荒野の聖ヒエロニムス(レオナルド・ダ・ヴィンチ)の特徴や作品構図を徹底解説
本記事では、レオナルド・ダ・ヴィンチの未完の傑作『荒野の聖ヒエロニムス』を徹底解説致します。絵画の特徴や構図解説はもちろん、他画家との比較や見学情報まで幅広くご紹介致します。
聖ヒエロニムスとは
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「聖ヒエロニムス」は、4世紀に実在したキリスト教の聖人で、本名はエウセビウス・ソポロニウス・ヒエロニムスと言います。
ダルマティア(現在のクロアチア)に生まれ、「聖書(ウルガータ聖書)」をラテン語に訳した人物として広く知られています。
晩年には、シリアの荒野で、性的欲望を打ち払うため、自らの身体を石で打ち付けたと言うストイックな伝説の持ち主でもあります。
本聖人は、中世の絵画テーマとしては非常にポピュラーで、多くの画家が「聖ヒエロニムス」を主題とした作品を残しています。
絵画として「聖ヒエロニムス」を描く時は、作中のモチーフなどに伝統的表現が存在し、「ライオン」「赤い帽子」「手に持つ石」「聖書」などが人物と共に描かれる事が多いです。また、作中の場面は「荒野の砂漠で修行する姿」か「書斎で聖書を読む姿」のいずれかを描くのが定番となっています。
レオナルドの『聖ヒエロニムス』を解説
絵画『荒野の聖ヒエロニムス』は、レオナルドの1480年頃の作品で、未完成ながら、専門家達に非常に高い評価を受けている作品です。
部分的にわずかな彩色が見られますが、大部分はモノクロで下書きのままとなっています。
完成していれば、同作者の『モナ・リザ』や『最後の晩餐』と並ぶ傑作になっていたに違いありません。
本作に関する明確な資料や文献は残されていませんが、特徴的な技法や作風などから、本作がダ・ヴィンチ作品である事を疑う有識者はほとんどいません。
現在、本作はバチカン美術館の「ピナコテカ(絵画館)」に展示されています。
絵画の基本情報
作品名 | 荒野の聖ヒエロニムス(Saint Jerome in the Wilderness) |
---|---|
製作者 | レオナルド・ダ・ヴィンチ |
制作年 | 1480~1482年頃 |
所在地 | バチカン市国 |
展示場所 | バチカン美術館内のピナコテカ(絵画館) |
作品形態 | 油彩、くるみの板 |
大きさ | 縦102.8cm × 横73.5cm |
依頼主 | 不明 |
公式HP(英語) | https://m.museivaticani.va/content/museivaticani-mobile/en.html |
場面解説と作品構図
レオナルド・ダ・ヴィンチの『聖ヒエロニムス』は「黄金伝説」のエピソード(第140章 ヒエロニムス)に基づいて描かれています。
この黄金伝説に基づく点は、それまで多くの画家が描いてきた「聖ヒエロニムス」の絵画と同様で、「場面」「登場人物」「モチーフ」なども、従来の伝統的表現に忠実に従っています。
一方で、斬新な構図、絵画の迫力、正確な人体描写などの点において、他画家の「聖ヒエロニムス」とは明らかに一線を画しており、レオナルドならではの革新的作品に仕上がっています。
参考までに「黄金伝説」とは、キリスト教の聖人たちの伝記集的な書物で、作者は、13世紀前半のジェノヴァ第8代大司教「ヤコブス・デ・ウォラギネ」です。
黄金伝説によれば、「聖ヒエロニムス」は、性的欲望に打ち勝つため、カルキス(シリア)の砂漠で、約4年間(374〜378年頃)の苦行を行い、自らの胸を繰り返し石で打ちつけたそうです。右手に石を握っているのはそのためです。
画面の左手側には、ヒエロニムスが枢機卿であった事を示す「帽子」も描かれています。「帽子」は、彩色まで進んでいれば赤色に塗られていたと考えられます。
「ヒエロニムス」は、岩だらけの洞窟でひざまずき、かすかにスケッチされた十字架に祈りを捧げています。
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十字架奥の岩の開口部には、教会の下絵も確認できます。
