アントニ・ガウディとエウゼビ・グエル

ガウディの建築作品をご紹介する前に「アントニ・ガウディ」と、ガウディの支援者であった「エウゼビ・グエル」について解説致します。ガウディ自身はもちろん、グエルを語らずして、ガウディ建築は語れません。

アントニ・ガウディとは

アントニ・ガウディ{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA

アントニ・ガウディ(1852〜1926年)は、スペイン タラゴナのレウスという街で生まれた世界を代表する建築家です。日本では、あのサグラダファミリアを設計した人物として広く知られています。

ガウディが生涯で残した邸宅規模以上の建築作品数は20件前後あり、そのうちの7件もがユネスコの世界遺産に登録されています。ガウディの作品は一見すると奇抜なものもありますが、その形状や構造は合理的かつ機能的で、建物全体で一つのストーリーを構成しています。

彼が取り入れた「カテナリーアーチ」や「双曲放物線面」などの画期的な構造システムは、後年の建築家達に多大な影響を与えました。

また、キャリアの中後期では、従来の無機質な建築スタイルから脱却し、自然のありのままの造形を取り入れた有機的な建築フォルムを生み出していきました。これはいわば「ガウディ様式」とも言える独自の建築スタイルです。

ガウディは細部までこだわる完璧主義者であり、決して自身の作品に妥協を許しませんでした。そのため、依頼主や現場の人間とのトラブルも多く、途中で辞任や解任された建築プロジェクトも決して少なくはありませんでした。しかし、この建築に対する拘りと純粋な情熱こそが、ガウディがガウディたる所以であったと言えます。

エウゼビ・グエルとは

エウゼビ・グエル{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA

エウゼビ・グエル(1846〜1918年)は、新興ブルジョワ家系に生まれたバルセロナ出身の実業家です。年齢はガウディより6歳年上で、父から受け継いだ繊維業を拡大発展させ、幅広い分野のビジネスで成功を収めていました。

グエルがガウディの事を知ったのは、1878年のパリ万国博覧会の時で、ガウディ(当時26歳)がデザインした革手袋のショーケースが、グエルの目に止まったのが切っ掛けです。その後グエルはガウディを探しあて、自身の別荘(グエル別邸)の増築・改修を依頼します。

この時のガウディの仕事ぶりに深い感銘を受けたグエルは、彼の建築家としての才能を確信し、自身の本邸(グエル邸)の設計も託します。以後、グエルは30年以上に渡りガウディを支援するパトロンであり友人であり続けました。もし、グエルが若きガウディの才能を見出していなければ、今のガウディはなかったと言っても過言ではありません。

2人は後年に、「グエル公園」と「コロニア・グエル教会」の建設プロジェクトを始動しますが、前者は立地などの問題によって、後者はグエルの死(72歳)によって頓挫しました。

ガウディの建築作品

現在、ガウディの主要作品を見学できるのは、スペイン国内だけとなっています。本項では、ガウディが手がけた建設プロジェクトの中から17作品を厳選してご紹介致します。更に各建築作品の見学方法や行き方などの観光情報も合わせて紹介致します。

マタロの労働組合工場と住居空間

マタロの労働組合工場の木綿漂白小屋

建設年:1878年~1883年公式HPGoogleMap

ガウディは、バルセロナ建築学校での研究を終えた直後の1878年に「マタロの労働組合プロジェクト」に取り組みます。本プロジェクトは、スペイン マタロにある工場と労働者の住居空間の増改築を計画したものです。ガウディの単独ではなく、地元出身の建築家エミリ・カバニエスと共同で行われました。

当初の計画では、新たな工業用の建物、30世帯分の住宅、学校、図書館、社交クラブ、労働組合の本部などを備えた複合施設が考案されていました。

しかし実際に実現されたのは、住居の一部、小さなトイレの建物、綿漂白用の小屋のみでした。 1883年に完成したこれらの建造物のうち、現在はトイレと漂白小屋だけが現存しています。

中でも、木綿漂白を行う用途で建設された小屋は、ガウディが初めて放物線状のアーチを用いた建築物で、まさに彼の原点とも言える作品の一つです。

放物線のアーチ構造

この放物線状のアーチ構造は、その後のガウディ建築にも多用されました。ガウディは、この構造によって、内部の仕切りや柱などを必要とせずに、600平方メートル近い巨大な空間を造り上げました。これは当時の建築様式にはない、革新的なソリューションで、ガウディの若く優れた建築家としての才能が遺憾無く発揮されました。

この木綿漂白用の小屋は、1982年にカタルーニャ政府によって国の文化財に指定されました。2010年からは現代アートの展示スペースとして利用され、カタルーニャやマタロに関連した芸術家たちの作品が無料で公開展示されています。

ロケーションと行き方

マタロはバルセロナから列車で約1時間ほど離れた場所にあり、バルセロナの様な観光地ではありません。ここまで足を運ぶ方は、余程のガウディフリークか、地元の方だけだと思います。それでも、ガウディの原点を知りたいと言う方は、是非足を運んでみてください。

バルセロナ中心部からのアクセスはやや不便で、国鉄列車「Renfe」を利用した場合、カタルーニャ駅から最寄りの「マタロ駅(Mataró)」まで所要40分ほど、そこから目的地までは徒歩5分ほどです。トータルでおおよそ1時間ぐらいはかかると思います。やや割高になりますがタクシーを利用すれば、バルセロナから所要30分ほどで到着できます。

エル・カプリチョ(キハーノ邸)

エル・カプリチョ

建設年:1883年~1885年公式HPGoogleMap

スペイン北部 カンタブリア州のコミージャスと言う小さな村にある「エル・カプリチョ」は、ガウディが1883年から85年にかけて夏の別荘として手掛けました。

建物名のカプリチョはイタリア語で「奇想曲」や「気まぐれ」を意味しており、その呼び名のイメージどおり、非常にカラフルで奇想的な外観をしています。同時期に建設された「カサ・ビセンス」同様に、当時流行していたイスラム建築の要素が色濃く出ています。

建物は、半地下階、主階、屋根裏、更に塔上部のテラスで構成され、建築素材には、レンガ、タイル、瓦、石、錬鉄(れんてつ)など様々な素材が用いられています。

残念ながら、依頼主で弁護士の「マクシモ・ディアス・デ・キハーノ」は、1884年に亡くなってしまったため、完成を見届ける事ができませんでした。

また、ガウディ自身も完成まで一度も現場に足を運ばなかったため、依頼主のキハーノ氏とは一度も顔を合わさなかったそうです。

現場監督を務めたのは、ガウディの学生時代からの友人「クリストバル・カスカンテ」と言う人物で、ガウディはバルセロナで設計や詳細な模型を作成して指示を行いました。現場で細部までこだわる完璧主義者のガウディからすると異例の作業工程と言えます。ガウディが現地に出向かなかった理由は諸説ありますが、距離的にバルセロナから遠かった事が一番大きな理由だと思います。

館内は、自由見学かガイドツアーのいずれかで見学可能となっており、チケットは現地か公式サイトで購入が可能です。

ロケーションと行き方

エル・カプリチョは、バルセロナからだと北西に約700kmほど、マドリードからなら北に約400kmほど離れたコミージャスと言う村にあります。

アクセスは、マドリードなどから、一泊二日の旅程で訪問するのが現実的と言えます。

マドリード空港から飛行機を利用してエル・カプリチョの最寄りである「サンタンデール空港」までは所要70分ほど、サンタンデール空港から「エル・カプリチョ」までは車で約40分ほどです。

