東寺を攻略 – 見どころ、所要時間、回り方【京都 観光情報】
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本記事では京都市南区九条町にある世界遺産「東寺〔教王護国寺〕」の「観光情報」や「歴史」などはもちろん、院内マップを交えた「見どころや回り方」などについても詳しく解説致します。これから東寺を観光する上で役立つ情報が満載です。
東寺(教王護国寺)とは
1200年前の平安時代から唯一京都に残るお寺「東寺(とうじ)」の正式名称は「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」と言い、日本初の密教(秘密仏教)寺院として発展を遂げてきました。

現在、東寺を起源とする仏教宗派「真言宗」は、大小の流派を合わすと全国に数百万人の信者を持ち、この東寺がその「真言宗」の総本山となっています。
東寺は、平安遷都(793年)の2年後に、国を守る官寺(国立の寺院)として「西寺」と共に、桓武天皇により創建されたのが起源です。ただし、現在の東寺の多くの部分は、後年に嵯峨天皇よりこの寺を賜った弘法大師「空海」によってほぼ形造られたものです。
「空海」は、唐(中国)で学んだ密教の知識と技巧の粋を尽くしこの「東寺」を造り上げました。残念ながら、東寺と共に建てられた西寺は完全に焼失したため、現在は「東寺」だけが唯一残る平安京の遺構となっています。
現在、東寺の美しい境内には、国宝の仏像や宝物の数々が残り、木造建築としては高さ日本一の「五重塔」をはじめ、空海が曼荼羅の世界を立体的に表現した「講堂」、空海を祀る国宝「大師堂」など見どころが満載です。他にも写経を体験できる「食堂」や、期間限定で開館される「宝物館」など、多くの見学ポイントが存在しています。
東寺は、京都駅から徒歩で手軽にアクセスでき、朝の5時から開門しています。京都駅周辺にご宿泊の方などは、最終日の朝一で訪問するなど、非常に訪問しやすい観光スポットとなっています。
東寺の見どころを一覧で簡単に紹介
各スポットの詳細については本記事内の「東寺の見どころを徹底解説」の項で解説しますが、まずは、東寺の見どころを一覧形式でさっとご覧ください。
画像をクリックすると拡大し、「詳細解説へ」ボタンをクリックすると、そのスポットの詳細解説部に移動します。
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慶賀門(けいがもん)
国の重要文化財に指定されている「慶賀門」は鎌倉時代前期に建造された八脚門です。
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宝蔵
創建当時(平安時代)から残る境内最古の建造物
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五重塔
東寺のシンボルの「五重塔」は国宝に指定されており、塔内には空海が唐より持ち帰った仏舎利が納められています。
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講堂(立体曼荼羅)
空海が東寺の中で最も力を注いだと言われる建造物。通常非公開の内部には21体の像で曼荼羅の世界観が表現されています。
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金堂(こんどう)
全体的に天竺様の構造法を用いた国宝の建造物。細部には和様や唐様の様式が取り入れられています。
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庭園と瓢箪池
境内の八分の一ほどの面積を占め、四季ごとに異なる景観が楽しめます。
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食堂(じきどう)
かつて僧侶が食事をする場として利用されていた建物。現在は納経所が置かれ、多くの巡礼者の祈りの場となっています。
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大師堂(御影堂)
敷地内の西北部に位置する国宝の建物。東寺を形造った空海の住まいだった場所。
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宝物館