霧に包まれた険しい山々に囲まれた遠景と、洞窟風景は、レオナルドの代表作の一つ『岩窟の聖母』と酷似しており、本作がレオナルド作であるとする根拠の一つとなっています。
続いて、作品構図に目を向けてみます。体のシルエットに線と塗りを加えてみると、台形を成す「ヒエロニムス」の対角線上に、S字型に曲がりくねった「ライオン」が配置されている事が分かります。
一見すると、大胆かつ斬新な構図ですが、ゴツゴツとした「ヒエロニムス」の対角線上に柔らかいシルエットの「ライオン」がいる事で、作品全体のバランスが安定し、スッキリとまとまった印象を絵画全体に与えています。正に計算し尽くされたレオナルド・ダヴィンチならではの天才的構図と言えます。
黄金伝説によれば、手前の「ライオン」は「ヒエロニムス」が弟子に聖書を説いている最中に現れ、足の傷を治してやった事(又は棘を抜いてやった事)で仲間になったそうです。
何故レオナルドが、この時代に見ること自体が難しかったライオンをリアルに描けたのか。一説では、フィレンツェの支配者でレオナルドのパトロンでもあった「メディチ家」が動物園を所有しており、実際にライオンを見る事が出来たからだと言われています。
作品の特徴
続いて「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の『聖ヒエロニムス』を鑑賞する上で注目頂きたい、大きな特徴を二点ご紹介致します。
解剖学に基づくリアルな肉体表現
「ヒエロニムス」のリアルな筋肉描写は、レオナルド自身が本物の死体を解剖して学んだ解剖学の知識に基づいています。
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頬の筋肉や血管の表現などにおいては、現代の医者も唸るほど描写が正確だと言われています。
他方で、この時期のレオナルドは、まだ解剖学を学んでおらず、作品の制作年と知識の取得年に矛盾が生じると言う指摘もあります。
実際、この時期のレオナルドのスケッチを確認すると、解剖学的に間違った筋肉描写が確認できます。
ただし、この矛盾に関しては、ウインザー城の館長「マーティン・クレイトン」が、後年(約30年後)に解剖学の知識を身に付けたレオナルドによって加筆されたためであると、一定の答えを示しています。つまり、『聖ヒエロニムス』の製作には、第一段階(1480年頃)と第二段階(1510年)があったと言う事になります。
この説は現在も幅広く支持されています。
絶望が投影されたヒエロニムスの表情
レオナルドは、洞窟内で自らに苦行を強いる「聖ヒエロニムス」の苦悶の表情を圧倒的な迫力で描いています。
少なくとも、現存する中では、これほど負の感情が激しく表現されているレオナルド作品は他にありません。
一説では、「システィーナ礼拝堂(バチカン市国)の壁画制作選考に落選したレオナルドの絶望が、そのまま「ヒエロニムス」に投影されていると言われています。
この時期、レオナルドと同時代の画家たち「ペルジーノ」「ボッティチェッリ」「ギルランダイオ」「コジモ・ロッセッリ」などは、バチカンに召集され、システィーナ礼拝堂の壁画製作で、芸術家として華々しい活躍を遂げていました。
この状況にレオナルドがどれだけ絶望していたかは、想像に難くなく、決して『聖ヒエロニムス』の製作意欲は高くなかったと想像できます。
事実、この時期のレオナルドのメモには、彼が鬱である事を思わせる様な記述が残されています。この辺りも本作が未完となっている理由の一つかも知れません。
また、『聖ヒエロニムス』に着手する少し前の時期のレオナルドは、17歳の金細工職人の男性「ヤコポ・サルタレッリ」との同性愛行為(当時違法)を匿名で密告され、裁判にかけられていました。
ジョージ・ペントは、この事件と本作を関連づけ、「ヒエロニムス」の表情には、告発されたレオナルド自身の苦悩が投影されていると主張しています。
しかし、レオナルドの「男色事件(最終的に無実)」は1476年頃の事であり、『聖ヒエロニムス』が着手されたとされるのは、4年後の1480年です。やや関連づけるには無理がある気がします。
絵画のサイズや画材は?