バルセロナ空港からいく場合は、マドリード空港で乗り継ぎが必要になるため、マドリード起点でアクセスした方が利便性は高いです。

カサ・ビセンス

庭園から見るカサ・ビセンスの外観

建設年:1883年~1888年公式HPGoogleマップ世界遺産

カサ・ビセンスは、バルセロナのなかでも最小面積のグラシア地区というエリアにあるムデハル様式の建築物です。当時のバルセロナでは、イスラム教建築とキリスト教建築を融合したスペイン特有の「ムデハル様式」が流行しており、ガウディの初期作品の一部にはこの建築様式が用いられています。外観の鮮やかな色合いとオリエンタルな雰囲気を合わせ持つのが大きな特徴です。

本邸宅の依頼主は、タイル製造業者の「マヌエル・ビセンス・ムンタネール」という人物で、自身の夏の別荘とするべく、当時まだ建築資格を取ってわずか5年目のガウディ(当時31歳)に設計を託しました。実質的に、このカサ・ビセンスが、ガウディにとって初めての個人宅の建築案件でした。

ガウディは依頼から2年後の1880年に設計を仕上げますが、依頼主の金銭的な事情などもあり、工事着工は1883年、完成したのは1888年の事でした。

その後、所有者の変更や完全に放置された時期を経て、2014年に大規模な修復・改修工事が行われました。一般公開されたのは、近年の2017年11月からで、現在は現地チケットオフィスおよび「公式サイト」でチケットを購入すれば誰でも館内見学が可能となっています。

有料エリアは地上3階と地下1階、更に庭園と屋上で構成され、館内には「ダイニングルーム」「喫煙ルーム」「寝室」「屋根裏」「屋上」など見どころが満載です。

▼ダイニングルーム
カサ・ビセンス ダイニングルーム

ダイニングルームの家具は全て取り外しができない「作り付け」になっています。部屋を飾る34点の油彩画は、一人のバルセロナ出身画家が全て手がけたものです。

▼喫煙ルーム
カサ・ビセンス 喫煙ルーム(Smoking room)

部屋内の色彩タイル装飾は、オリジナルに忠実に近年に復元されたものです。壁面の青と黄色の一松模様タイルにはマリーゴールドがあしらわれています。

▼寝室
カサ・ビセンス 寝室(The bedrooms)

寝室の壁面上部には植物模様があしらわれ、床の壁面はローマンモザイクで覆われています。この寝室からテラスに出て見学する事もできます。

▼屋根裏の常設展示
カサ・ビセンス2階常設展の展示模型

館内2階はカサ・ビセンスに関連した模型や資料、映像などの展示スペースとなっています。

▼屋上
カサ・ビセンス 屋上の景観

カサ・ビセンスの屋上は展望フロアとなっています。ここから見える市内の景観はさほどではありませんが、装飾の豊かな塔などを間近で見学する事ができます。

上記でご紹介したカサ・ビセンスの見どころはほんの一部です。他にも地下のギフトショップや、庭園に併設するカフェなど見どころ満載です。じっくりと見学すると所要1時間ぐらいはあっという間の見学ボリュームです。

ガイドブックなどでも扱いは小さいですが、かなりお勧めの観光スポットです。

ロケーションと行き方

カサ・ビセンスは、バルセロナの中でもやや北西側に位置する「グラシア地区」というエリアにあり、観光スポットが集中するエリアからは少々離れております。

カサ・ビセンスへのアクセスは地下鉄が便利です。地下鉄は2線最寄り駅となっており、「L3」線の「Fontana 駅 」で降りて徒歩3分(250m)ほど、「Lesseps 駅」で降りて徒歩4分(280m)ほどになります。

グエル別邸

グエル別邸

建設年:1884年〜1887年関連HPGoogleMap

バルセロナのペドラルベス地区にあるグエル別邸は「エウゼビ・グエル」がガウディに初めて依頼した建設プロジェクトです。これ以降、グエルとガウディは生涯に渡り良きパートナーとして、建築家とそのパトロンという枠を超えた友情で結ばれていきました。

1884年に開始された本プロジェクトは、既にある別荘の建物と庭園を改造し、敷地内に壁や門、厩舎、調教舎、門番小屋などを増築するという内容でした。元となる建物はガウディの師にあたる「ジュアン・マルトレイ」によって既に完成されていました。

本プロジェクトでガウディが増改築した建物や門には「カテナリーアーチ」や「カタルーニャ・ヴォールト」など、ガウディ特有の建築技術が惜しみなく発揮されています。ガウディの代名詞的装飾である「トレンカディス(粉砕タイル装飾)」もこのグエル別邸で初めて用いられました。建物全体には、ガウディ初期作品の特徴であるムデハル様式の要素が色濃く出ています。

建物の北側、ティッレス通りに面する入口には、本邸宅のシンボルにもなっている「ドラゴンの門扉」があります。この鍛鉄製の門では、大叙事詩「アトランティダ」の主題であるギリシャ神話の一節が表現されており、中央には作中で「楽園(ヘスペリデウスの園)」の番人とされる竜がデザインされています。

グエル別邸 鉄の門扉のドラゴン

門の両側にもガウディが手がけた建物が残っており、門を正面にして左手側には「門番小屋」が、右手側に「厩舎」があります。

それ以外のほとんどの部分は、王宮への改築や、敷地に面する通りの拡張に伴い失われてしまいました。かつて邸宅があった場所には現在「ペドラルベス宮殿」が建っています。これはグエルの死後、この土地の一部がスペイン王室に譲渡されたためです。

1958年には、カタルーニャ工科大学がこの土地を買収したため、グエル別邸の残された建物や施設は薬学部の敷地内の一部となりました。厩舎の建物は、王立ガウディ記念講座の本部として利用されています。

敷地内の見学は有料ですが、2018年よりスタートした大改修のため現在は閉館となっています。改修完了は2024年を予定しており、それまでは門の外から外観のみ見学可能です。

ロケーションと行き方

グエル別邸はバルセロナの中心街からやや西側の「ラスコルツ」という地区に位置しています。近場にはバルセロナFCの本拠地「カンプ ノウスタジアム」などがあります。


バルセロナ中心街からのアクセスは、地下鉄L3線を利用して「Zona Universitària (ゾナ・ウニベルシタリア駅)」下車後、グエル別邸までは徒歩約8分ほどです。カタルーニャ広場やサクラダファミリア付近からアクセスする場合も所要30分前後だと思います。

サンタ・テレサ学院

サンタ・テレサ学院"Col·legi Teresià (Barcelona)" by Enfo is licensed underCC BY 4.0

建設年:1884年~1887年公式HPGoogleマップ

女子のカトリック教育を目的として設立されたサンタ・テレサ会の本部「サンタ・テレサ学院」は、1888年から1890年にかけて建設されました。

建築の依頼主は、サンタ・テレサ会の創設者である「エンリケ・オッソ」神父と言う人物で、最初に設計依頼を受けたのは、ガウディではなく「ジョアン・ポンス・トラバル」と言う建築家でした。本建設プロジェクトは、1888年9月1日より開始されますが、翌年5月にプロジェクトは完全にガウディに引き継がれ、設計案も変更となります。建物はこの時点で基部と高さ80cm程度の外壁が出来上がった程度でした。

何故わすが一年足らずでガウディにプロジェクトが委ねられたかは、詳細な記録が残っていませんが、依頼主である神父の希望であった事は間違いないと思います。

前任者の仕事を引き継いだガウディの新設計は、極力無駄な装飾を排除したシンプルなものでした。これは、本建築プロジェクトが、低予算なのに加え、厳格な宗教上の制限があったためです。

ガウディは、この様な条件下においても、安価で加工が容易な素材「レンガ」を多用する事で、デザイン性の高いムデハル様式の建物を造り上げました。装飾については単なる飾りは置かず、キリストや聖テレサなどを象徴する意味のあるものだけに限定しました。

