ルーブル美術館の必見作品15選

まずは、ルーブル美術館を訪れたら絶対に外せない必見作品を15点ピックアップしてご紹介致します。レオナルド・ダビンチの5作品は特にお見逃しなく。

モナリザ

モナ・リザ

ダ・ヴィンチ作(1503年〜1518年頃)展示室711 / ドゥノン翼1階

世界で最も有名な絵画「モナ・リザ」は英語の呼び名で、フランス語では「ラ・ジョコンダ」、和訳すると「リザ夫人」と言う意味になります。このリザ夫人こと「リザ・デル・ジョコンダ」は、フィレンツェの富豪「フランチェスコ・デル・ジョコンダ」の妻で、長年本作のモデルと目されている人物です。

ただし、本作のモデルに関しては未だに諸説語られており、ダ・ヴィンチの母であると言う説や、ダ・ヴィンチ自身を描いたと言う説まで様々です。恐らく今後も永遠に謎のままだと思います。

製作開始年に関しては現存する資料から1503年でほぼ間違いないとされており、作品の注文者は「ジュリアーノ・デ・メディチ」であると言うのが多くの書籍などで語られている説です。ただし、なぜメディチ家のジュリアーノが人妻である「モナ・リザ(リザ夫人)」の肖像画をダ・ヴィンチに依頼したかについては謎が残ります。

レオナルドはこのモナ・リザを描きあげるために、光の効果を緻密に計算した上で、絵の具を何層も重ねて印影を表すぼかし技法「スフマート」を多用し、一切の輪郭線を廃しました。レオナルドの作品を最新技術で分析すると最大で15層も塗り重ねられた部分があったそうです。

こういった地道で気の遠くなる様な作業こそが、永遠の微笑と呼ばれるモナ・リザの神秘的な微笑みを生み出した所以です。

レオナルドはモナ・リザを生涯手元から離さず手を入れ続けました。まさにレオナルド・ダ・ヴィンチの人生そのものと言える作品です。

岩窟の聖母

イタリア絵画 岩窟の聖母(レオナルド・ダ・ヴィンチ作 - 1483-1486年)
ダ・ヴィンチ作(1483~1486年頃)ドゥノン翼1階

まだ幼児のイエス・キリストに聖母マリアが右腕を伸ばす姿が描かれています。作品名でもある岩窟という背景が特徴的で、わずかに薄明かりが差し込んでいます。向かって左手側の幼児は岩窟に逃げ込んだ聖ヨハネ、右側の女性は庇護者大天使ウリエルと言われています。

詳しい事は分かっていませんが、ダ・ヴィンチはこの「岩窟の聖母」の別バージョンも作成しています。そのため「岩窟の聖母」はルーブルだけでなく、ロンドンのナショナルギャラリーにも、別バージョンとして存在しています。何故ヴィンチが別バージョンを描いたかは「制作を依頼したミラノ信心会が最初に描いた”岩窟の聖母”を未完成と判断したため」という説や、「初期に描いた”岩窟の聖母”をダ・ヴィンチが密かに売却してしまったため」など諸説語られています。

ラ・ベル・フェロニエール

ラ・ベル・フェロニエール
ダ・ヴィンチ作(1490〜97年)イタリア絵画(グランド・ギャラリー内)/ ドゥノン翼1F

モナ・リザより前に制作された正にモナ・リザの原型とも言える作品。研究者の間では、ダ・ヴィンチ作品ではないと言う意見も根強く、一時期はルーブルもその可能性を認めていました。しかし、現在はダ・ヴィンチの真筆でという結論で概ね一致しています。

絵のモデルに関しては諸説ありますが、ミラノ公イル・モーロの寵愛を受けた愛人「ルクレツィア・クリヴェッリ」であると言う説が有力です。また、絵画の別称の一つである「フェロニエール」とは、モデルが身につけている細い金の頭飾りの事です。

洗礼者ヨハネ

洗礼者ヨハネ
ダ・ヴィンチ作(1513~1516年頃)イタリア絵画(グランド・ギャラリー内)/ ドゥノン翼1F

洗礼者ヨハネは、ダ・ヴィンチの遺作となった最後の作品で、モデルの天を指す指は、救世主イエスの誕生を告げています。絵のモデルはダ・ヴィンチの弟子「サライ」だと言われています。

聖アンナと聖母子

聖アンナと聖母子
ダ・ヴィンチ作(1512~1516年)イタリア絵画(グランド・ギャラリー内)/ ドゥノン翼1F

この聖アンナと聖母子は、ダ・ヴィンチがモナ・リザと共に生涯手元に残していた絵画で、生涯手を入れ続けた未完の大作です。幼子に手を伸ばすのは「聖母マリア」で、その二人を見つめるのが、マリアの母「聖アンナ」です。アンナの右足や、マリアの顔が描きかけのままです。

