オランジュリー美術館の有名作品一覧と解説 – モネ、ピカソ、ルノワールなど

パリ
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パリの「オランジュリー美術館」では、クロード・モネの大作「睡蓮」をはじめ、ピカソ、ルノワール、セザンヌ、モディリアーニなど、近代美術を代表する画家たちの作品を鑑賞できます。

本記事では、オランジュリー美術館で見ておきたい有名作品を一覧で紹介した上で、画家ごとに代表作品の見どころや制作背景、鑑賞時に注目したいポイントを詳しく解説します。

「どんな有名作品があるのか知りたい」「鑑賞前に作品の見どころを予習しておきたい」という方は、ぜひ参考にしてください。

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オランジュリー美術館の有名作品一覧

まずは、オランジュリー美術館の有名作品33点を一覧でご紹介します。気になる作品は「詳細解説へ」をクリックすると、作品の見どころや制作背景をすぐに確認できます。

次章からは、上記で紹介した各作品について、見どころや制作背景などを詳しく解説していきます。

展示作品や展示場所は時期によって変更される場合があるため、特定の作品を目的に訪れる場合は、事前に最新の展示状況をご確認ください。

クロード・モネの有名作品を解説

オランジュリー美術館を代表する画家が、印象派を代表するフランスの画家「クロード・モネ」です。なかでも最大の見どころが、2つの楕円形展示室を取り囲むように展示された大作「睡蓮」です。

モネは1883年にジヴェルニーへ移り住み、自邸に造った「水の庭」を題材として、1890年代末から晩年まで「睡蓮」を繰り返し描き続けました。オランジュリー美術館に展示されている「睡蓮」はその集大成ともいえる作品で、8つの巨大な作品が2つの楕円形展示室に配置されています。

また、ウォルター=ギヨーム・コレクションには、モネが印象派の画家として活躍し始めた時期に描いた「アルジャントゥイユ」も所蔵されています。晩年の「睡蓮」と比較すると、モネの画風が長い画業の中でどのように変化したのかを感じられる作品です。

睡蓮 8点連作

モネ作 睡蓮 8点連作のうち「朝(Matin)」

展示:0階(地上階)1914年〜1926年頃サイズ:高さ約2m × 幅約6〜17m

オランジュリー美術館の代名詞ともいえる「睡蓮」は、モネが晩年に制作した8つの巨大な作品で構成されています。それぞれ複数のパネルをつなぎ合わせて制作され、2つの楕円形展示室の曲面に沿って、鑑賞者を取り囲むように展示されています。

描かれているのは、モネが暮らしたジヴェルニーの「水の庭」です。しかし、一般的な風景画のように地平線や池の岸辺を描くのではなく、水面に浮かぶ睡蓮や柳、水に映り込んだ空や雲、木々などを画面いっぱいに表現しています。8作品を通して朝から夕方へと移り変わる光を感じられるよう構成されているのも大きな特徴です。

作品はいずれも高さ約2mあり、横幅は約6mから最大17mにも及びます。さらにモネは絵画だけでなく、作品を展示する楕円形の部屋や自然光の入り方まで考えており、「睡蓮」は絵だけを見るのではなく、2つの展示室を含めた空間全体で鑑賞する作品といえます。

「日没」「朝」「雲」「緑の反映」「木々の反映」「朝の柳」「明るい朝、柳」「二本の柳」の全8作品については、以下の記事で展示位置や見どころ、制作背景まで詳しく解説しています。

アルジャントゥイユ
(Argenteuil)

アルジャントゥイユ(Argenteuil)

展示:地下2階1875年サイズ:56 × 67cm

「アルジャントゥイユ」は、モネがパリ北西のセーヌ川沿いにある町「アルジャントゥイユ」で暮らしていた1875年に描いた作品です。当時のアルジャントゥイユは、ヨットやボートを楽しむ人々が集まるパリ近郊の行楽地で、モネはこの地のセーヌ川や船を繰り返し描きました。

画面中央で特に目を引くのが、鮮やかな赤色で描かれたヨットの船体です。青い空と水面、緑の水草、白い帆に赤い船体を組み合わせることで、明るく鮮やかな画面が作られています。また、水面や植物などを細かな筆触で描く表現には、印象派が最盛期を迎えていた時期のモネらしい特徴を見ることができます。

もう一つ注目したいのが、画面を縦に伸びるヨットのマストです。細いマストが画面全体にリズムを生み出す一方、伝統的な遠近法には厳密に従わず、色彩や光の印象を重視して風景を捉えている点もこの作品の見どころです。

パブロ・ピカソの有名作品を解説

オランジュリー美術館のウォルター=ギヨーム・コレクションには、20世紀を代表する画家「パブロ・ピカソ」の作品が12点所蔵されています。

ピカソというと、人物や物を幾何学的な形に分解して描く「キュビスム」の作品をイメージする方も多いと思いますが、オランジュリー美術館では「青の時代」から「新古典主義」の時代、さらに1920年代半ばの作品まで、異なる時期の作品を見ることができます。

なかでも、高さ約1.8mの巨大な女性像を描いた「大きな浴女」は必見です。同じピカソでも作品によって人物の描き方や色彩が大きく異なるので、年代による作風の変化を比較しながら鑑賞するのもおすすめです。

大きな浴女
(Grande baigneuse)

大きな浴女(1921年) - パブロ・ピカソ作

展示:地下2階1921年サイズ:182 × 101.5cm

「大きな浴女」は、1921年にピカソが描いた高さ約1.8mの大作です。画面いっぱいに、座った裸婦が非常に大きく、重量感のある姿で描かれています。

ピカソは1910年代後半から1920年代にかけて、古代ギリシャ・ローマ美術や過去の巨匠たちを意識した「新古典主義」と呼ばれる作品を数多く制作しました。本作もその時期を代表する一枚で、古代彫刻を思わせる巨大で彫刻的な身体が大きな特徴です。

ただし、古典的な人体をそのまま写実的に描いているわけではありません。腕や脚は極端に太く、身体のプロポーションも大胆に誇張されています。ピカソは古代美術だけでなく、アングルやルノワールなど過去の画家からも影響を受けながら、独自の人物像を作り上げました。

実物を鑑賞する際は、作品の大きさと、裸婦の身体が持つ圧倒的な重量感に注目してみてください。写真では分かりにくいですが、作品自体が高さ約1.8mもあるため、実際に目の前に立つと人物が非常に大きく感じられます。

白い帽子の女
(Femme au chapeau blanc)

白い帽子の女(Femme au chapeau blanc) - パブロ・ピカソ作

展示:地下2階1921年サイズ:118 × 91cm

「白い帽子の女」は、「大きな浴女」と同じ1921年に描かれた女性の肖像画です。椅子に座って背もたれに肘を置き、もう一方の手を膝の上に置いた女性が描かれています。

モデルについては、ピカソの最初の妻「オルガ・コクローヴァ」の面影があるとされています。青や赤、白を中心にしながら、灰色や茶色を加えた落ち着いた色彩で、物思いにふけるような女性の表情と、どっしりとした存在感が表現されています。

同じ年に描かれた「大きな浴女」と比べると、一見するとかなり異なる作品に見えます。しかし、人物の身体を大きく捉えた造形には共通する部分があり、この時期のピカソが取り組んでいた新古典主義的な表現を見ることができます。

実際に鑑賞する際は、顔だけでなく、白い帽子から肩、腕へと続く大きな輪郭にも注目してみてください。「大きな浴女」と続けて見ると、1921年前後のピカソの人物表現がより分かりやすくなります。

タンバリンを持つ女
(Femme au tambourin)