建物上部の小尖塔やのこぎりの歯の形をした鋸壁(のこかべ)を持つ外観は、まるで中世の城塞の様です。小尖塔上部には、これ以降のガウディ作品のシンボルの一つとなるダブル十字が初めて置かれました。

建物は全4階層で構成され、全てのフロアでカテナリ・アーチが用いられています。中でも代表的なのが、1階のカテナリーアーチの回廊(画像下)です。

サンタ・テラサ学院 回廊

各部屋への移動通路であるこの回廊は、光庭に沿って造られており、豊かな自然光が幻想的な空間を演出します。

ガウディは本プロジェクトを引き継いだ1889年からわずか一年程度でこのサンタ・テレサ学院を完成させました。これは彼の作品の中では、ボディネス邸に次ぐ竣工スピードです。ただし、修道院長との不和により、礼拝堂だけは未完のまま、後任の建築家が仕上げる事となりました。

現在もこの建物は学院として使用されているため、館内への入場は不可となっています。外観のみの見学だけが可能です。

ロケーションと行き方

サンタ・テレサ学院はバルセロナ中心部のやや北西側「サリア・サンジェルバシ地区」に位置しています。

バルセロナの中心部からアクセスは、カタルーニャ広場などから発着するカタルーニャ公営鉄道 (FGC)を利用します。「PlaÇa Catalunya(カタルーニャ駅)」から最寄りの「La Bonanova 駅」までは鉄道で所要10分ほど、駅から「サンタ・テレサ学院」までは徒歩5分ほどです。トータルで所要30分ぐらいを見ておけば間違いないと思います。

グエル邸

グエル邸の正面ファサード

建設年:1886年~1890年公式HPGoogleマップ世界遺産

ガウディ初期では最高傑作と言われる「グエル邸」は、ガウディが34歳の時に手がけた作品です。彼の中期以降の作品と比べると、奇抜さや色合いが控えめで、ゴシック、アールヌーボー、ロマネスクなど、複数の建築様式が混在しているのが特徴です。

建設の依頼主は、ガウディ最大の支援者であった実業家の「エウゼビ・グエル」で、ガウディは本建設プロジェクトにあたり、20以上もの設計案を作成しました。

採用された設計案は鉄の門を造るなど、当時としてはかなり挑戦的なものでした。しかし、ガウディに絶大の信頼を寄せるグエルは周囲の反対を押し切り、ガウディの1案を採用しました。工事は1886年から着工され、1890年に竣工を迎えました。

グエル邸は「ランブラ通り」という狭い通りに面しているため、どこか窮屈そうに見えますが館内は広く、地下1階と地上4階、更に屋上テラスの全6フロアで構成されています。

ガウディ最初期の作品と比べると、館内の装飾は控えめですが、鍛鉄や大理石などが多用され、ラグジュアリーで落ち着いた空間に仕上がっています。

見学ポイントも多く、グエル氏のプライベート空間や家具はもちろん、「玄関ホール」「地下の厩舎」「中央サロン」「屋上テラス」など様々です。

▼プライベートエリア
グエル邸2階の家具とグエルの肖像画

グエル邸の2階は、グエル家の完全なプライベートエリアとなっています。一つ下の主階が装飾やデザイン制を重視したのに対して、このフロアでは機能性が最優先に設計されています。

▼玄関ホール
グエル邸の玄関ホール

グエル邸の「玄関ホール」は、人と馬車が行き来できる様に機能的に設計されています。地下や上階へもここからアクセスできます。

▼厩舎
グエル邸  地下階

地下は、厩舎(きゅうしゃ)として使用されていたスペースで、森をイメージして造られています。参考までに、厩舎とは馬や牛などを飼っておく小屋の事です。

▼中央サロンのドーム天井
グエル邸 中央サロンのドーム天井

グエル邸見学の大きな見どころの一つがこの中央サロンのドーム天井です。トルコ イスタンブールのソフィア大聖堂に感銘を受けたガウディが、自身のアレンジを加えてデザインしました。

▼屋上テラスの煙突
グエル邸の屋上 トレンカディス装飾の煙突

屋上には、全部で20本の色彩豊かな「煙突」が配置されています。装飾には、サグラダファミリアでも多様されている、ガラスや陶器、大理石などの素材を使用したトレンカディス(粉砕タイル)が施されています。

館内見学は有料となり、入場チケットはグエル邸の建物の並びにあるチケットオフィスか公式サイトの「チケット販売ページ」で購入が可能です。事前のオンラインチケット購入(予約)は必須ではありませんが、タイミングによっては結構混雑する場合があります。

ロケーションと行き方

グエル邸は、バルセロナの中でもやや南東側に位置する「エル・ラバル」というエリアにあります。徒歩圏内には「カテドラル」「ピカソ美術館」「カタルーニャ音楽堂」「コロンブスの塔」などの人気観光スポットがあります。

アクセスはカタルーニャ広場などからは徒歩で十分ですが、地下鉄を利用する場合は最寄りのL3線の「Liceu(リセウ)」から徒歩5分ほどです。

サグラダファミリア

サグラダ・ファミリア

建設年:1882年~公式HPGoogleMap世界遺産

サグラダファミリアは、ガウディが1885年~1926年までの約40年間、この世を去るその日まで建設に携わったバルセロナ最大級の建造物です。

「サグラダファミリア」という言葉は、ヨセフ(キリストの養父)、マリア(キリストの母)、キリストから成る「聖家族」を意味しており、教会内外の至る所で聖家族に関連した装飾を見る事ができます。

また、その奇抜で斬新なデザインから本来の役割を忘れ去られがちですが、サグラダファミリアはあくまでも「キリスト教会」です。完成はまだ先ですが、2010年にキリスト教の頂点である「ローマ法皇」を招き、正式なキリスト教会として認可されています。

博物館 ローマ法王「ベネディクト16世」を招いて行われたミサの写真

サグラダファミリアの起源は1866年、宗教専門書の店主であった「ジュゼップ・マリア・ブカベリャ」が、寄付金を元に、キリストの聖家族に捧げる贖罪教会、つまりサグラダ・ファミリアを建設しようとした事が始まりです。

工事は1882年にスタートし、ガウディは1885年に2代目の主任建築家として抜擢されます。以後、ガウディは生涯に渡りこのサグラダファミリアの建設に従事しました。

生誕のファサードの場所

残念ながら、ガウディが生前中に完成に近い状態まで仕上げる事ができたのは「生誕のファサード」と呼ばれる部分だけでした。

彼の死後、ガウディの弟子や後世の建築家たちがその意志を受け継ぎ、21世紀現在も建設工事は続けられています。

現在のサグラダ・ファミリアでは、既に完成した聖堂内部と付属の塔に登って見学する事ができます。

▼大聖堂内部の景観
サグラダファミリア大聖堂内部

太陽光がステンドグラスを通過して照らす聖堂内の幻想的な景観には一見の価値があります。

聖堂内には他にも、自然にインスピレーションを受けてガウディが生前に考案した「樹木の様な柱」や、最新技術を駆使してデザインされた「ステンドグラス」など、見どころが満載です。

▼樹木の様な柱
大聖堂内部 樹木の様な柱

ガウディは自然界の摂理に従った研究を行い、「樹木の様な柱」を、自らが死去する2年前の1924年に考案しました。

▼ステンドグラス
サグラダファミリアのステンドグラス

全てのステンドグラスは、バルセロナの画家でありガラス職人の「ジュアン・ビラ・イ・グラウ」が手がけました。滑らかなグラデーションが見事です。

▼塔からの景観
生誕のファサードからの景観

付属の塔への入場は別料金となりますが、バルセロナ市内を一望できます。塔は、生誕のファサード側と受難のファサード側のいずれかを選択して登ることができます。圧倒的に人気があるのは、ガウディが生前に手がけた生誕のファサードの塔です。上の写真も生誕のファサード側の塔からの景観です。

