プラハ城を攻略 – 見どころ、所要時間、見学コース、歴史
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本記事ではプラハ城内の「見どころ」を中心に解説します。他にも「見学の所要時間」や「王道の見学ルート」の紹介など、プラハ城観光に役立つ情報が満載です。記事の後半では、プラハ城の歴史も紹介しております。
プラハ城内の見どころを一覧形式で簡単に紹介
各スポットの詳細については「プラハ城内の見どころを徹底解説」の項で詳細に解説しますが、まずは、城内の見どころを一覧形式でご覧ください。現在、城内には大きく6箇所の見どころが存在しています。
画像をクリックすると拡大し、「詳細解説へ」ボタンをクリックすると、そのスポットの詳細解説部に移動します。
- 聖ヴィート大聖堂
城内最大の見どころであるゴシック様式の大聖堂。聖堂内部を飾る「アルフォンス・ミュシャ」作のステンドグラスは息を飲むほど美しいです。
- 聖イジー教会
二つの白い尖塔が印象的な城内最古の教会。聖ヴィート大聖堂につぐ必見観光ポイント。
- 旧王宮
16世紀まで歴代の王宮として使用されていた旧王宮。幾何学的に連なるアーチの天井が特徴的な「ヴラディスラフ・ホール」は必見。
- 黄金小路
色取り取り小さな家が並ぶメルヘンな路地。作家のカフカが実際に仕事場として使用していた建物もあります。
- 大聖堂付属大南塔
高さ99.6Mある南塔。展望フロアから眺めるプラハ城やプラハ市街の景観は絶景です。
- 常設展 プラハ城歴史物語
プラハ城の数千年に渡る歴史に関する展示を中心に、上映スペースなど併設しています。
プラハ城 所要時間と見学コース
プラハ城観光の一般的な見学所要時間の目安は「所要3時間〜3時間30分」ほどです。
上記の所要時間は、通常の「プラハ城周遊チケット(Prague Castle - Circuit)」で入場できる4施設「I 旧王宮」「III 聖イジー教会」「V 黄金の小道」「VIII 聖ヴィート大聖堂」を一般的なペースで回った場合の目安です。
また、夏場などのピークシーズンはチケット購入に行列ができる可能性もありますので、事前に「プラハ:プラハ城 優先入場券」ページなどから購入しておくとスムーズです。正規料金で日本語ページから購入できる上、24時間前まで無料キャンセル可能です。
プラハ城内の見学コース
見学順序は西側の正門から入場し、城内で最も混雑するスポット「聖ヴィート大聖堂」を朝一番の9時少し前に訪問するのがお勧めです。その後、次に混雑が予想される「聖イジー教会」を観光し、「旧王宮」「黄金小路」の順で観光するのが効率的です。
【プラハ城内の王道見学コース】
聖ヴィート大聖堂
所要目安:45分〜1時間
聖イジー教会
所要目安:25分〜30分
旧王宮
所要目安:30分〜40分
黄金小路
所要目安:20分〜30分
メイン4スポットの見学時間に、中庭や建物の外観の見学時間、移動や休憩時間などを含めた総観光時間が「3時間〜3時間30分」ほどになります。冬のオフシーズンで混雑が緩やかな場合などは、さっと回れば、所要1時間〜2時間ぐらいでも見学は可能だと思います。
各見学ポイントの位置関係も城内マップでご確認ください。見学は西側の正門からスタートし、旧市街に戻る場合は、東門から敷地外に出ると効率が良いです。
参考までに赤い×がついている見学ポイントは、以前までは入場可能だったスポットですが、何らかの理由で現在は見学不可となっています。小さい文字で記した「ロブコヴィツ宮殿」「ダリボルカ塔」「黒塔」などは外観だけの見学ポイントなので、無理に見学する必要はありません。
個人的には通常のチケットで観光できる4スポット「I 旧王宮」「III 聖イジー教会」「V 黄金の小道」「VIII 聖ヴィート大聖堂」に加えて「X 大聖堂付属南塔 – 展望塔(南塔)」のチケットも別途で購入し、高台から敷地内を一望するのもお勧めです。その場合、所要時間プラス30分〜40分ぐらいになると思います。「Ⅱ プラハ城歴史物語」に関しては、プラハ城の歴史に余程興味がない限りは見学する必要はないと思います。
プラハ城内の見どころを徹底解説
城内地図を見て頂くと分かりますが、見どころの多くは第3中庭とその先(東側)に集中しております。