東寺創建以来の貴重な国宝や重要文化財を展示・収蔵する場所。季節により様々な企画展を開催。
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観智院(かんちいん))
真言宗の教育施設となっている建物。「本堂」と「客殿」で構成され「五大虚空蔵菩薩」が祀られている。
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その他 パワースポット
東寺の敷地内には様々な供養塔やパワースポットが存在しています。
東寺 観光所要時間の目安
東寺の見学所要時間の目安は50分〜60分ほどです。
上記の所要時間は人気の「五重塔、金堂、講堂エリア」と無料エリアを一通り見学した場合の目安です。観智院と宝物館も見学される方は、それぞれの施設でプラス20分〜40分は見ておいた方が良いです。
赤い点線で囲ったエリアが有料エリア、それ以外は無料エリアになります。
エリア別 見学所要時間の目安
- ・五重塔、金堂、講堂エリア:20分〜30分
- ・無料エリア:10分〜30分
- ・観智院:20分〜40分
- ・宝物館:20分〜40分
上記の所要時間はあくまでも目安です。参考までに、公式HP上では、通常拝観で所要30分〜60分、観智院と宝物館を合わせると所要1時間から2時間ほどという形で紹介しています。どちらにしてもご自身の見学ペースでいくらでも調整は可能だと思います。
東寺の見どころを徹底解説
東寺の大きな見どころだけを地図上に黄色縁取りの文字で大きく記しましたので、まずはご確認ください。
赤い点線枠内が有料エリア、それ以外が無料エリアになります。入口はいくつかありますが、京都駅方面から徒歩で来られる方は、北側の「北大門」か北東側の「慶賀門(けいがもん)」から入場される場合がほとんどだと思います。私の訪問時は最も受付(チケット売場)に近い北東側の「慶賀門」から入場し、まずは「受付」で拝観チケットを購入しました。見学もメインの「五重塔・金堂・講堂エリア」から開始しました。
見学はお好みのルートで回って頂ければと思いますが、私の訪問時は以下のルートで見学して所要1時間20分ほどでした。※ 各スポットの文字をクリックすると、イメージ画像が開きます。
- ↓① 慶賀門(けいがもん)から入場
- ↓拝観チケット購入
- ↓② 五重塔・金堂・講堂など(有料エリア)を見学
- ↓③ 大師堂・食堂(無料エリア)などを見学
- ↓④ 宝物館(有料エリア)を見学
- ↓⑤ 観智院(有料エリア)を見学
以下より、東寺の各見学ポイントの見どころを詳細に解説してまいります。
慶賀門(けいがもん)
国の重要文化財に指定されている「慶賀門」は鎌倉時代前期に建造された八脚門で、屋根は「切妻造(図)」の「本瓦葺(図)」で仕上げられています。
この門は東寺の北東側の入口となっており、多くの方がこの門から境内に入場します。 この門以外にも、九条通りに面する東寺の正門「南大門」をはじめ、「北大門」「東大門」「蓮花門」など、複数の門が存在しています。
宝蔵
慶賀門(けいがもん)から入場して左手側には、堀に囲まれた中央に重要文化財の「宝蔵」があります。
宝蔵はある時期まで、1000年(長保2年)と1126年(大治元年)の二度の焼失を経て、1198年(建久9年)に文覚上人によって再建されたと考えられていました。
しかし、近年の解体修理の結果、恐らく創建当時(平安時代)から残る境内最古の建造物である事が明らかになりました。
蔵の造りは日本古来から伝わる倉庫の伝統的な建築様式である「校倉造(あぜくらづくり)」で高床式となっています。
「本瓦葺(図)」で仕上げられた屋根瓦の多くは、平安時代から残る貴重なものです。
元々、宝蔵は南北に二棟あり、空海が密教の師である恵果(けいか)から授かった密教法具や両界曼荼羅(りょうかいまんだら)、犍陀穀糸袈裟(けんだこくしのけさ)、仏舎利、五大尊(ごだいそん)など数多くの寺宝が収められていました。周囲を堀で囲まれているのは、火災による被害から宝物を守るためです。現在、蔵の中は空となっています。
五重塔
国宝に指定されている「五重塔」は、仏陀の遺骨を安置するストゥーパー(仏塔)が起源とされています。現存する木造建造物としては日本一の高さ55mを誇り、塔内には空海が唐より持ち帰った仏舎利が納められています。