▼果実の彫刻
サグラダファミリア 小尖塔のオブジェクト

塔に登ると「果実の彫刻」と呼ばれるオブジェクトもこんなに間近で見学する事ができます。これらのオブジェクトは、春や夏の果物、植物などが表現されています。

▼キリストの彫刻
受難のファサードの彫刻 キリストの昇天

こちらは受難のファサード側の塔に登ると見る事ができる重さ2トンの巨大像です。キリストが復活し昇天した姿を表現しています。

ロケーションと行き方

サグラダファミリア教会は、バルセロナのほぼ中心部に位置しています。市内中心部からなら徒歩でもアクセス可能ではありますが、地下鉄を利用してアクセスするのが一般的です。

地下鉄を利用した場合、メトロのL2線とL5線が走る「Sagrada Família(サグラダファミリア駅)」で降りて徒歩1分ほど、駅から地上に出ると目の前がサグラダファミリア教会です。

アストルガ司教館

アストルガ司教館

建設年:1889年〜1913年公式HPGoogleMap

アストルガ司教館は、スペインのレオンにある街「アストルガ」に、1889年から1913年にかけて建築されたネオゴシック様式の建築物です。依頼主はアストルガ市の司教「ジョアン・B・グラウ」と言う人物で、ガウディとは同郷の出と言う繋がりがありました。

本プロジェクトは、1882年に焼失した司教館を新たに建て直すというもので、1887年2月にガウディは本プロジェクトの設計者に任命されます。ガウディは着任からわずか数ヶ月後に設計案を提出しますが、その案が正式に認可されるまでに2年近くの期間を要します。工事着工は依頼を受けてから2年4ヶ月ほど後の1889年6月となりました。

1893年になると、上層階と屋根以外の部分はほぼ完成しますが、この年に依頼主でガウディの理解者だったジョアン司教がこの世を去ってしまいます。最大の理解者を失ったガウディは、収入や建築の方向性を巡って司教区側と関係が悪化していきます。そして、司教の死からわずか2ヶ月後の1893年11月、ガウディはプロジェクトを辞任し、作業は数年間に渡り中断を余儀なくされます。

1905年に新たな司教が就任すると、ガウディに建設再開を依頼しますが、ガウディはこれを頑なに拒否します。と言うのも、世間的には、ガウディは本プロジェクトを辞任したとされていますが、実質的には辞任せざるを得ない状況だったからです。それは「私は去ったわけではない。彼らが私を捨てた。」など、ガウディが後年に発した様々な言葉からも読み取る事ができます。更にガウディは「彼らは(ガウディ抜きでは)工事を中断したままにする事も継続する事もできないだろう」と言う恨み節も残しています。

最終的には工事中断から約20年ほど後に、マドリード出身の建築家「リカルド・ガルシア・ゲレッタ」がプロジェクトを引き継ぎ、建物は一応の完成を迎えます。しかし、上階層から屋根まではガウディの案よりもかなり単純な造りとなりました。

ガウディが完成まで本建築に関われなかったのは残念ですが、建物全体はネオゴシック様式をベースに、自然や宗教をモチーフにした装飾やオブジェクトで飾られ、ガウディらしさが溢れています。

建物は、地上2階、半地下階、屋根裏で構成され、白い外観は、近郊都市のビエルソで採れる花崗岩が使用されています。館内にはステンドグラスやフレスコ画が美しい礼拝堂も置かれています。

現在館内は、有料で一般開放されており、自由見学かガイドツアーで見学可能となっています。自由見学時は有料でタブレットのオーディオビジュアルガイドもレンタル可能です。入場チケットは、現地及び、公式サイトのチケット販売ページで購入が可能となっています。

ロケーションと行き方

アストルガ司教館は、マドリードから北に約330kmほど、バルセロナから西に約780kmほど離れた街「アストルガ」の中心部に位置しています。

アクセスはマドリード駅から、国鉄RENFEを利用してレオン駅まで約2時間ほど、更にレオン駅から別の列車に乗り換えてアストルガ駅までは30分ほどです。駅からアストルガ司教館までは徒歩15分ほどの距離です。

ボディネス邸

ボディネス邸

建設年:1892年公式HPGoogleMap

ボディネス邸は店舗兼住宅として、39歳のガウディが1892年1月からわずか10ヶ月で完成させたネオゴシック様式の建物です。ガウディにとっても記録的な早さでの竣工となりました。

ガウディは、このボディネス邸を周囲の建物と違和感なく溶け込ませるため、地方の伝統的な建築様式を踏襲し、地元で採れる花崗岩などを素材に用いました。建物の四隅には円柱形の塔が立ち、外観はまるでお城の様な雰囲気です。

外観の壁面には、厚い不揃いの石材を組み合わせるマンポステリア工法が用いられています。雪が壁面の凸凹部分に積もると、普段とは趣の異なる白まじりの美しい装いへと変化します。

ボディネス邸の依頼主は「フェルナンデス」と「アンドレス」と言う2人の人物で、レオン市で織物会社を営んでいました。彼らはグエル氏と仕事で取引があった流れで、ガウディは本建築プロジェクトを任されました。参考までに、ボティネス邸と言う建物名は、同会社の元オーナ「ジョアン・ボティネス」の名に因んで名付けられています。

建物は地上5階と半地下階、更に屋根裏部屋で構成され、地上1階は商用スペースに、半地下階は店舗用倉庫として利用されました。また、2階は、建築主2世帯の住宅、3階より上は賃貸アパートして利用されました。そのため、台形の建物の4辺には、それぞれの専用入口が設けられています。

本物件は20世紀初期よりスペイン銀行が所有し、現在は、観光客向けの博物館として館内を一般公開しています。また、小規模のコンサートや会議場、リサイタル会場などとしても利用されています。

館内では、ガウディが手掛けた内装をオーディオビジュアルガイド付きで見学できるほか、イベリア半島の美術史に関連した美術作品(ゴヤ作品など)も展示されています。更に半地下階には郷土料理が味わえるレストランも営業しています。

入場チケットは、現地や公式サイトのチケット販売ページなどで購入可能です。また、日本語はありませんが、有料のガイドツアーに参加しての見学も可能です。

ロケーションと行き方

ボディネス邸は、マドリードから北に約360kmほど、バルセロナから西に約750kmほど離れた都市「レオン」の中心部に位置しています。

アクセスはマドリード駅から、国鉄RENFEを利用してレオン駅まで約2時間30分ほどです。駅からボディネス邸までは徒歩15分ほどなのでアクセスしやすいと思います。建物前のベンチに座わるガウディ像が目印です。

カサ・カルベット

カサ・カルベット

建設年:1898年~1900年参考サイトGoogleMap

カサ・カルベットは、1899年に建築されたガウディ初期作品の1つで、内部の家具もガウディが手掛けました。建築素材には、モンジュイックの丘で採石された石などが使用されています。

この建築プロジェクトは、織物業で成功した「ペレ・マルティル・カルベット」の死後、彼の事業を引き継いだ息子たちと未亡人となった妻によってガウディに依頼されました。

建築工事は着工からわずか2年後の1900年に完了し、5階建ての建物は、1階と地下をビジネス用に、上層階は住居や賃貸スペースとして利用されました。

カサ・カルベットは、イマジネーション溢れるガウディ作品群の中では最も保守的と言われ、レイアウトや構造もシンプルに設計されています。ガウディの初期作品「カサ・ビセンス」や「エル・カプリチョ」などで見られた色鮮やかな「ムデハル様式」の要素も、この頃には見られなくなっています。

