ルーブル美術館の有名作品・必見作品を徹底解説|絵画から彫刻まで

本記事では、ルーブル美術館で見ておきたい作品を厳選して紹介します。「必見作品」「有名作品」「その他の作品」の順に、絵画や彫刻の特徴、実際に鑑賞する際の見どころなどを分かりやすく解説していきます。
作品解説ではなく、ルーブル美術館の見学方法や回り方を詳しく知りたい方は、以下の記事をご参照ください。
ルーブル美術館の必見作品15選
まずは、ルーブル美術館を訪れたら優先して見ておきたい必見作品15点をご紹介します。「モナ・リザ」をはじめとするダ・ヴィンチ作品や、「サモトラケのニケ」「ミロのヴィーナス」など、ルーブルを代表する作品を中心に厳選しています。
モナリザ

世界で最も有名な絵画の一つ「モナ・リザ」は、レオナルド・ダ・ヴィンチが16世紀初頭に描いた女性の肖像画です。モデルについては諸説ありますが、現在ではフィレンツェの商人「フランチェスコ・デル・ジョコンド」の妻「リザ・ゲラルディーニ」であるという説が最も有力で、ルーブル美術館も彼女をモデルとして紹介しています。
作品の大きな特徴が、輪郭をくっきり描かず、色彩や明暗を繊細に変化させる「スフマート」と呼ばれる技法です。特に目元や口元の境界が柔らかく表現されており、見る位置によって表情が微妙に変化するような「謎めいた微笑み」を生み出しています。
実物は縦約79cm×横約53cmと、知名度から想像するより小さな作品です。鑑賞時は有名な微笑だけでなく、人物の背後に広がる岩山や水辺などの幻想的な風景にも注目してみてください。
現在はドゥノン翼1階・展示室711の専用ケース内に展示されています。ルーブル美術館でも特に混雑する作品ですが、正面にはルーブル最大の絵画「カナの婚宴」が展示されているので、あわせて鑑賞するのがおすすめです。
岩窟の聖母

レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノで活動していた時代に制作した代表作のひとつです。1483年、ダ・ヴィンチはアンブロージオとエヴァンジェリスタ・デ・プレディス兄弟とともに、ミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂にあった「無原罪の御宿り礼拝堂」の祭壇画制作を依頼されました。「岩窟の聖母」は、その祭壇を飾るために制作された作品です。
画面中央には聖母マリア、その足元には幼いイエスと洗礼者ヨハネ、右側には天使が描かれています。聖母は右手をヨハネの肩に添え、左手をイエスの頭上へ伸ばし、イエスはヨハネに向かって祝福するように右手を上げています。
作品名のとおり、背景に広がっているのは岩山や洞窟、水辺などからなる幻想的な風景です。人物の背後に明るい屋外の風景を配置する一般的な聖母子像とは大きく異なり、薄暗い岩窟の中から人物たちが浮かび上がるように描かれています。
実物を鑑賞する際に注目したいのが、4人の人物をつないでいる視線と手の動きです。聖母の両手、イエスの祝福する右手、天使の手などが画面中央に集まり、言葉を交わしていない人物たちの関係が身振りだけで表現されています。
さらに、人物の輪郭をくっきりと描かず、光と影をなめらかに移行させる「スフマート」も見どころです。人物の肌や衣服と暗い背景との境界が柔らかくぼかされ、岩窟の湿った空気まで感じさせるような独特の奥行きが生み出されています。
「岩窟の聖母」が特に興味深いのは、非常によく似た作品が2点現存していることです。1点がルーブル美術館、もう1点がロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。
2点が制作された背景には、ダ・ヴィンチらと作品を依頼した「無原罪の御宿り信心会」との間で、報酬をめぐる長期間の争いがあったことが分かっています。現在の研究では、ルーブル版が最初に制作された作品で、何らかの事情で別の購入者へ渡り、その後、祭壇のために第2版が制作された可能性が高いと考えられています。
2作品は一見するとよく似ていますが、人物のポーズや天使の仕草、植物、光の表現などには違いがあります。ルーブル版を鑑賞した後、ロンドンのナショナル・ギャラリーを訪れる機会があれば、2作品を比較してみるのも面白いです。
現在はドゥノン翼1階・第710室に展示されており、「モナ・リザ」とあわせて見ておきたいダ・ヴィンチの代表作です。
ラ・ベル・フェロニエール

レオナルド・ダ・ヴィンチがミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(イル・モーロ)の宮廷で活動していた1490〜1497年頃に制作した女性肖像画です。「モナ・リザ」より10年以上前の作品で、ダ・ヴィンチが人物の表情や視線、立体感のある肖像表現を追求していた時期の代表作のひとつです。
まず目を引くのが、身体を斜めに向けながら、顔だけをこちらへ向けるような女性のポーズです。正面を向いた静的な肖像画とは異なり、まるで何かに反応して振り返った瞬間のような動きが感じられます。
また、暗い背景の中から顔や首元が浮かび上がるように描かれ、頬やあごには柔らかな陰影が施されています。こうした光と影による立体的な人物表現は、後に描かれる「モナ・リザ」にも通じるダ・ヴィンチの肖像画の特徴です。
モデルとなった女性が誰なのかは現在も特定されていません。有力な候補として挙げられているのが、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛人だった「ルクレツィア・クリヴェッリ」です。ただし確実な記録はなく、別の女性を描いた可能性も指摘されています。
実物を鑑賞する際は、女性の額を飾る細い宝飾品にも注目です。このような額飾りは後にフランス語で「フェロニエール」と呼ばれるようになりました。一方、作品の通称「ラ・ベル・フェロニエール(美しきフェロニエール)」が現在の作品に使われるようになった経緯には混乱もあり、モデルの女性を直接示す名称ではありません。
画面下部を横切る石造りの欄干も特徴的です。鑑賞者とモデルの間に境界を作ると同時に、女性の上半身を強く印象づける構成になっています。華やかな衣装や宝飾品だけでなく、視線や身体の向き、光の当たり方まで見ていくと、ダ・ヴィンチの肖像画表現の巧みさが分かりやすい作品です。
「モナ・リザ」と比較すると、制作時期による人物表現の違いも楽しめます。ルーブル美術館にはダ・ヴィンチの絵画が複数所蔵されているため、「ラ・ベル・フェロニエール」から「モナ・リザ」へと変化していく肖像表現を見比べてみるのもおすすめです。
洗礼者ヨハネ

「モナ・リザ」と並ぶレオナルド・ダ・ヴィンチ晩年の代表作のひとつです。1508年頃に構想されたと考えられていますが、ダ・ヴィンチは完成させることなく手元に置き続け、フランスで亡くなる1519年まで少しずつ手を加えていたとされています。
描かれている「洗礼者聖ヨハネ」は、イエス・キリストの到来を予告し、後にヨルダン川でイエスに洗礼を授けた人物です。本作では暗闇の中から浮かび上がるように描かれ、微笑みを浮かべながら右手の人差し指を天へ向けています。
この天を指す右手は作品を見る上で重要なポイントです。洗礼者ヨハネはキリストの到来を告げる「先駆者」とされる人物で、その指先は鑑賞者の視線を天上へと導き、これから現れる救世主キリストを示唆していると解釈されています。
実物を見ると、背景には風景や建物などがほとんど描かれておらず、暗闇の中からヨハネの顔や胸、右手だけが浮かび上がるように見えます。光と影の境界をぼかす「スフマート」が効果的に使われ、輪郭線を強調することなく、人物が闇の中から現れるような立体感が表現されています。
さらに注目したいのが、ヨハネの謎めいた微笑みと視線です。正面から鑑賞者を見つめながら微笑む表情は「モナ・リザ」にも通じるものがあり、右手の指先とともに鑑賞者を画面の中へ引き込むような構成になっています。
ダ・ヴィンチは制作途中で、ヨハネの身体や腕の位置、髪型などを何度も変更していたことが科学調査によって明らかになっています。構想から長い時間をかけて試行錯誤を重ねた作品で、ダ・ヴィンチが最晩年まで追求した光と人物表現を見ることができる一枚です。
作品自体は高さ約73cm、幅約56cmとそれほど大きくありません。現在はドゥノン翼1階・第710室に展示されているため、グランド・ギャラリーのイタリア絵画を見学する際にあわせて鑑賞できます。
聖アンナと聖母子

レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年まで手元に置き、長期間にわたって制作を続けた大作です。画面には聖アンナ、その娘である聖母マリア、幼いイエス・キリストという3世代が一つのまとまりとして描かれています。
一見すると人物が複雑に重なって見えますが、後方に座っているのが聖アンナ、その膝の上から身体を前へ伸ばしているのが娘の聖母マリアです。そしてマリアが両手を伸ばしている先には、子羊と戯れる幼いイエスが描かれています。
実物を鑑賞する際に注目したいのが、聖アンナからマリア、そして幼いイエスへと連続する人物の動きです。3人の身体が複雑に重なりながらも、大きな三角形を作るように配置され、視線や腕の動きによって自然につながっています。
さらに重要なのが、イエスが抱きかかえている「子羊」です。キリスト教美術において子羊は、後に人類の罪を背負って犠牲となるキリスト自身を象徴します。マリアは子羊からイエスを引き離そうとするように手を伸ばしていますが、イエスは子羊をしっかりと抱いており、将来の受難を自ら受け入れるキリストを暗示する場面と解釈されています。
その背後で聖アンナは、娘と孫の姿を穏やかな表情で見守っています。こうした人物の表情に加え、輪郭をぼかしながら光と影を滑らかにつなぐ「スフマート」によって、人物の肌や衣服には柔らかな立体感が生み出されています。
背景にも注目です。人物の背後には岩山が連なる幻想的な風景が広がり、手前の人物から遠くの山々へ向かうにつれて色彩や輪郭が淡くなっています。こうした空気遠近法も、ダ・ヴィンチ作品を鑑賞する際の見どころのひとつです。
ダ・ヴィンチはこの作品を長期間手元に置き、構図や細部に何度も手を加えたと考えられています。科学調査でも制作過程に多くの変更が確認されており、細部には仕上がりの程度が異なる部分も残されています。完成作品だけでは分からない、ダ・ヴィンチの試行錯誤や制作過程を感じられる作品でもあります。
「モナ・リザ」や「洗礼者聖ヨハネ」と同じく、ダ・ヴィンチが晩年まで手元に置いていた作品で、現在はルーブル美術館を代表するダ・ヴィンチ作品のひとつとして展示されています。
サモトラケのニケ

エーゲ海北部に浮かぶギリシャのサモトラケ島で、1863年にフランス人外交官「シャルル・シャンポワゾ」によって発見された、ヘレニズム時代を代表する彫刻です。翼を大きく広げた女性像は、ギリシャ神話に登場する勝利の女神「ニケ」を表しています。
像だけを見ると分かりにくいですが、ニケが立っている灰色の台座は軍船の船首(舳先)をかたどったものです。海戦での勝利を記念して奉納されたと考えられており、ニケが空から飛来し、船首へ降り立った瞬間が表現されています。
鑑賞する際に注目したいのが、身体にまとわりつく薄い衣の表現です。正面から見るだけでなく像の左斜め前から眺めると、強い風を受けて衣が身体に張り付き、背後へ大きくなびいている様子がよく分かります。実際にこの像も、もともとは左斜め前から見上げることを意識して設置されていたと考えられています。
発見場所は、サモトラケ島にあった「偉大なる神々の聖域」です。海上での勝利を記念した奉納物と考えられていますが、誰がどの海戦の勝利を記念して制作したのかは特定されていません。ロドス島との関係も指摘されていますが、現在も研究が続いています。
発見時には像がいくつもの破片に分かれており、現在も頭部や両腕などは失われたままです。また、現在の右の翼は、残っていた左翼を参考に石膏を用いて復元されています。後の発掘では失われていた右手の一部も発見されました。
この右手は見落としやすいですが、サモトラケのニケと同じ第703室、ダリュ階段の踊り場にある展示ケースで見ることができます。巨大なニケ像を鑑賞した後に、あわせて確認しておきたいポイントです。
現在のルーブル美術館では、ニケ像はドゥノン翼1階「ダリュ階段」の最上部に展示されています。グランド・ギャラリーや「モナ・リザ」の展示エリアからも比較的近いため、これらの作品とセットで見学すると効率よく回れます。
カナの婚宴

ルーブル美術館が所蔵する絵画の中で最大の作品で、高さ約6.8m、幅約9.9m、面積は約70㎡にも及びます。もともとはヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島にあるベネディクト会修道院の食堂を飾るため、ヴェロネーゼが1562〜1563年に制作した作品です。
描かれているのは、新約聖書に登場する「カナの婚宴」の一場面です。婚宴の途中でワインがなくなった際、イエス・キリストが水をワインに変えたとされる「最初の奇跡」を題材にしています。
ただし、ヴェロネーゼは聖書の時代をそのまま再現するのではなく、物語の舞台を16世紀ヴェネツィアの豪華な宴会のように描きました。壮麗な建築を背景に、華やかな衣装をまとった人々や楽器を演奏する音楽家、給仕、犬などが画面いっぱいに描き込まれ、その数は約130人に及びます。
これだけ多くの人物が描かれていますが、物語の主役であるイエス・キリストは画面のほぼ中央に座っています。その隣には聖母マリア、手前には音楽を奏でる人物たちが配置されており、巨大な作品なので、まず中央を確認してから左右へ視線を広げていくと全体の構成を追いやすいです。
さらに注目したいのが、画面右側で使用人たちが大きな壺を扱っている場面です。これは水がワインへ変わる奇跡に関係する描写で、華やかな宴会の中に聖書の物語が巧みに組み込まれています。
作品は1797年、ナポレオン率いるフランス軍によってヴェネツィアから接収され、巨大なキャンバスを巻いた状態でフランスへ運ばれました。ナポレオン失脚後には多くの作品がイタリアへ返還されましたが、「カナの婚宴」は巨大で輸送による損傷が懸念されたことなどからルーブルに残り、現在までフランスで展示されています。
現在は第711室「国家の間(サル・デ・ゼタ)」で「モナ・リザ」のほぼ正面に展示されています。多くの見学者がモナ・リザへ集中しますが、振り返るとすぐ目の前にルーブル最大の絵画があるので、同時に鑑賞しておきたい作品です。
ミロのヴィーナス

「ミロのヴィーナス」の名で世界的に知られる、古代ギリシャ・ヘレニズム時代を代表する彫刻です。1820年にギリシャのミロス島で発見され、紀元前150〜125年頃に制作されたと考えられています。
高さは約204cmで、素材には白いパロス島産の大理石が使用されています。上半身はほぼ裸体、下半身には腰から滑り落ちるような衣をまとい、身体をわずかにひねった優美な姿が大きな特徴です。
現在は両腕の大部分と左足が失われており、本来どのような姿をしていたのかは現在も明らかになっていません。発見場所の近くでは「リンゴを持った手」も見つかっており、リンゴを持つ「アフロディーテ」だったとする説のほか、盾を持っていた可能性など、さまざまな復元案が考えられています。
「ヴィーナス」はギリシャ神話の女神「アフロディーテ」に相当するローマ神話での呼び名です。ただし、腕とともに女神を特定する決め手となる持ち物も失われているため、発見当初からその正体については議論がありました。現在は、半裸の姿やかつて身につけていた装飾品などから「アフロディーテ」とする見方が有力です。
発見後は、フランスの外交官だったリヴィエール侯爵が入手して国王ルイ18世に献上し、ルイ18世からルーブル美術館へ寄贈されました。1821年にルーブルに収蔵されると瞬く間に注目を集め、現在では「モナ・リザ」「サモトラケのニケ」と並ぶルーブルを象徴する作品のひとつとなっています。
聖母子と幼き洗礼者聖ヨハネ

「聖母(マドンナ)の画家」として知られるラファエロ・サンティが、フィレンツェ滞在期の終盤にあたる1507〜1508年頃に描いた作品です。聖母マリアと幼いイエス、洗礼者ヨハネの3人を描いた聖母子像で、フランス語で「美しき女庭師」を意味する「ラ・ベル・ジャルディニエール」の名でも親しまれています。
画面中央には聖母マリア、その左右に幼いイエスと洗礼者ヨハネが配置され、3人の人物が大きな三角形を描くようにまとめられています。安定感のある構図に加え、人物同士の視線や手の動きが自然につながっているのも大きな特徴です。
ラファエロはフィレンツェ滞在中、レオナルド・ダ・ヴィンチらの作品から多くを学んだとされ、本作にもダ・ヴィンチを思わせる三角形の人物配置や、人物と風景を調和させる表現を見ることができます。一方で、穏やかな表情や明るい色彩には、ラファエロらしい柔らかな作風がよく表れています。
実物を鑑賞する際は、イエスと洗礼者ヨハネの視線や手の動きにも注目です。イエスは母マリアを見上げながら、その手に持つ本へ手を伸ばし、ヨハネはイエスを見つめています。3人の視線や仕草を追っていくと、それぞれの人物が一つのまとまりとして構成されていることが分かります。
また、人物の背後には湖や山々が広がり、足元には草花が細かく描かれています。宗教画でありながら、聖母子が自然の中で穏やかな時間を過ごしているような親しみやすさも、この作品の魅力のひとつです。
ラファエロは本作を制作した頃にフィレンツェを離れ、その後ローマへ移ります。教皇ユリウス2世のもとでヴァチカン宮殿の壁画などを手がけ、ルネサンスを代表する画家として名声を確立していきました。本作は、ラファエロがフィレンツェ時代に完成させた聖母子像の代表作のひとつとして知られています。
メデューズ号の筏

