ゴッホの作品を徹底解説 – 作品数、一覧、特徴など
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画家・彫刻家・建築家本記事では、ゴッホの生涯の作品数と、代表作品について、写真付でき詳しく解説致します。
記事の最後「作品一覧」の項では、ゴッホ作品の「制作年」「種類」「サイズ」「所蔵」を一覧形式で見やすくまとめております。
- 1 生涯の作品数について
- 2 ジャガイモを食べる人々
- 3 麦わら帽子の自画像
- 4 タンギー爺さん
- 5 花魁
- 6 アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)
- 7 黄色い家
- 8 夜のカフェ
- 9 ローヌ川の星月夜(星降る夜)
- 10 種をまく人
- 11 ひまわり(ロンドン・ナショナル・ギャラリー版)
- 12 夜のカフェテラス
- 13 赤い葡萄畑
- 14 包帯をしてパイプを加えた自画像
- 15 郵便夫ジョゼフ・ルーランの肖像画
- 16 アルルの寝室(ゴッホの寝室)
- 17 アイリス
- 18 星月夜
- 19 自画像(サン・レミ時代)
- 20 シエスタ(昼休憩)
- 21 花咲くアーモンドの木の枝
- 22 糸杉と星の見える道
- 23 オヴェールの教会
- 24 医師ガジェの肖像
- 25 カラスのいる麦畑
- 26 ドービニーの庭
- 27 作品一覧
生涯の作品数について
ゴッホは、画家を試みた27歳から自殺する37歳までのわずが10年間で、版画を約1000点以上、油絵を約850点、水彩画を約150点ほど残しています。また、貴重な資料として、弟テオへ宛てた手紙も約700点ほど現存しています。
ゴッホが弟へ宛てた手紙は、ゴッホ作品の製作年やコンセプトを知るうえで、現在も重要な手掛かりとなっています。
また、ゴッホの死後にテオの手元に残ったゴッホ作品のほとんどが、テオの息子「フィンセント」によって、オランダ政府に寄贈されました。この寄贈作品を収蔵・展示するために設立されたのが、現在、アムステルダムにあるゴッホ美術館です。
他にも、ゴッホ作品を多く収蔵する美術館としては、オランダの「クレラー・ミュラー美術館」が有名です。本美術館はゴッホ作品を高く評価して作品を収集した「クレラー・ミュラー氏」によって設立されました。
次項より、ゴッホの中でも特に代表的な作品を、25点に絞って詳細に解説してまいります。
ジャガイモを食べる人々
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ゴッホは1883年の12月より、両親が暮らすオランダのニューネンに引っ越し、翌年より精力的に農民を主題にした作品を描き始めます。これは、農民画家と呼ばれた「フランソワ・ミレー」を心から尊敬し、強いインスピレーションを受けていたためです。
オランダのニューネン滞在時に描かれた本作は、まだ駆け出し画家であった初期ゴッホの代表作となっています。この時代のゴッホ作品は、暗い色調が特徴で、これだけの人物を一画面に描いたのも、風景画を除けば本作のみです。
作中では、激しい労働後の農民たちが、ジャガイモとコーヒーだけの貧しい夕食をとると言う、ありのままの姿が描かれています。
ゴッホが弟に宛てた手紙によれば、本作のテーマは「手の労働」であり、農民が土を掘ったその手でジャガイモを食べていると言う点を、強く表現したかったそうです。ジャガイモを掘って土汚れした農民の手は、文字通り非常に泥臭く描写されています。
麦わら帽子の自画像
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金銭的な理由などで、モデルを雇えなかったゴッホは、2年間のパリ時代(1886年-1888年初頭)に多くの自画像を描きました。彼の自画像は、その時の彼の画風と精神状態を明確に示しています。
パリ時代のゴッホは、比較的幸せだったとされており、暗い色彩が多い自画像の中でも、1887年の夏に制作された本作は、一際明るくダイナミックなタッチで描かれています。
タンギー爺さん
肖像画のモデル「ジュリアン・フランソワ・タンギー(タンギー爺さん)」は、ゴッホがパリ時代に利用していた画材屋の主人です。