タンバリンを持つ女(Femme au tambourin) - パブロ・ピカソ作

パブロ・ピカソ作1925年サイズ:97 × 130cm

「タンバリンを持つ女」は、ピカソが1925年に描いた作品です。クッションの上に横たわり、片肘をつきながらタンバリンを手にする女性が、紫や黄色、赤、青緑などの鮮やかな色彩で描かれています。

同じオランジュリー美術館に所蔵される1921年の「大きな浴女」や「白い帽子の女」と比べると、わずか数年で作風が大きく変化しているのが分かります。人物の身体や背景は大胆に単純化され、形と色を組み合わせることで画面全体を構成しているのが大きな特徴です。

また、横たわる女性という主題や華やかな色彩には、同時代に「オダリスク」を数多く描いていたマティスとの共通点も感じられます。一方で、顔や身体、背景を一つの視点から写実的に描かず、異なる角度から見たような形を組み合わせる表現には、ピカソがそれ以前に追求したキュビスムからのつながりも見ることができます。

実際に鑑賞する際は、女性の姿だけでなく、画面全体に広がる鮮やかな色彩と、身体や背景を形作る大胆な輪郭にも注目してみてください。「大きな浴女」「白い帽子の女」と続けて見ると、同じピカソでも人物の描き方が大きく変化しているのがよく分かります。

大きな静物
(Grande nature morte)

ピカソ作 大きな静物(Grande nature morte)

展示:地下2階1917年サイズ:87 × 116cm

「大きな静物」は、ピカソが1917年に制作した作品です。テーブルの上に瓶やグラス、果物を盛った器などが描かれていますが、実際の形をそのまま再現するのではなく、それぞれの物体を幾何学的な形へ分解して組み合わせています。

本作は、オランジュリー美術館が所蔵するピカソ作品の中でも、キュビスムの特徴がはっきりと表れた重要な作品です。テーブルの天板は大きく傾き、瓶やグラスも一方向から見た形ではなく、複数の角度から見たような姿で描かれています。伝統的な遠近法にとらわれず、一つの画面に異なる視点を組み合わせるキュビスムならではの表現を見ることができます。

また、茶色やベージュ、白、黒など比較的落ち着いた色彩を使いながら、面を重ねることで木やガラスなどの質感を表現しています。こうした表現には、ピカソがそれ以前に取り組んだコラージュや「総合的キュビスム」の影響も見ることができます。

実際に鑑賞する際は、テーブルや瓶、グラスを一つずつ探しながら、どの方向から見た形が組み合わされているのかに注目してみてください。「大きな浴女」や「白い帽子の女」と見比べると、同じピカソとは思えないほど作風が異なり、短期間でさまざまな表現を試みたピカソの幅広さを実感できます。

ピエール=オーギュスト・ルノワールの有名作品を解説

オランジュリー美術館には、印象派を代表するフランスの画家「ピエール=オーギュスト・ルノワール」の作品が25点所蔵されています。ウォルター=ギヨーム・コレクションの中でも特に作品数が多く、人物画や裸婦、風景画、静物画など、さまざまな作品を見ることができます。

ルノワールは、明るい色彩と柔らかな筆遣いで人物や日常の風景を描いたことで知られています。特に女性を描いた作品を数多く残しており、オランジュリー美術館でも「長い髪の浴女」をはじめ、ルノワールらしい柔らかな肌の表現や豊かな色彩を感じられる作品が充実しています。

また、初期から晩年まで幅広い時期の作品が含まれているため、年代によって変化していくルノワールの色彩や人物表現を比較しながら鑑賞できるのも見どころです。

長い髪の浴女
(Baigneuse aux cheveux longs)

長い髪の浴女(1895年) - ピエール=オーギュスト・ルノワール作

展示:地下2階1895年頃サイズ:82 × 65cm

「長い髪の浴女」は、ルノワールが1895年頃に描いた作品です。水辺から上がった裸婦が白い布を胸元へ引き寄せる姿が描かれ、長く広がる金色の髪と、柔らかく表現された肌が印象的です。

この頃のルノワールは、若い頃の印象派らしい光の表現からさらに変化し、女性の身体を柔らかな曲線と明るく輝くような色彩で表現するようになりました。背景の草木も細部まで描き込むのではなく、細かな色と筆触を重ねることで、裸婦を包み込むような自然の雰囲気を作り出しています。

特に注目したいのが、女性の長い髪と背景の植物です。大きく広がった金色の髪は、背後で揺れる草木と呼応するように描かれており、人物と自然が一体となったような柔らかな動きを感じさせます。また、顔や身体にはピンクや白、黄色などが細かく重ねられ、単純な「肌色」では表せない複雑な色彩が使われています。

実際に鑑賞する際は、裸婦の肌だけでなく、金色の髪から背景の植物へとつながっていく色と筆遣いにも注目してみてください。少し離れて見ると柔らかな人物像に見えますが、近くではさまざまな色の筆触が重なっているのが分かり、ルノワールらしい肌と光の表現を楽しめます。

バラを挿したブロンドの女
(Blonde à la rose)

バラを挿したブロンドの女(Blonde à la rose) - ピエール=オーギュスト・ルノワール作

展示:地下2階1915~1917年頃サイズ:64 × 54cm

「バラを挿したブロンドの女」は、ルノワールが晩年の1915~1917年頃に描いた作品です。髪に一輪のバラを挿した若い女性が椅子に腰掛け、その背後にも色鮮やかなバラの花束が描かれています。

モデルとなったのは、ルノワール晩年の重要なモデルとして知られるアンドレ・ウシュリングです。彼女はルノワールの妻アリーヌが亡くなった後、晩年のルノワールを支えながら数多くの作品のモデルを務めました。後に「カトリーヌ・ヘスリング」の名で女優となり、ルノワールの次男で映画監督のジャン・ルノワールと結婚しています。

作品では、女性の頬や肌、衣装、背景の花まで赤やピンク、黄色などの暖かな色彩が重ねられています。輪郭をくっきりと描くのではなく、柔らかな筆遣いと溶け合うような色彩によって、女性の肌や衣服の質感を表現しているのが特徴です。髪に挿されたバラと背景の花束が呼応し、画面全体に華やかで温かな雰囲気を作り出しています。

実際に鑑賞する際は、女性の肌や衣装、バラの花に使われている赤やピンク、黄色などの色彩に注目してみてください。細部を明確に描き込んでいないにもかかわらず、少し離れて見ると人物の柔らかな表情や肌の質感が自然に浮かび上がり、晩年のルノワールらしい人物表現を感じられます。

ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル
(Yvonne et Christine Lerolle au piano)

ルノワール作 ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル

展示:地下2階1897年頃サイズ:73 × 92cm

「ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル」は、ルノワールが1897年頃に描いた作品です。ピアノを弾く女性と、その肩に寄り添いながら楽譜を見つめる女性の姿が描かれています。

モデルとなったのは、画家であり美術収集家でもあったアンリ・ルロルの娘、イヴォンヌとクリスティーヌの姉妹です。ルノワールはルロル一家と親しく交流しており、家庭の中で音楽を楽しむ姉妹の親密なひとときを、穏やかな雰囲気で描いています。

さらに注目したいのが、姉妹の背後に掛けられた2枚の絵画です。これらは印象派を代表する画家エドガー・ドガの作品で、左には競馬を題材にした「レース前」、右には踊り子を描いた「木の下の踊り子たち」が描き込まれています。人物だけでなく、当時の芸術家や収集家たちの交流まで感じられるのが、この作品のおもしろいところです。

実際に鑑賞する際は、寄り添う姉妹の表情や距離感とともに、背景に描かれたドガの2作品にも注目してみてください。一見すると穏やかな日常を描いた人物画ですが、細部まで見ることで、19世紀末パリの芸術家たちを取り巻く文化的な雰囲気まで楽しめます。