1816年に起きたフランス海軍のフリゲート艦「メデューズ号」の遭難事故を題材に、ジェリコーが1818〜1819年に描いた大作です。作品は高さ約4.9m、幅約7.2mもあり、ルーブル美術館で実物を見るとその圧倒的なスケールに驚かされます。
メデューズ号には約400人が乗船していましたが、1816年7月に現在のモーリタニア沖にある砂州で座礁。救命艇だけでは全員を収容できなかったため、約150人が急造された筏に乗り込みました。しかし、筏は救命艇による曳航の途中で切り離され、海上を漂流することになります。
作品には、長い漂流で疲弊した人々が、遠方に救助船を発見して必死に助けを求める場面が描かれています。絶望する人々から救助を求めて立ち上がる人々へと視線が導かれる、ダイナミックな構図も大きな見どころです。
ジェリコーは制作にあたり、実際の生存者から話を聞くなど、事故について入念な調査を行いました。1819年のサロンで発表された本作は大きな反響を呼び、現在ではフランス・ロマン主義を代表する作品のひとつとして知られています。
民衆を導く自由の女神

1830年7月27〜29日にパリで起きた「七月革命」を題材に、ウージェーヌ・ドラクロワが同年に描いた作品です。中央では、フランス国旗を掲げた女性が民衆を率いてバリケードを越える姿が描かれています。
この女性は実在の人物ではなく、「自由」を擬人化した象徴的な存在です。フリジア帽をかぶり、右手に三色旗、左手に銃を持ちながら前進する姿が、画面全体の中心となっています。
周囲には、労働者や市民、少年などさまざまな立場の人々が描かれており、身分の異なる民衆が「自由」のもとに一つになって進む構図が大きな特徴です。倒れた人々を前景に置き、その上へ向かって人物を三角形状に配置することで、革命の激しさと前進する力強さが表現されています。
ドラクロワ自身は戦闘の中心人物として革命に参加したわけではありませんが、1830年のパリで起きた民衆蜂起を直接目撃しており、その経験をもとに本作を制作しました。作品は縦260cm、横325cmの大作で、現在ではフランスを象徴する絵画のひとつとして世界的に知られています。
ナポレオン一世の戴冠式

フランス新古典主義を代表する画家「ジャック=ルイ・ダヴィッド」が、1804年12月2日にパリのノートルダム大聖堂で行われたナポレオン1世の戴冠式を描いた大作です。作品は高さ約6.2m、幅約9.8mにも及び、ルーブル美術館でも特にスケールの大きな絵画のひとつです。
画面中央では、真紅のマントをまとったナポレオンが、ひざまずく皇妃ジョゼフィーヌの頭上に冠を掲げています。作品名から「ナポレオン自身が戴冠する場面」を想像しがちですが、実際に描かれているのは、ナポレオンがジョゼフィーヌに冠を授ける場面です。
背後の高い席には、ローマから招かれた教皇ピウス7世の姿も描かれています。ダヴィッドは実際の式典に立ち会いながら多数の人物を描き込み、皇帝一家や聖職者、政府高官などを壮大な歴史画としてまとめ上げました。
ただし、この作品は式典をそのまま記録したものではなく、ナポレオンの権威を強く印象づけるために構成や人物配置へ意図的な演出が加えられています。実際には式典に出席していなかったナポレオンの母も、画面奥の中央付近に描かれています。
ダヴィッドはナポレオンから正式に制作を依頼され、助手の協力を得ながら約2年をかけて作品を完成させました。1807年末に完成し、翌1808年にはルーブルで一般公開されています。巨大な画面に描かれた人物の表情や豪華な衣装まで細かく見ると、単なる歴史画というより、ナポレオン時代の政治的な演出まで読み取れる作品として楽しめます。
ハムラビ法典

「目には目を、歯には歯を」という言葉で広く知られる「ハムラビ法典」は、古代バビロニア王ハンムラビの治世に作られた法典碑です。高さ約225cmもある黒い玄武岩の石碑で、ルーブル美術館の古代オリエント美術を代表する作品のひとつです。
石碑の表面には楔形文字がびっしりと刻まれており、家族、財産、商取引、農業、犯罪など、当時の社会生活に関わる多数の法律や判決例が記されています。単なる刑罰集ではなく、約3800年前のメソポタミア社会がどのようなルールで運営されていたのかを知る重要な史料でもあります。
実物を鑑賞する際にまず注目したいのが、石碑最上部に彫られた2人の人物です。向かって左側に立っているのが「ハンムラビ王」、右側の玉座に座る人物が太陽神・正義の神「シャマシュ」です。王が神から権威を授かるような場面が描かれ、法の正当性を示す重要な部分となっています。
その下には、石碑の大部分を埋め尽くすように楔形文字が細かく刻まれています。近くで見ると、巨大な石碑に長大な文章が何段にもわたって刻まれていることが分かり、古代メソポタミアの高度な文字文化を実感できます。
法典の中でも特に有名なのが、「目には目を、歯には歯を」に代表される同害復讐法です。ただし、すべての人に同じ刑罰が適用されたわけではなく、当時の社会的な身分によって罰則が異なる例も見られます。法典を通して、古代バビロニア社会の階層構造まで読み取ることができます。
この石碑はメソポタミアで制作されましたが、発見されたのは現在のイランにある「スーサ」です。古代に戦利品としてメソポタミアからスーサへ運ばれたと考えられており、1901〜1902年にフランスの発掘隊によって発見されました。
現在はリシュリュー翼0階・第227室に展示されています。モナ・リザやイタリア絵画が集まるドゥノン翼からは少し離れていますが、古代文明まで幅広く見学したい方なら、優先して立ち寄りたい作品です。
レースを編む女

「レースを編む女」は、生涯に残した作品が30数点ほどとされるオランダの画家「ヨハネス・フェルメール」の代表作のひとつです。制作は1669〜1670年頃で、フェルメール晩年に近い時期の作品にあたります。
作品の大きさは縦約24cm、横約21cmと非常に小さく、ルーブル美術館の有名作品の中でも特にコンパクトです。巨大な歴史画が並ぶ館内で見ると、その小ささに驚くかもしれません。
画面には、机に向かってレース編みに集中する若い女性が描かれています。視線を手元に落とし、指先で糸を扱う姿は非常に静かですが、手や指の動き、衣服の質感、机の上の道具まで細かく描き分けられています。
実物を見る際に特に注目したいのが、画面左下にある裁縫道具の入ったクッション状の袋です。そこから赤や白の糸がこぼれ落ちていますが、この部分は輪郭を細かく描き込むのではなく、色の点やぼかしを使って表現されています。一方、女性の手元は非常に緻密に描かれており、近景と作業部分で描写の精密さを変えている点も特徴です。
また、本作では右側から光が差し込んでいる点にも注目です。フェルメール作品では左側から光を入れる構図が多いため、右側からの光は比較的珍しい例です。柔らかな光によって女性の顔や黄色い衣服、手元が自然に浮かび上がっています。
作品全体には大きな動きや物語的な演出はありませんが、一人の女性が作業に没頭する短い瞬間を、極めて小さな画面の中に凝縮しているのが大きな見どころです。近くまで寄って、女性の手元と色糸の表現を見比べると、フェルメールらしい繊細な描写をより感じやすくなります。
現在はリシュリュー翼2階・第837室に展示されており、同じ部屋ではフェルメールの「天文学者」も鑑賞できます。2作品を続けて見比べられるので、フェルメール作品を目的に訪れる方はあわせて見ておきたい展示室です。
天文学者

フェルメールが1668年に描いた作品で、署名と制作年が記された数少ない作品のひとつです。窓から差し込む光の中で、一人の学者が机に身を乗り出し、右手を天球儀へ伸ばす瞬間が描かれています。
一見すると静かな室内画ですが、机の上や周囲には天球儀、天文学書、コンパス、アストロラーベなど、天体観測や研究に関係する道具が配置されています。天球儀は1600年にヨドクス・ホンディウスが制作したもので、机の上にはアドリアーン・メティウスが1621年に出版した天文学書が開かれています。
実物を鑑賞する際に注目したいのが、窓から差し込む光と、天文学者の右手の動きです。光は人物の顔や手、天球儀、机上の本などを照らし、自然と鑑賞者の視線を研究に必要な道具へ導くように構成されています。
背景には棚のほか、旧約聖書の物語を題材とする「水から救われるモーセ」を描いた絵画が掛けられています。科学者の研究風景だけでなく、当時の宗教観や知識への関心を読み取ることができる点も、この作品の特徴です。
フェルメールには、本作の翌1669年に描かれた「地理学者」という非常によく似た作品もあります。現在「地理学者」はフランクフルトのシュテーデル美術館に所蔵されていますが、2作品は1797年まで一緒に所有されていました。天文学者が「天」を研究するのに対し、地理学者は「地上」を研究する人物を描いており、フェルメール作品の中でも興味深い組み合わせです。
作品の大きさは縦約51cm、横約45cmとそれほど大きくありません。現在はリシュリュー翼2階・第837室に展示され、同じ部屋で「レースを編む女」も鑑賞できます。ルーブル美術館が所蔵するフェルメール作品はこの2点なので、あわせて見ておきたいところです。
ルーブル美術館で見ておきたい有名作品15選
必見作品とまではいきませんが、ルーブル美術館以外であれば、目玉作品として紹介されてもおかしくない有名作品を15点ご紹介します。
ピエロ(ジル)