タンギー爺さんの店には、セザンヌ、ゴーギャン、モネ、ルノワールなど、当時まだ無名だった印象派画家たちが数多く訪れていました。ゴッホもこの店主を通じて、ゴーギャンと出会いました。金銭的余裕がなかったゴッホら画家たちは、店側の好意で、作品と引き換えに、画材を提供してもらっていました。
作中の背景には、ゴッホが影響を受けていた日本の浮世絵がびっしりと6枚も描かれています。この時期のフランスは、万国博覧会の影響もあり、日本趣味(ジャポニズム)が流行していました。ゴッホも、日本の浮世絵の版画や切り絵を何百枚も収拾し、作品に部分的に取り入れていました。
本作は、モデルの温厚で面倒見の良い人柄を表す様に、全体的に穏やかで明るい色合いに仕上げられています。タンギー爺さんの肖像画を、ゴッホは全部で3枚製作しており、その中で一番後に手がけたのが本作になります。
花魁
ゴッホが浮世絵に出会ったのは、1885年にベルギーのアントワープに暮らしていた時の事です。
浮世絵の大胆な構図や、明るい配色に強いインスピレーションを受けたゴッホは、当時パリで安価で購入する事ができた、浮世絵の版画を数百点も集めました。
本作も、江戸時代後期に活躍した日本の浮世絵師「渓斎英泉」が手がけた「雲龍打掛の花魁」の模写ですが、明るい色彩や背景などは、ゴッホなりのアレンジが加えられています。
1887年頃のゴッホは、日本の美しい景観に憧れ、本作をはじめとする浮世絵の模写作品を数点手掛けています。そして、これ以後のゴッホは、印象派の作風から離れ、日本画の力強い輪郭線や強烈な色彩を作品に取り入れ、独自の作風を確立していきました。
この時期に日本画のエッセンスを取り入れた事で、ゴッホの才能が開花したと言っても過言ではありません。
アルルの跳ね橋(ラングロワ橋)
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本作は、南仏アルルにある「ラングロワ橋」の春の景観を描いた作品で、ゴッホはこの橋の景観を気に入り、様々な角度からラングロワ橋を描いています。
オランダやパリでは見られなかった、この地の陽気で明るい風景に感動し、ゴッホの描く絵画の色合いも、一層強く明るくなっていきました。弟テオへの手紙でも、この地の風景の素晴らしさを、熱く語っています。
橋や土の鮮やかな黄色と、空や水の澄んだ青色は、まるで希望に満ちたこの時のゴッホの心を投影している様です。橋の上には馬車、中央には洗濯女の姿も描かれています。
現在の所蔵美術館の創設者である「ヘレーネ・クレーラ・ミュラー」は、1914年に200ギルダー以上の資金をかけて、32点ものゴッホ作品をオークションで購入しました。本作はその中の最高傑作とされる一点です。
残念ながら「ラングロワ橋」は、1930年に別のコンクリート橋に置き換えられ、現在は見る事はできません。
黄色い家
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芸術家達との共同生活を夢見てアルルに移住したゴッホは、ラマルティーヌ広場に面した家に2部屋を借りて生活を開始します。アルルの陽光あふれる景色は、ゴッホが浮世絵を見て理想とした日本の風景そのものだったそうです。
本作はその住居の外観を描いたもので、「黄色い家」と言う名で広く知られています。残念ながらこの家は、第二次世界大戦中の爆撃で破壊され、現在は残っていません。
ゴッホは、向かって左奥に描かれたレストランで頻繁に食事をしていたそうです。また、右奥に描かれているのは鉄道橋で、その先には知人で郵便配達人の「ジョゼフ・ルーラン」も住んでいました。
夜のカフェ
かつてゴッホが住んでいた建物の一階にある「カフェ・ド・ラ・ガール」の店内を描いた作品。天井は緑、壁は赤、床は黄色でだいたんに描かれています。
ゴッホは、弟への手紙で本作を《カフェとは人が身を持ち崩し、気が狂ったり、犯罪をおかす可能性があるところだ。その人間の恐ろしい情熱を赤と緑で表現しようと努めた》と記しています。
ゴッホが本作より後に手がけた《休息》がテーマの「アルルの寝室」とは対作品であると考えられています。
ローヌ川の星月夜(星降る夜)
種をまく人
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ゴッホは、敬愛するミレーの作品を数多く模写していますが、その中でもこの「種をまく人」は、特にゴッホのお気に入りでした。
