在地点を確認する気力も無くなってくると思います。
そういった場合は、とにかく「Cappella Sistina(システィーナ礼拝堂)」と書かれた案内に従って進んでください。
この案内にさえしたがってさえ行けば、「燭台のギャラリー」「タペストリーのギャラリー」「地図のギャラリー」を通過して、「ラファエロの間」付近まで近づく事ができますし、ある程度の見所を自然に網羅する事ができます。案内板は至る所にあるので、とにかく困った時は「Cappella Sistina(システィーナ礼拝堂)」と覚えておくと良いと思います。
バチカン美術館の大渋滞ゾーン
ラファエロの間やシスティーナ礼拝堂へ移動する際に必ず通過する「地図のギャラリー」は、バチカン美術館の中で最も渋滞するエリアと言っても過言ではありません。夏場の日中などは、このエリアに一度足を踏み入れると、1分に数メートルづつぐらいしか進まなくなります。また、人の熱気で暑さも凄いので、具合が悪くなる方も多いです。
とは言え、この地図のギャラリーを通過しないと「ラファエロの間」や「システィーナ礼拝堂」には移動できませんので、もし時間に余裕があるのであれば、地図のギャラリーがある2階へ移動する前に、ピーニャの中庭などにあるカフェ(画像下)で一休みするのがお勧めです。
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この記事への質問と回答一覧
はじめまして。
こちらのサイト、大変役立ちました。
旅のブログにリンク先を貼ってもいいでしょうか。
まだ作成途上です。
是非お願い致します。