カレル橋 観光情報(行き方・見どころ・橋からの景観)
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プラハ
カレル橋は、ヴルタヴァ川を挟んで、旧市街とマラーストラナ地区を結ぶゴシック様式の石橋です。カレル橋の大きさは、長さは520m、幅は9.6mもあり、16本の橋柱によって支えられています。かつてのカレル橋は、処刑や戦場の場となった事や、橋の上を電車が通っていた事もありました。
現在のカレル橋は、公共の場所として、常に多くの観光客で賑わい、その観光客を迎える様に、楽器や人形を操る大道芸人がパフォーマンスを繰り広げ、橋の至る所に露店が並んでいます。本記事では、このプラハで最も人気のある観光スポット「カレル橋」の魅力を余す事なくご紹介致します。
カレル橋の基本情報
橋の大きさ | 長さ520m、幅9.6m、 |
---|---|
完成年 | 1502年 |
建築様式 | ゴシック建築 |
建築家 | ペトル・パルレーシュ・J・オットル |
行き方とロケーション
カレル橋は旧市街のほぼ中央に位置しています。そのため、旧市街からであれば、どこからでも徒歩でアクセス可能です。もし、地下鉄をご利用の場合は、「Staroměstská(ラインA)」駅から徒歩5分、もしくは「Malostranská(ラインA)」から徒歩10分ほどになります。
■カレル橋から主要観光スポットへのアクセス所要時間の目安
朝景、夜景、夜明け前の景観
カレル橋の景観は季節や天気によっても、雰囲気がガラリと変わりますが、時間帯によっても全く表情が異なります。是非、朝晩と夜明け前の3回、カレル橋を訪問して見てください。
朝のカレル橋
朝のカレル橋に足を運んでみると、日中や夜の賑わいが嘘の様に静寂に包まれています。人で溢れたカレル橋も絵になりますが、朝焼けに照らされた人気のないカレル橋の景観も非常に美しく、橋を独り占めした様な贅沢な気分に浸れます。また、朝のカレル橋では、ウェディングドレスを着た花嫁さんや、橋のメンテナンスを行う人など、日中では見る事のできない面白い場面に出会う事ができます。
カレル橋の夜景

夜のカレル橋は、ライトアップされた橋が黄金に輝いているかの様に見えます。この景観を見るために、夜の遅い時間帯も橋の上は観光客で賑わっていますが、さすがに露店商やパフォーマーなどはいなくなっています。夜はカレル橋の上よりも、橋の外側からプラハ城をバッグにカレル橋を撮影すると非常に美しい写真を撮る事ができます。
夜明け前のカレル橋
季節や気候にもよりますが、夜明け前のカレル橋は、霧が橋を覆いつくして幻想的な景観を作り出してくれます。上の写真はスマートフォンで夏の明け方4時ごろに撮影した物です。この時間帯は、日の出前で周囲は真っ暗なので、写真にかなりノイズが入ってしまっております。もし、この時間帯で綺麗な写真を撮影したいなら三脚が必須アイテムです。
絶対に外せない観光ポイント8選
カレル橋の上はエンターテインメントの宝庫です。そのため、橋の上を観光するだけでも、裕に1時間以上過ごす事ができます。そんな見どころ満載のカレル橋の中でも、絶対に外せない観光ポイントを8つ厳選してご紹介致します。
【1】橋から眺めるプラハ城とモルダウ川
カレル橋の上からの景観はどの方向を眺めても素晴らしいですが、特にカレル橋から見上げるプラハ城の景観と、カレル橋から見下ろすモルダウ川の景観は、まるで絵の様に美しいです。
カレル橋から見るプラハ城

