清水寺を攻略 – 見どころ、所要時間、拝観料金【京都 観光情報】
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本記事では京都東山の世界遺産【清水寺】の「見どころ」「所要時間」「回り方」を中心に解説します。他にも、これから清水寺を観光する上で役立つ情報が満載です。
清水寺とは
京都 東山の観光名所「清水寺」は、宝亀9年(778年)に創建された京都随一の人気観光スポットです。
一般的には、切り立った崖上に建つ「清水の舞台」を有するお寺として広く知られ、大きな決断をする際に使う「清水の舞台から飛び降りる」と言うことわざは、誰もが一度は耳にした事があるのではないでしょうか。
音羽山の中腹に広がる清水寺の境内は13万㎡(東京ドームの3倍弱)の面積を有し、奈良時代の名品「十一面千手観音菩薩立像」を本尊として安置する国宝の「本堂」を筆頭に、「仁王門」「三重塔」「鐘楼」など15棟もの建物が国の重要文化財に登録されています。
敷地内には他にも「縁結びの神社」や、国の名勝に指定された「庭園」など、30以上もの見学スポットが点在しており見どころが満載です。
1994年(平成6年)には、古都京都の文化財としてユネスコの世界遺産にも登録され、今では世界を代表する観光スポットの一つとなっています。
清水寺の見どころを一覧形式で簡単に紹介
各スポットの詳細については本記事内の「清水寺の見どころを徹底解説」の項で解説しますが、まずは、清水寺の見どころを一覧形式でさっとご覧ください。
画像をクリックすると拡大し、「詳細解説へ」ボタンをクリックすると、そのスポットの詳細解説部に移動します。
- 仁王門
清水寺の南側にある正門「仁王門」は、誰もが最初に目にする見学ポイント。赤門とも呼ばれます。
- 西門
極楽浄土への入り口とされる門。徳川家光によって再建され、現在は重要文化財に指定されています。
- 鐘楼
鮮やかな装飾が目を引く桃山様式建築の「鐘楼」は平安時代の建造物。
- 三重塔
朱色の丹塗り装飾が美しい高さ約31mの三重塔。
- 随求堂(胎内めぐり)
菩薩の胎内に見立てた暗い地下を歩く「胎内めぐり」が体験できる人気スポット。
- 経堂
建物名は、仏教の経典をまとめた「一切経(現在は消失)」を所蔵していた事に由来。
- 開山堂(田村堂)
1633年に本堂と共に再建された重要文化財の建物。
- 朝倉堂
室町時代の大名「朝倉貞景(あさくらさだかげ)」の寄付により、1510年に創建された堂。
- 轟門
本堂の入口となる門で、徳川家光によって17世紀頃に再建。重要文化財にも指定されています。
- 本堂(清水寺の舞台)
敷地内最大の見どころ。清水寺の舞台として知られる「本堂」は国宝にも指定されています。
- 地主神社
大国主命(おおくにのぬしみこと)を主祭神に持ち、縁結びのスポットとして知られています。
- 阿弥陀堂
幅と奥行が約10mほどの堂で「阿弥陀如来坐像」や「法然上人像」が安置されています。
- 奥の院
院内奥には、本尊である「三面千手観世菩薩坐像(通常非公開)」が祀られています。
- 子安塔(こやすのとう)
聖武天皇と光明皇后が観音に安産を祈願し、子を授かった事を記念して建造された塔。
- 音羽の瀧
音羽山の湧水を源流とする「音羽の瀧」は、十大名水の中でも筆頭に挙げられています。
- 千体石仏群
日如来像など様々な仏像が1000体以上も並ぶインパクト抜群のスポット。
- 成就院
「月の庭」と呼ばれる美しい庭園は一見の価値あり。春・秋以外は非公開。
清水寺境内には重要文化財の建造物が15棟もありますが、建物内に入場できるのは、特別拝観期間を除くと、「本堂(舞台と回廊の一部のみ)」と「随求堂(胎内めぐり)」だけになります。また、拝観料が発生するのは「轟門」より先に進む際になるので、それ以前の見学ポイントに関しては拝観チケットなしで見学可能です。
清水寺 所要時間の目安とモデルコース
清水寺観光の所要時間の目安は50分〜60分ほどです。
上記の所要時間は、清水寺の本堂(清水寺の舞台)に入場し、それ以外のスポットは外観見学のみで、地図の黄色線のルートで回った場合の目安です。目抜き通りの清水坂を登って「清水寺」に到着すると、通常は西側の「仁王門」付近から見学を開始する形になります。
縁結びスポットの「地主神社」の敷地内をじっくりと見学したい方や「随求堂の胎内めぐり」に参加される方などは、所要70分〜90分ぐらいは想定しておいた方が良いと思います。
地図のルートを訪問スポット順に記したモデルコースが以下になります。