フランス・ロココを代表する画家「ジャン=アントワーヌ・ヴァトー」が1718〜1719年頃に描いた作品です。白い衣装をまとった人物がほぼ等身大で正面を向き、その後ろには演劇の登場人物たちが描かれています。
中央の人物は、イタリア喜劇をルーツとする演劇で人気を集めた「ピエロ」と考えられています。周囲の人物が動きのある姿で描かれているのに対し、ピエロだけが舞台から切り離されたように正面を向いて立っているのが印象的です。
この作品は長い間「ジル」の名で親しまれてきましたが、現在のルーヴル美術館では正式に「ピエロ(Pierrot)」という作品名で紹介されています。18世紀にはピエロとジルという2つの役柄が混同されるようになり、それが19世紀に本作が「ジル」と呼ばれるようになった背景のひとつとされています。
一方で、この作品が何のために描かれたのか、モデルとなった人物が誰なのかなど、制作の詳しい経緯は現在も分かっていません。ルーヴル美術館も「謎の多い作品」として位置づけており、舞台を題材にしながら、どこか孤独にも見えるピエロの表情や立ち姿が、この作品をより印象深いものにしています。
ダイヤのエースを持ついかさま師

17世紀フランスを代表する画家「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」の代表作のひとつです。一見すると4人の男女が静かにカードゲームを楽しんでいる場面ですが、よく見ると、画面左側の3人が右端の若者を騙そうとしている瞬間が描かれています。
まず注目したいのが、画面左端の男性です。背中側に手を回し、こっそりと「ダイヤのエース」を取り出そうとしています。作品名の「ダイヤのエースを持ついかさま師」は、この男性の行動に由来しています。
さらに面白いのが、登場人物たちの「視線」と「手の動き」です。中央の女性は横目で左側へ合図を送り、その隣の女性もワインを注ぎながら視線を向けています。一方、右端の豪華な衣装をまとった若者だけは、このやり取りに気付いていないように描かれています。ルーブル公式も、こうした視線や身振りによって、若者を狙った組織的な策略が表現されていると解説しています。
描かれているカードゲームは、現在のポーカーの祖先ともいえるイタリア発祥の「プリメラ(primiera)」だった可能性が指摘されています。左の男が隠し持つカードまで含め、単なるカード遊びではなく「これから若者を騙そうとしている場面」であることが細かく表現されています。
作品の前では、まず右端の若者を確認し、そこから中央の女性の視線 → ワインを持つ女性 → 左端の男が隠すカードという順番で見ていくと、絵の中で進行している「いかさま」の仕組みが分かりやすいです。人物の配置や視線は緻密に計算されており、ルーブルの学芸員も、人物の位置まで細かく構成された作品であると解説しています。
ラ・トゥールは死後、その存在が長い間ほとんど忘れられていましたが、20世紀に入って再評価が進みました。本作も1926年頃に美術商・収集家のピエール・ランドリーが入手し、1972年にルーブル美術館が購入しています。現在では、ラ・トゥールを代表する作品として知られています。
書記坐像

古代エジプトの古王国時代に制作された「書記座像」は、ルーブル美術館の古代エジプト・コレクションを代表する作品のひとつです。1850年に、古代エジプトの重要な墓地遺跡「サッカラ」で発見されました。
高さは約54cm。あぐらをかくように座った男性が、膝の上にパピルスを広げ、文字を書こうとする姿が表現されています。左手でパピルスを押さえ、右手には本来、文字を書くための葦の筆「カラム」を持っていましたが、現在は失われています。
実物を鑑賞する際に特に注目したいのが、まるでこちらを見つめているような非常にリアルな「目」です。目には複数の素材が使われ、虹彩には水晶、白目には鉱物、目の輪郭には銅が用いられています。さらに水晶が光を反射するよう工夫されているため、見る位置によって生きているような視線を感じられます。
顔だけでなく、指や爪、胸や腹部なども細かく表現されており、古代エジプトの王や神々の像とは異なる、比較的写実的な人物表現も大きな特徴です。現在も色彩の一部が残っているため、約4500年前の像であることを意識して見ると、その保存状態の良さも分かります。
モデルとなった人物の名前は現在も特定されていません。ただし、これほど精巧な像を制作できたことなどから、古代エジプト社会で高い地位にあった人物だったと考えられています。当時の書記は文字を扱う専門知識を持ち、行政や財産管理などを担う重要な存在でした。
現在はシュリー翼1階・第635室に展示されています。「モナ・リザ」や「ミロのヴィーナス」などが集まるエリアからは少し離れていますが、古代エジプト美術まで見学するなら優先して立ち寄りたい作品です。
トルコ風呂

フランス新古典主義を代表する画家「ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル」が晩年に完成させた作品です。浴場に集う多数の裸体女性を、円形の画面いっぱいに描いています。
作品は1859年に一度完成しましたが、当初は現在のような円形ではなく長方形のキャンバスでした。その後アングル自身が構図を見直し、1860年に円形へ変更。さらに手を加え、1862年に現在の形で完成させています。
画面には、横たわる女性、楽器を奏でる女性、抱き合う人物など、さまざまなポーズの女性たちが密集するように描かれています。遠近感のある空間を描くというより、女性の身体の曲線やポーズを円形の画面の中にリズミカルに配置している点が大きな特徴です。
また、中央手前で背中を向けて座る女性像など、アングルが過去に描いた人物表現を思わせるモチーフも取り入れられています。晩年のアングルが、それまで長年描き続けてきた女性裸体表現を集大成したような作品として見ることができます。
エビ足の少年

スペイン出身で、主にナポリで活躍した画家「ホセ・デ・リベーラ」が1642年に描いた作品です。少年は左手に紙を持っており、そこにはラテン語で「神の愛のために私に施しを」と記されています。つまり、物乞いであることを示すための札を手にしていることが分かります。
作品名の「エビ足」は、少年の足に見られる身体的な障害に由来します。服装も簡素で、社会の周縁に生きる貧しい少年であることが伝わってきますが、リベーラは彼を哀れな存在としてではなく、笑顔を浮かべた一人の人間として堂々と描いています。
ルーヴルの公式資料でも、この少年は障害や貧困を抱えた「社会から排除された存在」でありながら、強い尊厳と人間性を与えられていると解説されています。大きく描かれた全身像の構図も、当時の王侯貴族の肖像画を思わせるほど堂々としたものです。
また、少年の表情にも注目です。苦しい境遇を描いた作品でありながら、口元には明るい笑みがあり、その自然な表情が作品全体の印象を大きく変えています。「貧困」や「身体的な障害」を描きながらも、人物の尊厳を失わせていない点が、この作品の大きな見どころです。
瀕死の奴隷

「瀕死の奴隷」は、ルネサンスを代表する芸術家ミケランジェロが1513〜1515年に制作した、高さ約228cmの大理石像です。もともとは、ローマのサン・ピエトロ大聖堂に建設する予定だった教皇ユリウス2世の墓廟を飾る彫刻として制作されました。
ユリウス2世の墓廟は、1505年にミケランジェロへ依頼された非常に壮大な計画でした。しかし、その後何度も設計が変更・縮小され、「瀕死の奴隷」は最終的に1545年に完成した墓廟には使用されませんでした。
像を見ると、若い男性が左腕を頭上へ上げ、右手を胸元に置きながら、身体を大きくひねっています。作品名から苦しみながら死を迎える人物を想像しますが、表情は意外なほど穏やかで、眠りに落ちるようにも見える静かな表情と、緊張感のある身体の動きとの対比が大きな特徴です。
また、身体の正面だけでなく、横から見ると腰や脚のひねりがより分かりやすくなります。筋肉や骨格を細かく表現しながら、硬い大理石とは思えないほど柔らかな人体を作り出している点は、ミケランジェロの彫刻ならではの見どころです。
この「奴隷」が何を象徴しているのかについては、現在も明確な答えが出ていません。ユリウス2世が征服した地域を象徴する人物、芸術や人間の魂を表したものなど様々な解釈が提示されてきましたが、確実なことは分かっていません。
ルーブル美術館では、同じ時期に制作された「反抗する奴隷」と対をなす作品として所蔵されています。「瀕死の奴隷」が力を失っていくような穏やかな姿を見せるのに対し、「反抗する奴隷」は身体を激しくねじり、拘束から逃れようとするような姿を見せており、2体を見比べると表現の違いがよく分かります。
ミケランジェロはこのほかにもユリウス2世の墓廟のために4体の奴隷像を制作しており、現在はフィレンツェのアカデミア美術館に所蔵されています。こちらは未完成の状態で残され、大理石の中から人物が浮かび上がってくるような制作過程を見ることができます。
「瀕死の奴隷」と「反抗する奴隷」は1546年にミケランジェロから友人のロベルト・ストロッツィへ贈られ、その後フランスへ渡りました。イタリア国外でミケランジェロの大理石彫刻を鑑賞できる貴重な作品で、ルーブル美術館の彫刻作品の中でも見逃せない一作です。
反抗する奴隷