カレル橋から見るモルダウ川
【2】聖ヤン・ネポムツキー像
カレル橋は、プラハの野外博物館と称される様に、橋の欄干には左に15体、右に15体、合計で30体のバロック様式の聖人像が並んでいます。その中でも最も観光客に人気の高い聖人像が、唯一のブロンズ像である「聖ヤン・ネポムツキー像(1683年作成)」です。この像に触ると幸運が訪れたり、再びプラハに戻ってこれると言われています。
カレル橋の象の中で最も人気のある「聖ヤン・ネポムツキー像」。この像の土台のレリーフを触るために、常に人だかりができています。
「聖ヤン・ネポムツキー像」の上には5つの星が輝く。聖ヤン・ネポムツキーの像は、旧市街側から歩いて右手側の8番目にあります。
聖ヤン・ネポムツキー像の土台の左側に描かれている騎士と犬。
聖ヤン・ネポムツキー像の土台の右側に描かれている騎士と親子。観光客が触る部分はピカピカです。
30体の聖人像の中には日本で有名なフランシスコ・ザビエルの像もありますので、是非探して見てください。30体の聖人像の詳細に関しては、別記事の「カレル橋 30人の聖人像 写真付き完全ガイド」で詳しく解説しております。
【3】聖ヤン・ネポムツキーのレリーフと十字架
聖ヤン・ネポムツキー像と並ぶカレル橋の人気パワースポットが、5つの星と十字架が嵌め込まれた「聖ヤン・ネポムツキーのレリーフ」です。この石板は、聖ヤン・ネポムツキーの像から少し離れた場所にあり、このレリーフを触ると幸せになると言われています。
しかし、かつてこの場所は、時の国王ヴァーツラフ4世によって、ヤン・ネポムツキ―が川に投げ込まれて処刑された場所です。ジョフィエ王妃の懺悔を聞いたヤン・ネポムツキ―が、王妃の不貞を疑う国王ヴァーツラフ4世に対して、懺悔の内容を一切話さなかったため、国王の怒りをかって処刑されたと言われています。
【4】カンパ島へと続く階段
カレル橋の欄干にあるカンパ島へと続く階段は、映画「ミッション・インポシブル」のワンシーンで使用された事で観光客の記念撮影スポットとして人気です。非常に見逃しがちなスポットなので、絶対に見逃さない様にご注意ください。
【5】十字騎士広場
カレル橋の旧市街側の袂には「十字騎士広場」と呼ばれる広場があります。広場には、カレル一世の銅像が建っているほか、奥の手すりには、南京錠がいくつも取り付けられており、カップルに人気のパワースポットとして知られています。
カレル1世の像
十字騎士広場の正面には南側を向いて「カレル1世の像」が建っています。右手には大学設立証書を持ち、台座には神学、法学、学芸、医学を表すレリーフが刻まれています。
インスタ映えするパワースポット
十字騎士広場の奥の手すりには、たくさんの南京錠がぶら下がっています。ここはカップルに人気のパワースポットです。色鮮やかな南京錠はインスタ映えする事間違いなしです。少し橋から外れたところにあるので、見逃さない様にしてください。
【6】露店商とパフォーマンスを繰り広げる人々
CD売りの名物おじさんプラハのガイドブックなどにも頻繁に登場するカレル橋の名物、CD売りのおじさんです。手前の楽器で音楽を奏でると、サルの人形が動き出して非常に面白いです。観光客の方も、演奏終了後は、惜しみなくコインを投げ入れてました。毎日橋の上にいる訳ではないので、もし遭遇できたらラッキーですよ。

カレル橋を歩いていると、どこからともなく心地よい音楽が聞こえてきます。カレル橋の上では常に、音楽家による演奏パフォーマンスが行われています。演奏する人たちは、日や時間によって頻繁に入れ代わります。曲のジャンルもポップからクラシックまで多種多様で、どの演奏も腕前は中々で、旅行の気分を高揚させてくれます。
橋の上の似顔絵屋さん橋の上には、画風の異なる似顔絵屋さんが常に何人かいて、似顔絵を有料で描いてくれます。絵はだいたい10分〜15分ほどで仕上がり、絵を描いた場所がカレル橋と分かる様に簡単なカレル橋の背景と、ローマ字で日付とカレル橋という文字を記してくれます。また、描いた絵を巻物状に包装してくれたり、擦れてにじまない様にスプレーをしてくれたりと、結構しっかりとした対応をしてくれます。料金は日本円で千円から二千円ぐらいです。

プラハの風景画を販売する露店商も橋の上ではよく見かけます。
【7】伝説の王の騎士像
マラーストラナ側から数えて、6番目の彫像がある場所から川を覗いてみると、ひっそりと建つ騎士像を見つける事ができます。この騎士像は1884年に建造されたもので、かつてプラハの街を外敵から守ったと言われる伝説の王「ブルンツヴィーク」です。その右手に持つのはボヘミアを守る魔法の剣です。
【8】カレル橋の二つの橋塔
カレル橋のマラーストラナ側と旧市街側の両端には、それぞれ塔が建っています。マラーストラナ側の橋塔は「レッサータウン ブリッジタワー」、旧市街側の橋塔は「オールドタウン ブリッジタワー」と呼ばれ、それぞれチケットを購入して上まで階段で登る事ができるほか、橋塔の内部では展示なども行われています。橋塔の詳細に関しては別記事の「橋塔(カレル橋)からの絶景と基本情報」で詳しく紹介しております。
カレル橋の歴史
カレル橋は、カレル4世の統治時代に造られた代表的な建造物の一つです。しかし、ヴルタヴァ川の対岸を最初に結んだ橋ではありませんでした。最初の橋である「ジュディシュ橋」が1342年に洪水で沈んだ後に、新たにヴルタヴァ川を結ぶ橋として作られました。
当初は単に「石橋」と呼ばれていましたが、1357年にカール4世 (神聖ローマ皇帝)の命によって、大改修が行われました。橋の改修には「聖ヴィート教会」の設計を担当した若干27歳の建築家「ペトル・パルレーシュ」が任命され、完成したのは15世紀前半の事でした。現代では考えられませんが、彼は橋の耐久性強化のために、石の接合面に卵の黄身を使用したと言う逸話があります。
その後、カレル橋は幾度となく洪水に見舞われましたが、数百年の間、決して壊れる事はありませんでした。接着剤の一つとして卵の黄身を使用したのは決して悪いアイデアではなかったのかもしれません。しかし、ヴルタヴァ川の浸水によって蓄積された橋のダメージは想像以上に大きく、18世紀に入り、橋の一部が再建されました。さらに1975年にも一度、修復工事が行われています。
戦争の舞台ともなったカレル橋
17世紀に入ると、カトリックとプロテスタントの対立が深まり、宗教戦争が勃発します。この戦争は「30年戦争(1618年~1648年)」と呼ばれ、このカレル橋も戦場の舞台となりました。この時の様子をジオラマで再現したものが、マラーストラナ地区にある「鏡の迷路」で展示されています。
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