※ 各スポットの文字をクリックすると、イメージ画像が開きます。お勧めの見学箇所は赤字で表記しております。
- ↓① 仁王門
- ↓② 西門
- ↓③ 鐘楼
- ↓④ 三重塔
- ↓⑤ 随求堂(胎内めぐり)
- ↓⑥ 経堂
- ↓⑦ 開山堂(田村堂)
- ↓⑧ 朝倉堂
- ↓⑨ 轟門
- ↓⑩ 本堂(清水寺の舞台)
- ↓⑪ 地主神社
- ↓⑫ 阿弥陀堂
- ↓⑬ 奥の院
- ↓⑭ 子安塔
- ↓⑮ 音羽の瀧
上記以外の見学スポット
清水寺の見どころを徹底解説
前頃でも触れましたが、清水寺内には多くの見どころがあります。以下、清水寺の敷地内マップを再度ご覧ください。向かって左側が「北」になります。
以下より、清水寺境内の各見学ポイントについて詳しくご紹介致します。
仁王門
清水寺の南側にある正門「仁王門」は、誰もが最初に目にする見学ポイントで赤門とも呼ばれます。
重要文化財にも指定されているこの門は応仁の乱での消失を経て、室町時代に再建されたものです。
門の大きさは、幅約10m、奥行き約5m、高さ約14mあり、中には鎌倉時代に作られた木造の仁王像が2体祀られています。
門の手前左右には、大きく口を開いた「石造りの狛犬像」が2体置かれています。元々は金銅製でしたが、太平洋戦争時に日本政府に押収されてしまい、昭和19年に現在の石造りの狛犬(画像下)が置かれました。
一般的に狛犬像は、口を開いた「阿形(あぎょう)像」と、閉じた「吽形(うんぎょう)像」の2体が一対でおかれますが、何故か共に口を開けた狛犬像が置かれています。この事は清水寺7不思議の一つに数えられていますが、単に東大寺の狛犬を模したためであり、深い意味はない様です。
続いて門の造りに注目してみます。日本の門にはその造りや形態によっていくつかの種類があり、この「仁王門」は「楼門(ろうもん)」と呼ばれるタイプになります。楼門 は、1重目に縁を、最上部(2重目)に屋根を持つ2階建ての造りが特徴です。
「楼門」はよく「二重門」と混同されますが、二重門は、1重目と最上部(2重目)の両方に屋根を持つ2階建ての門になります。下画像は清水寺の門ではありませんが、「楼門」と「二重門」の比較として参考までにご覧ください。
西門(さいもん)
仁王門の右手後方にある「西門(さいもん)」は、重要文化財にも指定されている貴重な建造物です。後方には「三重塔」の頂部が顔を出しています。
現在の朱塗りが美しい門の姿は、焼失後の1631(寛永8)年に徳川家光によって再建されたもので、幅は約8.6m、奥行約3.9mの大きさがあります。
公式サイトによれば、「西門」は、極楽浄土への入り口の門であり、浄土を観想する日想観(にっそうかん)の聖所であるとされています。
日想観とは、西の空に沈む夕暮れの太陽を見つめ、朱く染まった空に極楽浄土を想う、時と場所を選ばないシンプルな修行法の事を言うそうです。西門は、遥か北側にそびえる「西山」の絶好の夕景鑑賞スポットとしても知られており、正に日想観に相応しい場所と言えます。
西門は基本的に閉じているので、向かって左側の「鐘楼」沿いの階段から登っていきます。
鐘楼(しょうろう)
西門の左手側には、鮮やかな装飾が特徴である桃山様式建築の「鐘楼」があります。同じく桃山様式の代表的な建造物としては、徳川家康公が眠る栃木県の「日光東照宮」が有名です。
平安期に建造されたと伝わるこの鐘楼は、江戸時代中期の1607年に現在の場所に再建・移築されました。柱や梁(はり)には、牡丹彫刻の懸魚や、菊花彫刻の蟇股、獏と象の木鼻などの装飾がほどこされています。
6本の柱が支える内部の梵鐘は重さ2トン以上もあるそうです。願阿弥により、1478年(文明10年)に鋳造されたものです。
三重塔
西門(さいもん)の後方(北側)に一際高くそびえるこの「三重塔」は、清水寺のシンボルとも言える建造物で、京都の街からでもその姿を望む事ができます。
847年に、桓武天皇の第12皇子「葛井親王」によって創建されたのが起源とされていますが、現在の姿は江戸時代の1632(寛永9)年に再建されたものです。
塔の高さは約31m程あり、三重塔としては日本最大級の大きさを誇ります。現在の朱色が見事な丹塗りの装飾は、1987(昭和62)年に行われた解体修理・修復の際にほどこされたものです。塔内には大日如来像が祀られ、四方の壁には真言八祖像、天井や柱には密教仏画や飛天・龍などの美しい彩色画が描かれています。
随求堂(ずいぐどう)と胎内めぐり
1718年に再建された「随求堂」には観音菩薩の化身であり、全ての願いをかなえるという「大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)」が本尊として祀られています。