ポール・セザンヌの有名作品を解説

オランジュリー美術館には、近代絵画の発展に大きな影響を与えたフランスの画家「ポール・セザンヌ」の作品がまとまって所蔵されています。静物画や人物画、風景画などが含まれており、セザンヌが形や色彩をどのように組み立てていったのかを作品ごとに比較しながら鑑賞できます。

セザンヌは印象派の画家たちと交流しながらも、目の前の光景をそのまま写すのではなく、形や色の配置によって画面そのものを組み立てる表現を追求しました。こうした試みは後のキュビスムにも大きな影響を与え、ピカソやブラックらにもつながっていきます。

オランジュリー美術館では、セザンヌが特に得意とした静物画をはじめ、人物画や南フランスの風景を描いた作品も見ることができます。ここでは、その中から特に注目しておきたい作品をご紹介します。

りんごとビスケット
(Pommes et biscuits)

林檎とビスケット(1879-80年) - ポール・セザンヌ作

展示:地下2階1880年サイズ:45 × 55cm

「りんごとビスケット」は、セザンヌが1880年に描いた静物画です。皿に盛られたりんごとビスケットを中心に、非常にシンプルなモチーフだけで画面が構成されています。

セザンヌは静物画を数多く制作し、当時は比較的低く見られていたこのジャンルを重要な絵画表現へと押し上げました。本作でも、りんごや皿を写実的に描くだけではなく、色の違いによって形や立体感を作り出しているのが大きな特徴です。

一見すると単純な配置に見えますが、皿やりんごは完全な左右対称には置かれておらず、それぞれの形や色が画面全体のバランスを作っています。セザンヌが追求した「形を単純化しながら、色によって空間を構成する」という考え方がよく表れた作品です。

実際に鑑賞する際は、りんご一つひとつの輪郭よりも、赤や黄色、緑などの色がどのように重なって立体感を生み出しているかに注目してみてください。何気ない果物を題材にしながら、画面全体を緻密に組み立てるセザンヌらしさを感じられる作品です。

庭のセザンヌ夫人
(Madame Cézanne au jardin)

セザンヌ作 庭のセザンヌ夫人(Madame Cézanne au jardin)

展示:地下2階1880年頃サイズ:80 × 63cm

「庭のセザンヌ夫人」は、セザンヌが1880年頃に描いた作品です。モデルとなったのは、後にセザンヌの妻となるオルタンス・フィケ。庭に置かれた椅子に腰掛ける姿を、ほぼ全身が入る構図で描いています。

セザンヌはオルタンスをモデルに数多くの肖像画を残しており、現在では約25点が知られています。その多くは人物に近づいた構図や室内を背景としていますが、本作のように屋外でほぼ全身を描いた肖像画は珍しいとされています。

なお、セザンヌが妻オルタンスを描いた作品の中では、「セザンヌ夫人の肖像(Portrait de Madame Cézanne)」の方が一般にはよく知られています。

同作品もオランジュリー美術館に所蔵・展示されていますが、本記事ではあえて「庭のセザンヌ夫人」を取り上げました。屋外でほぼ全身を描いた珍しい構図に加え、画面の一部に白い下地が残り、制作途中のような状態まで見ることができるためです。

特に画面下部を見ると、筆が軽く置かれている程度の部分があり、白い下地が大きく残されています。これは作品の損傷ではなく、セザンヌ自身がこの状態で制作を止めたものです。完成された滑らかな画面に仕上げることだけを目的とせず、形や色を探りながら描いていたセザンヌの制作過程を垣間見ることができるのも、この作品のおもしろいところです。

実際に鑑賞する際は、夫人の顔や黒い衣服だけでなく、画面下部に残された白い下地や、途中で筆を止めたような部分にも注目してみてください。完成された肖像画とはまた違い、セザンヌがどのように画面を作り上げていったのか、その制作過程まで想像しながら楽しめる作品です。

赤い岩
(Le Rocher rouge)

セザンヌ作 赤い岩(Le Rocher rouge)

展示:地下2階1895~1900年頃サイズ:92 × 68cm

「赤い岩」は、セザンヌが1895~1900年頃に描いた風景画です。舞台となったのは、南フランスのエクス=アン=プロヴァンス近郊にあるビベミュスの石切場。オレンジ色に染まった岩肌と、その前に立つ木々、青い空を組み合わせた印象的な作品です。

セザンヌは1895年頃からこの石切場を繰り返し描いており、本作はセザンヌ成熟期を代表する風景画の一つとされています。実際の風景をそのまま写し取るのではなく、岩や木々を色と形のまとまりとして捉え、画面全体を組み立てるように描いています。

特に目を引くのが、画面右上から大きく入り込む赤褐色の岩です。岩は自然物でありながら、四角形を組み合わせたような幾何学的な形に見え、木々や空との前後関係も一般的な遠近法では捉えにくくなっています。こうした形や空間を単純化して再構成する表現は、後にピカソやブラックが展開したキュビスムにも大きな影響を与えました。

また、オレンジや赤褐色の岩と、緑の木々、青い空という強い色の対比も本作の見どころです。細かな描写を追うより、短い筆触を重ねながら色の面を作ることで、岩の重量感や南フランスの乾いた風景を表現しています。

実際に鑑賞する際は、画面右上の大きな岩と、その周囲の木々や空がどのように組み合わされているかに注目してみてください。一見すると普通の風景画ですが、よく見ると遠近感や形が少し不思議に感じられます。「りんごとビスケット」や「庭のセザンヌ夫人」と見比べると、静物・人物・風景という異なる題材でも、形と色によって画面を組み立てるセザンヌの特徴が共通していることが分かります。

画家の息子の肖像
(Portrait du fils de l'artiste)

セザンヌ作 画家の息子の肖像(Portrait du fils de l'artiste)

展示:地下2階1880~1885年頃サイズ:65 × 54cm

「画家の息子の肖像」は、セザンヌが1880~1885年頃に描いた作品です。モデルとなったのは、セザンヌとオルタンス・フィケの一人息子ポール・セザンヌ・ジュニア。横向きに座る少年の姿を、落ち着いた色彩で描いています。

セザンヌは妻オルタンスと同様に、息子ポールも繰り返しモデルにしました。本作では子供らしい表情や愛らしさを強調するのではなく、顔や衣服、椅子、背景をそれぞれ色と形のまとまりとして捉えています。家族を描いた肖像画でありながら、感情表現よりも画面の構成を重視しているのがセザンヌらしいところです。

特に特徴的なのが、少年の横顔を形作る輪郭と、衣服や背景に重ねられた細かな色彩です。顔や髪、服は一色で塗られているのではなく、複数の色を重ねながら立体感が作られています。人物と背景の境界も部分によって曖昧で、画面全体を一つの色彩の構成として見ることができます。

また、同じオランジュリー美術館に所蔵される「庭のセザンヌ夫人」と見比べるのもおすすめです。妻と息子というセザンヌにとって最も身近な家族を描いた2つの肖像画を、同じコレクションの中で比較して鑑賞できます。

実際に鑑賞する際は、少年の横顔だけでなく、顔や衣服に重ねられた色と、人物と背景の境界にも注目してみてください。家族の肖像という身近な題材にも、静物画や風景画と共通するセザンヌ独特の「形と色で画面を組み立てる」考え方を見ることができます。

アメデオ・モディリアーニの有名作品を解説

オランジュリー美術館には、20世紀初頭のパリで活躍したイタリア出身の画家「アメデオ・モディリアーニ」の作品が5点所蔵されています。作品数こそルノワールやセザンヌほど多くありませんが、オランジュリー美術館のコレクションを語るうえで非常に重要な画家の一人です。

モディリアーニは、細長く引き伸ばされた顔や首、アーモンド形の目を持つ独特の人物表現で知られています。肖像画を数多く残し、モデルの外見を写実的に再現するというより、単純化された線や色彩によって人物の個性や雰囲気を表現しました。