「反抗する奴隷」は、ミケランジェロが教皇ユリウス2世の墓廟を飾るため、1513〜1515年頃に制作した高さ約215cmの大理石像です。同じ計画のために制作された「瀕死の奴隷」と対をなす作品として知られています。
「瀕死の奴隷」が眠りに落ちるような静かな姿を見せるのに対し、本作では身体を大きくねじり、拘束から逃れようとするような強い動きが表現されています。頭を後方へ向け、肩や胸、脚に力を込めた姿からは、全身の筋肉が緊張している様子が伝わってきます。
実物を鑑賞する際は、人物の身体だけでなく、腕や胴体を拘束する細い帯にも注目です。この束縛があることで、人物が自由になろうともがく姿がより強調され、「反抗する奴隷」という現在の呼び名にもつながっています。
ただし、この「奴隷」が何を象徴しているのかについては、現在も確定していません。ユリウス2世が征服した地域を表すという説や、人間の魂、芸術などを象徴するという解釈もありますが、ミケランジェロ自身が明確な意味を残したわけではありません。
この像は、1505年に始まったユリウス2世の壮大な墓廟計画の一部として制作されました。しかし、墓廟は何度も設計変更と縮小を繰り返し、最終的に1545年に完成した墓廟には「反抗する奴隷」と「瀕死の奴隷」は使用されませんでした。
その後、ミケランジェロは1546年に2体の奴隷像を友人のロベルト・ストロッツィへ贈り、ほどなくフランス王へ渡ったとされています。その後、アンヌ・ド・モンモランシーやリシュリュー枢機卿のコレクションを経て、1794年にルーブル美術館へ収蔵されました。
現在は「瀕死の奴隷」と並んで展示されているため、静と動という対照的な2体の表現を見比べながら鑑賞するのがおすすめです。ミケランジェロが人体の筋肉や動きをどのように大理石で表現したのか、比較するとより分かりやすくなります。
アモルの接吻で蘇るプシュケ

「アモルの接吻で蘇るプシュケ」は、18世紀後半から19世紀初頭に活躍したイタリアの彫刻家「アントニオ・カノーヴァ」の代表作です。ギリシャ・ローマ神話を題材にした大理石彫刻で、愛の神アモルとプシュケの物語の一場面を表現しています。
プシュケは女神ヴィーナスから命じられて冥界へ向かい、そこで受け取った容器を開けてしまったことで、死のような深い眠りに落ちます。作品では、そこへ駆けつけたアモルがプシュケを抱き起こし、再び目覚めようとする瞬間が描かれています。
実物を鑑賞する際に注目したいのが、2人の腕によって作られる円形の構図です。プシュケは両腕を伸ばしてアモルの頭を包み込むようにし、アモルもプシュケの身体を支えています。人物の腕や身体の流れを追っていくと、自然と2人の顔へ視線が集まるように構成されています。
また、大理石でありながら柔らかく表現された肌や衣服、アモルの翼も見どころです。特に翼は薄く繊細に彫られており、硬い石から人肌や布、羽根といった異なる質感を作り分けるカノーヴァの高度な彫刻技術がよく分かります。
この作品は正面だけを見るよりも、少し横へ移動しながら鑑賞すると、2人の身体の重なりや翼の広がりが立体的に見えてきます。見る角度によって印象が変わるため、時間があれば作品の周囲から確認してみてください。
現在はドゥノン翼0階・第403室に展示されています。同じエリアにはミケランジェロの「瀕死の奴隷」「反抗する奴隷」など、イタリア彫刻の名作も並んでいるため、あわせて見学しやすいです。
フランソワ1世の肖像

フランス・ルネサンス期を代表する宮廷画家「ジャン・クルーエ」が描いた、フランス王フランソワ1世(1494〜1547年)の肖像画です。豪華な衣装や宝飾品、布地の質感まで非常に細かく描き込まれており、王の威厳と華やかな宮廷文化が伝わってきます。
特に注目したいのが、金糸や刺繍が施された衣装の表現です。光沢のある生地や細かな装飾が驚くほど精密に描かれており、近くで見ると肖像画というより実物の衣装を眺めているような感覚があります。
モデルとなったフランソワ1世は、1515年に即位したフランス王で、軍事や外交だけでなく、芸術や建築を積極的に保護した君主としても知られています。
中でも有名なのが、1516年にレオナルド・ダ・ヴィンチをフランス宮廷へ招いたことです。ダ・ヴィンチは晩年をフランスで過ごし、その後フランス王室のコレクションに加わった作品群が、現在のルーヴル美術館のダ・ヴィンチ・コレクションにつながっています。
また、フランソワ1世の時代には、イタリア・ルネサンスの芸術や建築様式がフランス宮廷に本格的に取り入れられました。この肖像画は、単に一人の王を描いた作品ではなく、フランス・ルネサンスが大きく発展した時代そのものを象徴する一枚ともいえます。
両替商とその妻

作品には、机の上に並べられた金貨や宝石を前に、秤を使って慎重に貨幣の重さを量る男と、その手元を見つめる妻の姿が描かれています。妻は宗教書を手にしており、開かれたページには「聖母子」の姿が描かれています。
注目したいのは、宗教書を読んでいたはずの妻の視線が、本ではなく夫が扱う金貨や宝石へ向けられている点です。信仰や精神的な価値と、富や金銭への関心を同じ画面に描くことで、人間が物質的な欲望に引き寄せられる姿を表現した作品と考えられています。
さらに、この作品は細部までじっくり見ると面白く、机の上には小さな凸面鏡が置かれています。鏡には、画面の外にいる窓辺の人物や外の景色まで映り込み、絵の中だけでは分からない空間の広がりが表現されています。
背景にも、棚に置かれた水差しやリンゴ、ロザリオ、ろうそくなどが細かく描き込まれ、右奥の半開きの扉からは、若者と老人が話している姿まで確認できます。人物だけでなく、鏡や宗教書、背景の小物まで意識して見ると、この作品の面白さがより伝わってきます。
オダリスク