堂内から階段を下ると、菩薩の胎内に見立てた暗い地下があり「胎内めぐり」と呼ばれる所要3〜5分程のアクティビティ(別途100円)に参加できます。
「胎内めぐり」は、真っ暗な地下を壁際の大きな数珠だけを頼りに巡り、大随求菩薩の梵字(はんじ)が刻まれた光る石を目指すというアクティビティで、最後にその石を回すと願いが叶うと言われています。参考までに「梵字(はんじ)」とは、神仏を一字で表す神聖な文字の事です。
胎内めぐりの敢行時間は「9:00~16:00」となっており、清水寺敷地内の拝観可能時間よりも短いので、参加予定の方はご注意ください。
経堂
三重塔の東隣に立つ「経堂」は、16世紀中期の創建と伝わりますが、はっきりとした事は分かっておらず、清水寺境内の当時の様子を描いた「清水寺参詣曼荼羅」にもその姿は確認されていません。
平安時代中期には、仏教の経典をまとめた「一切経」を所蔵していた事から、日本中から学問僧が集まる場所として一時代を築きました。残念ながらその「一切経」は現在失われています。
鏡天井の堂内中央には、絵師「岡村信基」が手掛けた墨絵の円龍が描かれ、奥の「須弥壇(図)」上には「釈迦三尊像」が祀られています。
建物の大きさは、正面幅16.35m、奥行10.65mあり「入母屋造(図)」の屋根は本瓦葺きで仕上げられています。参考までに「本瓦葺(ほんがわらぶき)」とは、屋根の上に平瓦と丸瓦を交互に敷いたもので、17世紀以前まで主流だった屋根作りの工法です。17世紀後半以降の瓦屋根では、軽量で平瓦と丸瓦が一体化した「桟瓦」を用いて仕上げる「桟瓦葺(さんがわらぶき)」が主流となりました。参考までに下画像は「本瓦葺」と「桟瓦葺」の比較画像です。
重要文化財にも指定されている現在の建物は、寛永10年(1633年)に再建されたもので、平成12年(2000年)には解体修理も行われました。
開山堂(田村堂)
重要文化財の「開山堂(田村堂)」は、1633(寛永10)年に本堂と共に再建された建物です。
建物は7.9m四方の正方形で「入母屋造(図)」の屋根は「檜皮葺(図)」で仕上げられています。
丹塗りの柱と屋根をつなぐ組み物は、朱や緑など五色で彩られています。
開山堂は、かつて国家にわざわいや災難があった際に、朝廷・公家・武家の祈祷・読経が行われてきた事から「本願院」とも呼ばれていました。
通常非公開の堂内には、室町時代に製作された木造の「延鎮の坐像」を筆頭に、清水寺の元祖である「行叡の坐像」、延鎮に清水寺の創建を託された「坂上田村麻呂夫妻の像」が「須弥壇(図)」上の厨子(ずし)にまつられています。
寺院を創始することを意味する「開山」と言う建物名も、清水寺の創建に関わった4人の像が祀られている事に因んでいます。
朝倉堂
朝倉堂は、天台宗の法華三昧の行を行う仏堂として、室町時代の大名「朝倉貞景(あさくらさだかげ)」の寄付により、永正7年(1510)年に創建されました。
朝倉貞景は父と共に、応仁の乱で焼失した清水寺再建に大きく貢献した人物として知られています。
現在の全面白木造の建物は焼失を経て、寛永10(1633)年に形作られたもので、平成25年(2013)年には、解体全面修復も行われました。
元々「朝倉堂」は、本堂と同じく傾斜面に建てられた懸け造りの建物でしたが、再建時に斜面を削って平な土地に建てられました。外観も今とは真逆で、色鮮やかな朱色をしていたそうです。
「入母屋造(図)」の屋根を持つ建物は、正面幅13.48m、奥行き7.5mの規模があります。
内部には、中国風様式(唐様)の厨子(ずし)が置かれ、本堂と同じく千手観音像を筆頭に三尊像が安置されています。参考までに「ずし」とは、仏像などを納める台や入れ物の事です。
朝倉堂は、国の重要文化財に指定されているだけでなく、洛陽三十三所観音霊の13番目に数えられています。
轟門(とどろきもん)
本堂の入口となる「轟門」は、徳川家光によって1631年〜1633年(寛永8~10年)にかけて再建されたもので、重要文化財にも指定されています。平成28年(2016年)には全面改修も行われました。
門の大きさは、幅8.75m、側面の長さは4.35mあり、左右両脇には檜で作られたニ天王像(持国天と広目天)が安置されています。
門の左手前にある大きな石造りの手水鉢は、台座の四隅に梟(ふくろう)が彫刻されている事から「梟の手水鉢(ふくろうのちょうずばち)」と呼ばれています。
【梟の手水鉢】
