サグラダファミリアの起源
サグラダファミリアの起源は1866年、宗教専門書の店主でもあり慈善活動家でもあった「ジュゼップ・マリア・ブカベリャ」が、バルセロナに「聖ヨセフ信仰協会」を設立した事が始まりです。
当時の時代背景と相まって、聖ヨセフ信仰協会の会員は瞬く間に増え、1878年には数十万人にも達しました。
会長のブカベリャは、この会員の寄付を建設費に充てる事で、キリストの聖家族に捧げる贖罪教会をバルセロナに建てる事を決意します。これがサグラダファミリアの前身です。
ちなみに、サグラダファミリアは、ヨセフ、マリア、イエスから成る「聖家族」を意味する言葉です。
その後、建設着工まで約5年程の準備期間を経た1882年3月19日、ついにサグラダファミリア教会の建設がスタートしました。
サグラダファミリアの初代主任建築家
サグラダファミリア教会建設の初代主任建築家には、当時無名の「アントニ・ガウディ」ではなく、自ら無報酬で設計を申し出た建築家「フランシスコ・デ・パウラ・デル・ビリャール」が就任しました。
この時、ビリャールが考案した教会は典型的なネオゴシック様式の教会で、建物最大となる塔部分の高さでも85mほどでした。完成後のサグラダファミリアの高さが172.5mになる事を考えると、当時の建築構想は今よりもかなり小規模でした。
工事着工からわずか一年後、主任建築家の「ビリャール」と、建設アドバイザーを務めていた「ジュアン・マルトレイ」の間で、建築材料を巡って意見が対立します。
更に依頼人である「ブカベリャ」が予算的な面から「マルトレイ」の意見に賛同したため、「ビリャール」は建築主任の辞任を決意します。
31才で建築主任に就任
2代目の建築主任として白羽の矢が立ったのが、若干31歳の「アントニ・ガウディ」でした。
「ビリャエール」の辞任後、最初に建築主任に指名されたのは、アドバイザーの「ジュアン・マルトレイ」でした。しかし、弟子の「ガウディ」の実力を高く評価していた「マルトレイ」は、自分ではなく「ガウディ」を建築主任に大抜擢しました。
この時、ガウディは、サグラダファミリアの建設事業が自身の生涯をかけるほどの大規模なものになるとは夢にも思っていませんでした。
ガウディがサグラダファミリアの建築主任に就任してからの数十年間は、カサミラやカサバトリョ、グエル公園など、常に複数の建設プロジェクトを同時に進行していました。
完璧主義者であったガウディは、他の建築プロジェクトと並行しながらも、サグラダファミリアを建築する上で必要な宗教や聖堂建築についての知識を深めていきました。
そして、ガウディがそれらの知識を深めるのと比例する様に、サグラダファミリアの建設プロジェクトも年々壮大になっていきました。もはや、当初のブカベリャの設計案とはデザインも建築の次元も別物となっていました。
ガウディの決意
ガウディが建築主任に就任してから29年後の1914年、ガウディは他の建築プロジェクトを引き受ける事をやめ、人生の全てをサグラダファミリアの建築に捧げる事を決意します。
同時にガウディは、自身の生前中にこの壮大な建築プロジェクトを終える事は不可能である事も理解しており、多くの模型や詳細なスケッチを残していきます。
ガウディの死
ガウディがサグラダファミリアの建築プロジェクトに専念してから約12年後の1926年6月26日、通勤中のガウディは、バルセロナの市電にはねられ、その三日後に帰らぬ人となります。ガウディが病院に運び込まれた時、身なりがあまりにも貧相だったため、身元の確認がされるまでは、浮浪者と思われていたそうです。
さらに不幸な事に、ガウディが生前に残していた、サグラダファミリアの模型やスケッチの多くも、1936年のスペイン内戦でその多くを消失してしまいます。これに予算不足や、100人の著名人が建設反対を訴えるなど、様々なマイナス要因が重なり、サグラダファミリアの建設は30年近くも滞ってしまいます。未完成のまま残して博物館にすると言う案もあったほどです。
プロジェクトの再開と飛躍的な発展
1950年以降、石膏作業と共に建築工事が本格的に再開されると、1959年には生誕のファサードに彫刻群の設置がスタート、1976年には受難のファサードの鐘楼が完成し、2005年には、ユネスコの世界文化遺産に、生誕のファサードと地下礼拝堂が「アントニ・ガウディの作品群」として登録されました。
その後、予算も観光収入で潤沢となった事や、3DやIT技術の導入により、300年かかると言われていた、サグラダファミリアの建設プロジェクトは飛躍的な発展を遂げます。
2010年に教会内部が完成すると、ローマ法皇を招き、正式なキリスト教会として認可されます。
三年後の2013年には、遂にサグラダファミリアの完成が2026年になる事が正式に発表されました。建設段階のサグラダファミリアを見学できるのは、後わずか数年のみです。
サグラダファミリアの完成イメージに関しては、以下の動画で見ることができます。
コロナウィルスによる完成予定の延期
2026年の完成に向けて順調に工事が進んでいた「サグラダファミリア」ですが、コロナの影響で工事は2020年の3月から中断を余儀なくされています。更に負のスパイラルで、潤沢だった観光収入が激減してしまい、工事の継続も難しくなっています。
サグラダファミリアの工事は、入場料金や物販を建設費に回すという自転車操業方式なので、工事の中断はやむ得ないと言えばやむ得ないですね。
この状況を受け、目標としていた2026年完成は難しくなったと、サグラダファミリアの工事責任者も正式にコメントしています。コロナ終息の見通しが立つまでは、サグラダファミリアの完成目処は立たない状態です。
マリアの塔の完成と建設工事の再開
先の見えない状況が続いていたサグラダファミリア工事でしたが、2021年に明るい話題が提供されました。
最終的にサグラダファミリアで2番目に高い塔となる「マリアの塔」が、2021年12月8日に完成したのです。
これは観光収入の激減で、建設費用が限られる中、全ての予算と労力を「マリアの塔」の完成に注ぎ込む事で実現しました。一時は完全に入場不可だったサグラダファミリアも、2021年ごろから、大聖堂内部のみは見学できる様になっていたので、ある程度の建設予算もまかなえたと考えられます。
更に2022年に入り、大聖堂内部だけでなく、塔への観光入場も再開され、建設工事も再び軌道に乗り始めています。
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