サモトラケのニケ

サモトラケのニケ
前200–前190年頃展示室703 / ドゥノン翼1階

エーゲ海のサモトラケ島で、フランス人副領事によって発見されたヘレニズム彫刻の最高傑作と言われる作品。

ニケは、ギリシャ神話に登場する勝利の女神の事で、軍船の先頭に立つ女神の姿を表現しています。

この像はギリシャのロードス島の人々(ロドス人)がシリアとの海戦に勝利した際に、サモトラケ島の聖域に奉納したものだと言われています。

左側の翼はオリジナルですが、右側の翼はオリジナルを反転して複製したものになります。また、この像の右手の一部も像とは別に1950年に発掘されています。

カナの婚宴

カナの婚礼
ヴェロネーゼ作(1562〜1563年)展示室711 / ドゥノン翼1階

ルーブル美術館で最も大きな絵画で、その大きさは縦662×横990cmもあります。元々はベネチアのサンジョルジョ・マッジョレー修道院の食堂に飾られていましたが、時の権力者「ナポレオン」によってフランスに持ち込まれました。

全体的に色彩が豊かなこの絵画は、ベネチア派の画家「ヴェロネーゼ」らしい大胆な作風で、16世紀当時絶大な権力を誇っていたベネチア帝国の栄華を今に伝えています。

作中では、新約聖書のキリストにまつわる奇跡の出来事を、ベネチアのカナという村に置き換えて描いています。実際の聖書の物語では、イエスラエルの小さな村が舞台で、衣装などは画家の演出で華やかに描かれています。

宴の後半にワインがなくなったと言われたキリストは、瓶(かめ)に水を汲むように伝えました。すると、不思議な事にかめからワインが溢れ出てきましたが、誰もイエスがその奇跡を起こした事には気が付いていません。

実に総勢100人ほどの人物が絵の中に登場しており、テーブル席には、フランス国王フランソワ1世、神聖ローマ皇帝カール5世が、中央前列には白い服を着て楽器を奏でる作者のヴェロネーゼなども描かれています。

ミロのヴィーナス

ミロのヴィーナス
作者不明(紀元前2世紀末)展示室346 / ドゥノン翼0階

ミロのヴィーナスの呼び名で知られるヘレニズム時代の最高傑作であるこの像は、1820年にギリシャ人農夫によってミロス島で発掘されました。

高さは202cm、素材には大理石が使用されており、ギリシア彫刻の黄金期にあたる紀元前2世紀末ごろに製作されました。

左足と両腕は発見当初から破損しており、元々がどの様なポーズであったかは未だに様々な説が唱えられています。

ちなみにミロのヴィーナスという呼び名は通称で、「アフロディーテ」が正式名称になります。像の発見後、様々な国がミロのヴィーナスの所有権を主張する中で、なんとかフランスが所有権を勝ちとり、ルイ18世によって1821年にルーブル美術館に寄贈されました。

聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ

美しき女庭師

ラファエロ・サンティ(1507~1508年頃)ドゥノン翼1階

聖母(マドンナ)の画家でルネサンス三大巨匠の1人と称される「ラファエロ」が24歳の時に、シエナの貴族「フィリッポ・セルガンティ」の依頼によって描いた作品。フランス語で「美しき女庭師」を意味する「ラ・ベル・ジャルディニエール」という呼び名でも親しまれています。

この作品はラファエロがフィレンツェ滞在の後期に描いた作品で、彼の作品の中では最も有名なものです。経緯は不明ですが、後にフランス国王フランソワ1世によって買い取られました。

ダ・ヴィンチに倣う様な美しく正確なピラミッド構図が特徴的で、ウィーン美術史美術館に展示されている同じくラファエロ作の「草原の聖母」にも同じ構図と作風が用いられています。ラファエロは本作を描いた翌年に、教皇ユリウス2世に招かれローマに渡り、ヴァチカン宮殿の壁画や肖像画を手がけていきました。

メデューズ号の筏

メデューズ号の筏
ジュリコー作(1818年~1819年)展示室700 / ドゥノン翼1階

1816年に400人を乗せたフランス海軍のフリゲート艦戦メデューズ号が難破した際の海難事故をテーマーにした作品。絵の大きさは縦491×横716cmもあり、絵の前の人たちと比べて頂くと分かりますが、実物大で描かれています。

作中では、救命ボートに乗りきれなかった船員が筏で漂流する姿が描かれています。非常に写実的に描かれているのが特徴で、作品発表当時こそ賛否両論ありましたが、現在ではロマン派の画家「ジュリコー」の代表作の一つとなっています。