手水鉢(ちょうずばち)の上に見える「龍の彫刻」ですが、この像の口から流れる水も、台座の梟(ふくろう)の彫刻に因んで「梟の水」と呼ばれます。どう考えても、龍の水と呼んだ方がしっくりきますよね。この龍の彫刻は昭和25年に清水寺信徒総代の方より寄進されたものです。
また、門の前は水が流れていないにも関わらず橋が架かっている事から「清水寺七不思議」の一つに数えられていますが、これは橋の下が手水鉢の水路になっているためです。
本堂(清水の舞台)
国宝にも指定されている本堂の現在の姿は、1633年(寛永10年)の再建時に形造られたもので、それまで9度も焼失の憂き目にあい、その都度建物は再建されてきました。
屋根の4面それぞれが異方向に傾斜する寄棟造(よせむねづくり)が特徴的な本堂は、正面幅約36m、奥行き約30m、高さ18mの規模があり、全体で172本の柱が使用されています。京都盆地を一望できる張り出した舞台は190㎡の広さがあり、まるで自然と一体化している様です。
舞台の高さは、公式サイトによれば約13メートルあり、ビルの4階建てに相当するそうです。
屋根は、檜の樹皮を密に重ねて施工する日本古来の手法「檜皮葺(図)」で造られ、「反り起くり(そりむくり)」と呼ばれる独特の形状をしています。
「そりむくり」とは、「そり」と「むくり」と言われる両方の形状を有する屋根です。ちょっと分かりにくいですが、「そり」は屋根面の曲線中央が凹に、「むくり」は屋根面の曲線中央が凸の形状になっているもので、「そりむくり」はこの2つの形状を合わせ持つ屋根の事です。下の二条城の門の屋根が「反り起くり」の例として分かりやすいので参考にしてください。
【二条城の門】
「反り起くり(そりむくり)」は「照り起くり(てりむくり)」と呼ばれる事もありますが同義です。
本堂の特徴的な土台は、長短78本の柱と貫(ぬき)を組み合わせて築き上げた日本最大の「懸造(かけづくり)」です。
建物を垂直に支えている18本の束柱は、樹齢400年以上の欅(けやき)が使用され、最大直径(幅)75cm、長さは最大で12mあります。驚く事に釘は1本も使用されていないそうです。
参考までに懸造(かけづくり)とは、この清水寺の舞台の様に、高低差(段差)のある崖や岩の斜面に長い柱や貫(ぬき)を多用して床下を固定し、その上に建物を造る建築様式の事です。
本堂の全体構造を簡単に図にすると、以下の様な感じです。建物は大きく「礼堂」「内陣」「内々陣」の3つの空間で構成されています。
下画像もざっくりですが、本堂を上から見た平面図になります。
内々陣の奥には秘仏「十一面千手観音菩薩立像」が祀られ、それを守る様に二十八部衆が並んでいそうです。33年間に1度だけ限定公開される「十一面千手観音菩薩立像」の前回公開は2000年でしたので、次回の公開は2033年になると思います。
少し話はそれますが、寺院の信仰の対象として祀っている仏像などの事を「本尊」と言います。つまりこの本堂で言えば、本尊は「十一面千手観音菩薩立像」という事になります。同じ寺院内でも建物によって「本尊」は異なっており、本堂奥にある「奥の院」にも貴重な「本尊」が収められています。
「清水寺の舞台から飛び降りる」と言う有名な言葉ありますが、かつてはこの舞台から飛び降りれば願いが叶うと言う信仰があり、命懸けで舞台から飛び降りる人が後を絶ちませんでした。飛び降りて命が助かった方もいた様ですが、多くの人が命を落としたため、1872年(明治5年)に舞台からの飛び降りは禁止されました。
しかし、禁止後も飛び降りはなくならず、1900年頃までこの悪習は続きました。これは例え飛び降りて死んでも、極楽浄土にいって生まれ変わる事ができると信じる人がいたためです。
【出世大黒天】
本堂内の舞台近くに触れると仕事運や金運が上がると言われる「出世大黒天」が置かれています。
ここは人気スポットなので行列が出来ている事がありますが、ご利益を願う方は是非触れてみてください。この像の近くの売店で販売されている「出世大黒天のお守り」も可愛くてお土産などにもお勧めです。
縁結びスポット「地主神社(じしゅじんじゃ)」
清水寺の本堂を出てすぐ左手には、大国主命(おおくにのぬしみこと)を主祭神に持ち、縁結びのスポットとしても知られる「地主神社」があります。
この神社は、清水寺とは管理が異なる様で、公式サイトにも紹介がありません。とは言え、清水寺境内にあるので、清水寺の見学スポットの一つと考えてしまって良いと思います。
この地主神社の創建は清水寺よりも遥かに古く、日本建国以前まで遡ると言われています。
神社名の「地主」とは、土地の所有者ではなく、神社などに祀られる土地の由緒ある神の事で、仏教普及以前から存在する神であると伝えられています。