作中の人物のポーズは、ミレーのオリジナルのままですが、大きさは縮小され、配置も中央から右上へと移動しています。更にオリジナルの穏やかな風景は、青やオレンジが大半を占める明るい配色に変更され、全体的に激しいタッチで描かれています。
特に黄色に照りつける太陽の存在感は圧倒的で、まるでゴッホの代表作「ひまわり」の花を見ている様です。
ミレーは単に働く人々のありのままの姿を描きましたが、かつて聖職者を目指していたゴッホは《種をまく人=神の言葉を種まく人》と言った風に宗教的な意味合いを込めて本作を描きました。
ひまわり(ロンドン・ナショナル・ギャラリー版)
1888年2月、ゴッホは南仏のアルルに移り、画家同士で暮らすコロニー(生活共同体)を計画していました。そしてまずは、パリで親交のあった画家「ゴーギャン」を迎えるため、共同生活の拠点である「黄色い家」の寝室を「ひまわり」の絵画で埋め尽くそうと考えました。
残念ながら、ゴーギャンとは喧嘩別れとなり、画家同士の共同生活も夢に終わりますが、ゴッホはこの時に「ひまわり」を4点制作しました。
更にゴーギャンが去った後も、3点のひまわりを製作し、アルル時代だけで、合計7点(うち1点は焼失)もの、異なる「ひまわり」を描きました。7点とも構図はほぼ同様ですが、ひまわりの本数が、3本、5本、12本、15本の4バージョンに分かれており、色合いも微妙に違っています。
現存する6点の「ひまわり」の中で、最高傑作と評されるのが、4作目として描かれた、ロンドンナショナルギャラリー所蔵の「ひまわり(上画像)」です。このロンドン版の「ひまわり」は、少し抑えめの黄色が特徴で、15本の花が描かれています。
15本と言う数は、共同生活に集まるはずだった画家達を12使徒に見立て、そこに、ゴッホ、弟のテオ、ゴーギャンの3人を加えた15人を示していると言われています。
参考までに、アルルで5作目に描かれた「ひまわり」は、1987年に日本の損保ジャパンが、58億円にて落札しました。「SOMPO美術館(新宿)」に足を運べば、いつでも鑑賞可能です。
ひまわり(SOMPO美術館所蔵)
夜のカフェテラス
アルル中心部の広場にあるカフェテラスを描いた作品。青、紫、緑色で描いた夜景と、ガス灯の黄色い光がうみ出す美しいコントラストが見るものを引きつけます。
ゴッホは弟への手紙で、夜は昼よりも、生き生きと彩られると記しており、1888年以降は、夜を題材にし作品を度々描く様になります。
この時代に夜景を描く際は、夜にスケッチを行い、昼に室内で仕上げるのが基本でしたが、ゴッホは蝋燭の火をたよりに、その場で本作を仕上げていたそうです。本作は、ゴッホ自身が記している様に、夜空に一切の黒色が使用されていません。
ゴッホはこの頃から、従来の印象派的絵画から脱却し、彼独自の色彩表現を開花していきました。
赤い葡萄畑
ゴーギャンとの共同生活中に描いた、この「赤いぶどう園」は、ゴッホの生前中に売れたのが明らかな唯一の作品です。
ゴッホの友人の姉で画家の「アンナ・ボック」が、1890年1月にベルギーのブリュッセルで開催された展覧会にて本作を400フランで購入しました。10年間の芸術家人生で、ゴッホは約800点もの油絵を描きましたが、生前に売れたのは本作だけです。
作中では、ゴッホ作品の原点である農作業(葡萄の収穫)風景が描かれ、同年10月には対作品として「緑のぶどう園」も手掛けています。
包帯をしてパイプを加えた自画像
本作は、アルルの黄色い家での「耳きり事件」の後に描かれた肖像画です。理由は定かではありませんが、ゴッホは切り落とした耳を馴染みの女性に届けたとされ、この時期の精神の不安定さがうかがえます。
本作は、オレンジと赤でくっきりと二分化された背景がかなり印象的ですが、青の帽子や、緑のコートと絶妙のカラーバランスを保って描かれています。ゴッホはこの様な補色(反対色)の組み合わせを好んで使用していました。作中のゴッホの右耳付近から顎にかけては、生々しい包帯が巻かれ、目の焦点はやや合ってない様に見えます。
ゴッホは、自殺する前年(1889年)に6枚の肖像画を残していますが、本作はその中の最初の1枚です。同月に描いた肖像画も、本作と似た様な構図で描かれていますが、パイプは加えず、日本の浮世絵を背景にしています。