ストゥーパー(画像下)とは、仏教信仰のアジア諸国に多く見られる、仏や聖者の遺骨・遺品を納めるために建造された仏塔の事で、ヒンドゥー教のミャンマーではパゴダとも呼ばれます。
現在の五重塔は1644年(寛永21年)に徳川家光の寄進によって再建された5代目にあたり、これまで落雷などにより4度も焼失の憂き目にあっています。
五重塔の屋根の形状は、銀閣寺や金額寺などと同じ「宝形造(図)」ですが、表面は瓦の重さゆえに高い建造物には不向きな「本瓦葺(図)」で仕上げられています。
最下部の初重の一辺は約9.4mほどあり、通常は上にいくほど幅が狭くなりますが、この五重塔は極めて各重の幅の差が少なく造られています。
漆黒の外観とは対照的に煌びやかな塔内は、講堂と同じく空海の曼荼羅の世界が表現され、極彩色の花々や文様で埋め尽くされています。
塔内中央で各層を貫いていて支える巨木の心柱は密教の中心である「大日如来」を表し、それを囲む4面全てに、中央に如来像、両脇に菩薩像と言う配置がほどこされています。合計12体の仏像が中央の心柱を囲むイメージです。「須弥壇(図)」を囲む四天柱には、かつて金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅が描かれていたと言われています。
毎年1月1日〜5日や特別拝観日には、塔の4面の扉こしから内部を見学する事ができます。その美しさと迫力は一見の価値がありますが、一切の写真撮影は禁止となっています。
講堂(立体曼荼羅)
東寺の敷地全体は東西255メートル、南北515メートルの長方形をしていますが、五重塔など建物が集中するエリアは、255メートル四方のほぼ正方形をしています。そして丁度その中心に位置するのがこの「講堂」です。
重要文化財にも指定されているこの「講堂」は1486年(文明18年)の土一揆による焼失を経て、1491年(延徳3年)に再建されたものです。建物は木造の「入母屋造(図)」で、屋根は「本瓦葺き(図)」で仕上げられています。
講堂内の空間は長さ35m、白亜の基壇上には、全21体の仏像が配置されています。
Statues at the Golden Hall of the Eastern Temple, Kyoto, Kyoto Prefecture, Kinki Region, Japan by Zairon is licensed underCC BY 4.0
中央には、高さ約3mの大日如来坐像を中心とする五知如来(ごちにょらい)、その東側には「五菩薩」、西側には不動明王ははじめとする「五大明王」、東西の両端に「梵天・帝釈天(ぼんてん・ていしゃくてん)」、そして全体の四隅には「四天王」が配置されています。
経典を踏まえ、これらの像配置を考えたのが、密教を日本に広めた「空海」です。
空海は、命ある全てを仏が救おうとする姿を視覚的に伝えるため、曼荼羅の世界を21体の像で立体的に表現しました。この空間は曼荼羅の宇宙に見立てられています。
空海は東寺の中でも、この講堂の像配置に最も力を注いだと言われ、実に21体のうち15体もが国宝に、6体が重要文化財に指定されています。像のほとんどが一本の木から作られる一木造りで、創建当初からの像が15体も残されています。五知如来と金剛波羅密多菩薩は1486年に焼失したため、後年に彫りなおされたものです。この6体以外が国宝になります。
講堂の改修に空海が着手したのは823年(弘仁14年)からで、その16年後の839年(承和6年)に落慶供養(らっけいくよう)が行なわれました。落慶供養とは、寺院などの完成を祝って行う儀式の事です。
残念ながら空海は、完成の4年前にこの世を去っていましたが、仏像の図像や配置は空海の意志が忠実に反映されました。後年に像の配置が空海の意図しない並びになっていた時代もありましたが、見つかった資料を元に現在は当時の並びを取り戻しています。
2000年に行われた修復の際に、大日如来坐像の下を掘りおこしたところ、創建当時の「須弥壇(図)」とそこで護摩を焚いた跡も発見されました。これは須弥壇の基礎が出来上がった段階で、空海が護摩を焚いたのではないかと言われています。
金堂
東寺の本堂である「金堂」は、東寺の創建と同じ796年(延暦15年)に工事が着工された建造物で、空海が東寺を賜った824年には既に完成していたとされています。