地主神社の境内にある一対の「恋占いの石」は、片方の石からもう片方の石へ目を閉じた状態でたどり着くことができれば恋が叶うとされ、誰かの手を借りれば、人のアドバイスを受けて恋が成就すると言われています。
この「恋占いの石」は近年の調査により、縄文時代の遺物であることが明らかになりました。
境内では、季節や月ごとに定期的な行事なども行われ、参加者は心を清めて不浄を心身から取り除くための神事を行います。
また、毎月第1日曜日に行われる「えんむすび地主祭り」に参加すると「開運こづち」 が無料贈呈されます。
本スポットに関する詳細は「地主神社 公式サイト」ページを参考にしてください。
阿弥陀堂(あみだどう)
本堂の後方(南側)に位置する重要文化財「阿弥陀堂」の現在の建物は、江戸時代初期の1631年に家光の寄進によって再建されたものです。
建物は幅と奥行が約10mほど、「入母屋造(図)」の屋根は、檜(ひのき)の皮を用いて施工する「檜皮葺(図)」で仕上げられています。阿弥陀堂の屋根は、長らく軽量で波型が特徴の「桟瓦葺(図)」でしたが、2000年代の修復により本堂と同じ現在の「檜皮葺」に変更されました。これは創建時の状態により近づけるためです。
参考までに「檜皮葺」と「桟瓦葺」の比較画像をご覧ください。17世紀後半ごろに開発された「桟瓦葺」の屋根は波型の外観と軽量さが特徴で、現代の瓦屋根にはほぼ「桟瓦葺き」が用いられています。
堂内の「須弥壇(図)」上には本尊として「阿弥陀如来坐像(画像下)」が祀られ、その向かって左手後方の厨子内には「法然上人像」が安置されています。
阿弥陀堂は、浄土宗の開祖「法然上人」が1188年(文治4年)に、90日間に渡り阿弥陀の名を唱えながら歩き続ける修行法「常行念仏」を日本で初めて行った場所として知られ、法然上人二十五霊場の第13番目札所にも数えられています。
奥の院
1633年に再建された「奥の院」は、本堂と同じく「檜皮葺(図)」の屋根と、「懸造(かけづくり)」の土台を持つのが特徴の建造物です。2017年には修復も完了し、その美しい姿を今にとどめています。
院内奥の内々陣には、この院の本尊である「三面千手観世菩薩坐像」が祀られています。「三面千手観世菩薩坐像」の高さは64.3cm、正面と左右に計3つの顔と42本の手を持ち、「慶派」の仏師が鎌倉初期に手がけた作品であると考えられています。鎌倉時代以前に作られた座像の千手観音像は非常に珍しく、2003年には国の重要文化財にも指定されています。
通常は非公開のこの本尊「三面千手観世菩薩坐像」ですが、2003年には1760年依頼、実に243年ぶりに開帳(一般公開)が行われました。
【ふれあい観音】
奥の院の礼堂の誰でも手軽に触れられる場所に「ふれ愛観音」と呼ばれる像があります。
像の高さは約61cmほどで、素材は金属の上に金泥(きんでい)塗りが施されています。この像に直接触れて祈願を行うと、願いが叶うと言われていますので、奥の院を見学の際は是非お試しください。ふれ愛観音は清水寺の信徒総代で仏師の西村公朝(にしむらこうちょう)によって造られ、清水寺に寄進されました。
子安塔(こやすのとう)
境内の東端にある「子安塔」の確かな起源は不明ですが、聖武天皇と光明皇后が観音に安産を祈願し、子(孝謙天皇)を授かった事を記念して建造されたと言われています。
そのため、塔の中に祀られる「子安観音(千手観音)像」は、安産にご利益がある観音として、長らく女性に信仰を集めてきました。
重要文化財にも登録されている現在の建物は1500年(明応9年)に建立されたもので、15mの高さがあります。
元々この塔は仁王門の前に建っていましたが、明治末の1911年に現在の場所に移設されたそうです。当時は朱塗りの外観が本堂の景観を損なうとされ、かなり不評であったと伝えられています。
音羽の瀧(おとわのたき)
音羽山からの湧水を源流とする「音羽の瀧」は、清水寺の開創の起源であり、寺名もこの瀧の清き水に由来とすると言われています。また、古来より「金色水」「延命水」と呼ばれ、日本の十大名水の中でも筆頭に挙げられています。
高さ約4mある三本の瀧はそれぞれに異なるご利益があり、向かって左から「学問上達の水」「恋愛成就の水」「延命長寿の水」と言われていますが、これは観光用の創作で根拠や由来はありません。
瀧が三筋ある意味に関しては、確かな事は分かっておらず、信仰すべき三宝(仏・法・僧)を表すなど諸説語られています。この瀧では、古来より伝わる「延命水」のご利益を願って、三筋いずれかの湧水を一口だけ飲むのが正しい作法の様です。二口以上飲むとご利益が下がると言われているのでご注意ください。