以下より、各スポットの見どころを紹介していきます。
聖ヴィート大聖堂
プラハ城観光の一番の見所である「聖ヴィート大聖堂」は、プラハ城内で最大の建造物です。大聖堂の大きさは、奥行き124m、幅60m、高さは96.6mを誇り、城内の一箇所から外観を眺めるだけでは、とても建物の全容を把握する事はできません。見る角度によって全く別の建物に見えます。
西側ファサード(大聖堂入口)
正門からプラハ城に入場し、第2中庭を抜けて第3中庭に入るとすぐに、聖ヴィート大聖堂の西側ファサードが圧倒的な存在感でそびえ立っています。多くの方が大聖堂で最初に目にするのが、この聖堂正面にあたる「西ファサード」です。聖堂内部へもここから入場します。
南側ファサードと黄金の門
正面ファサードから、大聖堂を左手に建物に沿って歩いて行くと、第3中庭に出ます。この中庭では、大聖堂の「南ファサード」を望む事ができます。南ファサードは聖ヴィート大聖堂の側面側にあたり、バロック様式のクーポラが特徴的な南塔が一際目を引きます。
南ファサード側には、「黄金の門」や「最後の審判のモザイク画」など、多くの見どころがあります。是非、建物の全容だけでなく壁面の彫刻やモザイク画にも目を凝らしてみてください。
こちらが南ファサードの「黄金の門」と、その上部に描かれたモザイク画「最後の審判」です。
大聖堂内部
聖ヴィート大聖堂内部の大きさは、全長124m、高さ33m、中央身廊と両脇の側廊を合わせた聖堂の最大幅は約60mもあります。
聖堂に入る誰もが、高さ33mという数字以上に高く感じる吹き抜けの天井に、上を仰ぎ見ずにはいられないと思います。そして、アーチ状の天井に目を凝らしてみると、網状にリブ(助骨)が張り巡らされているのが分かります。
このリブによって天井を支える「ヴォ―ルト」という構造は、14世紀当時のヨーロッパにおける最先端技術で、ドイツ人の建築家「ペーター・パーラー」によって設計されました。
アルフォンス・ムハのステンドグラス
聖ヴィート大聖堂の内部には後陣の大窓をはじめ、左右側廊の壁面に至るまで美しいステンドグラスが並んでいます。ステンドグラスの中でも代表的な作品が、聖堂の入口から見て3番目に飾られている「アルフォンス・ムハ(ミュシャ)」が制作した「聖キリルと聖メトディウス」です。このステンドグラスはチェコ芸術の最高傑作と言われています。
営業時間 | 【11月1日〜3月31日】
【4月1日〜10月31日】
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関連記事 | 聖ヴィート大聖堂 ステンドグラスなどの見どころから観光情報まで徹底解説 |
聖イジー教会
聖イジー教会は、外観の高さ約40mあるアプス(壁面に穿たれた半円形)と、二つの白い尖塔が非常に特徴的な教会です。また、教会内部の後塵に描かれたフレスコ画や、そこに伸びるバロック調の階段、聖ヤン・ネポムツキ―の礼拝堂など多くの見どころがあります。聖イジー教会は城内最古の教会で、聖ヴィート大聖堂につぐプラハ城内の必見観光ポイントです。
聖イジー教会の西側ファサードは14世紀にペーター・パーラーによって制作されました。向かって右側の幅の広い尖塔は「アダム」、左側の幅の狭い尖塔は「イヴ」と名付けられています。
建物に向かって右側の礼拝堂には、聖ルドミラの聖遺物が納められています。
教会ファサード上部は、龍退治で有名な「聖ゲオルク(聖イジー)」のレリーフで飾られています。ゲオルクは303年に殉教した守護聖人です。
営業時間 | 【11月1日〜3月31日】
【4月1日〜10月31日】
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関連記事 | 聖イジー教会 見どころと基本情報 |
旧王宮
旧王宮には、アーチ天井の吹き抜け空間が特徴の「ヴラディスラフ・ホール」や、かつて政治を行う場所として使用された「国会議場」、天井の紋章が印象的な「新国事録の間」など多くの見どころがあります。
旧王宮の建物自体は9世紀から10世紀にかけて建築され、材料のほとんどに木材が使用されました。その後、12世紀にソビェスラフ王によって初めて王宮として使用されたと言われています。そして、14世紀の半ばには「カール4世」によって拡張され、その後16世紀まで歴代王宮として使用されました。