以来、600年以上に渡り、その美しい姿を留めてきた「金堂」ですが、1486年(文明18年)に焼失し、長らく再興ははかどりませんでした。現在の建物は焼失から150年以上後の関ヶ原合戦(1600年)翌年にようやく再建されたものです。
【金堂の正面】
【金堂の裏側】
【金堂の側面】
金堂は全体的に天竺様の構造法を用いた優美な建造物ですが、細部には和様や唐様の様式が取り入れられています。純粋な壁がなく、連子窓と扉が並んでいるのも大きな特徴です。
建物の大きさは、正面の桁行(横幅)が約12.7m、側面の長さ(梁間)が約9.1mほどあり、二重の屋根は「講堂」と同じく「入母屋造(図)」の「本瓦葺(図)」で仕上げられています。
正面中央部分は屋根が一段切り上げられ、窓が設けられています。この様な造りは同じ京都の世界遺産「平等院鳳凰堂」などにも見られます。
内部は高さ12mの空間が広がり、「須弥壇(図)」上には、本尊として「薬師如来」、その両側には「日光菩薩」と「月光菩薩」が安置されています。
Statues at the Golden Hall of the Eastern Temple, Kyoto, Kyoto Prefecture, Kinki Region, Japan by Zairon is licensed underCC BY 4.0
これらは「薬師三尊像」と呼ばれ、桃山時代を代表する仏師「康正(こうしょう)」が手掛けた貴重な木造彫刻として、重要文化財にも登録されています。かつて「薬師如来」は人々の病苦を癒やし、祟りを鎮めてくれる効験があると信じられ、多くの信仰を集めてきました。薬師如来の台座を支える様に「十二神将(じゅうにしんしょう)」の像も並んでいます。
残念ながら堂内は通常非公開です。
庭園と瓢箪池(ひょうたんいけ)
講堂や金堂、五重塔が並ぶ有料エリアの東側には美しい庭園と瓢箪池(ひょうたんいけ)が広がっています。庭園は、境内の八分の一ほどの面積を占め、四季折々で異なる色鮮やかな景観を提供してくれます。上の写真は紅葉時期の景観ですが、春には、池を囲むようにたくさんの桜が咲き誇ります。
記録によれば、隣接する瓢箪池(ひょうたんいけ)は創建当時は存在しておらず、造営年代も不明となっています。
瓢箪池は、五重塔の絶好の撮影ポイントとしてお勧めです。
食堂(じきどう)
境内の無料エリアにある「食堂(じきどう)」は、かつて僧侶が食事をする場として利用されていました。東寺の公式ページによれば、この場所は『僧が生活の中に修行を見出す場』との事です。
現在の食堂には納経所が置かれ、多くの巡礼者の祈りの場として利用されています。
御朱印を希望される方も食堂内で受付が可能です。
食堂の創建は平安時代まで遡りますが、現在の建物は1930年の焼失後に3年かけて再建されたものです。建物は境内の多くの建物と同様に「入母屋造(図)」の「本瓦葺(図)」で仕上げられています。
この食堂、金堂、講堂は境内の南から北へ一列に並んでおり、この配置は「仏法僧(ぶっぽうそう)」を表しているそうです。
本堂である「金堂」は本尊の《仏》を、密教の教えを立体曼荼羅で表現した「講堂」は《教》を、「食堂」は日常の中で修行を見出す場として《僧》を表しており、南から北側《仏》《法》《僧》と言う並びになっています。
創建当時の食堂は、本尊である高さ6mの「千手観音菩薩像」と、それを守護する「四天王像」が祀られており、かつては観音堂とも呼ばれていました。しかし、1930年の火災で千手観音菩薩像は大きく焼損し、修復後に宝物館に移され、現在は重要文化財となっています。
現在の本尊である高さ約179cm、極彩色の「十一面観音菩薩」は、明治生まれの仏師「明珍 恒男(みょうちん つねお)」氏の作品で、それを守護する様に焼損した四天王像が置かれています。
【食堂で写経体験】
2012年11月28日より、食堂に「写経」の場が設けられ、般若心経を一文字、一文字を書き写す体験ができます。写経を希望される方は、直接、食堂で申し込みが可能となっています。
写経受付時間:午前9時~午後3時
ただし、春や秋の特別公開期間中などで催しや法要がある場合は、時間や場所が変更となる場合がありますので、ご注意ください。詳細や最新情報は東寺公式HPの「写経のすすめ」ページにてご確認ください。
大師堂(御影堂)
敷地内の西北部に位置する国宝「大師堂」は、かつて空海の住房(すみぼう)、つまり住まいだった場所です。