「グランド・オダリスク」は、フランス新古典主義を代表する画家「ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル」が1814年に完成させた代表作です。ナポレオンの妹で、当時ナポリ王妃だった「カロリーヌ・ミュラ」の依頼によって制作されました。
作品名の「オダリスク」とは、もともとオスマン帝国の宮廷に仕える女性を意味する言葉です。画面には青い寝台の上に横たわる裸婦が描かれ、頭にはターバン、右手には羽根の扇を持ち、周囲にはカーテンや宝飾品などが配置されています。
ただし、アングルが実際にオスマン帝国のハレムを訪れて描いたわけではありません。当時のヨーロッパで広がっていた「東方」への憧れをもとに作り上げた、想像上の世界が表現されています。19世紀のフランス美術で流行する「オリエンタリズム」を代表する作品のひとつとしても知られています。
実物を鑑賞する際に特に注目したいのが、女性の不自然なほど長い背中です。腰から背中にかけてのラインや右腕などは、実際の人体の比率から意図的に変形されています。アングルは人体を解剖学的に正確に描くことよりも、滑らかで美しい輪郭線や曲線を優先していました。
こうした身体表現は発表当時から批判の対象となりましたが、現在ではむしろ現実の人体をあえて変形し、理想的な美しい曲線を作り出した点が本作最大の特徴とされています。女性の背中から腰、脚へと続く長い曲線を追って見ると、アングルが人体の正確さよりも「線の美しさ」を重視していたことが分かります。
また、女性はこちらに背中を向けながら、顔だけを振り返って鑑賞者を見つめています。正面から裸婦を描くのではなく、背中を大きく見せる構図にすることで、作品全体に独特の静けさと官能性が生まれています。
作品は縦約91cm、横約162cmと横長で、裸婦がほぼ等身大に近いスケールで描かれています。現在はドゥノン翼1階・第702室に展示されており、同じアングルの作品や19世紀フランス絵画とあわせて鑑賞できます。
聖マグダラのマリア
「聖マグダラのマリア」は、16世紀初頭のドイツで活躍した彫刻家「グレゴール・エアハルト」による木彫作品です。高さ約177cmとほぼ等身大で、聖書に登場するマグダラのマリアの姿を表現しています。
一見すると裸体の女性像に見えますが、身体の大部分を覆っているのは衣服ではなく、腰の下まで伸びた非常に長い髪です。これは中世に広まったマグダラのマリアに関する伝承をもとにした表現で、世俗から離れて隠遁生活を送る聖女の姿として表されています。
実物を見る際は、正面の表情だけでなく、身体を包み込むように細かく彫られた髪にも注目です。波打つ髪が人物の身体の曲線に沿って流れ、木彫でありながら非常に立体感のある姿に仕上げられています。
素材には菩提樹(リンデン材)が使用され、現在も制作当時の彩色の一部が残されています。大理石彫刻の名作が数多く展示されるルーブル美術館の中では、木を彫って作られた等身大の人物像という点でも特徴的な作品です。
さらに興味深いのが、この像はもともと現在のように台座の上に置いて鑑賞するためのものではなく、教会内の高い位置から吊り下げ、天使たちに支えられて宙に浮いているように見せる構成だったことです。現在の展示だけを見ているとなかなか想像しにくい、本来の姿を知っておくと作品の見え方も変わってきます。
作品はドイツ・アウクスブルクにあったドミニコ会修道院の聖マグダラのマリア教会に由来すると考えられています。現在はドゥノン翼-1階・第169室に展示され、中世末期からルネサンス期にかけてのヨーロッパ彫刻とあわせて鑑賞できます。
王妃ジャンヌ・デヴルーの聖母子像

14世紀前半のパリで制作された、フランス王妃ジャンヌ・デヴルーゆかりの聖母子像です。高さ約68cmの像は、金メッキを施した銀を中心に、水晶や真珠、宝石、エナメルなどを組み合わせて作られており、中世フランスの金銀細工を代表する作品のひとつです。
聖母マリアは幼いイエスを左腕に抱き、身体を緩やかに曲げながら立っています。幼子が母親の顔に手を伸ばす姿も印象的で、威厳のある聖母像というより、母と子の親密な関係を感じさせる表現になっています。この形式は、ビザンティン美術に由来する「慈愛の聖母」の系統を受け継いだものです。
実物を見る際に注目したいのが、聖母が右手に持っている「ユリの花」です。これは単なる装飾ではなく、内部に聖母の衣服や髪、母乳に由来するとされた聖遺物を納めるための「聖遺物容器」として作られています。つまり、この作品は美しい聖母子像であると同時に、信仰の対象となる聖遺物を納めた宗教用具でもありました。
さらに、像だけでなく足元の台座も見逃せません。台座の周囲には14枚の小さなエナメル装飾が施され、「受胎告知」「キリストの降誕」「東方三博士の礼拝」「エジプトへの逃避」「復活」など、キリストの幼少期から受難・復活に関係する物語が表現されています。
この像は、フランス王シャルル4世の王妃だったジャンヌ・デヴルーが所有していたもので、1339年に歴代フランス王の墓所として知られる「サン=ドニ大修道院」へ寄贈されました。台座には、ジャンヌ・デヴルーがこの像を寄贈したことを示す銘文も残されています。
現在はリシュリュー翼1階・第503室に展示されています。高さ68cmほどなので巨大な彫刻ほど目立ちませんが、近くまで寄って「聖母子の表情」「右手のユリ」「台座のエナメル装飾」の順に見ると、この作品の細かな作りを確認しやすいです。
真珠の女

「真珠の女」は、19世紀フランスを代表する画家「ジャン=バティスト・カミーユ・コロー」が晩年に描いた人物画の代表作です。風景画家として知られるコローですが、数多くの人物画も残しており、本作はその中でも特に有名な一枚です。
女性は正面近くに身体を向けながら両手を重ね、落ち着いた表情でこちらを見つめています。暗い背景から人物を浮かび上がらせる構図や穏やかな表情、手を重ねたポーズなど、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を思わせる要素が随所に見られます。
実際にルーヴル美術館の公式資料でも、「真珠の女」は「モナ・リザ」に着想を得た作品として紹介されています。ルーブルを代表する2つの女性像を見比べてみるのも面白い鑑賞方法です。
作品名は「真珠の女」ですが、女性が身につけている頭飾りにも注目してみてください。華美な装飾を抑えた衣装と柔らかな色調によって、豪華さよりも人物の静かな存在感が強く感じられる作品です。
四季

「四季」4作品は、2024年12月から2026年12月頃までの予定で「ルーヴル・ランス」に展示中のため、2026年8月確認時点では、パリのルーブル本館では鑑賞できませんでした。
「四季」は、果物や野菜、花、植物などを組み合わせて人物の顔を作る「寄せ絵」のような肖像画で知られる、ジュゼッペ・アルチンボルドの代表的な連作です。「春」「夏」「秋」「冬」の4作品で構成され、いずれも1573年に制作されました。
少し離れて見ると普通の横顔の肖像画のように見えますが、近づいてみると、顔や髪、衣服のほぼすべてが、それぞれの季節を象徴する植物や果物などで構成されていることが分かります。
例えば「春」はバラやボタンなどの花々、「夏」は桃やサクランボ、麦、「秋」はブドウやリンゴ、「冬」は古びた木の幹や枝などを組み合わせて人物の顔を表現しています。単に食材や植物を並べているのではなく、季節ごとの特徴を細部まで人物の姿に置き換えている点が見どころです。
4作品は季節だけでなく、人間の一生の移り変わりも表現しています。「春」は若々しい人物、「夏」から「秋」へ進むにつれて成熟し、「冬」では老いた人物のような姿になります。四季の循環と人間の人生を重ね合わせた作品として見ると、単なるユニークな肖像画とは違った意味が見えてきます。
実物を鑑賞する際は、少し離れた場所から人物の顔として眺めた後、近づいて何が顔のパーツになっているのか確認するのがおすすめです。「夏」の唇はサクランボ、頬は桃、髪には麦などが使われており、作品ごとに細かな発見があります。
アルチンボルドは「四季」を一度だけ制作したわけではなく、1563年に最初のシリーズを描いた後、同じテーマを何度も制作しています。ルーブル美術館が所蔵する4作品は1573年のシリーズで、皇帝マクシミリアン2世からザクセン選帝侯アウグストへ贈るために制作された可能性が高いと考えられています。
さらに「冬」の衣服にはザクセンを示す紋章が描かれ、「夏」には「1573」という制作年とアルチンボルドの署名も確認できます。奇抜なアイデアだけでなく、宮廷への贈答品として政治的な意味も持っていた作品です。
時間があれば見たいおすすめ作品
最後に、時間に余裕があれば見ておきたいおすすめ作品をご紹介します。必見・有名作品を一通り鑑賞した後に、興味のある作品を中心に追加してみてください。
マルケルスの全身像

初代ローマ皇帝アウグストゥスの甥「マルケルス」を、ギリシャ神話の神「ヘルメス」の姿になぞらえて表現した大理石像です。紀元前5世紀のギリシャ彫刻を手本としており、若くして亡くなったマルケルスの死後、紀元前20年頃に制作されました。
高さ約1.8mの等身大を超える彫像で、足元には亀が配置され、その甲羅には作者「クレオメネス」の署名が刻まれています。
2026年8月確認時点では、ルーブル美術館ではなく、フランス・ニームの「Musée de la Romanité」に展示されています。展示場所は変更される可能性があるため、見学予定の方は訪問前に公式サイトで最新情報をご確認ください。
バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像

モデルとなった「バルダッサーレ・カスティリオーネ」は、イタリア・ルネサンス期に活躍した作家・外交官です。ラファエロとは親しい関係にあった人物として知られ、落ち着いた表情や上品な衣服からは、当時の宮廷人らしい知性と気品が感じられます。
黒とグレーを基調とした衣服や背景は非常に落ち着いた色合いですが、その分、顔や手の表情が自然に引き立っています。正面ではなく身体をわずかに斜めに向け、こちらを静かに見つめる構図も印象的です。
カスティリオーネは後に、宮廷人の理想像を論じた著作「宮廷人」を残したことでも知られています。ラファエロによる本作も、豪華さを前面に出すのではなく、人物の知性や品格を感じさせる肖像画となっています。
友人との自画像

ルネサンスを代表する画家「ラファエロ」が、友人とともに描かれた肖像画です。画面左奥に立つ人物がラファエロ本人で、右手を友人の肩に置きながら、こちらに視線を向けています。
一方、手前の男性は振り返ってラファエロを見つめており、二人の視線と仕草によって親密な関係が感じられます。なお、一緒に描かれた男性が誰なのかは現在も特定されていません。
聖ゲオルギウスと竜