当時28歳のジュリコーはこの絵画を描くため、事件に関する資料を念入りに調べ上げ、準備に多くの時間を費やしました。

民衆を導く自由の女神

民衆を導く自由の女神
ウージェーヌ・ドラクロワ作(1830年)展示室700 / ドゥノン翼1階

シャルル10世が失権し、ルイ・フィリップが政権を奪った1830年7月28日に起きた「7月革命」を大胆な構図で描いた作品。中央の「自由の女神」がフランス国旗を掲げ、民衆を導く事で革命を表現しています。

作者のロマン派を代表する「ドラクロワ」は、革命には参加できなかったが、祖国への強い想いを、この絵に込めて描いたと言われています。この絵は現代においてもフランスを代表する作品の一つで、260cm(縦)×325cm(横)もある超大作です。

ナポレオン一世の戴冠式

ナポレオン一世の戴冠式
ダヴィッド作(1805〜1807年)展示室702 / ドゥノン翼1階

この作品は、新古典派の巨匠「ジャック=ルイ・ダヴィッド」の代表作の一つで、ルーブル美術館の中では「カナの婚礼」に次ぐ大きさ(縦621cm × 横979cm)を誇ります。

1804年にパリのノートルダム大聖堂で行われたナポレオンの戴冠式の一場面を描いた作品で、真紅のマントと白の典礼服に身を包んだ当時35歳の「ナポレオン」が、妃ジョゼフィ―ヌに冠を授けようとする歴史的瞬間が描かれています。

作中には150人もの人物が登場し、ナポレオンの背後で台座に腰かけるのは、ローマから呼び寄せられた教皇ピウス7世、更に作者であるダヴィッド本人や、彼の師匠と弟子、妻と子供までも描かれています。とにかくナポレオンの権力や威厳を誇示するためのもので、ナポレオンの体系や身長、架空の参加者など、様々な脚色も加えられています。

ハムラビ法典

ハムラビ法典
作者不明(紀元前1792~1750年)展示室227 / リシュリュー翼0階

目には目をで有名な石碑で、ハンムラビ王がメソポタミアを統一した後につくらせたと言われています。王が命じた判決のうち282の判例が残っており、当時の文化を知る貴重な手がかりとなっています。玄武岩で造られたこの石碑の大きさは高さ225cm、幅65cm、奥行き47cmもあり、石碑の正面上部の向かって左側には「ハンムラビ王」、右側にはメソポタミアの太陽神「シャマシュ」の姿が彫り込まれています。石碑の文字は「楔形文字」で記されています。

レースを編む女

レースを編む女
フェルメール(1669‐1670年頃)展示室837 / リシュリュー翼2F

生涯の作品数が30数点と非常に少ない寡作のオランダ人画家として知られる「フェルメール」の代表作の一つ。絵画の大きさは24×21cmほどと小さな作品ですが、細い指先まで鮮明かつ詳細に描かれています。フェルメールは光の魔術師とも称されており、巧みな光の表現によって手先に神経を集中させるモデルの臨場感を際立たせています。この作品が描かれた17世紀はレース製品が盛んであったため、オランダ出身の多くの画家が、絵画の題材としてレースの制作風景を多様していました。このレースを編む女はフェルメールの作品の中ではかなり後期に描かれたものです。

天文学者

天文学者
フェルメール作(1668年)展示室837 / リシュリュー翼2F

寡作で知られるフェルメールの絵画の中でも、署名と日付が入った数少ない作品の一つ。作中では、天文学者が地球儀に手を伸ばす姿が、絶妙な光加減と共に描かれています。背景には洋服ダンスや絵画なども描かれています。

ルーブル美術館の有名作品12選

必見作品とまではいきませんが、ルーブル美術館以外であれば、間違いなくエース級の有名作品を12点ご紹介します。

ピエロ(ジル)

ピエロ(ジル)
ジャン=アントワーヌ・ヴァトー作(1718-1719年頃)展示室917 / シュリー翼2F

16世紀中頃にイタリア北部で生まれた仮面を使用する即興演劇「コンメディア・デッラルテ」の登場人物を描いた作品。作者のヴァトーはこのデッラルテをはじめ、舞台に登場する役者を頻繁に描いた画家として知られています。

作品名である「ジル」は、即興演劇「デッラルテ」に登場する道化役の事で、作中ではほぼ等身大で描かれています。作者である「ヴァトー」は、この「ジル」をはじめ、演劇を題材に自身の心情を作品に投影していたと言われています。

近年では作中の白い衣装まとった人物は「ジル」ではなく、単にピエロを描いたとする説が有力となっています。ジルかピエロかについては現在に至るまで様々な議論がなされています。

ダイヤのエースを持ついかさま師

ダイヤのエースを持ついかさま師
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1635年頃)展示室910 / シュリー翼2F