郵便夫ジョゼフ・ルーランの肖像画
本作は、ゴッホがアルル滞在時代に家族ぐるみで付き合いのあった郵便配達員「ジョゼフ・ルーラン」を描いた肖像画です。
ルーランは、ゴッホが黄色い家に引っ越す前に住んでいたカフェの常連客で、オランダ出身の無名画家であったゴッホに、友人として温かく接してくれた人物です。
ゴッホは、5人家族(二男二女)であったルーランファミリー全員の肖像画を合計約20点程も描いており、如何にこのファミリーとゴッホの親交が深かったが伺えます。
黄色い家の共同生活から、わずか数ヶ月でゴーギャンが去り、ゴッホが精神的に病んで耳を切り落とした後も、ムーランの友情は変わらなかったそうです。
アルルの寝室(ゴッホの寝室)
本作は、ゴッホが画家同士の共同生活をするために借りた「黄色い家」の寝室を描いた作品です。
作中に描かれた家具などは、ゴッホ自身が揃えたもので、枕、画中画(絵画)、椅子、窓などが全てペアになっています。これには、ゴーギャンの到着を待ちわびるゴッホの強い想いが込められています。
ゴッホは本作を通して、究極の休息を表現したかったそうです。明るい黄色をアクセントに、くっきりした輪郭線と、やや歪んだアングルが、非常に特徴的な作品です。
ゴッホは、全く同じ構図で、3枚の「アルルの寝室」を描いており、ここで掲載しているのは、後年の1889年に描いた方の複製版になります。オリジナルとは若干だけ色合いやサイズが異なっています。
1889年は、ゴッホがサン・レミの病院に入院していた時期で、心が病み、発作に苦しんでいました。
一方で、オリジナルの「アルルの寝室」は、1888年のゴッホが希望に満ち溢れていた時期の作品で、同じ構図でも、描いた作者(ゴッホ)の心情は天と地ほど違っています。
現在、1888年に描かれたオリジナルの方は「ゴッホ美術館」が、もう一枚の複製版は「シカゴ美術館」が所蔵しています。
アイリス
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本作は、アルルでの耳きり事件の後、ゴッホがサン・レミの療養所に入所してすぐ描いた作品です。作中のモチーフは、療養所の庭に咲いていたアヤメ科の花アイリスで、花と葉が複雑に入り組んでいます。
色彩構成も絶妙で、青の花と緑の葉を中心に、黄色、赤茶、オレンジなどがバランス良く散りばめられています。くっきりとした輪郭線などは、明らかに日本の浮世絵にインスピレーションを受けて描かれています。
星月夜
ゴッホの「ひまわり」に次ぐ代表作「星月夜」は、輝く星空の下で、麦畑と糸杉を幻想的に描いた作品です。
ゴッホは本作を、サン・レミの精神病院に入院していた1889年6月ごろに、部屋の窓から描いたとされています。村や教会などは、実際にこの方角から見た景色には存在しておらず、実景に創作を組み合わせて、一つの絵画として構成しています。
作中の筆のうねりは、山並みから星空に向かって一層激しくなり、糸杉の存在が、天と地を結びつけている様です。
自画像(サン・レミ時代)
シエスタ(昼休憩)
本作は、ゴッホが精神病院に入院していた時に描いた、フランスの田園風景をモチーフにした作品です。
入院中は、外出する事が難しかったため、弟に送ってもらった、複製版画などを元に作品を描いていました。
本作も基本的には、ミレーの「昼休憩」の模写ですが、人物が反転していたり、農夫の足先が開いていたりと、オリジナルとは、似て非なる作品となっています。何より、ゴッホ独自の色彩と力強いタッチが、本作を全く別の作品として特徴付けています。
作中で、昼寝をする二人の前には、2つの鎌が置かれていますが、これは死のイメージを示唆していると言われています。耳を切り落とし、精神的に病んでいたゴッホが、この時常に死を意識していた事は、相続に難くありません。
花咲くアーモンドの木の枝
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本作は、1890年に生まれたゴッホの甥(弟テオの息子)の誕生日祝いとして描かれた作品です。
テオは、息子をゴッホと同じく「フィンセント」と名付けました。時には、厳しい言葉を浴びせる事もあったテオですが、心の奥では、兄を深く敬慕していました。