本作は、2枚のクルミ材をつないだ板に描かれた油彩画で、サイズは縦102.8cm × 横73.5cmになります。
他の画家のヒエロニムスと比較
絵画として「聖ヒエロニムス」を描く場合の作中テーマは、聖人が性的な欲望を打ち払うために自らを律する「荒野の修行タイプ」か、聖書を読みふける「書斎タイプ」のいずれかに分類されます。
言うまでもなく、レオナルドの『聖ヒエロニムス』は「荒野の修行タイプ」に分類されます。
しかし、多くの画家の「荒野の修行タイプ」の聖人が、どこか悠々と落ち着いた雰囲気で描かれているのに対して、レオナルドのそれは、見るのも痛々しいほど、全身で苦痛が表現されています。
これからご紹介する他画家の「聖ヒエロニムス」と比較頂く事で、レオナルドの『聖ヒエロニムス』の描写が如何に斬新で、圧倒的迫力を持つかをご理解頂けると思います。
定番モチーフである「赤い帽子」「石」「聖書」「ライオン」などの描写の有無にもご注目ください。
【荒野の修行タイプ】
アンドレア・マンテーニャ作(1449〜1450年頃)
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赤い帽子と聖書がモチーフに描かれ、一見穏やかに聖書を手にしている様に見えますが、聖人の目はうつろで、修行で意識が朦朧としているかの様です。聖人を洞窟内に描くと言う部分は、レオナルド(ダ・ヴィンチ)と共通しており、後年のレオナルドが多少たりとも影響を受けたと考えられます。
ピントゥリッキオ作(1475-1480年頃)
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「ヒエロニムス」のポーズや背景などは、若干だけレオナルドの同テーマーに似ている部分がありますが、書きかけのレオナルド作品の方が圧倒的な迫力を持っています。右手側の枝先にキリストの磔刑姿が描かれているのはかなりシュールです。
アルブレヒト・デューラー作(1496年頃)
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ライオン、石、赤い帽子、聖書などがモチーフに描かれています。聖人も強い意志を持って、引き締まった表情で祈りを捧げていると言った印象です。また、左手の石も、胸に激しく打ちつけるのではなく、軽く十字架を胸にあてているかの様です。聖人を作品の中央に描き、絵画の大部分を占めるという点ではレオナルドのそれに近いです。
【書斎タイプ】
ニッコロ・アントニオ・コラントニオ作(1445〜1446年頃)
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ヒエロニムスが書斎で聖書を読んでいる最中に、ライオンの足の棘を抜く場面がメインに描かれています。画面左手側には、ヒエロニムスが枢機卿であった事を示す「赤い帽子」も描かれています。
ヤンファンエイク作(1442年頃)
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赤い帽子を身につけた「ヒエロニムス」がリラックスした姿で聖書を読みふけっています。仲間になったライオンは床に寝そべり、「荒野の修行タイプ」のヒエロニムスと比較すると、かなり穏やかな雰囲気を感じます。
ギルランダイオ作(1480年頃)
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一つ前のヤンファンエイク作の「ヒエロニムス」に影響を受けて、更に進化させたと言える作品。ヤンファンエイク作品と比べると、聖人の表情は凛々しく、ライオンも描かれていません。また、赤い帽子は上の棚に収められています。
レオナルドとは異なる6人の画家の「ヒエロニムス」をご紹介しましたが、如何でしょうか。【荒野の修行タイプ】の中でも、レオナルドの『聖ヒエロニムス』は突出した圧倒的迫力があります。未完成の下絵状態でこれですから、未完で終わってしまったのが非常に残念でなりません。
『聖ヒエロニムス』の来歴・帰属
本作が、いつ誰の依頼で描かれたのかに関しては、確かな記録が残っておりません。しかし、作風やクオリティの高さから、レオナルドが故郷フィレンツェにいた1480~82年頃に描いた作品である事は、ほぼ間違いないとされています。
この絵に関して残された記録は、19世紀の初め、女流画家の「アンジェリカ・カウフマン」が、レオナルド・ダ・ヴィンチ作品と思われる絵画を所有していたと言う記録が最古になります。