大師堂は1379年に焼失しますが、室町幕府3代目将軍「足利義満」を始めとする幕府と公家の援助により、翌年には再建されます。更に10年後に、弘法大師像(像高83cm・木造)を拝するための礼堂と中堂が加わり現在の姿となりました。
「大師堂」の大きさは、正面幅(桁行)は約12.7m(7間)、側面の長さ(梁間)は約14.5m(8間)あり、後堂、前堂、中門で構成されています。
【大師堂 - 後堂】
【大師堂 - 前堂と中門】
建築様式は、写真手前に見える「中門」のみが「切妻造(図)」で、「前堂」と「後堂」は「入母屋造(図)」の「総檜皮葺(図)」で仕上げられています。
堂内には、空海の念持仏である「不動明王像」と、鎌倉前期に仏師康勝が手がけた木彫りの「弘法大師像」が安置されています。大師堂と言う名も「弘法大師像」が祀られ、弘法大師(空海)の信仰の中心となっている事からそう名付けられています。
この場所では、毎朝午前6時より、生身供(しょうじんく)と呼ばれる儀式が行われ、誰でも無料で見学可能となっています。
生身供に関しては、本記事後半の「生身供(しょうじんく)」の項で詳しくご紹介しております。
東寺宝物館
東寺には創建以来からの貴重な密教美術品が数多く残されており、その数は国宝と重要文化財だけでも約25,000点にも上ります。この貴重な美術品を展示・収蔵するために1965年(昭和40年)に開館したのが「宝物館」で、寺宝を管理・調査・修理・整理する役割も担っています。
宝物館は境内の北側、北大門の近くに位置しています。
毎年春秋のみ、年に二回期間限定で約2ヶ月間(春秋で計4ヶ月間)ほど開館され、毎回時流に沿った特別展示が行われています。
2フロアで構成される館内は、大きく「1階展示室」「2階展示室」「2階ホール」の3セクションに分かれ、平安から現代までの貴重な品々を見学する事ができます。
入場は、東寺の通常拝観料とは別途で料金が発生しますが、興味のある方は是非足を運んでみてください。
観智院(かんちいん)
東寺の北大門を抜けた右手、洛南中高等学校の正面には「観智院」と呼ばれる真言宗の勧学院(教育施設)があります。観智院は東寺に付属する小寺院(塔頭)の一つで、所蔵する密教に関する書物の質と量ではこの国で最大と言われています。
南北朝時代の真言宗の学僧「杲宝(ごうほう)」によって1359年に創建された記録が残っていますが、現在の場所に移されたのは、15世紀の事です。その後1596年の震災で建物は全壊したため、現在の建物は全て17世紀以降に再建されたものです。
建物は大きく「本堂」と「客殿」で構成され、本堂には、杲宝(ごうほう)の弟子「賢宝(けんぽう)」によって安置された重要文化財の本尊「五大虚空蔵菩薩(ごだいこくうぞうぼさつ)」が祀られています。
江戸時代始めに再建された国宝「客殿」は、内部に後期書院造りの貴重な遺例を残し、屋根は「入母屋造(図)」の「柿葺き(図)」で仕上げられています。 客殿には、玄関と五つの間があり、そのうち上段の間には、宮本武蔵筆の「鷲の図」と「竹林の図」が描かれ、これらも国宝に指定されています。
観智院は、以前までは特別期間のみの限定公開でしたが、現在は通年公開となっています。見学には、通常拝観料とは別途で入場料金が必要です。
アクセスの際は、一度北大門から東寺の敷地を出る様な形になります。ただし、厳密には「観智院」が立つエリアも東寺の敷地内になります。ロケーションは以下の院内マップで確認ください。
その他 パワースポットなど
無料エリアには比較的大きな見学ポイント「大師堂(御影堂)」と「食堂」がありますが、それ以外にも供養塔やパワースポットなどが存在しています。以下にいくつかご紹介致します。
大黒堂
境内の北西側、大師堂の西側には「大黒堂」と呼ばれるお堂があり、空海の作と伝わる三面大黒天が祀られています。
境内の説明によれば、三面大黒天とは、三体の天神「大黒天(だいこくてん)」「毘沙門天(びしゃもんてん)」「弁財天(べんざいてん)」が合体したものだそうです。大地の神「大黒天」が持っている槌を振ると福寿円満が訪れると言われ、四天王の北側の守護神「毘沙門天」は財宝の守り神、「弁財天」は、弁舌、音楽、技芸上達の神とされ、この場所では「大黒天」「毘沙門天」「弁財天」のご利益を一度に授かる事ができます。大黒天の呪文「オンマカ キャラヤ ソワカ」と唱えると金運がアップすると言われています。