また、オランジュリー美術館との関係で欠かせないのが、美術商で収集家のポール・ギヨームです。ギヨームはモディリアーニの才能を早くから評価した人物の一人で、アトリエを提供し、作品を購入するなど画家を支援しました。現在オランジュリー美術館に残るモディリアーニ作品からも、画家とギヨームの深い関係を知ることができます。

ポール・ギヨーム、ノーヴォ・ピロタ
(Paul Guillaume, Novo Pilota)

モディリアーニ作 ポール・ギヨーム、ノーヴォ・ピロタ(Paul Guillaume, Novo Pilota)

展示:地下2階1915年サイズ:105 × 75cm

「ポール・ギヨーム、ノーヴォ・ピロタ」は、モディリアーニが1915年に描いた肖像画です。モデルとなったのは、後にオランジュリー美術館のコレクションの礎を築くことになる美術商・収集家ポール・ギヨーム。当時まだ23歳だった若きギヨームが、帽子とスーツを身につけ、自信に満ちた姿で描かれています。

モディリアーニとギヨームは、詩人マックス・ジャコブの紹介によって1914年頃に知り合ったとされています。ギヨームはモディリアーニの才能を高く評価し、モンマルトルにアトリエを借りるなど活動を支援しました。モディリアーニも1915~1916年にギヨームの肖像を4点制作しており、本作はその中でも両者の関係を象徴する作品です。

作品名にある「Novo Pilota」はイタリア語で「新しい操縦士」「新しい導き手」といった意味。画面にも「NOVO PILOTA」の文字が書き込まれており、モディリアーニが若きギヨームを、これからの新しい芸術を導いていく存在として見ていたことがうかがえます。

実際に鑑賞する際は、赤い背景から浮かび上がる黒いスーツ姿と、画面に直接書き込まれた「NOVO PILOTA」の文字に注目してみてください。単なる人物肖像ではなく、画家を支えた美術商への期待まで描き込まれた作品です。また、このポール・ギヨームが集めた作品群が、現在のオランジュリー美術館を代表する「ウォルター=ギヨーム・コレクション」へとつながっていることを知って見ると、より興味深く鑑賞できます。

若い見習い
(Le Jeune Apprenti)

モディリアーニ作 若い見習い(Le Jeune Apprenti)

展示:地下2階1917~1919年サイズ:100 × 65cm

「若い見習い」は、モディリアーニが1917~1919年頃に描いた肖像画です。若い男性が椅子に腰掛け、片手で頬杖をつきながら物思いにふけるような姿で描かれています。

モディリアーニはセザンヌの作品を高く評価していたことで知られ、本作のポーズにもセザンヌが描いた酒を飲む人物や喫煙者の肖像からの影響が見られます。人物だけを描くのではなく、椅子やテーブルまで身体と一体化するように配置し、画面全体を一つの構成としてまとめているのが特徴です。

また、モディリアーニは画家として活動する以前から彫刻にも取り組んでいました。本作でも、細長く単純化された顔や大きな手、滑らかな輪郭などに彫刻を思わせる独特の人物表現を見ることができます。人物や家具を平面的に捉えた表現には、ゴーギャンからの影響も指摘されています。

画面全体はグレーや茶色を中心とした落ち着いた色彩ですが、その中でひときわ目を引くのが鮮やかな青い目です。白いシャツの襟とともに暗い色調の中でアクセントとなり、物静かな青年の表情へ自然と視線を引き寄せます。

実際に鑑賞する際は、モディリアーニらしい細長い顔や大きな手と、落ち着いた画面の中で強く印象に残る青い目に注目してみてください。また、同じオランジュリー美術館に展示されているセザンヌ作品と見比べると、モディリアーニがセザンヌから受けた影響を意識しながら鑑賞できるのも面白いところです。

赤毛の少女
(Fille rousse)

モディリアーニ作 赤毛の少女(Fille rousse)

展示:地下2階1915年サイズ:40.5 × 36.5cm

「赤毛の少女」は、モディリアーニが1915年に描いた女性の肖像画です。正面を向いた女性を胸から上の構図で捉えた比較的小さな作品で、赤みを帯びた髪と落ち着いた表情が印象に残ります。

1915年頃のモディリアーニは、それまで力を入れていた彫刻から再び絵画へと活動の中心を移し、さまざまな表現を試していました。本作もその時期に制作された肖像画の一つで、キュビスムをモディリアーニ独自の方法で取り入れた作品とされています。

背景を見ると、水平と垂直の線によっていくつもの面に分けられており、単純な室内空間というより幾何学的な構成になっています。オランジュリー美術館では、背景に描かれているものについて、複数の絵画が並べられた場所だった可能性も指摘しています。

一方、人物の顔は単純化され、細長い輪郭やアーモンド形の目など、後にモディリアーニを象徴することになる人物表現へとつながる特徴も見ることができます。幾何学的な背景と、滑らかな曲線で描かれた人物の対比も本作のおもしろいところです。

実際に鑑賞する際は、少女の顔だけでなく、背景を区切る水平・垂直の線にも注目してみてください。「若い見習い」と見比べると、人物の顔や首を単純化するモディリアーニらしさは共通しながらも、1915年頃にはキュビスムなどさまざまな表現を試していたことが分かります。

アンリ・ルソーの有名作品を解説

オランジュリー美術館には、「税関吏ルソー」の愛称でも知られるフランスの画家「アンリ・ルソー」の作品が11点所蔵されています。2024年には新たに2点の肖像画が加わり、現在ではフィラデルフィアのバーンズ・コレクションに次ぐ、世界でも有数のルソー・コレクションとなっています。

ルソーは本格的な美術教育を受けず、パリ市の税関に関連する仕事をしながら独学で絵を学びました。遠近感や人物の大きさなどをあえて現実どおりに描かない素朴で平面的な独特の表現で知られ、当初は批判されることもありましたが、後にピカソをはじめとする前衛芸術家たちから高く評価されました。

現在では密林を描いた作品で特に有名ですが、オランジュリー美術館では人物画や風景画なども見ることができます。ここでは、所蔵作品の中から特に注目しておきたい作品をご紹介します。

婚礼(La Noce)

アンリ・ルソー作 婚礼(La Noce)

展示:地下2階1905年サイズ:163 × 114cm

「婚礼」は、アンリ・ルソーが1905年に描いた作品です。結婚式を記念して撮影する集合写真のように、新郎新婦や家族と思われる人々が正面を向いて並んでいます。画面下には小さな黒い犬も描かれ、一見すると素朴な家族の記念写真のような作品です。

しかし、よく見ると人物の配置には不思議なところがあります。特に中央の花嫁は、足元が地面についているようには見えず、白いドレスをまとったまま宙に浮いているように描かれています。花嫁のヴェールも後ろにいる女性の衣服と重なり、一般的な遠近法では説明しにくい空間になっています。

こうした表現は単なる技術不足ではなく、ルソーが意図的に選んだものと考えられています。現実の結婚式という身近な場面を描きながら、人物の大きさや前後関係を独自の方法で組み立てることで、どこか現実離れした不思議な雰囲気を生み出しています。

背景の木々や人物も細部まで立体的に描くのではなく、輪郭をはっきりさせた平面的な表現になっています。こうした現実を描いているのに、どこか夢の中のように見える感覚は、ルソー作品の大きな魅力の一つです。

実際に鑑賞する際は、中央の花嫁の足元とヴェール、そして前後に並んだ人物の位置関係に注目してみてください。最初は普通の集合写真のように見えていた画面が、見れば見るほど不思議な空間に感じられてきます。

ジュニエ爺さんの馬車
(La Carriole du Père Junier)

アンリ・ルソー作 ジュニエ爺さんの馬車(La Carriole du Père Junier)