【ヴラディスラフ・ホール】
ヴラディスラフ・ホールは、長さ62m、幅16m、高さ13mの大きさをほこる旧王宮最大の部屋です。完成した16世紀当時はヨーロッパで最大の部屋でした。カレル1世の死後、城の建設を引き継いだ王の名から「ヴラディスラフ・ホール」と呼ばれました。このホールの中には柱が一本もなく、幾何学的に連なるアーチの天井が大きな空間を支えています。
これは16世紀初頭の建築技術としてはかなり優れたもので、後のゴシック建設に大きな影響を与えました。このホールは馬に乗った騎士たちが室内競技を行ったり、戴冠式など国家的行事に使用されました。1934年からは大統領選挙も行われています。
営業時間 | 【11月1日〜3月31日】
【4月1日〜10月31日】
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関連記事 | 旧王宮(プラハ城)の入場料金・営業時間などの観光情報ページ |
黄金小路
黄金小路はわずか数100mの古い路地で、城内東側の外壁を増築する際に整備されました。狭い路地には、色彩豊かな古い住居が立ち並び、城内随一のインスタ映えスポットとなっています。
各住居は入場も可能で、当時の暮らしぶりを見学できるほか、お土産や職人が作った品々、書籍、雑貨などの販売も行われています。中世の鎧や織物の展示スペースや、石弓の射的が体験できるスペースなどもあります。
フランツ・カフカの仕事場
黄金小路で最も有名な建物が、入り口に22とかかれた青い家です。この家はチェコの作家「フランツ・カフカ」が仕事場として一年ほど利用していました。観光客の定番の記念撮影スポットとなっています。
ダリボルカ塔
黄金の小路の突き当たりにある12番の家の階段を下ると、ダリボルカ塔呼ばれる塔があります。この塔は中世時代に牢獄として使われていた場所で、塔の名前である「ダリボルカ」は最初の囚人となって首を切られた、騎士ダリボル氏の名前に由来しています。
営業時間 | 【11月1日〜3月31日】
【4月1日〜10月31日】
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関連記事 | 黄金小路(プラハ城内)の見どころと基本情報 |
大聖堂付属南塔
意外と知られていませんが、聖ヴィート大聖堂の高さ99.6Mある南塔には、56mの位置まで登る事ができます。ちょっときついですが287段の階段を登ると、高さ56mの位置からプラハ城内やプラハ市内を眺める事ができます。聖ヴィート大聖堂自体がプラハ市街の高台にあるため、旧市街を見下ろす景観は中々の迫力です。
南塔からは聖ヴィート大聖堂の尖塔や屋根なども間近で見る事ができるので、苦労して階段を登るだけの価値はあると思います。時間があれば是非登って見てください。
営業時間 | 【11月1日〜3月31日】
【4月1日〜10月31日】
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関連記事 | 南塔(聖ヴィート大聖堂 )からの景色と入場ガイド |
プラハ城歴史物語 (The Story of Prague Castle)
プラハ城の第3中庭に面し、旧王宮入口の左側に位置しているのが「プラハ城歴史物語」です。「プラハ城歴史物語」では、プラハ城の数千年に渡る歴史に関連した展示を行っています。
内部は20の展示セクションと、二つのルートで分けられています。ルートはそれぞれ、ブルールートとイエロールートがあり、各ルートに沿って見学していく事で、歴史の時系列にそって見学する事ができます。もちろん絶対にルートに沿って見学する必要はないので、見学ルートは自由です。
館内は非常に広く、展示品も、王冠や、民族衣装、寝巻き、絵画、アクセサリーから、教会の壁まで、多岐に渡ります。
本気で見学すると、1時間あっても足りないので、プラハ城の歴史に興味があって、時間に余裕がある方はお立ち寄りください。
参考までに、通常の「プラハ城周遊チケット」では入場できないので、別途でこのスポット単体の入場チケットが必要になります。
営業時間 | 【11月1日〜3月31日】
【4月1日〜10月31日】