更に、1803年6月に作成された彼女の遺言状には、彼女が所有するレオナルド作品は《聖ヒエロニムスが、荒野で十字架の前にひざまづいた姿が描かれている》と記されています。つまり、これが現在「バチカン美術館」にある本作『聖ヒエロニムス』だと考えられています。
「アンジェリカ・カウフマン」の死後、『聖ヒエロニムス』の消息は一時期不明となりますが、1839年にナポレオンの叔父「ジョゼフ・フェッシュ枢機卿」によって発見されます。
驚くことに、フェッシュ枢機卿は、異なる場所で分断された状態の本作を発見したそうです。
最初に発見された絵画の大部分は、ローマの古道具屋の工房で家具の扉として利用されており、頭部だけが四角に切り抜かれていたそうです。
そして、フェッシュ枢機卿が、残りの部分(聖人の頭部分)を根気よく探索し続けた結果、靴の修理屋で、踏み台の天板となっているのを、数ヶ月後に発見したそうです。もしくは、靴屋の椅子に貼り付けられていたのを発見したとも言われています。
ただし、この絵画パーツ発見のエピソードは、やや脚色されており、実際の絵画は5パーツに分断されていたそうです。これは、誰かが絵画を分断して、切り売りしようとしたためだと言われています。
現在も『聖ヒエロニムス』の頭部には、後から貼り合わせた継ぎ目の様な後が残っています。
1839年にフェッシュ枢機卿が亡くなると、彼の遺言に従って、その2年後に絵画はつぎ合わされた状態で、競売にかけられます。
この時の競売で絵画は売れませんでしたが、1845年にローマのジュリア通りにあるリッチ邸で、再度競売にかけられ、古物商の「アレッサンドロ・アドゥッチ」によって、2500フランで競り落とされました。
その後、古物商の娘「チェーザレ・ランチャーニ」が本作を受け継ぎますが、経済的に困窮した際に、競売にかけてしまいます。
最終的に、1856年9月5日に「アントネッリ枢機卿」と言う人物が入手し、現在の本作の所蔵元であるバチカン美術館内の絵画館に収めました。他方で、ローマ教皇「ピウス9世」が、古物商の娘から直接買い受けて、バチカン美術館に収めたと言う説もあります。
現在、本作はバチカン美術館のピナコテカ(絵画館)で鑑賞する事ができます。2019年の夏には、ニューヨークのメトロポリタン美術館に、2019年末から2020年の初めにかけてはパリのルーブル美術館に貸し出しも行われました。
『聖ヒエロニムス』の見学方法について
レオナルド・ダ・ヴィンチ作『聖ヒエロニムス』の見学情報をQ&A形式でご紹介致します。
『聖ヒエロニムス』はどこで閲覧・鑑賞できるのか?
世界一小さな国「バチカン市国」内にある「バチカン美術館」の「ピナコテカ(絵画館)」にて鑑賞可能です。バチカン市国はローマの中心地に位置しており、イタリアに入国していれば、別途で審査などなく入国できます。
『聖ヒエロニムス』の見学は誰でも可能ですか?
はい、『聖ヒエロニムス』は「バチカン美術館」に足を運べば、国籍問わず誰でも鑑賞可能ですが、入場チケットが必要となります。また、バチカン美術館は超がつく人気観光スポットであるため、事前のオンライン予約が必須となります。
予約用の日本語サイトはありますか?
はい、「GET YOUR GIDE」というサイトの「バチカン美術館&システィーナ礼拝堂:優先入場チケット」ページからチケット予約を行えば、日本語のページから優先入場予約が可能です。この方法の場合、正規料金よりも高くなり、9ユーロの手数料が発生致しますが、入力項目もシンプルで簡単に予約を完了できます。
バチカン美術館は年中無休ですか?
いいえ、毎週日曜日と1月1日、12月25日などは休館日となります。
バチカン美術館の観光情報
『聖ヒエロニムス』が展示されているバチカン美術館の観光情報を表にまとめましたので、参考にしてください。
営業時間 |
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休館日 | 毎週日曜(毎月最終日曜は除く)、1/1、2/11、3/19、4/22、5/1、6/29、8/14、8/15、11/1、12/25、12/26 |
チケット料金 |
|
予約方法 | オンライン、現地予約 |
公式予約HP(英語) | Vatican Museums - Online Ticket Office(英語) |
住所 | 00120 Città del Vaticano |
バチカン美術館の参考記事
バチカン美術館に関しましては、以下の記事などを参考にしてください。
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