展示:地下2階1908年サイズ:97 × 129cm

「ジュニエ爺さんの馬車」は、アンリ・ルソーが1908年に描いた作品です。馬車に乗った人々と、その周囲に集まる犬たちを描いた一見のどかな作品ですが、モデルとなった人物や制作のきっかけまで分かっている、ルソーを代表する作品の一つです。

馬車の持ち主であるジュニエは、毎朝パリ郊外の農家から野菜を仕入れて販売していた人物で、ルソーとは長年の友人でした。当時ルソーはジュニエに借金をしており、ジュニエが自慢の馬を購入したことをきっかけに、借金の返済代わりとしてこの絵を描くことになったと伝えられています。

ルソーはこの作品を描く際、実際に撮影された写真を参考にしました。しかし、写真をそのまま絵に写したわけではありません。人物や馬、犬などをそれぞれはっきりと描きながら独自に組み合わせ、ルソーらしい少し不思議な画面へと作り変えています。

特に特徴的なのが、人物や動物の大きさと位置関係です。馬車や人物、犬はそれぞれ存在感が強く、一般的な遠近法で描かれた風景とはどこか違って見えます。それでも画面全体には奇妙なまとまりがあり、現実の光景を描きながら、独特の世界に見せてしまうルソーらしさがよく表れています。

実際に鑑賞する際は、馬車の人物だけでなく、周囲に描かれた犬や馬との大きさ、前後関係にも注目してみてください。「婚礼」と見比べると、どちらも写真のような記念撮影を思わせる構図でありながら、人物や動物の配置によって独特の非現実的な雰囲気が生まれていることが分かります。

アルフォールヴィルの椅子工場
(La Fabrique de chaises à Alfortville)

アンリ・ルソー作 アルフォールヴィルの椅子工場(La Fabrique de chaises à Alfortville)

展示:地下2階1897年サイズ:73 × 92cm

「アルフォールヴィルの椅子工場」は、アンリ・ルソーが1897年に描いた風景画です。舞台となったのは、パリ南東部のセーヌ川沿いにあるアルフォールヴィル。川辺の道と木々、その奥に建つ椅子工場を描いています。

ルソーというと熱帯の植物が生い茂る幻想的な密林画が有名ですが、実際にはパリやその近郊の風景も数多く描いています。本作もその一つで、ごく普通の郊外の工場を主役として描いているのが特徴です。

画面を見ると、中央の工場が周囲の風景や人物に比べてかなり大きく描かれています。これは単純な遠近法の間違いではなく、ルソーが自分にとって重要なものを大きく見せるために用いた表現です。オランジュリー美術館も、中世の絵画にも通じるような重要な対象を強調するための意図的なスケールの変化として解説しています。

また、工場の建物は直線的で硬い形にまとめられている一方、手前の道やセーヌ川の岸辺は大きな曲線を描いています。直線と曲線を組み合わせることで、現実の風景をそのまま再現するのではなく、ルソー自身が画面の中で風景を組み立て直していることが分かります。

実際に鑑賞する際は、中央の工場と、その周囲に描かれた小さな人物の大きさを見比べてみてください。一見すると素朴な郊外の風景ですが、建物の大きさや道、川岸の形を追っていくと、ルソーが現実の風景を独自のバランスで再構成していることが見えてきます。

Image: Wikimedia Commons / Public Domain

アンリ・マティスの有名作品を解説

オランジュリー美術館では、20世紀を代表するフランスの画家「アンリ・マティス」の作品もまとまって見ることができます。特に中心となっているのが、マティスが南フランスのニースを拠点に制作した「ニース時代」と呼ばれる1917~1929年頃の作品です。

マティスは強烈な色彩を特徴とする「フォーヴィスム」の中心人物として知られていますが、ニース時代には室内でくつろぐ女性や楽器を持つ人物、オダリスクなどを数多く描きました。鮮やかな色彩に加えて、壁紙やカーテン、家具、衣服などの装飾的な模様が画面全体を構成しているのも大きな特徴です。

オランジュリー美術館では、こうしたマティスのニース時代を代表する人物画や室内画を鑑賞できます。ここでは、その中から特に注目しておきたい作品をご紹介します。

赤いズボンのオダリスク
(Odalisque à la culotte rouge)

アンリ・マティス作 赤いズボンのオダリスク(Odalisque à la culotte rouge)

展示:地下2階1924~1925年サイズ:50 × 61cm

「赤いズボンのオダリスク」は、マティスが1924~1925年頃に描いた作品です。白い上着と金色の刺繍が施された赤いズボンを身につけた女性が、ソファに横たわる姿を描いています。

「オダリスク」とは、もともとイスラム世界の宮廷に仕える女性などを指す言葉で、西洋絵画では異国情緒を感じさせる女性像の題材として広まりました。マティスもニース時代にオダリスクを繰り返し描き、本作では衣装や宝飾品、室内の装飾を組み合わせることで、現実の中東を再現するのではなく、自らが思い描いた華やかな「東方」の世界を作り出しています。

この作品で特に目を引くのが、画面を埋め尽くすような装飾模様です。右側には大きな花模様のパネルが並び、奥行きよりも画面の平面性が強調されています。一方で、小さなテーブルやソファを斜めに配置することで、平面的な画面の中にもわずかな奥行きが作られています。

女性の顔も細部まで写実的に描かれているわけではなく、わずかな筆遣いによって目や鼻、口が表現されています。人物そのものよりも、赤いズボンや白い衣服、花模様の背景、ソファなどを一体の色と模様として構成しているところに、マティスらしい装飾的な表現を見ることができます。

実際に鑑賞する際は、鮮やかな赤いズボンだけでなく、背景の花模様やソファ、人物の曲線がどのようにつながっているかに注目してみてください。人物を描いた肖像画として見るよりも、画面全体を一枚の華やかな装飾のように眺めると、マティスが色や模様をどのように組み立てているのかが分かりやすくなります。

三姉妹(Les Trois Sœurs)

アンリ・マティス作 三姉妹(Les Trois Sœurs)

展示:地下2階1917年サイズ:92 × 73cm

「三姉妹」は、マティスが1917年に描いた作品で、オランジュリー美術館が所蔵するマティス作品の中でも代表作の一つです。画面には3人の若い女性が並び、2人はこちらを見つめ、もう1人は本を読む姿で描かれています。

一見すると3人の女性を描いたシンプルな集団肖像画ですが、それぞれの人物は異なる方向を向き、服の色や姿勢も大きく異なります。それにもかかわらず、3人の人物と背景が一つの画面として絶妙なバランスでまとめられているのが本作の大きな特徴です。

また、人物の位置関係をよく見ると、一般的な遠近法だけでは捉えにくい不思議な空間になっています。マティスは奥行きを正確に再現することよりも、人物の形や色を画面の中にどのように配置するかを重視しました。異なる色や複数の遠近感を組み合わせながら、全体として調和させています。

マティスはこの時期、「三姉妹」をテーマに複数の作品を制作しており、別の3点はアメリカ・フィラデルフィアのバーンズ・コレクションに所蔵されています。オランジュリー美術館の作品はポール・ギヨームが1926年に購入したもので、ギヨームとバーンズの交流を感じられる作品でもあります。

実際に鑑賞する際は、こちらを見る2人の女性と、本を読む女性の視線や姿勢の違いに注目してみてください。さらに3人の衣服の色や人物同士の位置関係まで追っていくと、バラバラに見える要素を一つの画面にまとめるマティスの巧みさが分かります。

シャイム・スーティンの有名作品を解説

オランジュリー美術館は、ヨーロッパでも最大規模となる「シャイム・スーティン」のコレクションを所蔵しています。スーティンは現在のベラルーシに生まれ、1912年にパリへ移住。「エコール・ド・パリ」を代表する画家の一人として活躍しました。