作中では、やや緑色がかった青空を背景に、アーモンドの木の枝が画面いっぱいに広がっています。本作は、ゴッホが精神を病んで入院していた時の作品ですが、全体に明るく陽気な雰囲気に仕上がっています。
糸杉と星の見える道
サン・レミ時代のゴッホは「ひまわりの絵の様な作品にしたい」と、糸杉をモチーフにして本格的に作品に取り組み始めました。
糸杉モチーフの作品の中でも、集大成と言える本作は、恐らくサン・レミ滞在の最後に製作したと考えられています。画面全体に広がるうねるタッチが非常に印象的な作品です。
本作は、2021年の秋に、上野の東京都美術館で行われた「ゴッホ展」の目玉作品として16年ぶり来日しました。
オヴェールの教会
ゴッホは、サン・レミの病院を退院後、パリにいた弟テオを訪れてから、オーヴェルへと移動し、本作を描きました。「オヴェール」は「パリ」の北西にある街で、ゴッホが自らの人生に幕を閉じた場所でもあります。
ゴッホの晩年の作品は、うねる様な曲線が特徴ですが、この「オヴェールの教会」は、その中でも特にうねりが強い作品だと言われています。作中の前景が昼なのに対して、後景の窓や空は夜で描かれ、まるで、教会の建物が生き物の様です。作中の至る所から、ゴッホの精神的不安定さが伝わってきます。
本作で描かれている教会は、12世紀〜13世紀頃に建造されたもので、今も現役の教会として利用されています。
医師ガジェの肖像
ゴッホが弟の計らいでパリ近郊の「オヴェール」で精神の治療を受けていました。本作は、その時の担当精神科医「ガシェ医師」を描いた肖像画です。
ガジェは良き理解者として、ゴッホの最後を看取りました。画面左手側には、医師や治療を暗示す薬草が描かれており、作中の人物が医者である事を示唆しています。
ちなみに、ゴッホはこの肖像画を同じ構図でもう1枚描いていますが、これはガジェ医師が本作を欲しがったためだと言われています。ガジェ医師は、セザンヌやルノワールなど、多くの画家とも親交が深く、美術品コレクター兼画家としも知られていました。
本作をはじめ、多くのゴッホ作品は、ガジェ医師の子孫に受け継がれ、後にオルセー美術館に寄贈されました。
カラスのいる麦畑
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横長のカンヴァスに、ゴッホの人生の終着地である、オヴェールの広大な麦畑が描かれています。ゴッホが弟に宛てた手紙の言葉を借りれば《嵐を予感させる空の下の広大な麦畑で、悲しみと極度の孤独を表現した作品》が本作です。
空は今にも嵐で荒れ狂いそうに描かれ、黒々した雲や烏は死を連想させます。この絵画を仕上げた時点で、ゴッホが死を決意していたかは不明ですが、完成の翌月(1890年7月)に、彼は自ら銃で命を絶ってしまいます。享年37歳でした。
これまで本作は、ゴッホの最後の完成作品と考えられていましたが、ほぼ同時期に描かれた「ドービニーの庭(ひろしま美術館所蔵)」を最後の完成作品とする説もあります。また、遺作と言う意味で言うと、ゴッホが死ぬ直前まで製作していた「木の根と幹」と言う未完作品も存在しています。
ドービニーの庭
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本作は、晩年にオヴェールに邸宅を構えたバルビゾン派の画家「シャルル・フランソワ・ドービニー」家の庭を描いた作品です。ドービニーは、ゴッホが敬愛した画家の1人ですが、本作を手がけた時には既に亡くなっており、邸宅には残された夫人が暮らしていました。
同時期の作品「カラスのいる麦畑」とは対照的に、明るい色合いで描かれており、強いて死を予感させるものと言えば、向かって右上にある教会ぐらいです。
この「ドービニーの庭」には、ほぼ同じ構図と配色で、後に描かれた別バージョン(画像下)が存在し、そちらの方はゴッホが自殺する一週間ほど前に描かれたとされています。別バージョンの方では、左下の猫は塗りつぶされ、右下のサインもなくなっているほか、若干だけ配色も異なっています。
ドービニーの庭(ひろしま美術館所蔵)
作品一覧
本記事の最後に、ゴッホの主要作品のタイトルや製作年などを一覧形式でご覧ください。さすがに全作品は網羅できませんが、制作年の若い順に50点ほどピックアップ致しました。
以下、画像をクリック(タップ)すると拡大し、タイトル文字が青色になっている作品のみ、文字をクリックすると同ページ内の解説部分に移動します。