それでも、切積石(切り出した石を積んで作った壁)や、最上部を飾る弓形の破風デザインなど、随所にガウディらしいユニークさが伺えます。

破風部分の間にはカルベッドの故郷「ヴィラサール・デ・ダルト」の守護聖人や「ペレ・マルティル・カルベット」の胸像も飾られています。中央にある鍛鉄の張り出しは、重い家具などの搬入時に縄をかけたりするのに使用されます。

カサ・カルベット 外観上部

また、かつては建物最上部の飾りが、市の条例で定める高さの基準を越えていたため、市役所から改善を求められた事がありました。しかし、ガウディがこれを断固拒否し続けたため、最終的には市役所が高さに目をつぶる形となりました。

カサ・カルベッドの世論的評価は非常に高く、1900年にはバルセロナ市の第一回建築最優秀賞を受賞しています。ファサードにはこの受賞を記念するプレート(画像下)も飾られています。

カサ・カルベット 記念プレート

残念ながら、内部を見学する事はできませんので、外観を軽く見学するだけの観光スポットとなっています。

ロケーションと行き方

カサ・カルベットはバルセロナ中心部の観光スポットが集中するエリアから、ほんのわずかだけ北側に位置しています。

最寄り駅は、地下鉄L1とL4線が走る「Urquinaona(ウルキナオナ駅)」になり、そこからカサ・カルベットまでは徒歩7分ほどです。グラシア通りやカタルーニャ広場周辺にいる場合などは、直接徒歩でアクセスした方が早いです。

ベリェスグアルド

ベリェスグアルド
"Torre de Bellesguard (Barcelona)" by GerthMichael is licensed underCC BY 3.0

建設年:1900年~1909年公式HPGoogleMap

カサ・フィゲラスとも呼ばれるモダニズムの邸宅「ベリェスグアルド」は、ガウディが1900年から1909年にかけて手掛けた個人の別荘です。ベリェスグアルドはカタルーニャ語で「美しい眺め」を意味しており、高台に位置するこのエリアの美しい展望に因んで名付けられています。

元々ここは、15世紀初頭のアラゴン王「マルティン1世」の中世の城が建っていた場所でしたが、ブルジョワ階級の「ジャウマ・フィゲラス」が、1900年に本物件を買い取りました。フィゲラスの死後、未亡人となった妻の「サゲス夫人」が、自身の夏の別荘として、本邸宅の製作をガウディに依頼しました。

ガウディが依頼を受けた19世紀当時、城の跡地には、わずかな壁と建物の一部が残るのみでしたが、歴史的な建造物の重要さを理解していたガウディは、城の外観や建築様式を部分的に踏襲した設計を行います。

ガウディは、周囲の自然環境と建物を調和させるため、屋根や外壁の建築材料にこの土地で採れるスレート(粘板岩)を使用しました。

また、外観の一部や玄関ホールなどには、ガウディ特有の「トレンカディス(粉砕タイル)」が装飾として用いられました。これらは主にガウディの弟子である「ドメネク・スグラニェス・ イ・グラ」が手掛けました。

建物に付属する塔は、先端にいくほど形状がシャープになっており、建物全体が実際の高さ以上に高く見える効果を生んでいます。実際に、地面から塔の十字架部分までの高さは約35mほどしかありません。

本邸宅の内部見学は有料となり、コロナウィルスが落ち着くまではガイドツアーへの参加が必須となっています。

ガイドツアーの言語は、スペイン語、カタルーニャ語、英語のいずれかのみで、所要は約40分ほどとなっています。ツアーの予約は現地か「公式サイトの予約ページ」で可能です。

ロケーションと行き方

本邸宅は、スペイン バルセロナの「サリア・サンジェルバシ地区」と呼ばれるエリアに位置しており、サグラダファミリアやカタルーニャ広場などがある中心地からは、北西に約5kmほど離れています。

バルセロナ中心部からのアクセスは、地下鉄、タクシー、バスなどで可能ですが、地下鉄の場合はL7線の「Avda.Tibidabo(アベニーダ・デ・ティビダボ)」下車後、徒歩約17分ほど歩くので、タクシーを利用した方が便利です。

マヨルカ大聖堂(パルマ大聖堂)

アルティガス庭園
"Jardines de Can Artigas, La Pobla de Lillet (Barcelona)" by Z thomas is licensed underCC BY 4.0

改修年:1904年~1915年公式HPGoogleMap

ガウディが後年に改修だけを手掛けた「マヨルカ大聖堂」は、スペイン北部 マヨルカ島のパルマ市にあるローマカトリックの大聖堂です。ネット上などでは「パルマ大聖堂」の呼び名の方が一般的かもしれません。地元では「ラ・セオ」と言う呼び名で親しまれています。

マヨルカ大聖堂の建設は、13世紀初頭から17世紀初頭までの400年以上に渡り行われ、完成後も改修工事は継続されました。

19世紀初頭になると、明らかに老朽化が進んだ大聖堂の改修計画が持ち上がります。当時マヨルカの司教であった「ペレ・ジョアン・ カンピンス」は、以前から面識のあったガウディにこの改修プロジェクトを一任します。司教は、ガウディの建築理念や考え方に強い共感を持っており、絶大なる信頼を寄せていました。

1904年から開始されたガウディの改修工事では、主祭壇や祭壇衝立(さいだんついたて)などが移動され、信者席から見渡せる視認範囲が広がり、聖堂全体に開放感がもたらされました。更に照明システムや9枚のステンドグラス、装飾要素などを一新し、豊かな自然光を取り入れた美しい空間が演出されました。

そして、本改修プロジェクトで最大の目玉となったのが、1912年に主祭壇上に新たに吊り下げられた七角形(王冠型)の天蓋です。天蓋には35個の真鍮製のランプが取り付けられ、頂点にはキリスト、マリア、ヨハネの彫刻が置かれました。ガウディはサグラダファミリアをはじめ、建築装飾のモチーフとして聖書の物語や登場人物をこの様に多用しました。

ガウディの改修プロジェクトは約10年間ほど継続しますが、最大の理解者で依頼主の司祭が1914年に亡くなると、修復監督のガウディは解雇され、修復は未完のまま終了となります。

ガウディは解雇ではなく辞任したとも言われていますが、どちらにしても依頼人の「ペレ・ジョアン・ カンピンス」司祭を除いて、ガウディの改修案を理解できる人間はいなかった様です。

現在、マヨルカ大聖堂は重要文化財にも指定されており、世界中から多くの観光客が集まる人気スポットとなっています。大聖堂内の見学は有料で、チケットは公式サイトの販売ページや現地で購入する事ができます。

ロケーションと行き方

マヨルカ大聖堂は、バルセロナの南端から約250kmほど離れたマヨルカ島に位置しています。

バルセロナからマヨルカ島へは飛行機か船でアクセス可能です。

飛行機の場合、バルセロナ空港からパルマ空港までは所要45分、空港からマヨルカ大聖堂まではバスと徒歩で約30分ほどです。

船は、地下鉄L3線の停車駅「Drassanes(ドラサネス)」から徒歩8分ほどの場所にある「バルセロナ港」から発着しています。7時間半の船旅を終えてマヨルカ島に到着後、船着場からマヨルカ大聖堂まではバスで15分ほどです。マヨルカ島に行くならバルセロナから一泊二日で飛行機を利用するのが一般的です。

カサ・バトリョ

カサ・バトリョ 正面ファサードの全景

建設年:1904年~1906年公式HPGoogleMap 世界遺産

バルセロナの「グラシア通り」沿いで一際異彩を放つのが、このガウディ作「カサ・バトリョ」です。ちなみに「カサ」は日本語で「家」や「住宅」という意味なので、カサ・バトリョは「バトリョ邸」という意味になります。

依頼主は、繊維業で財を成した「ジュッゼップ・バトリョ 」という人物で、元々グラシア通り沿いにあった店舗兼住宅の建物を買い取り、52歳でキャリアの絶頂にあった「ガウディ」に、新たな邸宅の設計を託しました。

