【ドブロブニク】城壁めぐりの観光情報(営業時間・入場料金・入場口・所要時間)
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ドブロブニクドブロブニクで、絶対に外せないアクティビティが「城壁巡り」で、この城壁巡りをせずして、ドブロブニクへ来たとは言えません。
旧市街を囲む全長2Kmの城壁は厚さが6m、壁の高さも平均して24mもあり、城壁の上からは、旧市街とアドリア海、更にその先の島々も一望する事ができます。
そのため、その絶景を一目見ようとドブロブニクを訪れた多くの旅行者が、この城壁を訪れ、2016年8月には、1日1万人もの旅行者が城壁を訪れました。現在はわかりませんが、これが当時の最高記録だったそうです。
本記事では、ドブロブニクの城壁めぐりをお考えの方に向けて、営業時間やチケット料金などの基本情報はもちろん、おすすめの観光時間帯や城壁からの景観まで徹底解説致します。
ドブロブニク城壁巡りの基本情報
■チケットと入場料金
チケットは現金かクレジットカードで購入可能ですが、ユーロは使用できません。また、ドブロブニクカードがあれば、カード提示で無料入場できます。
- ・大人:150 Kn
- ・子供(5-18):50 Kn
■チケット売り場
城壁のチケット売り場は、ピレ門から旧市街に入場してすぐ横にあります。
しかし、冬のオフシーズンなどは、チケット売り場が無人となる場合があります。その場合は、ピレ門横の入場口から階段を登って行くと、階段の途中の左手にチケット売り場があります。
■所要時間
- ・快速モード:15分(基本立ち止まらず、早足気味)
- ・通常モード:45分〜60分(通常はこのぐらいです。写真も撮りながら普通に歩く)
- ・本気モード:90分〜120分(徹底的にあらゆる角度から写真をとる。)
■営業時間
- ・1月〜3月:10時〜15時
- ・4月〜5月:8時〜18時30分
- ・6月〜7月:8時〜19時30分
- ・8月〜9月:8時〜18時30分
- ・10月:8時〜17時30分
- ・10月〜12月:8時〜15時
■おすすめの観光時間帯
城壁めぐりは、可能なら混雑する時間帯は避け、朝一番か、ツアー客などが帰る夕方過ぎから、城壁めぐりをスタートするのがお勧めです。
ただ、城壁で一番の絶景ポイントであるミンチェッタ要塞に着いた時に、逆光だと綺麗な写真が撮れないので、写真にこだわる方は、混雑よりもその辺を考慮した方が良いかも知れません。
時期によって逆光の時間帯は変わるので、太陽の位置を見つつ、上手くタイミングを合わしてください。
■注意点
城壁めぐりの途中には、チケットの検問があり、そこで再びチケットを提示する必要があります。チケットは必ず購入の上で、無くさない様にご注意ください。また、一度城壁を下りると再入場はできません。
城壁の入口は、ピレ門近くの入場口がオススメ
城壁の入り口は「ピレ門」「プロチェ門」「聖イヴァン要塞近く」の三つありますが、基本的には「ピレ門」近くの入り口が場所的には最も分かりやすいのでオススメです。オノフリオの噴水を背にして正面が「ピレ門」近くの「城壁の入り口」です。
「ピレ門」近くの入場口から入場すれば、一番の絶景ポイントである「ミンチェッタ要塞」が城壁巡りの最後の方になり、城壁巡りのハイライトとして感動できます
また、ピレ門口から入れば、途中にいいタイミングでトイレやカフェもあり、とにかく、いろんな意味で巡り合わせが良いです。
以上の理由で、極度に急いでないのであれば「ピレ門」から入場するのがオススメです。帰りもピレ門が近いので、そのまま帰路につけます。
ピレ門と城壁入り口の位置関係は以下を参考にしてください。
▼城壁のピレ門側の入口はこの階段を登って城壁めぐりをスタートします。
城壁からの景観と絶景写真
城壁からの景色は本当に多種多様です。民家の真横を通ったと思えば、中世のお洒落な建物が見えたりします。そして、常に視界にはアドリア海が見えるので飽きる事がありません。ちなみに私は3日の滞在で5回チケットを購入して5周しました。
左から「ピレ門の城壁入場口の階段」「城壁から見るプラツァ通り」「城壁西側から見る城壁の外」。城壁の上からはどの角度から写真を撮っても絵になります。
城壁から屋根を見ると、修復された所だけ色が違うのがすぐに分かります。当時の材料はもちろん、使用する道具を再現する所から修復を始めたそうです。
▼城壁巡りのハイライトであるミンチェッタ要塞からの旧市街の景色です。
上の写真は12月末の冬に撮影したものです。どうしても完全に太陽を背にした順光の形で撮影したかったので、時間帯を変更して何度も入場しました。冬の時期は中々、完全な順光にはなりませんでした。冬は人も少なくてスイスイと城壁を周れますが、綺麗な写真を撮りたいのならば、やはり夏の訪問がおすすめです。
ドブロブニク 城壁の歴史
元々、旧市街を囲む防衛の役割を果たしていたのは木の柵だったと言われています。城壁が旧市街を囲む現在の姿になったのは主に12世紀〜17世紀の事です。
現存する大半の壁は、14世紀と15世紀に、オスマントルコの侵略に備えて強化されたものです。その後も城壁の拡張は17世紀まで続きました。
オスマントルコやヴェネチア王国など、列強諸国に囲まれていたドゥブロブニクは常に他国の侵略に備える必要がありました。
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