キリスト教の聖人「聖ゲオルギウス」が、白馬にまたがって竜と戦う姿を描いたラファエロ初期の作品です。画面奥には、竜の生贄にされようとしていた王女の姿も小さく描かれています。
作品自体は30cmほどの小さな絵画ですが、大きく振りかぶる聖ゲオルギウスと跳ね上がる白馬、襲いかかる竜がコンパクトな画面に収められ、動きのある構図が印象的です。
聖ミカエルと竜

大天使「聖ミカエル」が悪魔を踏みつけ、剣で退治しようとする姿を描いたラファエロ初期の作品です。わずか30cmほどの小さな絵画ながら、悪魔や怪物がうごめく幻想的な背景まで細かく描き込まれています。
同時期に制作された「聖ゲオルギウスと竜」と対になる作品とされ、ルーブルでは通称「小聖ミカエル」とも呼ばれています。
荒野の洗礼者聖ヨハネ

荒野で暮らす若き「洗礼者聖ヨハネ」を描いたラファエロ晩年期の作品です。聖ヨハネは動物の毛皮をまとい、手にはキリストを「神の子羊」として示す言葉の一部が記された巻物を持っています。
大きく伸ばした右腕の先には、後にキリストが磔刑に処されることを暗示する「十字架」が描かれています。背景には本作の注文主と関係する紋章も確認できます。
洗礼者聖ヨハネ

荒野で暮らす「洗礼者聖ヨハネ」を描いた作品で、現在はレオナルド・ダ・ヴィンチの工房作で、弟子のフランチェスコ・メルツィによる作品と考えられています。
興味深いのは、17世紀末にブドウや蔦などが描き加えられ、聖ヨハネからローマ神話の酒神「バッカス」へと姿を変えられた点です。現在の作品にもその改変が残されており、長い歴史の中で姿を変えてきた珍しい作品です。
燈明の前のマグダラのマリア

17世紀フランスを代表する画家「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」が描いた、マグダラのマリアを主題とする作品です。暗い室内で、マリアが骸骨に手を添えながら灯火を見つめる静かな場面が描かれています。
骸骨は「死」や人生のはかなさを象徴するモチーフで、マリアが過去の人生を振り返り、悔悛や瞑想にふける姿を表しています。
この作品で特に印象的なのが、画面中央の灯火です。強い光源を描くのではなく、炎の柔らかな明かりだけでマリアの顔や腕、骸骨を浮かび上がらせています。暗闇と光の対比によって、人物の静かな心理状態まで伝わってくるようです。
ラ・トゥールは、夜の室内をろうそくやランプの光だけで照らした作品を数多く残したことで知られています。本作もその代表例で、派手な動きのない構図ながら、光と静寂によって強い印象を残す一枚です。
六人の天使に囲まれた荘厳の聖母

13世紀末の偉大なフィレンツェ出身画家「チマブーエ」の作品。本作では「マエスタ(荘厳)」と呼ばれる、聖人や天使が玉座につく聖母を囲む構図が描かれています。玉座が斜めに置かれるなど、わずかながら奥行きが表現されており、遠近法が確立されていない当時としては革新的な作品でした。
アッシジの聖フランチェスコの聖痕拝受

ピサのサン・フランチェスコ教会のために制作された祭壇画で、アッシジの聖フランチェスコが聖痕を授かる奇跡を中心に描いた作品です。画面上部には熾天使の姿をしたキリストが現れ、その身体から伸びる光によって、聖フランチェスコの手足や脇腹にキリストと同じ傷「聖痕」が刻まれる場面が表現されています。
祭壇画の下部には、聖フランチェスコの生涯にまつわる3つの場面も描かれています。
聖母戴冠

ドミニコ会修道士であり、本作の作者である「フラ・アンジェリコ」が、フィエーゾレのドミニコ会修道院様に描いた作品。参考までに、フィエーゾレとはフィレンツェ近郊にある都市の名前です。作中下部の挿絵には、聖ドミニコの生涯を彩るエピソードが描かれています。
サン・ロマーノの戦い

1432年にフィレンツェ軍とシエナ軍が激突した「サン・ロマーノの戦い」を描いた作品です。本作では、ミケレット・ダ・コティニョーラ率いるフィレンツェ軍が反撃に転じる場面が描かれています。
「サン・ロマーノの戦い」は3部作として制作され、現在はそれぞれルーブル美術館、ロンドンのナショナル・ギャラリー、フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。ウッチェロが追求した遠近法や、騎馬と槍を幾何学的に配置した独特の構図も見どころです。
若い婦人に贈り物を捧げるヴィーナスと三美神

メディチ家の遠縁「トルナブオーニ家」が所有する大邸宅レンミ荘の回廊を飾っていたフレスコ画。作中では、三美神に囲まれた女神が、新郎を迎える理想の結婚式が描かれています。
聖ルカと聖カタリナの前に現れる聖母

16世紀後半から17世紀初頭に活躍したボローニャ派の巨匠「アンニーバレ・カラッチ」の作品です。高さ約4mにも及ぶ大型の祭壇画で、1589年にイタリア北部のレッジョ・エミリア大聖堂にある公証人の礼拝堂のために注文され、1592年に完成しました。
画面上部には、幼いイエス・キリストを抱いた聖母マリアが雲の上に現れ、その周囲を天使たちが取り囲んでいます。その下では、画面左側の聖ルカと右側の聖カタリナが聖母を見上げる構図になっています。
実物を鑑賞する際は、画面下部の地上世界から、雲の上に現れた聖母子へと視線が自然に上がっていく構図に注目です。縦4mを超える作品なので、少し離れた位置から全体を見ると、上下に大きく分けられた構成が分かりやすいです。
左側に描かれている聖ルカは、キリスト教の伝統では福音書の著者として知られるだけでなく、聖母マリアの肖像を描いたという伝承から「画家の守護聖人」とされてきました。本作が公証人の礼拝堂のために制作されたこととも関係し、聖ルカは重要な存在として大きく描かれています。
作品は18世紀末のナポレオン戦争期にイタリアからフランスへ運ばれ、その後ルーブル美術館の所蔵となりました。現在はドゥノン翼1階のイタリア絵画エリアで鑑賞できます。
ダビデとゴリアテの戦い

旧約聖書「サムエル記上」第17章に登場する「ダビデとゴリアテの戦い」を題材に、16世紀イタリアの画家「ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ」が描いた作品です。
物語では、イスラエル軍を苦しめていたペリシテ人の巨人兵「ゴリアテ」に、若き羊飼いのダビデが挑みます。ダビデは投石器で放った石をゴリアテの額に命中させて倒し、その後、ゴリアテ自身の剣を使ってとどめを刺しました。
本作で描かれているのは、まさにその戦いの終盤です。ダビデが倒れたゴリアテの上にまたがり、激しく身体をひねりながら剣を振るう瞬間が表現されています。静的な肖像画が多いグランド・ギャラリーの中では、人物の動きが非常に大きく、ひと目で分かるほど躍動感のある作品です。
この作品で特に面白いのが、表と裏の両面に同じ戦いが描かれている点です。ダビデとゴリアテを異なる方向から捉えることで、まるで彫刻を周囲から眺めるように人物の動きを表現しています。ルーヴルでは、この特徴から、当時盛んだった「絵画と彫刻のどちらが優れているか」という芸術論争との関係も指摘されています。
作者のダニエレ・ダ・ヴォルテッラは、ミケランジェロと親交が深かった画家としても知られています。力強くひねられた人体表現を見ると、ミケランジェロから受けた影響も感じ取りやすい作品です。
聖母戴冠

「聖母戴冠」は、多くの画家が絵画のテーマとしていますが、こちらはイタリア ルネサンス期の画家「ティントレット」の作品です。 ティントレットは、師匠のティツィアーノと共に、ルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家として知られています。作中では、聖母がキリストに冠を授ける姿と、それを取り囲む様にキリスト12使徒の姿が描かれています。絵画の中央から下部にかけては、天使、教父、キリスト教の英雄たち、教皇、司教などが描かれています。
ヘレネの誘拐

ギリシャ神話に登場する絶世の美女「ヘレネ」が、トロイアの王子「パリス」によって連れ去られる場面を描いた作品です。この出来事をきっかけに、ギリシャとトロイアの間で「トロイア戦争」が始まったと伝えられています。
画面中央で豪華な衣装をまとった女性がヘレネです。周囲の人物に囲まれながら静かに歩く姿で表現されており、劇的な「誘拐」という題名とは対照的な、落ち着きのある優雅な場面として描かれているのが特徴です。
エルサレムにおける聖ステパノの説教