作品名 | 制作年 | サイズ | 種類 | 所蔵 |
---|---|---|---|---|
悲しみ | 1882年 | 44.5cm × 27cm | 鉛筆、ペン、黒チョーク、紙 | ウォルソール・ニュー・アート・ギャラリー |
秋のポプラ並木 | 1884年 | 98.5cm × 66cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
ジャガイモを食べる人々 | 1885年 | 81.5cm × 114.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
街角の家並 | 1885年 | 44cm × 33.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
黒いフェルト帽を被った自画像 | 1886年 | 41.5cm × 32.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
4本のひまわり | 1887年 | 60cm × 100cm | カンヴァス、油彩 | クレラー・ミュラー美術館 |
グラジオラスのある花瓶 | 1886年 | 46.5cm × 38.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
揺り籠のそばの婦人 | 1887年 | 61cm × 45.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
麦わら帽子の自画像 | 1887年 | 24.9cm × 26.7 cm | 厚紙、油彩 | デトロイト美術館 |
タンギー爺さん | 1887年夏 | 92cm × 75cm | カンヴァス、油彩 | ロダン美術館 |
花魁 | 1887年 | 105.5cm × 60.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
アルルの跳ね橋 | 1887年 | 53.4cm × 64cm | カンヴァス、油彩 | クレラー・ミュラー美術館 |
黄色い家 | 1888年 | 72cm × 91cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
ゴッホの椅子 | 1888年 | 91.8cm × 73cm | カンヴァス、油彩 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
ゴーギャンの肘掛け椅子 | 1888年 | 90.5cm × 72.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
夜のカフェ | 1888年 | 72.4cm × 92.1cm | カンヴァス、油彩 | イェール大学美術館 |
浜辺の漁船 | 1888年 | 65cm × 81.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
アルジェリア兵 | 1888年 | 65cm × 54cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
カミーユ・ルーランの肖像 | 1888年 | 40.5cm × 32.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
ローヌ川の星月夜 | 1888年 | 72.5cm × 92cm | カンヴァス、油彩 | オルセー美術館 |
夕陽と種まく人 | 1888年 | 32cm x 40cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
種をまく人 | 1888年6月 | 64.2cm x 80.3cm | カンヴァス、油彩 | クレラー・ミュラー美術館 |
3本のひまわり | 1888年8月 | 73cm × 58cm | カンヴァス、油彩 | 個人蔵 |
ひまわり(12本) | 1888年8月 | 91cm × 72cm | カンヴァス、油彩 | ノイエ・ピナコテーク |