フランス北東部のロレーヌという地方で活躍した17世紀の古典派を代表する画家「ラ・トゥール」の作品。彼の死後は長らく忘れさられていた作品ですが、20世紀初頭にフランスの地方美術館で発見された事を機に、3世紀ぶりに作品に注目があつまりました。中央の女性は非情な目つきで、他者を欺こうとする人間の心理をリアルに表現しています。また、左側の男性は後ろにカードを隠しもっており作品の緊張感を演出しています。

書記坐像

初期座像
作者不明(紀元前2600~2350年頃)展示室635 / シェリー翼1階

古代エジプトの王都メンフィスの西に広がる大地「サッカラ」の墳墓で発掘された高さ約54cmほどのあぐらを書いた像。膝の上にはパピルスの巻物を広げ、文字を書く姿を表現しています。古代エジプトでは文字の読み書きを覚え、書記となる事が出世の道でした。この像も文字を書いている事から身分の高い人物であった事が伺えます。

制作時は右手に筆を握りしめていたと言われていますが、現在は失われています。鷲鼻や目の素材に水晶が使われているのが非常に特徴的ですが、象のモデルが誰であるのかは不明です。

トルコ風呂

トルコ風呂
アングル作(1862年頃)展示室940 / シュリー翼2F

アングル晩年の作品で、トルコのハーレム世界が描かれています。絨毯の上には、裸体の女性が横たわり、菓子や飲み物が置かれています。ナポレオン三世の甥にあたる「ナポレオン公 ジュレーム」の依頼で、アングルが描いたものですが、あまりにエロティックな作風であったため、ジュレームは受け取りを拒否しました。その後、アングルは、女性の裸体には曲線が相応しいと、四角いキャンバスを丸く切り取りました。

エビ足の少年

⑦ エビ足の少年
ホセ・デ・リベーラ(1642年)展示室718 / ドゥノン翼1階

スペイン出身ながら、主にナポリで活躍した「ホセ・デ・リベーラ」の代表作。左手には、ラテン語で「神の愛のために私に施しを」と書かれた物乞いの許可証を手にしていますが、少年の笑顔から明るい作風にも見えます。

しかし、作品名でもある「エビ足」は、足の奇形を表現しており、足のかかとを地面につける事ができない少年が描かれています。右手もよく見てみると、かなり不自然な方向を向いている事が分かります。

ルーヴル美術館に寄贈される際は作品名が「小人」であったことからモデルの少年は低身長症であったとも言われています。

瀕死の奴隷

瀕死の奴隷
ミケランジェロ作(1513-1515年)展示室403 / ドゥノン翼0階

高さ229cmほどの彫刻「瀕死の奴隷」は、ミケランジェロが、ユリウス2世の墓廟を飾るために制作した像のうちの1体です。計画ではこの墓廟には40体の彫刻が飾られる予定でしたが、実際は数体しか製作されませんでした。この像が何を表現しているかは諸説語られていますが、確かな事は分かっていません。となりにある「反抗する奴隷」と対をなす形で展示されており、他にもミケランジェロは4体の奴隷像を製作しています。後年に製作された残りの4体は、フィレンツェのアカデミア美術館に展示されています。

フランソワ1世の肖像

フランソワ1世の肖像
ジャン・クルーエ作(1530年頃)展示室821 / リシュリュー翼2F

フランス・ルネサンスの宮廷肖像画家として活躍した画家の後年の作品で、ルイ12世の従兄弟である「フランソワ1世(1494-1547年)」の肖像画を描いたものです。衣装の光沢がまるで写真の様にリアルです。

フランソワ1世は1515年王位を継承し、イタリア戦争などで辣腕を発揮した豪勇な王として知られています。また、美術愛好家としての一面も強く、ルーブル美術館の作品収集の礎を築いた人物であるとも言われています。イタリアから「レオナルド・ダ・ヴィンチ」をフランスに招くなど、フランスでルネサンスが開花したのも彼の統治時代でした。

両替商とその妻

両替商とその妻
クエンティン・マサイス作(1514年頃)展示室811 / リシュリュー翼2F

両替商の夫と、読書を中断してその作業を見守る妻の姿が描かれています。夫は秤で貨幣の重さを正確に量ろうとしています。

聖書よりも、金や真珠に気を取られている妻の姿を描く事で、人間の色欲を表現しています。

それに対して、机の上の丸鏡には読書をする男が対比的に描かれ、右奥の扉の隙間からは、一人の青年と老人が語り合っている姿も見えます。

こういった手法は、ネーデルラント派の画家「ファン・エイク」に倣ったものだと言われています。

オダリスク

オダリスク
アングル作(1814年)展示室702 / ドゥノン翼1F

作品名のオダリスクとは、オスマン帝国においてスルタンなどの君主にハレムで奉仕する女奴隷の事です。アングルは本作以外にも「浴女」や「トルコ風呂」と言った裸婦像を主題にした作品を数多く残しています。裸婦像は、歴史画と共に作者のアングルが、好んで描いたテーマです。