仏頂尊勝陀羅尼の碑
大師堂があるエリアには「仏頂尊勝陀羅尼の碑(ぶっちょうそんしょうだらにのひ)」と呼ばれる石碑があります。仏頂尊勝陀羅尼とは、仏教の経典の一つで、唱える事によって滅罪や延命などの利益が得られるとされています。
土台は亀のように見えますが「贔屓(ひいき)」と呼ばれる中国の伝説上の生物で、龍の九匹の子供の一匹だとされています。重いものを背負うことを好むと言われ、古来より石柱や石碑の土台に多く用いられてきました。
ひいきに触れ、その手で身体の悪い部分をさすると、万病が治ると言われています。この像はかつて北野天満宮にあったそうですが、19世紀中頃に現在の場所に移されました。
この石碑の並びには、信者によって江戸時代から明治にかけて奉納された様々な供養塔などか置かれています。
鎮守八幡宮
立札によると、鶴守八幡宮は、810年(弘仁元年)の薬師の変に際して、空海が八幡神をまつり、社を建立したのが起源です。
本尊としてまつられている日本最古の神像「八幡三神像」は、「八幡神坐像」1体と「女神坐像」2体から成り、一本の霊木から空海自らが彫り出したとされています。
南北朝時代に内外で戦争が起きた時に 鎮守八幡宮から神矢が飛び、東寺に陣をおいていた足利尊氏が勝利しました。この出来事以来、足利幕府は東寺を保護し、鎮守八幡宮は「戦勝祈願」の神社として大変栄えました。
現在の建物は1868年の焼失を経て、平成4年に再建されたものです。
東寺 観光の基本情報
本項では、東寺の「営業時間」「拝観料金」「ロケーション・アクセス」などについて解説します。
営業時間・休園日
東寺の営業時間は敷地内の各施設ごとに若干だけ異なりますが、閉門は17時となります。
営業時間
【東寺 敷地内】
・5時〜17時
【金堂、講堂】
・8時〜17時(16時30分 受付終了)
【宝物館、観智院】
・9時〜17時(16時30分 受付終了)
定休日
東寺は年中無休で営業しています。ただし、宝物館は期間限定で春秋のみの公開となっておりますのでご注意ください。
拝観料・チケット売場
東寺の拝観チケットは大きく、「五重塔、金堂、講堂エリア」「観智院」「宝物館」「共通チケット」の4種類があります。そのうち、ほとんどの方が見学されるのが「五重塔、金堂、講堂エリア」になります。
五重塔、金堂、講堂エリアの拝観料
金堂・講堂・五重塔の見学エリアは、通年公開されていますが、五重塔内部の公開は、特別公開や特別参拝の時期に限られます。また、その有無により料金が以下の範囲で変動いたします。
個人 | 団体(30名以上) | |
---|---|---|
大人 | 500円〜800円 | 350円〜720円 |
高校生 | 400円〜700円 | 280円〜600円 |
中学生以下 | 300円〜500円 | 200円〜450円 |
宝物館の拝観料
宝物館は期間限定で春秋のみの公開となっております。
個人 | 団体(30名以上) | |
---|---|---|
大人・高校生 | 500円 | 300円 |
中学生以下 | 400円 | 240円 |
観智院の拝観料
以前まで観智院は期間限定の公開でしたが、現在はほぼ通年公開されています。
個人 | 団体(30名以上) | |
---|---|---|
大人・高校生 | 500円 | 300円 |
中学生以下 | 400円 | 240円 |
共通チケットの料金
東寺を隈なく見学される方は、個別でチケットを購入するよりも共通チケットの購入がお得です。特別公開や特別参拝の有無により料金が以下の範囲で変動いたします。
個人 | |
---|---|
大人・高校生 | 800円〜1,300円 |
中学生以下 | 500円〜800円 |
共通チケットに団体割引はありません。また、訪問時期によっては「観智院」と「宝物館」の単体入場チケットは販売されないので、その場合は共通チケットを購入すれば、境内の全ての有料エリアの見学が可能となります。
拝観料金に関する最新情報は東寺公式の「拝観のご案内」ページにて随時確認する事ができます。
受付の場所(チケット販売所)
拝観チケットの購入ができる「受付」は、境内のほぼ中央、有料エリアの入口付近にあります。
東寺の無料エリア
東寺には、拝観チケットを購入しなくても見学できるエリアがあり、「大師堂(西院御影堂)」や「食堂」などがあるかなり広い範囲を無料で見学できます。下の院内マップの赤い点線で囲った部分が「有料エリア」で、それ以外が「無料エリア」となります。