当初、依頼主のバトリョは、元の建物を完全に建て替える事を望んでいました。しかし、ガウディは建物の基礎を残した「改装工事」を提案し、改装工事開始からわずか2年後の1906年、「カサ・バトリョ」は完成を迎えます。

現在、カサ・バトリョは年間100万人の来館者を誇るバルセロナ屈指の人気スポットとなっています。館内には、竜をイメージした「中央階段」をはじめ、「中央サロン」「吹き抜け」「屋根裏」「屋上テラス」など、見どころが満載です。

▼中央階段
玄関ホールと中央階段

カサ・バトリョの最初の見学ポイントが、このドラゴンの背骨をイメージしたと言われる「玄関ホールの中央階段」です。この階段は、バトリョ家専用のもので、それ以外の居住者達は別の階段を利用していました。

▼中央サロン
カサ・バトリョの中央サロン

中央サロンは、広さ450m2ある主階の中で、最も広いエリアです。かつて、このサロンには、たくさんのソファーが置かれ、バトリョ家の団らんの場として使用されていました。

▼吹き抜け
吹き抜けの景観

階段に面して広がる採光豊かな「吹き抜け」は海底をイメージしています。吹き抜けの壁面には、光を反射する粘土製のタイルが15,000枚も貼られ、各階の明るさが均等になる様に、上階の藍色から下階の水色までグラデーションになっています。

▼屋根裏
カサ・バトリョの屋根裏

吹き抜けの階段を登り切ると、「屋根裏」に到着します。屋根裏は、竜の胸壁をイメージしており、フロア全体は約60本ほどのカテナリーアーチによって支えられています。素材には漆喰を塗ったカタルーニャ式レンガが使用されています。

▼屋上テラス
カサ・バトリョ 屋上の景観

屋上にはガウディの個性が惜しみなく発揮されており、カラフルな煙突や換気塔が並んでいます。キノコ型が特徴的な煙突の素材には、セラミックやガラス片がふんだんに使用され、トレンカディス(粉砕タイル)の装飾がほどこされています。煙突の装飾は、ガウディがその色彩能力を高く評価していた弟子の「ジュジョール」が手がけました。

カサ・ミラの館内見学は有料となります。入場チケットは現地のチケットオフィスおよび公式サイトの「販売ページ」で購入が可能です。チケットにはブルー、シルバー、ゴールドのランクがあり、ランクの高いチケット保有者ほど優先的に入場する事ができます。もちろんその分だけ料金も高くなります。

ロケーションと行き方

「カサ・バトリョ」は、グラシア通りという大通りに面して建っています。サグラダファミリアからだと、徒歩と地下鉄で15分〜20分ほど、「カサ・ミラ」からなら徒歩5分ほどの場所に位置しています。

カサ・ミラは、地下鉄2号線、3号線、4号線が走る「パセジ・ダ・グラシア駅(Passeig de Gràcia)」で降りて徒歩1分ほどの場所に位置しています。

アルティガス庭園

アルティガス庭園"Jardines de Can Artigas, La Pobla de Lillet (Barcelona)" by Canaan is licensed underCC BY 4.0

建設年:1905年~1906年参考HPGoogleMap

アルティガス庭園は、スペイン北部の「ラ・ポブラ・ダ・リリェート」にある庭園で、1905年から1906年にかけてガウディの設計で造られました。

依頼主はガウディのパトロンである「エウゼビ・グエル」の友人「ジョアン・アルティガス・アラル」と言う人物で、本庭園も彼の名から「アルティガス庭園」と名付けられています。アルティガスは、この地域で織物業を営んでいた実業家で、当時既に進行中だったグエル公園のプロジェクトに強いインスピレーションを受けていました。

アルティガス庭園の敷地面積は約4万㎡と、東京ドーム(約4万7千㎡)ぐらいの大きさがあり、中央に流れる「リョブレガット川」によって東側と西側に分割されています。東西はガウディ設計の「マグネシアの橋」と呼ばれる石造りの橋によって結ばれ、園内の至る所でガウディらしいユニークな建造物を見る事ができます。

本庭園は、グエル公園で用いられた技術やアイデアがふんだんに盛り込まれている事から、アルティガス版のグエル公園などとも呼ばれますが、豊かな水源を生かした癒しの空間は、本庭園ならではです。

依頼主であるアルティガスの死後、本庭園は後継者に引き継がれますが、1939年頃から50年以上も放置されていた時期がありました。現在は1992年に行われた修復作業によって、その美しい景観を取り戻しています。

庭園への入場は有料(4.2ユーロ)で、園内を通過するディーゼル機関車(別料金)を利用すれば、園外東側の「アスランド・セメント工場(博物館)」などにも足を運ぶ事ができます。

ロケーションと行き方

本庭園はバルセロナから北に約130キロも離れた場所にあります。

アクセスは、国鉄列車やバスなどを利用しても最低3時間30分以上はかかるため、日帰りで行きたいという方は、乗り合いでタクシーを利用するのがよいと思います。タクシーなら片道1時間40分~2時間ほどでアクセス可能です。ただし、この庭園はバルセロナから日帰りで行く場所と言うよりは、近隣都市や周辺に宿泊の上で、周辺も含めて観光するというのが一般的です。

カサ・ミラ

カサ・ミラ ファサード

建設年:1906年~1910年公式HPGoogleMap世界遺産

カサ・ミラは実業家「ペラ・ミラ」氏の依頼で54歳のガウディが設計・建築した個人邸宅兼賃貸アパートです。1835㎡の広大な敷地に、地上6階と地下1階、さらに屋根裏と屋上テラスまで備えています。

カサ・ミラは、日本語でミラ氏の邸宅「ミラ邸」と言う意味ですが、完成当時の外観があまりに斬新であったため、スペイン語で採石場や石切り場を意味する「ラ・ぺドレラ」と呼ばれました。地元民の間では、未だに「カサ・ミラ」より「ラ・ぺドレラ」の呼び名が一般的です。

ガウディはこの建築を巡って、依頼者とデザインやコンセプトの面で意見が合わず、様々なトラブルに見舞われました。途中で嫌気がさしたガウディは完成前に工事から手を引いてしまいますが、最終的には、弟子が工事を引き継ぎ、1910年に無事完成を迎えます。

完成当初こそ様々な批判を受けた「カサ・ミラ」でしたが、いつしか、その画期的な建設構造や、有機的で斬新なデザインは、ガウディの民間建築の最高傑作と評されるまでになりました。1984年には、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

現在のカサ・ミラは、現役の賃貸物件として機能する一方で、建物の一部を観光客に有料で開放しており、入場チケットさえ購入すれば、誰でも手軽に館内を見学する事ができます。館内には、吹き抜けが見事な「中庭」をはじめ、「屋上テラス」「屋根裏」「アパートメントエリア」など、見どころが満載です。

▼中庭
カサ・ミラ 円形の中庭

カサ・ミラには、2つの中庭「円形の中庭」と「楕円形の中庭」があり、上の写真は円形の中庭から上を見上げたものです。中庭は、カサ・ミラ内の全ての住居に面する様に設計されており、各住宅への採光や換気の役割を担っています。

▼屋上テラスの景観
カサ・ミラ 屋上テラス

屋上テラスを豊かな装飾で飾るガウディの試みは、初期のカサ・ビセンスからはじまり、このカサ・ミラで完成を迎えたと言われています。テラスを飾る彫刻は全部で38基もあり、どれも個性的でユニークな形をしています。