聖マグダラのマリア

聖マグダラのマリア
聖マグダラのマリア作(1510年)展示室169/ ドゥノン翼-1階

自身の罪を悔い改めるため、髪のみで身体を覆い、サント=ボーム山塊の洞窟に引き籠ったとされる「マグダラのマリア」の姿をかたどった像。高さは177cmほどで、あらゆる角度から見られる事を想定して制作されており、細部に至るまで精巧に彫り込まれています。

四季

四季
ジュゼッペ・アルチンボルド作(1573年)イタリア絵画(グランド・ギャラリー内)/ ドゥノン翼1F

「ジュゼッペ・アルチンボルド」は、動植物や果物、料理、書籍、道具などを組み合わせた肖像画の連作を得意としています。本作でも季節ごとの動植物や果物を配し、4つの肖像画で四季を表現しています。作名は左上から時計回りに「冬」「秋」「春」「夏」です。アルチンボルドはこの様な連作をいくつか手がけていますが、連作が揃った状態で鑑賞できるのはこのルーブル美術館だけです。

真珠の女

真珠の女
アングル作(1868~70年頃)展示室952 / シュリー翼2F

真珠の女は、19世紀の画家「ジャン=バティスト・カミーユ・コロー」の晩年の作品で、彼が没する直前まで自宅の客間に飾っていたと言われています。この作品はコローの人物画の中では最もメジャーなものです。

モデルはコローの家の近くに住んでいた16歳の小織物商人の娘「ベルト・ゴールドシュミット」で、小さな葉の冠をかぶり、イタリアの民族衣装をまとっています。作品名である「真珠の女」は額の葉を人々が真珠と間違えた事に由来しています。

モナ・リザに非常に似たポーズをとっているのが非常に特徴的ですが、モナ・リザとの関連性や作者が意識して描いたかなどについては、確かな事がわかっていません。

ルーブル美術館 その他の作品

最後に、必見・有名作品とまではいきませんが、詳細なガイドブックなどには紹介されていたり、芸術に造形の深い方ならご存知の絵画や彫刻をご紹介します。

反抗する奴隷

反抗する奴隷 - ミケランジェロ作

ミケランジェロ作(1513年)展示室403 / ドゥノン翼0階

高さ215cmの彫刻「反抗する奴隷」は、「瀕死の奴隷」と同時期に製作された作品で、奴隷が束縛から解放されようと苦しみもがく姿が表現されています。両手を背中の後ろに抱えながら、力を右足に込めて必死に頭をひねろうとする肉体の緊張感が伝わってきます。一説では、ユリウス2世に征服された土地や地域を擬人化したものであると言われています。「瀕死の奴隷」と共にルーブルの所蔵となったのは、完成から約200年ほど後の1793年ごろの事で、それまではリシュリュー枢機卿が所有していました。

マルケルスの全身像

マルケルスの全身像
前20年頃展示室410 / ドゥノン翼0階

アウグストゥスの甥「マルケルス」の死後に造られた肖像彫刻。身体は前5世紀のギリシャ彫像を手本にしています。

バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像

バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像
ラファエロ・サンティ作(1514年)イタリア絵画(グランド・ギャラリー内)/ ドゥノン翼1F

絵のモデルは作家で、ラファエロが生まれた街「ウルビーノ」の外交官でもあった「バルダッサーレ・カスティリオーネ」と言うイタリア・ルネッサンス期の人物です。ラファエロはこの肖像画を通して、当時の貴族の理想的な姿を表現しています。モデルのカスティリオーネはラファエロの友人でもありました。

燈明の前のマグダラのマリア

燈明の前のマグダラのマリア
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1640〜46年頃)展示室910 / シュリー翼2F

娼婦であったモデルのマリアが骸骨を手に自身の人生を悔やむような姿が描かれています。骸骨は死の瞑想を暗示するものとして17世紀の美術に多用されました。暗がりで燈明を見つめる姿が非常に悲しげです。

マグダラのマリアは、新約聖書の七章36節などに登場する女性で、作者のラ・トゥールは特に好んで絵の題材にしたと言われています。

ラ・トゥールは生涯400点ほどの作品を残したと言われていますが、彼の作品だと特定されているのは、わずかに40点ほどです。

六人の天使に囲まれた荘厳の聖母

六人の天使に囲まれた荘厳の聖母
チマブーエ作(1280年頃)展示室708 / ドゥノン翼1F

13世紀末の偉大なフィレンツェ出身画家「チマブーエ」の作品。本作では「マエスタ(荘厳)」と呼ばれる、聖人や天使が玉座につく聖母を囲む構図が描かれています。玉座が斜めに置かれるなど、わずかながら奥行きが表現されており、遠近法が確立されていない当時としては革新的な作品でした。