瀧の奥には、不動明王や行叡居士も祀られています。
千体石仏群(せんたいせきぶつぐん)
境内中央の西側、成城院の正面辺りに「千体石仏群(せんたいせきぶつぐん)」と呼ばれる、地蔵菩薩や観音菩薩、大日如来像など様々な仏像が1000体以上も並ぶ場所があります。
この場所には、明治維新の「廃仏毀釈運動(はいぶつきしゃくうんどう)」の際に行き場を失った石仏群が、信仰の強い市民によって運びこまれ供養されています。「廃仏毀釈運動」とは、寺院仏教を廃する事を目的に、寺院や仏像などを破棄する運動の事です。
成就院(じょうじゅいん)
本堂の北側奥に位置する「成就院」は「顔阿弥(がんあみ)」と言う僧が、文明年間(1469~1487)に建てた坊舎「本願院」が起源とされています。
参考までに「坊舎(ぼうしゃ)」とは、寺院内で僧が住む建物の事を言い、本院の創設者とされる「顔阿弥」は、兵火で焼失した清水寺を再建させた人物です。
現在の「成就院」の名で呼ばれる様になったのは、1639(寛永16)年に再建されてからの事で、それ以来長きに渡り清水寺の塔頭(小寺)として、伽藍整備や財政の維持管理などの役割を担ってきました。
面積14,700㎡ほどある「成就院の庭園」は、室町時代の絵師・建築家「相阿弥(そうあみ)」の作品であるとされ、のちに江戸時代の作庭家「小堀遠州(こぼりえんしゅう)」が補修したとも、俳人「松永貞徳(まつながていとく)」が補修したとも言われています。
「成就院の庭園」は、その美しさから「月の庭」とも呼ばれ、江戸初期を代表する池泉回遊式庭園(現在は鑑賞庭園)として、国の名勝に指定されています。
園内には、秀吉が寄贈したと伝わる「誰が袖手水鉢(たがそでちゅうすばち)」や「手鞠灯籠(てまりとうろう)」など、歴史的に貴重な工芸品が並んでいます。
残念ながら、本庭園は特別拝観期間(春・秋)以外は非公開となっています。
清水寺 観光の基本情報
本項では、清水寺の「営業時間」「拝観料金」「ロケーション・アクセス」などについて解説します。
営業時間・休園日
清水寺は年中無休で営業しています。開園時間は毎日午前6時からですが、閉園時間は時期によって異なります。詳しい営業スケジュールは以下の表にてご確認ください。
期間 | 営業時間 |
---|---|
1月1日 ~ 3月3日 | 6時 ~ 18時 |
3月4日 ~ 3月13日(東山花灯路協賛/春の夜間特別拝観) | 6時 ~ 21時30分(21:00受付終了) |
3月14日 ~3月25日 | 6時 ~ 18時 |
3月26日 ~ 4月3日(春の夜間特別拝観) | 6時 ~ 21時30分(21:00受付終了) |
4月4日 〜 6月30日 | 6時 ~ 18時 |
7月1日 〜 8月13日 | 6時 ~ 18時 |
8月14日 〜 8月16日(千日詣り/夏の夜間特別拝観) | 6時 ~ 21時30分(21:00受付終了) |
8月17日 〜 8月31日 | 6時 ~ 18時30分 |
9月1日 〜 11月17日 | 6時 ~ 18時 |
11月18日 〜 11月30日(秋の夜間特別拝観) | 6時 ~ 21時30分(21:00受付終了) |
12月1日 〜 12月31日 | 6時 ~ 18時 |
拝観料金(入場料金)
清水寺の本堂に入場して「清水寺の舞台」を見学するためには拝観チケットが必要となります。「拝観チケットの料金」は以下の通りです。団体割引等はありません。
- ・ 大人(高校生以上):400円
- ・ 小・中学生:200円
- ・ 未就学児:無料
以下に該当する方は、拝観料は無料となりますが、受付の際に身分証などの提示が必要となります。
- ・ 公式行事などで同行される教師の方
- ・ 障害者の付き添いの方
拝観チケット売場
拝観チケット売場は、境内の丁度中央辺り、開山堂の正面にあります。
売場付近は人混みが出来ているのですぐに分かると思います。本堂(清水寺の舞台)に入場する場合、もしくは本堂より先に進む場合は、この場所で拝観チケットの購入が必要になります。下画像は拝観チケット売場の景観です。
窓口は複数ありますが、どの窓口に並んでも問題ありません。
デザインは変更になっている場合がありますが、こちらが清水寺の拝観チケットになります。
地図の☆印の場所がチケット売り場になります。
本堂より前(本堂より西側)のエリアは「拝観チケット」なしで見学可能です。
ロケーション・アクセス
清水寺のロケーションと出発地別のアクセス方法をご紹介致します。
ロケーション