▼屋根裏の景観
カサ・ミラ 屋根裏

屋上から階段を下りると、レンガのアーチの連なりが見事な「屋根裏」に出ます。この屋根裏はその独特の景観から、洞窟や動物のあばら骨などに例えられます。現在このエリアは、「Espai Gaudí(ガウディ空間)」と呼ばれる展示スペースになっており、カサ・ミラの構造や設計に関連した模型や資料を見学する事ができます。

▼アパートメントエリア
アパートメントエリアの書斎

カサ・ミラの終盤で見学するのが2階のアパートメントエリアです。このエリアの2階にはミラ氏とその家族が暮らしていました。上の写真はミラ氏の書斎だった部屋で、タイプライターなどの仕事道具が置かれています。

カサ・ミラ館内の入場は有料となります。チケットは現地チケットオフィスか公式サイトの「販売ページ」で購入が可能です。

ロケーションと行き方

「カサ・ミラ」は、グラシア通りという大通りに面して建っています。サグラダファミリアからだと、徒歩と地下鉄で18分〜20分ほど、「カサ・バトリョ」からなら徒歩5分ほどの場所に位置しています。

カサ・ミラは地下鉄駅の目の前にあります。地下鉄3号線(L3)と5号線(L5)が走る「ディアゴナル駅(Diagnal)」で降りて徒歩2分ほどです。カサ・バトリョからは徒歩数分なので、まとめて見学すると便利です。

コロニア・グエル教会

コロニア・グエル教会"Cripta de la Colònia Güell (Santa Coloma de Cervelló)" by MARIA ROSA FERRE is licensed underCC BY 2.0

建設年:1908年~1915年公式HPGoogleMap世界遺産

1890年に、バルセロナ近郊の街「サンタ・クローマ・ダ・サルバリョー」に広大な土地を購入したグエルは、共同住宅施設「コロニア・グエル」の建設を計画します。

この計画は、街の繊維工場で働く労働者のため、住宅、学校、図書館、医療施設などの複合施設を備えたコロニー(共同住宅施設)を建設すると言う大規模なものでした。

プロジェクトの順調な進行と共に、コロニーの住人も増加していき、それまで利用していた小さな礼拝堂は手狭となりました。そこでグエルが新たな教会とすべく、ガウディに依頼したのが「コロニア・グエル教会」の建設です。グエルが1890年に共同住宅施設プロジェクトを始動してから、8年後の1898年の事でした。

ガウディはこの建築プロジェクトに早速着手し、見晴らしの良い高台に建設場所を定めますが、実際に工事が開始されたのは1908年の事でした。工事着工まで10年の期間を要したのは、ガウディが「逆さ吊り実験」などを用いて、教会のフレーム構造を徹底的に研究していたためです。

ガウディの設計では、地上の教会部分とそれに付属する塔と中央ドーム、更に地下の礼拝堂から成る構成でした。ガウディが生前に残した完成スケッチ(画像下)を見ると、正に小型版のサグラダファミリアそのものです。

コロニア・グエル教会の完成スケッチ{{PD-US}} - image source by WIKIMEDIA

しかし、実際に完成できたのは、地下礼拝堂とその入口となるポーチだけで、1916年に本プロジェクトは中断を余儀なくされます。計画が頓挫したのは、ガウディが本件を助手たちに委ねてサグラダファミリアの建設に専念した事と、グエルが病床に伏せてしまった事などが大きな要因です。グエルの息子達はこのプロジェクトに強い関心を示さなかったそうです。

後年になり、ガウディの建築が再評価されはじめると、コロニア・グエル教会は未完成ながら、アントニ・ガウディの作品群として、1984年にユネスコの世界文化遺産に登録されたほか、多くの専門家も、ガウディの最高傑作と評す様になりました。

現在のコロニア・グエル教会は聖堂内部を有料で見学する事ができます。チケットは現地のビジターセンター及び公式サイトのチケット販売ページで購入可能です。見学形式も、自由見学、オーディオガイド付き自由見学、ガイド付きツアーから選択する事できます。

ロケーションと行き方

コロニア・グエル教会はバルセロナの中心部から西側に約16kmほど離れた場所に位置しています。

バルセロナ中心部からのアクセスは、地下鉄L1線が走る「Espanya(エスパーニャ駅)」から、カタルーニャ公営鉄道 (FGC)を利用して、コロニア・グエル教会の最寄り駅である「Colònia Güell(コロニアグエル駅)」までは所要約25分ほどです。駅からから教会までは徒歩約10分ほどです。トータルで所要40分ぐらいみておけば間違いないと思います。

グエル公園

グエル公園の大階段

建設年:1910年~1914年公式HPGoogleマップ世界遺産

グエル公園は、ガウディの友人であり支援者の「エウゼビ・グエル」が、広大な緑地の中に、富裕層向けの新興住宅地を計画した事が起源となっています。

ガウディは、この建築プロジェクトに大きな共感を感じ、並々ならぬ情熱を持って本プロジェクトに取り組みました。そして、プロジェクトは1900年からスタートし、最初の数年間はスムーズに進行しました。

しかし、複雑な分譲条件や閉鎖的なロケーションなどの悪条件が重なり、1914年に計画を中止せざるを得ませんでした。以後、ガウディとグエルの生前に建設プロジェクトが再開される事はありませんでした。

現在のグエル公園は、バルセロナ市庁の管理下で一般公開されています。グエル公園の総面積は、東京ドームの約4倍にあたる19ヘクタール(190,000㎡)もあり、そのうち9割以上のエリアは無料開放されています。

ただし、見学のメインとなるのは残りの1割未満の部分で、このエリアに「お菓子の家」や「大階段とトカゲの像」「波型のベンチ」などの大きな見どころが集中しています。

▼お菓子の家
守衛小屋と管理小屋

グエル公園の中でも一際イマジネーション溢れるのが、メインエントランス左右に設けられている「守衛小屋(写真左)」と「管理事務所(写真右)」の2つの建物です。「サルバドール・ダリ」が「まるで砂糖をまぶしたタルト菓子の様だ」と言った事から「お菓子の家」とも呼ばれています。

▼大階段とトカゲ像
グエル公園 第3の噴水とトカゲ像

このグエル公園のシンボルにもなっているのが「第3の噴水のトカゲ像」です。トカゲ像の表面には、ガウディお得意のトレンカディス(粉砕タイル装飾)が施され、まるで龍のウロコの様な質感が表現されています。

▼波形のベンチ
グエル公園 波形のベンチ

公園の中央の広場には、カラフルな装飾の「波形のベンチ」がいくつも置かれています。ガウディはベンチの設計段階で、石膏が乾く前のベンチに人を座らせて型取りするなど、座りやすいフォルムを徹底的に研究し、最終的にこの形状に辿り着きました。このベンチがある中央広場は絶好のインスタ映えスポットとして知られています。

上画像のスポットも全て有料エリア内にあります。恐らく、無料エリアだけを見学しても、ただの公園散歩になってしまうと思いますので、グエル公園を訪問するなら有料エリアへの入場は必須と言えます。公園の全体図と有料・無料エリアの区分は以下の地図を参考にしてください。

グエル公園の有料エリアのチケットは現地でも購入可能ですが、可能なら公式サイトの「販売ページ」で事前に予約するのがおすすめです。

ロケーションと行き方

グエル公園は、バルセロナ内にあるガウディの他の建築スポットと比べると少しだけ離れた場所にあります。バルセロナ中心部のカタルーニャ広場からだと約4kmほど、サグラダファミリアからは約2kmほど離れています。

徒歩でも行けない事は全くありませんが、グエル公園は高台にあるため、徒歩だと距離以上に大変だと思います。アクセスは「地下鉄+無料シャトルバス」か「タクシー」の何れかがお勧めです。特にサグラダファミリアからタクシーを利用すれば「7〜15ユーロ」ぐらいと結構手軽にアクセスできます。