アッシジの聖フランチェスコの聖痕拝受

アッシジの聖フランチェスコの聖痕拝受
ジォット・ディ・ボンドーネ作 - 1295-1300年頃展示室708 / ドゥノン翼1F

ピサの大聖堂の祭壇画として描かれた作品で、アッシジの聖フランチェスコの生涯のエピソードが描かれています。絵画中央では、3つの翼を持つセラフィム(熾天使)から、聖痕を授かる「聖フランチェスコ」の姿が表現されています。

聖母戴冠

聖母戴冠
フラ・アンジェリコ作(1430~1435年頃)展示室708 / ドゥノン翼1F

ドミニコ会修道士であり、本作の作者である「フラ・アンジェリコ」が、フィエーゾレのドミニコ会修道院様に描いた作品。参考までに、フィエーゾレとはフィレンツェ近郊にある都市の名前です。作中下部の挿絵には、聖ドミニコの生涯を彩るエピソードが描かれています。

サン・ロマーノの戦い

サン・ロマーノの戦い
ウッチェッロ作(1435-1440年頃)展示室708 / ドゥノン翼1F

メディチ家宮殿のロレンツォの寝室に飾られていた作品。フィレンツェとシエナの1432年の戦いを描いた作品。このシエナの戦いは3部作になっており、残りの二作は「ウフィツィ美術館」と「ロンドン・ナショナルギャラリー」が所蔵しています。

若い婦人に贈り物を捧げるヴィーナスと三美神

若い婦人に贈り物を捧げるヴィーナスと三美神
ボッティチェッリ作(1483~1485年頃)展示室706 / ドゥノン翼1F

メディチ家の遠縁「トルナブオーニ家」が所有する大邸宅レンミ荘の回廊を飾っていたフレスコ画。作中では、三美神に囲まれた女神が、新郎を迎える理想の結婚式が描かれています。

ルカとカタリナの前に現れたイエスの母

ルカとカタリナの前に現れたイエスの母
アンニーバレ・カラッチ作(1592年)イタリア絵画(グランド・ギャラリー内)/ ドゥノン翼1F

16世紀イタリアのボローニャ派を代表する画家の一人「アンニーバレ・カラッチ」の作品。代表作には「エジプトへの逃避(ドーリア・パンフィーリ美術館所蔵)」などがあります。本作中では、絵画上部中央で赤子のイエス・キリストを抱く聖母マリアと、それを囲む様に天使と聖人が描かれています。

ダビデとゴリアテの戦い

ダビデとゴリアテの戦い
ヴォルテッラ作(1555~1556年)イタリア絵画(グランド・ギャラリー内)/ ドゥノン翼1F

旧約聖書の「第一サムエル記」第17章に記されている「ダビデとゴリアテの戦い」を描いた作品。ペリシテ人の巨人兵士「ゴリアテ」に、羊飼いの「ダビデ」が挑んで勝利する姿が描かれています。ダビデは素手でゴリアテに闘いを挑み、剣を奪い取ってとどめを刺しました。

聖母戴冠

聖母戴冠
ティントレット作(1564年頃)展示室711 / ドゥノン翼1F

「聖母戴冠」は、多くの画家が絵画のテーマとしていますが、こちらはイタリア ルネサンス期の画家「ティントレット」の作品です。 ティントレットは、師匠のティツィアーノと共に、ルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家として知られています。作中では、聖母がキリストに冠を授ける姿と、それを取り囲む様にキリスト12使徒の姿が描かれています。絵画の中央から下部にかけては、天使、教父、キリスト教の英雄たち、教皇、司教などが描かれています。

ヘレネの誘拐

ヘレネの誘拐
グイド・レーニ作(1626~1629年)イタリア絵画(グランド・ギャラリー内)/ ドゥノン翼1F

ヘレネはギリシャ神話に登場する女性で、作中では「ヘレネの誘拐」と呼ばれる、トロイア戦争の原因となった一場面が描かれています。中央の女性がヘレネで、その横の兵士がヘレネを連れ去ったトロイアの王子パリスです。