「清水寺」は、京都駅から約3kmほど東側に位置する「京都市東山区」内の観光スポットです。アクセスは《バス》+《徒歩》が王道で「五条坂」か「清水道」が最寄り停留所になります。
以下より出発地別のアクセス方法をご紹介します。
京都駅からのアクセス方法
■ 市バスと徒歩でアクセス
■ 料金:¥230
■トータル所要:30分〜40分
京都駅北口からバス系統【86 / 206 / 100 / 106】のいずれかに乗車、五条坂(または清水道)でバス下車後「清水寺」までは徒歩10分ほどです。京都駅から清水寺に行く場合は、市バスでのアクセスがお勧めです。
【京都駅のバス乗り場】
清水寺行きのバス乗り場は【D1】か【D2】乗り場から発着します。以下の京都駅北口周辺マップにて乗り場の位置をご確認ください。
乗り場のボードには、行き先の「清水寺」という文字もしっかりと表記されていますので、すぐに見つけられると思います。
地下鉄烏丸線 五条駅からのアクセス方法
■ バスと徒歩でアクセス
■ 料金:¥230
■ トータル所要:20分〜30分
地下鉄烏丸線「五条駅」の2番出口から地上に出て、駅北口付近の「烏丸五条 停留所」から、京坂バス系統【82】か、市バス系統【80】に乗車、五条坂でバス下車後「清水寺」までは徒歩10分ほどです。
河原町駅 - 河原町三条停留所からのアクセス方法
■ バスと徒歩でアクセス
■ 料金:¥230
■ トータル所要時間:20分〜30分
河原町三条停留所から市バス系統【70 / 84B / 86B / 87B / 88B / 92 / 93 / 95】のいずれかに乗車、もしくは京坂バス系統【82 ※土日のみ】に乗車、どのバスを利用した場合も、五条坂でバス下車後「清水寺」までは徒歩10分ほどです。
河原町駅 - 四条河原町停留所からのアクセス方法
■ バスと徒歩でアクセス
■ 料金:¥230
■ トータル所要時間:20分〜30分
河原町三条停留所から市バス系統【86 ※土日のみ / 207 】のいずれかに乗車、もしくは京坂バス系統【70 / 83A / 84 / 84B / 84C / 85 / 86 / 86A / 86B / 87 / 87B / 88 / 88C / 88B / 92 / 93 / 95】のいずれかに乗車、どのバスを利用した場合も、五条坂でバス下車後「清水寺」までは徒歩10分ほどです。
お勧めの訪問時期
京都の観光スポットは、どこも紅葉の景観が美しくお勧めの訪問タイミングですが、その中でも清水寺の紅葉の景観は一際美しくお勧めです。また、紅葉の景観にこそ劣りますが、桜の開花時期の清水寺の景観も中々の美しさです。
清水寺の歴史
清水寺の始まりを記した「清水寺縁起」によれば、奈良時代末期の778年(宝亀9年)に、大和の僧「賢心(けんしん)」が、「北へ清泉を求めて行け」と言う夢告を受け、山城国の「音羽山中」を訪れて庵(いおり)を結んだのが清水寺の起源とされています。
参考までに「賢心(けんしん)」とは、観音菩薩を本尊とする子島寺(奈良)で修行を積み、後に延鎮(えんちん)と改名した人物です。また《庵を結ぶ》とは粗末な仮小屋を作って住むことを言います。
「賢心」は、音羽山の滝下で修行する観音の化身「行叡(ぎょうえい)」に出会うと、授けられた霊木で「観音像」を彫り庵にまつります。
賢心が2年ほど修行を重ねた頃、妻の安産のために鹿狩りに訪れた「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」と音羽の瀧で出会います。
【坂上田村麻呂】
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坂上田村麻呂は後に征夷大将軍として活躍する人物で、この時「賢心」に無益な殺生を行う事を戒められ、妻と共に観音に帰依(きえ)します。《帰依》とはある教え(主に仏教や仏)に沿って生きていく事を言います。
その後、坂上田村麻呂夫妻は、私邸の御殿を寄進し、音羽の瀧の北側の崖に清水寺の仏堂を創建。四年後の延暦17年(798年)には、賢心と協力して金色の「本尊十一面千手観音像」と、脇侍の「地蔵菩薩」「毘沙門天」を作り、増改築した本堂に安置しました。そして、この場所を音羽の瀧の清らかな水にちなんで「清水寺」と名付けました。
清水寺は創建以来、紛争や天災により幾度もの焼失と再建を繰り返してきました。
特に応仁の乱の際の被害は甚大で、境内の建物は全焼の憂き目に合いますが、「願阿上人(がんあじょうにん)」と勧進聖(かんじんひじり)らの活躍により再建されました。清水寺の歴史を今に伝える「清水寺縁起絵巻」や「参詣曼荼羅(画像下)」などもこの時期に製作され、全国に清水寺信仰が広がっていきました。