ひまわり(15本) | 1888年8月 | 92.1cm × 73cm | カンヴァス、油彩 | ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
ひまわり(15本) | 1888年11月 | 100.5cm × 76.5cm | カンヴァス、油彩 | SOMPO美術館 |
ひまわり(12本) | 1889年1月 | 92cm × 72.5cm | カンヴァス、油彩 | フィラデルフィア美術館 |
ひまわり(15本) | 1889年1月 | 95cm × 73cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
夜のカフェテラス | 1888年8月 | 81cm x 65cm | カンヴァス、油彩 | クレラー・ミュラー美術館 |
赤い葡萄畑 | 1888年11月 | 75cm × 93cm | カンヴァス、油彩 | プーシキン美術館 |
包帯をしてパイプを加えた自画像 | 1889年 | 51cm × 45 cm | カンヴァス、油彩 | 個人 |
郵便夫ジョゼフ・ルーランの肖像画 | 1889年4月 | 65cm x 54cm | カンヴァス、油彩 | クレラー・ミュラー美術館 |
アルルの寝室 | 1889年 | 57.5cm × 74cm | カンヴァス、油彩 | オルセー美術館 |
アイリス | 1889年 | 71.1cm × 93cm | カンヴァス、油彩 | J・ポール・ゲティ美術館 |
精神病のゴッホの アトリエの窓 | 1889年 | 61cm × 47cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
自画像 (画家としての自画像) | 1888年 | 65.5cm × 50.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
ピエタ (ドラクロアを模して) | 1889年 | 73cm × 60.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
花咲く野原 | 1888年 | 54cm × 65cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
刈る人のいる日の出の麦畑 | 1889年 | 73cm × 92cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
星月夜 | 1889年6月 | 73.7cm × 92.1cm | カンヴァス、油彩 | ニューヨーク近代美術館 |
自画像(サン・レミ時代) | 1889年9月 | 65cm × 54cm | カンヴァス、油彩 | オルセー美術館 |
シエスタ(昼休憩) | 1890年1月 | 73cm × 91cm | カンヴァス、油彩 | オルセー美術館 |
紫のアイリスをいけた花瓶 | 1890年 | 92cm × 73.5cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
善きマリア人 | 1890年 | 73cm × 60cm | カンヴァス、油彩 | クレラー・ミュラー美術館 |
花咲くアーモンドの木の枝 | 1890年 | 74cm × 92cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
糸杉と星の見える道 | 1890年 | 92cm × 73cm | カンヴァス、油彩 | クレラー・ミュラー美術館 |
オヴェールの教会 | 1890年 | 74cm × 94cm | カンヴァス、油彩 | オルセー美術館 |
医師ガジェの肖像 | 1890年6月 | 67cm × 56cm | カンヴァス、油彩 | オルセー美術館 |
カラスのいる麦畑 | 1890年6月 | 50cm × 103cm | カンヴァス、油彩 | ゴッホ美術館 |
ドービニーの庭 | 1890年7月 | 56cm × 101cm | カンヴァス、油彩 | バーゼル市立美術館 |
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