スーティンの作品で特に印象的なのが、激しくうねるような筆遣いと、現実の形を大胆に歪めた表現です。風景画だけでなく、人物画や動物を描いた静物画でも、目の前のものを正確に再現するより、自身が感じた感情や動きを強く画面に反映しました。

また、美術商ポール・ギヨームは早くからスーティンの才能に注目した人物の一人です。ギヨームを通じてアメリカの大収集家アルバート・C・バーンズにも作品が知られるようになり、スーティンが国際的に評価される大きなきっかけとなりました。

村(Le Village)

シャイム・スーティン作 村(Le Village)

展示:地下2階1923年頃サイズ:73.5 × 92cm

「村」は、スーティンが1923年頃に描いた風景画で、オランジュリー美術館が所蔵するスーティン作品の中でも特に重要な一枚です。描かれているのは架空の村ではなく、南フランスのカーニュから約8km離れた「ラ・バス・ゴード」と呼ばれる実在の場所です。

題材だけを見れば、家や木々、その上に広がる空を描いた普通の風景画です。しかし画面を見ると、建物や木々は大きく傾き、地面まで波打っているように見えます。遠近感や水平・垂直の安定感を大胆に崩しているのが、この作品最大の特徴です。

スーティンは実際の風景を正確に再現するのではなく、自分がその場所から受けた感覚や感情まで画面に表現しました。そのため、家や木々が互いに絡み合うように配置され、村全体が大きく揺れ動いているような独特の風景になっています。こうした主観的で感情を強く反映した表現は、スーティンが表現主義に近い画家とされる理由の一つです。

興味深いのは、スーティン自身がこの土地に複雑な感情を抱いていたことです。当初はこの風景を気に入り、1923~1924年に同じ地域を描いた作品を9点制作しましたが、1923年末には画商ズボロフスキーへ、この風景にはもう耐えられずカーニュを離れたいという内容の手紙を送っています。

実際に鑑賞する際は、建物や木がどちらへ傾いているか、そして普通の風景画なら水平であるはずの場所がどのように歪んでいるかに注目してみてください。実在する静かな村を描いているにもかかわらず、画面そのものが動いているように感じられるのがスーティンの面白さです。

小さな菓子職人
(Le Petit Pâtissier)

シャイム・スーティン作 小さな菓子職人(Le Petit Pâtissier)

展示:地下2階1922~1923年サイズ:73 × 54cm

「小さな菓子職人」は、スーティンが1922~1923年頃に描いた人物画です。白い制服を着た若い菓子職人が正面を向き、両手で鮮やかな赤い布を握る姿が描かれています。

スーティンは、菓子職人や給仕、ホテルの従業員、聖歌隊の少年など、制服を身につけて働く人々を繰り返し描きました。その中でも菓子職人を描いた作品は、スーティンが美術界で評価される大きなきっかけとなった重要なシリーズです。

美術商ポール・ギヨームは、モディリアーニの作品を探していた際に、作家・美術評論家ミシェル・ジョルジュ=ミシェルを通じてスーティンを知りました。その後、ギヨームが所有していた別の菓子職人の絵をアメリカの収集家アルバート・C・バーンズが目にしたことが、スーティンが一躍注目されるきっかけとなりました。

本作では、人物の顔や身体が写実的に整えられているわけではありません。顔の輪郭や耳、腕などは大きく歪められ、スーティン特有の強い表現力を生み出しています。一方、白い制服にはグレーや緑など複数の色が重ねられ、その中央に置かれた鮮やかな赤い布が強烈なアクセントになっています。

また、人物の正面を向いた姿勢については、ルーヴル美術館にあるジャン・フーケの「シャルル7世の肖像」から影響を受けた可能性も指摘されています。古い肖像画の構図を思わせながら、顔や身体を大胆に変形させることで、まったく異なる人物表現へと作り変えています。

実際に鑑賞する際は、歪められた顔や大きな手と、白い制服の中央で強く目を引く赤い布に注目してみてください。「村」では風景そのものが揺れ動くように描かれていましたが、本作では人間の身体を歪めることで、同じスーティンらしい強烈な表現を見ることができます。

牛肉と仔牛の頭
(Bœuf et tête de veau)

シャイム・スーティン作 牛肉と仔牛の頭(Bœuf et tête de veau)

展示:地下2階1925年頃サイズ:92 × 73cm

「牛肉と仔牛の頭」は、スーティンが1925年頃に描いた静物画です。皮を剥がされた牛の肉塊が画面の大部分を占め、その横には食肉用のフックに吊るされた仔牛の頭が描かれています。

スーティンは1925年頃、皮を剥がされた牛を題材とした作品を約10点制作しました。当時暮らしていたパリ・モンパルナス近くのアトリエには、実際に動物の肉塊を運び込ませ、それを目の前に置きながら描いていたとされています。

本作では、血の残る肉を赤や黄色の太い筆触で描き、ほとんど何も描かれていない暗い背景から浮かび上がらせています。肉の形を正確に再現するというより、絵具を激しく重ねることで、生々しい肉の質感や生命の痕跡そのものを描き出しているようにも見えます。

こうした牛の死骸を描いた作品には、スーティンがルーヴル美術館で見て強い影響を受けたレンブラントの「皮を剥がれた牛」とのつながりがあります。一方、スーティン自身は幼い頃、故郷の肉屋がガチョウの喉を切る場面を目撃した記憶について語っており、動物の死に対する強烈な体験も作品の背景にあったと考えられています。

実際に鑑賞する際は、暗い背景に浮かび上がる牛肉の赤と黄色、そして絵具を荒々しく重ねた筆遣いに注目してみてください。「村」「小さな菓子職人」と見比べると、風景、人物、静物と題材が変わっても、形を歪めながら強い色彩と筆遣いで感情を表現するスーティンの特徴が共通していることが分かります。

マリー・ローランサンの有名作品を解説

オランジュリー美術館では、20世紀前半のパリで活躍したフランスの女性画家「マリー・ローランサン」の作品も見ることができます。ローランサンはピカソをはじめ、モンマルトルの「洗濯船」に集まった芸術家たちと交流し、詩人ギヨーム・アポリネールとは恋人関係にあったことでも知られています。

初期にはキュビスムの影響も受けましたが、1920年代以降は淡いピンクや青、グレーを使った柔らかな色彩と、細長く幻想的な女性像を特徴とする独自の作風を確立しました。女性と動物を組み合わせた作品も多く、どこか夢の中のような世界が描かれています。

また、ローランサンはポール・ギヨームとも親交があり、一時期はギヨームが画商を務めていました。さらにギヨームの妻ドメニカとも親しく、現在のオランジュリー美術館につながる人間関係を知るうえでも興味深い画家です。

シャネル嬢の肖像
(Portrait de Mademoiselle Chanel)

マリー・ローランサン作 シャネル嬢の肖像(Portrait de Mademoiselle Chanel)

展示:地下2階1923年サイズ:92 × 73cm

「シャネル嬢の肖像」は、マリー・ローランサンが1923年に描いた肖像画です。モデルとなったのは、世界的なファッションブランド「シャネル」の創業者として知られるガブリエル・“ココ”・シャネルです。

ローランサンとシャネルが接点を持ったのは、1920年代のパリでした。1923年には、ローランサンがセルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスの「牝鹿」の舞台装置と衣装を担当。一方のシャネルも同じバレエ・リュスのために衣装を手掛けており、当時のパリを代表する芸術家やデザイナーが交わる環境の中で活動していました。

本作では、シャネルは正面を向いて椅子に腰掛け、その周囲には犬や鳥が描かれています。実際の顔立ちを細部まで忠実に再現するのではなく、淡い色彩と細長く単純化された人物像によって、ローランサン独自の女性像へと変えられているのが特徴です。