【参詣曼荼羅】
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清水寺には多くの戦国大名も信仰を寄せた歴史があり、「朝倉貞影」「武田信玄」「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家光」などが代表的な人物として挙げられます。
現在見る事ができる境内の多くの建物も、「江戸時代の大火(1629年)」を乗り越えて、1631年〜1633年に「徳川家光」の寄進で再建されたものです。以来、清水寺は改修や修復を繰り返しながらも、その美しい姿を現在にとどめています。
清水寺近隣の観光スポット
本項では、清水寺周辺にある観光スポットをご紹介します。
清水坂
清水寺の入口となる「仁王門」へと通じる周辺随一の目抜き通りです。ほとんどの方がこの坂道を通って清水寺にアクセスします。
常に観光客の往来で混雑していますが、坂道沿いにはびっしりと土産物店や飲食店が並び、歩いているだけでも楽しめる場所です。昼時の飲食店はどこも混雑するので、ご当地グルメやスイーツの食べ歩きスタイルがお勧めです。
産寧坂(三年坂)
清水寺周辺の人気観光スポットの一つである「産寧坂(三年坂)」は、二年坂の終点から、目抜き通りの「清水坂」までを結ぶ石畳の坂道の事です。
このやや急勾配な坂道には、京都らしい風情が残り、明治時代以降に建てられた建物や、茶店、伝統工芸品店などが軒を連ねています。
産寧の名は、子安観音への安産祈願の参拝道であったから、あるいは大同3年にこの道が開かれたからなど諸説語られています。
かつて、この坂で転ぶと3年のうちに死ぬという言い伝えがあったそうです。
ニ寧坂(ニ年坂)
清水寺西口の入口付近から北西方向に徒歩10分ほど離れた場所に「二寧坂(にねいざか)」または「二年坂(にねんざか)」とも呼ばれる坂があります。
二寧坂は、産寧坂の先から高台寺方面へ下るゆるやかな坂道の事で、大正時代に画家「竹久夢ニ」が恋人「彦乃」と暮らしていた事でも知られています。
ニ寧坂には、落ち着いた京都らしい情緒ある景観が広がり、道沿いには甘味処や老舗雑貨店が並んでいます。中でも、夢ニ氏が通っていたという「かさぎ屋」は、食べログでも高評価の人気甘味処になっています。
坂名の由来は、三年坂に連なる坂であるためや、大同2年(807年)に開かれた場所であるためなど、諸説語られています。
八坂塔
東山のシンボルでもある高さ46mの「八坂塔」は、聖徳太子によって建立されたと伝わる五重の塔です。
重要文化財にも指定されているこの塔は、臨済宗建仁寺派のお寺「法観寺(ほうかんじ)」の敷地内にある建造物で、正式名称は「法観寺五重塔」と言います。
現在の塔の姿は幾度かの焼失を経て、15世紀に室町6代将軍「足利義敦」によって再建されたもので、塔内には本尊として「五智如来(大日・釈迦・阿弥陀・宝生・阿閦)」がまつられています。塔内は通常非公開で、不定期に公開が行われています。
八坂の塔以外にも、法観寺の境内には、京都市指定有形文化財の「薬師堂」や「太子堂」など歴史的に貴重な建造物が残されています。
定休日 | 不定休 |
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開催時間・営業時間 | 10時~15時 |
料金 | 中学生以上:400円(小学生以下は入場不可) |
住所 | 〒605-0827 京都市東山区八坂上町388 |
高台寺
清水寺の西側入口付近から北側に850mほど離れた観光スポット「高台寺」は、豊臣秀吉の正妻「北政所(きたのまんどころ)」が1605年に創建した寺院です。
北政所は「ねね」言う呼び名でも知られ、この寺院境内の「化粧御殿」を、1624年に76才でこの世を去るまで住まいとしていました。
境内には「表門」「開山堂」「霊屋(おたまや)」「観月台」「茶室 時雨亭」など、20箇所以上の見学ポイントが存在しています。
定休日 | 無休 |
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開催時間・営業時間 | 9時~17時30分(17時 受付終了) |
料金 |
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住所 | 〒605-0825 京都市東山区高台寺下河原町526番地 |
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