一般的に多くの方が「五重塔、金堂、講堂」の有料エリアと無料エリアを見学されると思います。
参考までに下画像は、無料エリアと有料エリアの境です。奥の門を抜けた先に、五重塔などが並んでいます。
ロケーション・入口・行き方
東寺のロケーション、入口、交通手段別のアクセス方法をご紹介致します。
ロケーション
「東寺」は、京都駅の約1kmほど南西側に位置しています。京都駅南口(八条口)からであれば徒歩10分〜15分ほどの距離ですので、バスを利用するよりも、歩いた方が手っ取り早いと思います。
〒601-8473 京都府京都市南区九条町1
東寺の入口
東寺の入口は、北側に「北大門」、北東側に「慶賀門」、南側に「南大門」などがありますが、京都から徒歩で来られる方は、拝観受付に最も近い「慶賀門(地図右手やや上)」から入場するのがお勧めです。
バスで東寺にお越しの方は、降りた停留所に最も近い門(入口)から入場ください。以下は交通手段別の東寺へのアクセス方法になります。
電車でのアクセス方法
- ・JR 「京都駅」八条口より徒歩15分です。(約1.1km)
- ・近鉄電車「東寺駅」より徒歩10分です。(約0.6km)
バスでのアクセス方法
【京都駅前から市バス】
- ・78系統で「東寺南門前」下車後、東寺の南側入口(南大門)まで徒歩4分ほど
- ・19系統で「東寺南門前」下車後、東寺の南側入口(南大門)まで徒歩4分ほど
- ・42系統で「東寺東門前」下車後、東寺の北東側入口(慶賀門)まで徒歩1分ほど
- ・16系統で「東寺西門前」下車後、東寺の北側入口(北大門)まで徒歩3分ほど
【京都駅八条口アバンティ前から市バス】
- ・78系統で「東寺南門前」下車後、東寺の南側入口(南大門)まで徒歩4分ほど
- ・19系統で「東寺南門前」下車後、東寺の南側入口(南大門)まで徒歩4分ほど
- ・71系統で「東寺東門前」下車後、東寺の北東側入口(慶賀門)まで徒歩1分ほど
- ・16系統で「東寺西門前」下車後、東寺の北側入口(北大門)まで徒歩3分ほど
【京阪線 祗園四条駅(四条京阪前)から市バス】
- ・207系統で「東寺東門前」下車後、東寺の北東側入口(慶賀門)まで徒歩1分ほど
【阪急線 河原町駅(四条河原町)から市バス】
- ・207系統で「東寺東門前」下車後、東寺の北東側入口(慶賀門)まで徒歩1分ほど
お車でお越しの場合・駐車料金
京都南ICより国道1号線を北へ約3.5kmです。
駐車料金
- ・車、タクシー 600円 / 2時間(2時間以降は1時間ごとに300円)
- ・バイク 200円 / 2時間 (2時間以降は1時間ごとに100円)
車でお越しの方は、新春特別拝観中は特別料金が発生致します。詳しくは東寺公式サイトの「交通のご案内」ページを参考にしてください。最新の情報をご確認頂けます。
東寺の行事・儀式
東寺では年間を通じて様々な行事や儀式を取り行っています。その中でも特に有名なものだけご紹介いたします。
弘法市
毎月、空海の命日にあたる21日には、「弘法市」と呼ばれる縁日が開催され、境内にはジャンルを問わず様々な品々を扱う露店が並びます。
元々は参拝者のための茶店から始まったとされますが、今では観光客にも知られる人気市となっています。地元の人はこの市に親しみを込めて「弘法さん」と呼んでいるそうです。この日に訪問すると、他の日よりも大きな功徳を得られると言われています。
弘法市は、午前8時ごろには、ほぼすべてのお店が開いています。店じまいは午後4時頃からはじまりますが、雨天時は早じまいするお店もあります。
後七日御修法(ごしちにちみしほ)
毎年、正月の8日から14日には、1200年前に空海によって始められた「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」と呼ばれる儀式が行われます。
元々この儀式は宮中内の「真言院」で行われていましたが、明治16年以降は東寺の御堂「灌頂院(かんじょういん)」で行われる様になりました。現在も皇室から勅使が下向し「御衣」に加持を受けます。
儀式には、全国から選ばれた真言宗の15人の僧侶だけが参加する事を許され、そのうちのひとりである東寺の長者が最高位の僧侶「大阿闍梨(だいあじゃり)」役をつとめます。