興味深いのは、この肖像画をシャネル本人が気に入らなかったことです。ローランサンは描き直しを求められても応じず、シャネルも作品を受け取らなかったため、最終的にローランサンの手元に残ったとされています。

実際に鑑賞する際は、シャネル本人の肖像という先入観をいったん外して、淡い色彩や人物の表情、周囲の動物まで含めたローランサン独特の世界観に注目してみてください。実在する著名人を描きながら、モデルを自分自身の絵画世界へ取り込んでしまうローランサンの人物表現がよく分かる作品です。

牝鹿(Les Biches)

マリー・ローランサン作 牝鹿(Les Biches)

展示:地下2階1923年サイズ:73 × 92cm

「牝鹿」は、マリー・ローランサンが1923年に制作した作品です。単独の絵画として描かれたものではなく、セルゲイ・ディアギレフ率いる「バレエ・リュス」の舞台作品「牝鹿(Les Biches)」で使用する、背景幕のための原画として制作されました。

この舞台では、作曲家フランシス・プーランクが音楽を担当し、ローランサンは舞台装置と衣装を担当しました。1924年1月にモンテカルロで初演されると大きな成功を収め、その後パリのシャンゼリゼ劇場でも上演されています。

画面の中心には「牝鹿」あるいは「人魚」を思わせる女性が描かれ、その周囲に別の女性や動物、弦の描かれていないギターなどが配置されています。それぞれのモチーフが中心人物を取り囲むように置かれ、画面全体が星形に広がるような構成になっているのが特徴です。

また、淡い青やグレー、ピンクなどを中心とした柔らかな色彩と、現実とは少し離れた幻想的な女性像は、1920年代のローランサンを代表する表現です。舞台美術のための作品ということもあり、人物一人ひとりを写実的に描くより、画面全体の色彩や形の調和が重視されています。

ローランサン自身も「牝鹿」の仕事を非常に重要なものと考えており、本作を自身の芸術を示す重要な作品として捉えていました。完成したこの絵を気に入り、一時期は自宅のサロンに飾っていたことも知られています。

実際に鑑賞する際は、中央の女性を起点に、周囲の人物や動物、ギターがどのように配置されているかを追ってみてください。「シャネル嬢の肖像」と見比べると、淡い色彩や女性像など共通する特徴がありながら、本作では舞台美術らしい装飾性と幻想的な世界がさらに強く表れていることが分かります。

ポール・ギヨーム夫人の肖像
(Portrait de Madame Paul Guillaume)

マリー・ローランサン作 ポール・ギヨーム夫人の肖像(Portrait de Madame Paul Guillaume)

展示:地下2階1928年頃サイズ:92 × 73cm

「ポール・ギヨーム夫人の肖像」は、マリー・ローランサンが1928年頃に描いた肖像画です。モデルとなったのは、美術商ポール・ギヨームの妻ジュリエット・ラカーズ。夫から「ドメニカ」の愛称で呼ばれ、後にジャン・ウォルターと再婚したことから「ドメニカ・ウォルター」の名でも知られています。

ドメニカは1910年代末にパリへ移り、モンパルナスのキャバレーで働きながら前衛芸術家たちと交流しました。その後ポール・ギヨームと出会い、1920年に結婚。ギヨームによってパリの上流社会へと紹介され、1920年代には社交界でも知られる存在となっていきました。

本作では、ドメニカが椅子に腰掛け、少し身体を傾けながら物思いにふけるような姿で描かれています。ピンク色のスカーフや衣服は右側のカーテンと呼応し、その周囲には花束と大きな灰色の犬が配置されています。淡い色彩の女性像と動物、花を組み合わせるローランサンらしい表現がよく表れています。

一方で、ローランサンは普段、モデルが違っても似たような顔立ちに単純化して描くことが多かったのに対し、本作ではドメニカ本人の特徴が比較的はっきりと表現されています。茶色い髪、大きく明るい目、その上に伸びる濃い眉など、実在する人物としての特徴を残しているのも見どころです。

そしてドメニカは、オランジュリー美術館にとって非常に重要な人物です。ポール・ギヨームの死後にコレクションを引き継ぎ、作品の売却や新たな購入を行いながら現在のコレクションへとつながる形に整えていきました。現在オランジュリー美術館で見ている多くの作品がここに集まった背景を知るうえでも重要な肖像画です。

実際に鑑賞する際は、ドメニカの顔立ちと、ピンクのスカーフやカーテン、灰色の犬、花束が作る柔らかな色彩の組み合わせに注目してみてください。「シャネル嬢の肖像」と見比べると、同じローランサンの女性肖像でありながら、本作ではモデル本人の特徴がより強く残されていることも分かります。

モーリス・ユトリロの有名作品を解説

モーリス・ユトリロは、パリのモンマルトルに生まれ、その街並みを繰り返し描いた画家です。画家シュザンヌ・ヴァラドンを母に持ち、幼い頃からモンマルトル周辺で暮らしました。

ユトリロの作品で特に知られているのが、1910年代を中心とする「白の時代」です。白い壁の建物や教会、人気の少ない通りなどを、白や灰色を中心とした落ち着いた色彩で描きました。建物の壁に絵具を厚く重ね、独特の質感を生み出しているのも大きな特徴です。

美術商ポール・ギヨームはユトリロの作品を高く評価し、1922年には35点を集めた展覧会を開催しました。オランジュリー美術館にはユトリロの作品が10点所蔵され、モンマルトルの街並みや教会を描いた「白の時代」の作品を中心に見ることができます。

ベルリオーズの家
(La Maison de Berlioz)

モーリス・ユトリロ作 ベルリオーズの家(La Maison de Berlioz)

展示:地下2階1914年サイズ:91.5 × 121cm

「ベルリオーズの家」は、モンマルトルのサン・ヴァンサン通りとモン・スニ通りの角にあった建物を描いた作品です。この家には、フランスを代表する作曲家エクトル・ベルリオーズが1834年から1837年まで妻と暮らしていたことから、「ベルリオーズの家」と呼ばれていました。

さらに1911年には、ピカソとともにキュビスムを発展させた画家ジョルジュ・ブラックもこの建物にアトリエを構えています。ユトリロが描いたモンマルトルの何気ない建物ですが、当時の芸術家たちとの意外なつながりを持つ場所でもありました。

画面の大部分を占める建物は白を基調に描かれ、黒い輪郭線によって形が強調されています。さらに興味深いのが建物の描き方で、二つのファサードを異なる視点から同時に見せるように構成されています。オランジュリー美術館も、当時ピカソやブラックらが展開していた「分析的キュビスム」との近さを指摘しています。

また、画面右側には小さなフランス国旗が描かれています。これは1914年夏に第一次世界大戦が始まった後に加えられた可能性があり、ユトリロが作品に署名したのもこの頃と考えられています。なお、この「ベルリオーズの家」は第一次世界大戦中に取り壊され、現在は残っていません。

実際に鑑賞する際は、白く塗られた建物だけでなく、右側の小さなフランス国旗と、二方向から同時に見たような建物の形にも注目してみてください。一見すると静かな街角の風景ですが、ユトリロらしい白の表現と、当時の前衛絵画につながる構成の両方を楽しめる作品です。

サン=ピエール教会
(Église Saint-Pierre)

モーリス・ユトリロ作 サン=ピエール教会(Église Saint-Pierre)

展示:地下2階1914年サイズ:76 × 105cm

「サン=ピエール教会」は、モンマルトルの丘に建つ「サン=ピエール・ド・モンマルトル教会」を描いた作品です。この教会はサクレ・クール寺院のすぐ近くにあり、モンマルトルに現存する最も古い教会の一つとして知られています。