エルサレムにおける聖ステパノの説教

エルサレムにおける聖ステパノの説教
ヴィットーレ・カルパッチョ作(1514年)イタリア絵画(グランド・ギャラリー内)/ ドゥノン翼1F

エルサレムのソロモン神殿の敷地内で、キリスト教最初の殉教者「聖ステバノ」が、聴衆に向かって説教する姿が描かれています。元々は、ヴェネツィアの聖ステパノ会のために制作された五連作で、本作はそのうちの1つになります。他の3作は、ベルリン、ミラノ、シュトゥットガルトに所蔵されていますが、残りの1点は紛失のため現存していません。

女占い師

女占い師
カラヴァッジォ作(1594~1595年)イタリア絵画(グランド・ギャラリー内)/ ドゥノン翼1F

カラバッジョ初期の作品。向かって左側の女占い師が、貴族の若者の右手の指輪を盗もうとする姿が描かれています。

シジスモンド・マラテスタの肖像

シジスモンド・マラテスタの肖像
ピエロ・デラ・フランチェスカ作(1451年頃)展示室709 / ドゥノン翼1F

イタリアの都市リミニの領主で傭兵隊長として名を馳せた「シジスモンド」を描いた作品。

聖母の死

聖母の死
カラヴァッジォ作(1601-1605/1606年)イタリア絵画(グランド・ギャラリー内)/ ドゥノン翼1F

カラヴァッジョが、ローマのサンタ・マリア・デッラ・スカーラ・イン・トラヴェステヴェレ聖堂のために1601年に制作した作品。絵画の主題である「聖母マリア」が、絵の中央に力なく横たわり、その周りには嘆き悲しむ使徒の姿が描かれています。聖母の前方で泣き崩れてうずくまっている女性は「マクダラのマリア」であると言う説が有力です。

フォンテーヌブローのニンフ

フォンテーヌブローのニンフ
1542~1572年モリアンの階段 / ドゥノン翼0階

アンリ二世の愛人「ディアンヌド ポワティエ」の居城、アネ城の入口に置かれていた浮き彫りのブロンズ飾り。壺から噴き出す水の中で、水の妖精「泉のニンフ」と、森のけものたちが横たわる姿が刻まれています。

聖ドニの祭壇画

聖ドニの祭壇画
アンリ・ベルショーズ作(1415-1416年頃)展示室834 / リシュリュー翼2F

カトリック教の聖人「ドニ」が、多くの人をキリスト教に改宗させた事でローマ帝国の怒りを買い、斬首にあう場面が描かれています。この場面には奇跡の逸話があり、ドニは斬首された後に平然と立ち上がり、首を持って数キロ歩いたと言われています。刑が執行されたのは、パリの北の高台にあるモンマルトルの丘です。

ナラム・シンの戦勝碑

ナラム・シンの戦勝碑
紀元前2250展示室228 / リシュリュー翼0階
アッカド王朝のナラム・シンが、山岳民族ルルビ族との戦いに勝利した様子が詳細に刻まれた石碑。

ヌ・バンダ、エビフ・イルの彫像

ヌ・バンダ、エビフ・イルの彫像
前2400年頃展示室236 / リシュリュー翼0階

高さ約50cmほどのこの像は、ユーフラテス川流域に栄えた都市「マリ」のイシュタル神殿で発見されたものです。代官エビフ・イルが祈りを捧げる姿が表現されており、背部にはシュメール語で「女神イシュタルにこれを捧げる」と刻まれています。

あざみを持った自画像

あざみを持った自画像
アルブレヒト・デューラー作(1493年)展示室815~-816 / リシュリュー翼2F

ドイツ、ニュルンベルク生まれの画家デューラーの22才の時の自画像。手には夫婦の貞節の象徴であるキク科の植物「あざみ」を手にしています。頭上には、制作年の1493と「我が身に起こる事は天の思し召し」と言う文字が刻まれています。

王妃ジャンヌ・デヴルーの聖母子像

王妃ジャンヌ・デヴルーの聖母子像
1324年-1339年頃展示室503 / リシュリュー翼1F

王妃ジャンヌ・デブルーが、サン・ドニ大修道院に寄贈した黄金の聖母像。聖母マリアが幼子イエスを片手に抱く姿が表現されています。像の台座には、キリストの幼少期から受難までの物語が、14枚のパネルに描かれています。

翼の付いた雄牛

翼の付いた雄牛
作者不明(紀元前8世紀末)リシュリュー翼0階

この高さ4mもある巨大な像は、メソポタミア北部のアッシリア帝国の王「サルゴン2世」によって、現在のイラク(コルサバード)の近くに建設された宮殿で発掘されました。足は5本、頭部は人間、胴体は翼の生えた雄牛と、非常に特徴的な姿をしています。

十字架から降ろされたキリスト

十字架から降ろされたキリスト
12世紀第2四半期展示室201 / リシュリュー翼0階

キリストの磔刑像は数多くありますが、この高さ155cmの像は、キリストを十字架から降ろす姿を表現した珍しい作品です。装飾の痕跡から、かつては色鮮やかな彩色がほどこされていたと考えられています。