キリスト教最初の殉教者とされる「聖ステパノ」が、エルサレムで集まった人々に説教する姿を描いた作品です。異国情緒あふれる建築や色鮮やかな衣装をまとった人々が細かく描き込まれているのも見どころです。
本作は、ヴェネツィアの「スクオーラ・ディ・サント・ステファノ」のために制作された聖ステパノの生涯を描く5点の連作の一つです。現在は本作を含む4点が現存し、ほかの3点はベルリン、ミラノ、シュトゥットガルトに所蔵されています。
女占い師

カラヴァッジョ初期の代表作の一つ。若い貴族が女占い師に手相を見てもらう場面を描いていますが、女占い師は占いをするふりをしながら、若者の指輪をそっと抜き取ろうとしています。
若者は女占い師に気を取られ、指輪を盗まれていることにはまったく気づいていません。二人の視線や表情にも注目すると、作品に描かれた駆け引きがより分かりやすくなります。
聖母の死

カラヴァッジョが、ローマの「サンタ・マリア・デッラ・スカーラ聖堂」のために制作した大作です。画面中央には息絶えた聖母マリアが力なく横たわり、その周囲を使徒たちが取り囲み、深い悲しみに沈む様子が描かれています。
画面手前で椅子に腰掛け、うつむきながら泣いている女性は「マグダラのマリア」です。頭上を覆う大きな赤い布と、暗闇の中に浮かび上がる人物たちによって、静かで重苦しい死の場面が強調されています。
カラヴァッジョらしい強烈な明暗表現と、理想化を抑えた生々しい人物描写も大きな見どころです。聖母の死という宗教的な主題を、現実の人間の死を目の当たりにしているような迫力で描いています。
作品は1601年に依頼され、1605年末から1606年初頭に完成しましたが、最終的に聖堂側には受け入れられませんでした。その後いくつかの著名なコレクションを経て、17世紀後半にフランス王室の所蔵となっています。
ゴリアテの首を持つダヴィデ

旧約聖書に登場する英雄「ダヴィデ」が、巨人「ゴリアテ」を倒した直後の姿を描いた作品です。ダヴィデは投石器でゴリアテを倒した後、ゴリアテ自身の剣を使って首を切り落としたとされています。
巨大なゴリアテの首を手にしているにもかかわらず、ダヴィデが勝利を誇示することなく、どこか物静かな表情で描かれているのが印象的です。高さ約2.2mの大作で、グイド・レーニらしい優美な人物表現も見どころです。
本作は、2026年8月確認時点でパリのルーブル本館ではなく「ルーヴル・ランス」で展示されています。公式情報では2026年12月4日までの展示予定です。以降の展示場所は変更される可能性があるため、訪問前に公式サイトで最新情報をご確認ください。
シジスモンド・マラテスタの肖像

15世紀イタリアの都市リミニを支配し、傭兵隊長としても活躍した「シジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ」を描いた肖像画です。
人物を真横から捉え、暗い背景に横顔を浮かび上がらせた構図が特徴的です。シジスモンドは軍事だけでなく芸術の庇護者としても知られ、ピエロ・デラ・フランチェスカをはじめ、当時の芸術家たちをリミニに招きました。
フォンテーヌブローのニンフ

アンリ二世の愛人「ディアンヌド ポワティエ」の居城、アネ城の入口に置かれていた浮き彫りのブロンズ飾り。壺から噴き出す水の中で、水の妖精「泉のニンフ」と、森のけものたちが横たわる姿が刻まれています。
聖ドニの祭壇画

パリの守護聖人として知られる「聖ドニ」の生涯と殉教を描いた祭壇画です。中央には十字架上のキリスト、左側には聖ドニが最後の聖体拝領を受ける場面、右側には仲間の聖リュスティック、聖エルテールとともに殉教する場面が描かれています。
聖ドニには、斬首された後に自らの首を持って歩いたという有名な伝説があり、現在のパリ北部「サン=ドニ」の地名にもその名が残されています。
ナラム・シンの戦勝碑

ヌ・バンダ、エビフ・イルの彫像

高さ約50cmほどのこの像は、ユーフラテス川流域に栄えた都市「マリ」のイシュタル神殿で発見されたものです。代官エビフ・イルが祈りを捧げる姿が表現されており、背部にはシュメール語で「女神イシュタルにこれを捧げる」と刻まれています。
翼の付いた雄牛

この高さ4mもある巨大な像は、メソポタミア北部のアッシリア帝国の王「サルゴン2世」によって、現在のイラク(コルサバード)の近くに建設された宮殿で発掘されました。足は5本、頭部は人間、胴体は翼の生えた雄牛と、非常に特徴的な姿をしています。
十字架から降ろされたキリスト

キリストの磔刑像は数多くありますが、この高さ155cmの像は、キリストを十字架から降ろす姿を表現した珍しい作品です。装飾の痕跡から、かつては色鮮やかな彩色がほどこされていたと考えられています。
アメンヘテプ4世

現在のルクソールにある「カルナック」で出土された古代エジプト第18王朝の王「アケナトン」の像。これ以降の王の肖像では、長い鼻筋や顎、細い目、唇などが敢えて強調されているのが特徴です。
タペレト貴婦人のステラ(石碑)

石碑右側のタペレトが、ラー神に山積みの供物卓を捧げている様子が描かれています。タペレトの背後には、人が死後永遠に生き延びられるように願う古来からの祈りの定型表現が刻まれています。
ツタンカーメンを守護するアメン神

「ツタンカーメンを守護するアメン神」は、1857年にエジプトの考古学者「オギュスト・マリエット」によって、ナイル中流域の古代エジプト遺跡「カルナク」で発見された彫像です。アメン神とは、古代エジプトの都市テーベの守護神としてあがめられていた神です。アテン神を国家神として崇拝していた前時代から、再びこのアメン神への信仰を強める目的で「ツタンカーメン」の時代に造られました。
アッティカ赤像式聖杯形クラテル

古代ギリシャの芸術家「エウフロニオス」が制作した壺で、ヘラクレスとアンタイオスの戦いが描かれています。ヘラクレスは無敵のアンタイオスの弱点を見破り、窒息させる事で戦いに勝利します。
オーセールの婦人

作品名である「オーセール」は、この像が発見された美術館の名前に由来しています。ギリシア彫刻史上最古の様式「ダイダロス様式」の中でも傑作とされる彫り物で、右手を胸に置く仕草は、巫女の礼拝を暗示しています。
射手のフリーズ

宮殿の壁に飾れていた彩釉煉瓦パネル。描かれている射手は「不滅の軍隊」と呼ばれる隊であると言う説や、「ペルシャ人部隊」であるという説がありますが、確かな事は分かっていません。参考までに、射手とは、弓を射る人のことです。
ダレイオス1世宮殿の謁見の間の円柱の柱頭

アケメネス朝ペルシアの王「ダレイオス1世」が建造した宮殿の謁見の間には、36本の巨大な円柱が並んでいました。本作はその円柱を飾っていた柱頭の一部で、背中合わせになった2頭の牡牛が天井の梁を支える構造になっていました。
タムウトネフェレトの葬祭具一式

古代エジプトの女性「タムウトネフェレト」の埋葬に使用された葬祭具です。タムウトネフェレトはアメン神に仕えた歌い手で、外棺や内棺、ミイラを覆うカバーなどには、古代エジプトの神々や葬送にまつわる場面が細かく描かれています。
タニスの大スフィンクス

ライオンの体をしたファラオ像「スフィンクス」。このスフィンクスは1825年にタニスのアモン寺院で発見されたもので、数あるスフィンクス像の中でも非常にクオリティの高いものとされています。重さ12トン、高さ約1.8m、長さは約4.8mほどあり、表面には歴代王の名前が刻まれています。
あざみを持った自画像

ドイツ、ニュルンベルク生まれの画家デューラーの22才の時の自画像。手には夫婦の貞節の象徴であるキク科の植物「あざみ」を手にしています。頭上には、制作年の1493と「我が身に起こる事は天の思し召し」と言う文字が刻まれています。
ヴァルバンソンの浴女

19世紀の古典主義を代表するフランス画家「アングル」がローマ留学中の28歳時に描いた作品。当時は、ドラクロワなどのロマン主義の画家が台頭した時代でもありました。作品名の「ヴァルバンソン」は所有者にちなんだ名前で、元々は別名でサロンに出品されていました。この浴女やトルコ風呂など、背中を向けた女性のポーズを描いたアングル作品は4点残っています。
大工聖ヨセフ

梁を仕上げる「大工ヨセフ」と、暗闇の中で神々しく照らされる「幼子イエス」の姿を描いた作品。ヨセフは聖母マリアの夫で、キリストの養父です。作者のラトゥールは、この様な「明暗法(めいあんほう)」を用いた絵画を得意としていました。
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