画面の手前にはサン=ピエール教会と周囲の建物が横長に配置され、その後方にはサクレ・クール寺院の大きなドームと鐘楼が姿を見せています。現在では世界中から観光客が集まる場所ですが、ユトリロは華やかな観光地としてではなく、静かな街の風景として描いています。

建物には白や灰色を中心とした淡い色彩が使われ、空の青や木々の緑も抑えられています。こうした白を基調とする街並みは、ユトリロの「白の時代」を代表する特徴の一つです。

また、人物は非常に小さく描かれ、画面の主役はあくまで教会と街並みです。人で賑わう現在のモンマルトルとは大きく異なり、20世紀初頭の静かなモンマルトルの雰囲気を感じられるのも本作の魅力です。

実際に鑑賞する際は、手前のサン=ピエール教会と、その後ろから見えるサクレ・クール寺院のドームに注目してみてください。現在のモンマルトルを訪れたことがある方なら、100年以上前の街並みとの違いを想像しながら見るのも面白い作品です。

クリニャンクール教会
(Église de Clignancourt)

モーリス・ユトリロ作 クリニャンクール教会(Église de Clignancourt)

展示:地下2階1913~1915年サイズ:73 × 100cm

「クリニャンクール教会」は、モンマルトル地区に建つ「ノートルダム・ド・クリニャンクール教会」を描いた作品です。教会は1859年から1863年にかけて建設され、ユトリロが生まれ育ったモンマルトルの身近な風景の一つでした。

ユトリロはこの教会に強い愛着を持っていたとされ、本作は母シュザンヌ・ヴァラドンのために描いた作品と考えられています。ヴァラドン自身も画家として活躍し、ユトリロが絵を描き始めるきっかけを作った重要な人物でした。

画面中央には教会の白い正面部分が大きく描かれ、その奥には鐘楼が伸びています。左右には規則正しく窓が並ぶ建物や街路が描かれ、教会を中心としてモンマルトルの街並みが広がっています。

白や灰色を中心とした建物に対して、画面右側には黄色く色づいた木が配置されています。全体として落ち着いた色彩でありながら、この小さな黄色がアクセントとなり、静かな街並みにわずかな温かさを加えています。

実際に鑑賞する際は、教会の白い壁だけでなく、左右の建物や街路、右側の黄色い木まで含めた画面全体のバランスに注目してみてください。「ベルリオーズの家」「サン=ピエール教会」と続けて見ることで、ユトリロが同じ白を使いながら、建物ごとに異なる表情を描き分けていることが分かります。

アンドレ・ドランの有名作品を解説

アンドレ・ドランは、20世紀初頭のフランス美術を代表する画家の一人です。若い頃にはアンリ・マティスらとともに、鮮やかな色彩を大胆に使う「フォーヴィスム」を牽引しましたが、その後は古典絵画にも強い関心を持ち、人物画や風景画など幅広い作品を制作しました。

ドランと美術商ポール・ギヨームの関係は非常に深く、第一次世界大戦後にはギヨームがドランの作品を積極的に紹介しました。現在のオランジュリー美術館にもドランの作品が多数収蔵されており、ウォルター=ギヨーム・コレクションを代表する画家の一人となっています。

オランジュリー美術館では、フォーヴィスムの画家というイメージだけでは分からない、ドランの人物画や風景画、肖像画まで幅広く見ることができます。

アルルカンとピエロ
(Arlequin et Pierrot)

アンドレ・ドラン作 アルルカンとピエロ(Arlequin et Pierrot)

展示:地下2階1924年頃サイズ:175 × 175cm

「アルルカンとピエロ」は、ドランが1924年頃に描いた大型作品です。画面左には色鮮やかな菱形模様の衣装を着た「アルルカン」、右には白い衣装を着た「ピエロ」が描かれています。

アルルカンとピエロはいずれも、16世紀頃のイタリアで発展した即興喜劇「コンメディア・デッラルテ」を代表する登場人物です。ピカソをはじめ多くの近代画家が題材としており、ドランも繰り返し描きました。

本作では二人が楽器を手にし、まるで踊るように片足を上げながら前へ進んでいます。しかし表情にはほとんど笑顔がなく、華やかな衣装とは対照的に、どこか静かで不思議な雰囲気が漂っています。

また、アルルカンの鮮やかな赤、黄、緑、黒の衣装に対して、ピエロはほぼ白一色。二人を並べることで色彩だけでなく人物の性格まで対照的に見せる構成になっています。背景を極端に単純化しているため、大きな二人の姿がより強く印象に残ります。

実際に鑑賞するとかなり大きな作品なので、最初は少し離れて二人の動きと色彩の対比を見て、その後に表情や衣装、手にした楽器を近くで見るのがおすすめです。写真以上に存在感があり、オランジュリー美術館のドラン作品の中でも特に目を引く一枚です。

大きな帽子をかぶったポール・ギヨーム夫人の肖像
(Portrait de Madame Paul Guillaume au grand chapeau)

アンドレ・ドラン作 大きな帽子をかぶったポール・ギヨーム夫人の肖像

展示:地下2階1928~1929年頃サイズ:92 × 73cm

「大きな帽子をかぶったポール・ギヨーム夫人の肖像」は、美術商ポール・ギヨームの妻ジュリエット・ラカーズ、通称「ドメニカ」を描いた肖像画です。ドメニカは後にジャン・ウォルターと再婚し、現在のオランジュリー美術館のコレクション形成に大きな役割を果たしました。

ドメニカは大きな帽子をかぶり、ゆったりとした白い衣服をまとって椅子に座っています。帽子の大きな円形が顔を囲むように配置され、明るい肌や衣服が暗い背景から浮かび上がっています。

同じドメニカを描いた作品は、本記事で紹介したマリー・ローランサンの「ポール・ギヨーム夫人の肖像」にもあります。ローランサンが淡いピンクやグレーを使って幻想的な女性像として描いたのに対し、ドランの作品では人物の存在感がより強く、同じモデルとは思えないほど印象が異なります。

また、ポール・ギヨーム自身がドランの重要な支援者だったことを考えると、この肖像画は単なる女性の肖像ではありません。画家ドラン、美術商ポール・ギヨーム、そして後にコレクションを引き継ぐドメニカという、オランジュリー美術館のコレクション形成に関わった人々の関係を伝える作品でもあります。

実際に鑑賞する際は、大きな帽子とドメニカの顔、白い衣服が作る大胆な構図に注目してみてください。また、ローランサンが描いたドメニカの肖像と見比べると、画家によって同じ人物の印象が大きく変わる面白さも味わえます。

大きな木(Le Grand Arbre)

アンドレ・ドラン作 大きな木(Le Grand Arbre)

展示:地下2階1929~1930年頃サイズ:92 × 116cm

「大きな木」は、ドランが1929~1930年頃に描いた風景画です。画面中央には巨大な木が立ち、太い幹から伸びる枝が画面いっぱいに広がっています。

若い頃のドランといえば、フォーヴィスム特有の鮮烈な赤や青、黄色を使った作品で知られています。しかし第一次世界大戦後は、古典絵画や過去の巨匠への関心を深め、より落ち着いた色彩と重厚な構成へと作風を変化させていきました。

本作でも、木々や草原は比較的自然に近い緑や茶色を中心に描かれています。一方で、中央の木は実際の風景以上に巨大に感じられ、太い幹と複雑に広がる枝によって、画面全体を支配するような存在になっています。

また、中央の大木から左右へ枝が大きく伸びる一方、その奥には細い木々や遠くの風景が見えています。こうした大小の木を重ねることで、平面的になりやすい画面の中に奥行きを作り出しています。

実際に鑑賞する際は、中央の太い幹から枝が画面の左右へどのように広がっているかに注目してみてください。「フォーヴィスムのドラン」というイメージとはかなり異なる、円熟期の落ち着いた風景表現を見ることができます。

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