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関連記事 | 【プラハ城歴史物語 (The Story of Prague Castle)】プラハ城に関する常設展示 |
プラハ城 その他の見学ポイント
プラハ城内には、ガイドブックや見学マップなどに記されている以外にも、見逃せない見学ポイントや歴史的建造物、芸術作品などが数多く存在しています。以下より、いくつかをピックアップしてご紹介致します。
フラッチャニ広場とビュースポット
プラハ城の最も一般的な入場口である正門は「フラッチャ二広場」の東側に面しています。フラッチャ二広場の西側には1726年に建てられたペストの記念柱(写真下)が立ち、広場の周囲を複数の宮殿が取り囲んでいます。2009年の4月には、この広場を埋め尽くす群集の前で「オバマ大統領」が演説を行い、核のない世界を目指す「プラハ演説」を行いました。
ペストの紀念柱の後ろにそびえる「トスカノ宮殿」は、17世紀末に初期バロック様式で建設されました。丁度プラハ城正門の反対側に位置しています。
広場の北側、正門に向かって左手に立つ「大司教宮殿」。最初にこの宮殿が建設された時はルネサンス様式の邸宅でしたが1600年頃に拡張され、17世紀後半には現在のバロック様式の建物に改装されました。
広場の南側のビューポイントからはプラハの街並みを一望する事ができます。
天気の良い日は、かなり遠くの建物まで視界に捉える事ができます。
正門と2体の闘う巨人像
フラッチャ二広場の東側に面する「正門」に目を向けて見ると、門の両脇の角柱の上に「闘う巨人像」と呼ばれる二体の像が置かれています。
これらの彫像は1770年から1771年にかけて彫刻家「イグナーツ・ブラツェル」によって制作されました。更にこの巨人城の左右には、ハプスブルク家の象徴である「鷲の象」や、ボヘミア王家の象徴である「ライオンの象」、更に「キューピット象」なども置かれています。これらの象は元々は砂岩で出来ていましたが、風や雨によるダメージによって、20世紀初頭に複製に造りかえられました。
正門は別名「巨人の門」と呼ばれる事があります。これは門に置かれた2体の闘う巨人像にちなんだ呼び名です。
下の写真の場所は正門左側の入場口です。以前は正門から入場できましたが、テロの警戒などでセキュリティチェックが強化されると、正門から入場できなくなる時があります。
衛兵の交代式
正門の両脇には常に衛兵が二人立っています。毎日午前5時から午後11時までの間、1時間ごとに衛兵の交代式が行われます。正午の交代式は盛大で、ファンファレーに合わせて旗の交換も行われます。
衛兵は常に直立不動です。陽がまぶしい時はサングラスを掛けています。
サングラスをかけていない衛兵です。制服で身を固めてシュッとしてますね。
こちらは別の日に撮影した衛兵です。銃は常に右側に携帯してますね。
更に別の日に撮影した衛兵です。制服が違いますね。制服は1989年に有名デザイナー「ピーセック」によってデザインされたそうです。
正午の衛兵の交代式中は、正門に人だかりができます。この間は正門からの出入りが一切できなくなりますのでご注意ください。
第1中庭とマチアス門
正門から入場するとプラハ城の第1の中庭に出ます。かつてこの第1中庭は単なる深い掘があるだけの場所でした。そのため昔はここに橋が架かっており、橋の上を歩いて第1中庭を渡っていました。
現在の第1の中庭の楚はハプスブルク家の統治時代(1763年~1771年)に造られたものです。マリーアントワネットの母でもあるマリア・テレジアが宮廷建築家に掘りを埋める様に命じ、そこに巨大な広場の建造をスタートさせました。これを切っ掛けに単なる防壁の要塞だった建物が、広大な皇帝の居城として生まれ変わっていきました。
第1中庭の奥に堂々とそびえるのが「マチアスの門」と呼ばれる17世紀に造られた門です。マチアス門は初期のバロック様式の影響を強く受けた典型的なバロックの建造物で、1619年に亡くなった皇帝「マチアス」の名に因んで名づけられました。また、門の両脇に立つ高さ25mの旗竿は一本のモミの木から造られました。
マチアス門の上部にはマチアス皇帝の称号と紋章、更にその下には支配下の国の紋章が刻まれています。このマチアス門をくぐると第二の中庭に出る事ができます。
第2中庭