儀式では、空海の師である「恵果」から9世紀に授かった国宝の密教宝具「五鈷杵」「五鈷鈴」「金剛盤」が使用され、天皇の安穏、国家の安穏、五穀豊穣を祈り、生きとし生けるもの全ての幸せを願います。
生身供(しょうじんく)
見どころの項でもご紹介しましたが、空海の住房だった御影堂では、毎朝6時から「生身供(しょうじんく)」と呼ばれる法要が行われています。
生身供では、僧侶により弘法大師像を安置する厨子が御開帳され、空海がお住まいだった頃の様に、一膳、二膳、さらにお茶が大師への供えものとして献上されます。
法要の最後には、空海が唐から持ち帰ったとされる仏舎利を頭と両手に授けてくれます。
お舎利さん(仏舎利)のお授けは、午前6時20分頃と午前7時20分頃の2回のみ行われます。
参拝希望の方は、午前5時50分ごろまでに御影堂の唐門、または西門前に集合します。10回の鐘の音の後、門が開き、御影堂の外陣へと進みます。
空海・密教・曼荼羅について
東寺を観光する上で「空海」「密教」「曼荼羅」ついて軽く知っておくだけで、見学の深みが増すと思います。以下よりそれぞれについて簡単に解説致します。
空海とは
真言宗の創始者である空海は、新しい仏教である「密教(みっきょう)」を日本に根付かせた人物です。天台宗の開祖である「最澄」と並び、平安仏教界の二大巨頭と称されています。
31歳の時に仏教を深く学ぶために遣唐使船で中国の唐に渡った空海は、当時中国で最先端にあった仏教の教え「密教」を、師である「恵果(けいか)」より授かりました。
恵果は、数千人もの弟子の中から空海を選び、密教の全てを授けると共に、正式な後継者の証として、現在も東寺に残る国宝の密教宝具「五鈷杵」「五鈷鈴」「金剛盤」を持たせました。
日本に帰国した空海は、嵯峨天皇より未完の「東寺」を授かると、密教の理念と世界観を余すところなく投影して東寺を造り上げました。
密教(みっきょう)とは
「密教」は古代インドを起源とし、空海が中国の唐から日本にもたらした新しい仏教の形です。通常、仏教は悟りを開いた人間「釈迦」を信仰しますが、密教では大日如来を最高の存在として信仰します。
密教では、森羅万象のすべてを大日如来の化身であると考えます。そして、あらゆる現象の根本である全宇宙を、大日如来の慈悲として受け止めます。
かなり端的にざっくり言うと、大日如来を信仰し、この世に存在する全て(無機物も含む)の幸せを願う宗派、それが密教です。
また、密教は「秘密仏教」の意ですが、意図的にその教えを非公開にしている訳ではありません。一般的に公開されているにも関わらず、悟りを開いていない多くの人にとっては、その内容が明らかでないと言うだけです。つまり、密教を深く理解して信仰しようとするなら、その教えは誰にでも開かれていると言う訳です。
曼荼羅(まんだら)とは
古代インドを起源とする曼荼羅(まんだら)は、密教の宇宙観を、仏の規則的な配置図で表現したものです。それぞれの仏は小宇宙を表し、それらが結びついたものが大宇宙、つまり密教の本尊である「大日如来」を表します。
難解な密教の教えを言葉だけでは伝えきれないと考えた空海は、この曼荼羅という図像を用いてより視覚的に表現しました。密教の教えを示す上で曼荼羅は必要不可欠です。
曼荼羅の種類は数百にも上りますが、現存する中では、全宇宙を表す「胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)」と、心の世界を表す「金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)」が最も重要だとされています。そして、この二つの曼荼羅を総称して「両界曼荼羅」と呼びます。
胎蔵界曼荼羅
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金剛界曼荼羅
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真言宗で最も重要な儀式「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」も、必ずこの「両界曼荼羅」を掛けて行われます。
空海が東寺の講堂内に残した「立体曼荼羅」は、通常は図(二次元)で表現される「曼荼羅」を、立体的な仏像配置(三次元)で表現したものです。
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