大工聖ヨセフ

大工聖ヨセフ
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1640年頃)展示室910 / シュリー翼2F

梁を仕上げる「大工ヨセフ」と、暗闇の中で神々しく照らされる「幼子イエス」の姿を描いた作品。ヨセフは聖母マリアの夫で、キリストの養父です。作者のラトゥールは、この様な「明暗法(めいあんほう)」を用いた絵画を得意としていました。

アメンヘテプ4世

アメンヘテプ4世
(前1353-前1337年)展示室638 / シェリー翼1階

現在のルクソールにある「カルナック」で出土された古代エジプト第18王朝の王「アケナトン」の像。これ以降の王の肖像では、長い鼻筋や顎、細い目、唇などが敢えて強調されているのが特徴です。

タペレト貴婦人のステラ(石碑)

タペレト貴婦人のステラ(石碑)
紀元前9~10世紀ごろ展示室643 / シュリー翼1F

石碑右側のタペレトが、ラー神に山積みの供物卓を捧げている様子が描かれています。タペレトの背後には、人が死後永遠に生き延びられるように願う古来からの祈りの定型表現が刻まれています。

ツタンカーメンを守護するアメン神

ツタンカーメンを守護するアメン神
前1336-前1327年展示室639-640 / シュリー翼1F

「ツタンカーメンを守護するアメン神」は、1857年にエジプトの考古学者「オギュスト・マリエット」によって、ナイル中流域の古代エジプト遺跡「カルナク」で発見された彫像です。アメン神とは、古代エジプトの都市テーベの守護神としてあがめられていた神です。アテン神を国家神として崇拝していた前時代から、再びこのアメン神への信仰を強める目的で「ツタンカーメン」の時代に造られました。

アッティカ赤像式聖杯形クラテル

アッティカ赤像式聖杯形クラテル
紀元前515‐510年頃展示室651 / シュリー翼1F

古代ギリシャの芸術家「エウフロニオス」が制作した壺で、ヘラクレスとアンタイオスの戦いが描かれています。ヘラクレスは無敵のアンタイオスの弱点を見破り、窒息させる事で戦いに勝利します。

オーセールの婦人

オーセールの婦人
紀元前7世紀後半展示室660 / シュリー翼1F

作品名である「オーセール」は、この像が発見された美術館の名前に由来しています。ギリシア彫刻史上最古の様式「ダイダロス様式」の中でも傑作とされる彫り物で、右手を胸に置く仕草は、巫女の礼拝を暗示しています。

射手のフリーズ

射手のフリーズ
紀元前510年展示室307 / シュリー翼0階

宮殿の壁に飾れていた彩釉煉瓦パネル。描かれている射手は「不滅の軍隊」と呼ばれる隊であると言う説や、「ペルシャ人部隊」であるという説がありますが、確かな事は分かっていません。参考までに、射手とは、弓を射る人のことです。

ダレイオス1世宮殿の謁見の間の円柱の柱頭

ダレイオス1世宮殿の謁見の間の円柱の柱頭
紀元前510年頃展示室307 / シュリー翼0階

アケメネス朝の王「ダレイオス1世」によって建造された謁見の間という大広間には円柱が36本ありました。これは、そのうちの一本の柱頭です。かつては、二頭の背中合わせの牡牛の頭部が天井を支えていました。

タムウトネフェレトの葬祭具一式

タムウトネフェレトの葬祭具一式
前1295〜前1186年展示室321 / シュリー翼0階

フランスの古代エジプト学の研究者「ジャン=フランソワ・シャンポリオン」によって発見されたこの葬祭具一式は、アメン神の歌い手であったタムウトネフェレトを埋葬していたものです。

タニスの大スフィンクス

タニスの大スフィンクス
紀元前2600年頃展示室338 / シュリー翼0階

ライオンの体をしたファラオ像「スフィンクス」。このスフィンクスは1825年にタニスのアモン寺院で発見されたもので、数あるスフィンクス像の中でも非常にクオリティの高いものとされています。重さ12トン、高さ約1.8m、長さは約4.8mほどあり、表面には歴代王の名前が刻まれています。

ヴァルバンソンの浴女

浴女
アングル作(1808年)展示室940 / シュリー翼2F

19世紀の古典主義を代表するフランス画家「アングル」がローマ留学中の28歳時に描いた作品。当時は、ドラクロワなどのロマン主義の画家が台頭した時代でもありました。作品名の「ヴァルバンソン」は所有者にちなんだ名前で、元々は別名でサロンに出品されていました。この浴女やトルコ風呂など、背中を向けた女性のポーズを描いたアングル作品は4点残っています。

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