第2中庭は第1中庭よりも古く、15世紀頃に形づくられました。第2中庭も第1中庭と同様に掘りを埋め立てて建設されました。当時は建築様式がバラバラでしたが、18世紀に改修工事が行われ全体的に様式が統一されました。
広場中央のバロック様式の噴水は1687年に神話をテーマにして建設されました。
噴水の近くにある井戸は長い間、この場所に水をもたらす貴重な役割を担っていました。現在の鳥かごの様な鉄格子は18世紀につけられたものです。
第2中庭の南東には1758年〜1763年にかけて建設された聖十字架礼拝堂があります。ここには聖ヴィート大聖堂にまつわる貴重な宝物が保管されており「聖ヴィート大聖堂宝飾展」という常設展が行われています。以前まで「聖ヴィート大聖堂宝飾展」には「プラハ城 Cコース」というチケットで入場する事ができましたが、現在このチケット自体の販売がなくなっています。「聖ヴィート大聖堂宝飾展」の案内も公式HPからは削除されており、閉鎖中か改装中の可能性があります。
第2中庭には、他にもチケットが購入できる「インフォーメーションセンター」や「ギフトショップ」「旧王宮美術館(現在閉鎖中の可能性あり)」などがあります。
▲第2中庭のインフォーメーションセンターはいつも混雑しています。
▲旧王宮美術館(現在閉鎖中の可能性あり)の入口。この中のチケット売り場は比較的空いている事が多いです。
第3中庭
プラハ城の観光はこの第3中庭からが本番です。第3中庭に入ると一際高くそびえる「聖ヴィート大聖堂」の西側のファサードが圧倒的な存在感でそびえ立っています。
広場の南側の建物は現在も大統領府(執務室)として使用されています。大統領が在館の時はポールにチェコの国旗が立ちます。
この建物はスロヴェニアの建築家「ヨジェ・プレチニック」によって20世紀に設計されたもので、1989年にハヴェル大統領が就任した時に新たに整備されて以来現在も使用されています。ハヴェル大統領は1989年〜1992年のチェコスロバキア時代の大統領で、チェコ共和国の初代大統領でもあります。
大統領府を守る様に立つ守護聖人「ゲオギウスの像」。こちらは複製で、14世紀に造られたオリジナルの騎馬像は王宮内部に保存されています。
広場の西側には花コウ岩のオベリスクが立っています。このオベリスクは中世の建造物が立ち並ぶプラハ城内では比較的近代的な物で、第二次世界大戦の戦死者を弔うために建てられました。
第3中庭の東側には「常設展 プラハ城歴史物語」と「旧王宮」の入口もありここから入場可能です。
▲常設展 プラハ城歴史物語の入口
▲旧王宮の入口
この第3中庭を聖ヴィート大聖堂を左手に進んだ先に「聖イジー教会」や「黄金小路」などがあります。
黒塔
プラハ城の東側の一番奥、東門の上にそびえ立っている赤い屋根の塔が「黒塔」です。かつて黒塔は黄金の塔と呼ばれ、カレル4世の統治時代には金塗りの屋根が輝いていました。
しかし、1541年の火災で一部が焼失し金塗り部分も取り除かれてしまいました。以後、この塔は黒塔と呼ばれています。黒塔は長い間、城の司令官の邸宅や受刑者の牢獄として使用されていました。
プラハ城の歴史
プラハ城は、かつてはボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城だった場所です。9世紀後半にボヘミア王国を建国したプシェミスル家が、丘の上の高台に城塞を築いたのが起源です。
以来、この城には歴代の国王が暮らし、城内には王宮や聖堂などが建設され、敷地内は徐々に整備・拡張されていきました。しかし、その後の四百年は、王家が衰退の一途を辿り、プラハ城も徐々に荒廃していきます。
プラハ城に再び転機が訪れたのは、14世紀の「カレル1世」の時代の事です。「カレル1世」が、カール4世として神聖ローマ皇帝を奪還し首都をプラハに移すと、カレル橋や大学の建設をはじめ、近代化に向けた街づくりを邁進していきます。「カレル1世」には、プラハをローマやコンスタンティノーブルに負けない都市にしたいという大きな野望がありました。
そして、フランスやイタリアから一流の技術者や芸術家を呼び寄せると、プラハ城の大々的な改修を開始します。世界屈指のスケールと優美さを誇るプラハ城は、完成まで実に六百年もの歳月を費やしました。
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