また、「公式の予約ページ(英語)」でオンラインチケット予約した方は特典として、地下鉄 L4線の「Alfons X(アルフォンスX駅)」駅前から発着する無料シャトルバスの利用が可能です。こちらを利用しても公園の目の前までアクセスする事が可能です。

ガウディの建築様式・技法・特徴など

ガウディの建築には、彼ならではの技術、工法、様式、装飾などが数多く見られます。それらはガウディが建設プロジェクトをこなす度に洗練されていき、キャリア後期では、ガウディ様式とも言える彼独自のスタイルが確立されていきました。以下よりそのうちのいくつかをご紹介致します。

ムデハル様式

カサ・ビセンスの外観と装飾

ムデハル様式は、イスラム教の建築様式とキリスト教の建築様式が融合したスペイン独自の建築様式です。レンガ、石膏、セラミック、木材などの柔らかい素材を使用することで、色鮮やかな装飾や幾何学文様を表現するのが大きな特徴です。

ムデハル様式は、ガウディの専売特許ではなく、むしろガウディが独自の建築様式を確立していなかったキャリア初期に多く用いられた様式です。19世紀後半〜20世紀初期のスペインではこのムデハル様式を用いるのが建築のトレンドでした。ガウディもこの流行りを取り入れながら、徐々に自身の建築様式を確立していきました。

ガウディの代表的なムデハル様式の建築物には「カサ・ビセンス(画像上)」や「エル・カプリチョ」「グエル別邸」「サンタ・テレサ学院」などがあります。

ガウディのライバルと言われた「ルイス・ドメネク・イ・モンタネール」もムデハル様式の建築を得意としていました。下はその彼の作品で、バルセロナにある「サン・パウ病院」です。

手術室(手術棟)

トレンカディス(粉砕タイル)

トレンカディスは、ガウディが、ガラス工場の廃材や色々な場所で集めた陶器やガラス、食器の破片などを使って行う装飾の事で、粉砕タイルとも言われます。色鮮やかでちぎり絵の様な見た目が特徴で、どことなくレトロな雰囲気が漂います。

サグラダファミリア 塔のトレンカディス

この装飾は、グエル別邸の建設プロジェクトで初めて取り入れられ、以後はサグラダファミリア(画像上)やグエル公園(画像下2枚)など、彼のほとんどの作品で用いられました。

グエル公園のトレンカディス

グエル公園のトレンカディス

ガウディのキャリア後期の作品では、主に弟子のジュジョールがこのトレンカディスを手掛けていました。ガウディも彼の色彩センスには絶対の信頼を寄せており、グエル公園のほとんどのトレンカディスはジュジョールが手がけたそうです。

カタロニア・ヴォールト

カタロニア・ヴォールトは、薄いレンガ(薄肉レンガ)を組み合わせて緩やかなアーチをつくるスペイン カタルーニャ地方に古くから伝わる建築工法です。

カサ・ミラ 屋根裏のカタロニア・ヴォールト

この工法を用いれば、建築工程を単純化する事ができ、安価なレンガ素材でも安定した強度が得られます。ガウディもこの伝統的な工法を多用しており、カサ・ミラの屋根裏(写真上)やグエル邸の厩舎(写真下)などが、その代表例です。

グエル邸 屋根裏のカタロニア・ヴォールト

ガウディをはじめとするカタルーニャ地方の建築家の作品を通じて、カタロニア・ヴォールトは世界中に広まりました。

カテナリーアーチ

縄や紐の両端を固定し、垂らした時にできる曲線をそのまま上下反転させたのが「カテナリーアーチ」です。

カテナリーアーチの模型

カテナリーアーチの形状は、力の方向とアーチの方向が一致しており、力の均衡が取れた強度な構造となります。

ガウディは、このカテナリーアーチによって余計な柱や壁がなくても、広くて高い空間を造る事を可能にしました。このアーチはガウディが実戦する以前から存在していたものですが、実際に取り入れる建築家は当時あまりいませんでした。そのため、カテゴリーアーチはガウディの専売特許の様に紹介される事も多いです。

この「カテナリーアーチ」と前で紹介した「カタロニア・ヴォールト」は名前が似ていますが、前者がアーチそのものを指すのに対して、後者はアーチを造りあげるための工法になります。カタロニア・ヴォールトはレンガでアーチをつくりますが、カテナリーアーチはレンガ以外の様々な素材が用いられます。

ガウディの1880年以降の作品にはこの「カテナリーアーチ」が多く用いられており、サンタ・テレサ学院の回廊やカサ・バトリョの屋根裏の回廊などが、このアーチを用いた代表的な例です。

サンタテレサ学院とカサ・バトリョのカテナリーアーチ

カテナリーアーチを用いない代表的なものが、欧州の大聖堂などに多く見られる「ゴシック建築」です。ゴシック建築の場合、柱と壁だけでは建物を支えきれないため、建物を外側から支える「フライングバットレス(飛梁)」という補強柱を設置します。

フライング・バットレス

ガウディはこのフライングバットレスが外観を損なうと考え、補強柱なしでも十分な強度を保つ「カテナリーアーチ」や「双曲放物線面」と言った技術を用いました。

逆さ吊り実験

ガウディは建物の理想的な構造を得るため、天井から両端を固定した複数の紐を吊り下げる大規模な実験装置を開発しました。

コロニア・グエル教会の逆さ吊り実験

ガウディは、この実験で形造られたフォルムを撮影(もしくはスケッチ)して逆さに見る事で、安定したアーチやフレーム構造を導き出していました。

この実験によって得られるアーチを「フニクラ」もしくは「フニクラアーチ」と呼びます。解説書などによっては、この逆さ吊り実験や実験装置(模型)そのものを「フニクラ」と呼んでいる場合もありますが、それは正しくない様です。

フニクラは、ガウディの逆さ吊り実験によって導き出されるカテナリーアーチの事です。そのため、前でご紹介した「カテナリーアーチ」と「フニクラ(アーチ)」は同義で扱われます。

ガウディは、この逆さ吊り実験装置を用いて、コロニア・グエル教会の構造実験を10年に渡り行っていました。この逆さ吊り実験は「カテナリーアーチ」を複数組み合わせる事で、建物全体のフレーム構造も導き出せる優れものです。

博物館 ガウディの実験技法フニクラ(Funikura)の模型

サグラダファミリアの「樹木の様な柱(画像下)」もこの実験で生み出されたものです。

サグラダファミリアの樹木の様な柱

このフレーム構造はガウディ建築の究極形と言っても過言ではないと思います。

まとめ

本記事でご紹介したガウディ作品のほとんどがバルセロナの中心部にあり、そのうちの6件もが世界遺産に登録されています。

【バルセロナ市内にあるガウディの世界遺産】

  • ・サグラダ・ファミリア
  • ・カサ・ミラ
  • ・カサ・ビセンス
  • ・カサ・バトリョ
  • ・グエル邸
  • ・グエル公園

上記のうち、サグラダ・ファミリア、カサ・ミラ、カサ・バトリョ、グエル公園などは、バルセロナ観光では定番スポットなっていますので、多くの方が言わずもがな訪問されると思います。

個人的には、ガウディ初期の特徴であるムデハル様式の要素が色濃く出ている「カサ・ビセンス」や、ガウディ初期では最高傑作と評される「グエル邸」もかなりお勧めです。ただし、グエル邸に関しては色合いや装飾が控えめなので、人によっては物足りなさを感じるかも知れません。

また、唯一、バルセロナの郊外にあるガウディの世界遺産「コロニア・グエル教会」は、ガウディの最高傑作と評されるほどの完成度(未完成ながら)を誇っています。この教会は、カタルーニャ広場などから所要40分もあればアクセスできるので、お時間に余裕のある方は是非足を運んでみてください。